Monday, August 22, 2005

50%に追い込まれて

ガザ撤退の様子が毎日テレビから流れて、その土地を追われる人も追う人も共に涙を流していた。追う追われる、どこかで読んだ「占領イスラエルにどこまで追い込まれたらパレスチナの人は自爆するという行為に出るのだろうか」という文をなぜか思い出した。

今日は午前中にバスで20分ほどの町にある税務局へ。空は藤色に乾いて、暑いと言えども日陰に入ればそよそよと涼しい風。汗をかかないうれしさ。日本はきっとまだ蒸し暑いのだろうかと遠くの祖国の夏を思ってみる。 6月に仕事を依頼された企業がやっとこさ、その報酬を払ってくれると先日電話がかかってきたことで、税務局の登場となった。

「もしその給料額に税金を払うとしたら、ナン%?」

そう電話越しに6月の企業に尋ねると税金は給料の額云々で変わってくるらしいとのこと。

「あなたの場合は50%ね」

50%!!!それって最高納税額じゃないですか、異邦人の私が手にするのはそんなに偉そうな金額でもあるまいに・・・。それにしてもなにゆえに自分の働いた半分を差し上げねばならぬのよ!その見返りは何ぞや?と、これまでもなんとかあの手この手で税金を納めずにやって来たのだから、今さら50%も取られてはなんだか余計に悔しいので、これはやはり税務局にLet’s go!

バスにゆられて税務局に行くも、去年までの係りのおじさんは不在。クビにでもなったのだろうか、エチオピア移民のような中年のおばちゃんがそこにいた。あらら、困ったなあ英語は通じそうもない。カタコトのヘブライ語で何度も説明するも、向こうの思い込みとでこちら専門的な語彙の少なさから意思は通じず、埒が明かないのでまたまた出直すことになった。 50%ねえ・・・。このまま黙って引き下がるのはくやしいなあ。

何にしろこの国に来てからというもの、お役所仕事は何事も一回でスムーズに行った例がない。ヴィザ一つ更新するのにも何ヶ月も役所へ行ったり来たり、終いには担当者が書類を失くすなんてことには何の後ろめたさもなければ日常茶飯事的に起こって。ヴィザを出してもらわないと困るという弱みを握られたような異邦人は無駄に時間と気力を費やして、担当者の尻拭いかのようにあちこちをぐるぐる駆け巡らなければならず、あっかんべー!おまえの母ちゃんでべそ!でも食らそうか、そのストレスはかなりのものに。でもだからと言ってジバクしようとは思わないもので、でも税務局ならばこっそりとバクダンの一つくらいは落としてみようかなんてね。きっとこの国のみんながスカッ!とするだろうから。

無駄足の税務局からの帰りにマハネ・イェフダ市場でバスを降りて、空っぽの冷蔵庫君を満たすようにあちらこちらの店先へ。肉屋や八百屋など庶民の台所を預かる店の店員の多くはパレスチナまたはアラブの人たち、カウンターの中ではユダヤの人と同じように白いエプロンをして、彼らのアラブ訛りのヘブライ語を耳にしなければスファラディーやミズラヒと呼ばれるユダヤの人たちとそれほど顔の濃さは異ならない。店店の客もユダヤの人が多いけれど「お前は憎きシンリャクシャのユダヤだ!」「お前はアラブだパレスチナだ!ここから出て行け!」といざこざが起きるわけでもなく。目に見えそうで見えなさそうな境界線のこちら側とあちら側、東エルサレムに住みながらもこちらの街でもユダヤと共に暮らしている。旧市街で喫茶店を営むパレスチナ一家も不平等に対しての不満はかなりあるものの、それでも息子を大学へやり、それなりに暮らしている。

それでもやはりパレスチナ自治区の日常はイスラエルのアラブの人たちとはまた異なるかもしれないけれど、それでもヤッフォ通りのマーク氏のレストラン「あっぷする~と」へとチェックポイントの裏道を通り抜けてこっそりと働きに来ていたパレスチナ青年のハリル。若い彼は先の見えない自治区の生活に追い詰められていたけれど、今も向こう側で何とか元気、時折こっそりと裏道を通り抜けてはこちら側へやって来る。そんなハリルだって、一歩間違えばバクハツブツを抱えて抜け道を走り、マーク氏のレストランをドカンとするなぞ簡単なこと。

人は敵対する人に「追い込まれたら」どうなるかというよりも、その時に間違った愛国心を掲げた同胞に「洗脳されないよう」に、ではないのかなあと思いつつ、ピンクとブルーのビニール袋を両手に提げて帰って来た。

さて、税金50%と追い詰められても誰も私に「国民の敵、憎き税務局をバクハセヨ、すれば君は天国へゆき、ハーレムが待っている」 と甘くまじないの言葉をささやきかけてはくれないので、仕方なし。払うべきか、それともどこかに抜け道を探すべきか。