Sunday, December 18, 2005

父の落し物

私の父は落し物の名人なのである。これまで落とした物とその回数は数え切れない。たくさんの「Lost 何々」なのに、父のロストした物のほとんどが、彼の手元に届けられるこの不思議。

前回、私が帰国していた時にも、少なくとも2度ほど父の落し物話に笑ってしまった。一度は家の鍵。これはもう日常茶飯事なので、今さら驚くほどの話でもない。研究室の鍵やら家の鍵やら、忘れたりロストしたりしなかったことがないほどなのだ。その日の夕方、母と私は京都駅前のスターバックスでお茶をしながら話に夢中になってしまい、すっかり夕食の約束をしていた父に連絡をするのを忘れていた。待ち合わせ時間ぎりぎりになって「そういえば、お父さんって、私たちが今ここにいるのって知ってはったっけ?」「あら、知らないでしょう。すっかり連絡するのを忘れてましたねえ」と、ノンキなもので、自宅で私と母からの連絡を待っていた父に連絡を入れた。時間通りに物事を進めたい父は、いつまでたっても夕食の連絡がないのですっかりソワソワしてしまい、プルル~と一度の呼び出し音で受話器を取った。

「今からそちらに向かいますから」

と、ものの15分ほどで、タクシーに乗って待ち合わせ場所のホテルまでやって来た。

「なんだ、連絡をずっと待っていたのですよ。さて、何を食べようかなあ。ここの中華はおいしいから、ここにしようか」

3人でお目当ての中華レストランで案内された席に着いた。白いテーブルクロスを挟んで、父が奥に座り、それぞれに渡されたメニューを眺めていると、

「・・・あっ!」

父が驚いたように小さく叫び、ジャケットのポケットに手を突っ込んだ。

「・・・鍵がない・・・」

「お父さん・・・また、ですか?????」

「またなのねえ・・・お父さんってば」

メニューをテーブルの上に置くと、ズボンとジャケットのポケットの中を探してはため息をつき、どうしても腑に落ちない父と、テーブルを挟んで呆れてもう何も言えないわと母。どうやら父が内ポケットだと思って鍵を入れたところは実はポケットでもなんでもなく、当然、歩いているうちに鍵はそこからストーンッと落ちてしまったようだった。

「ひょっとしたら、タクシーの中で落としたのかも?いや、そんなはずはない。タクシーを降りた時だったら落ちた音がするはずだから、わかるだろう」

「ん?でもお父さん、補聴器つけてないでしょ?だったら道に落ちたって、チャリーンという音は聴こえないのじゃないの?」

「むっ・・・」

・・・どうも私は、現実的に一言よけいに話しすぎるようだ。

「もう本当にお父さんの落し物に振り回されるのはうんざりですよ」

「そんなこと言っても仕方がないじゃないか・・・。内ポケットだと思ったのだもん」

ちょっとすねている父。とにかく失くしたのは仕方がないと、食事を終え、帰宅してから、父はホテルと自宅の間にある派出所に電話を入れた。もしかしたら誰かが拾ってくれたかもしれないという、淡い期待を胸に・・・。

「すみません、今日の夕方に鍵を落としたのですが、ひょっとしたらそちらに届いてないでしょうか?」

あるわけないよねえ・・・と、クスッと母と私。

「え!そうですか~。その方の連絡先を教えていただけませんか?」

え???あったの???・・・とビックリする母と私。派出所のお巡りさんから教えていただいた電話番号を押す父。

「あ~、わたくし、先ほど鍵を落としたものですが、ご親切に拾っていただいたそうで、ひとつお礼をさせていただきたくお電話させていただきました。・・・はい・・・はい、ああそうですか。で、鍵は一体どこに落ちていたのでしょう?はあ、駅前のホテルの前のタクシーの停まる所ですか?ああ、そうでしたか・・・」

ぷははははっ、やっぱりタクシーを降りた時に落としたのではないか。ほら、言った通り、やっぱり聴こえなかったんだよねえ、お父さん。電話を終えた父に、ちょっといたずらっぽくからかってみた。

「明日、研究室に行く途中に派出所に取りに行って来るよ」

そうして次の日に無事に鍵は帰ってきたものの、私がまたエルサレムへと帰る二日ほど前に、父の落し物騒動があった。

「補聴器が見つからないんだよねえ・・・おかしいなあ。どこで落としたんだろうか」

「お父さん、また、ですか?!しかも今度は高い方の補聴器ですって?・・・もう知りませんよ!」

またですか・・・と母はため息をつく。落とすのは仕方がないとしても、それならばなぜ補聴器のケースに名前と電話番号を書いておかないのかなあと、私はまたまた現実的に不思議に思う。拾った方も、他人の補聴器なんて、どうしようもないだろうしね。

しかし、ついにその補聴器は見つからず、その二日後、エルサレムに帰るために空港に向かう私を、母が駅まで送ってくれることになった。両親と一緒に住んでいる兄夫妻の6歳になる息子も一緒に車に乗り込んで駅へと向かうと、後部席に座っている甥っ子はなんだか寂しそうでもあり、サヨナラをするのが恥ずかしそうだった。車が駅に着いて、「それじゃあね」と甥っ子に告げると、甥っ子がお尻の下に手を入れて叫んだ。

「あっ!」

「ん?・・・まさか、急におしっこ???」

「これ、なあに?」

甥っ子の小さな手には黒いプラスチックのケース。

「うわ~!!!さっちゃん、よくやった!でかしたぞ!お母さん!ほら、お父さんの補聴器!!!」

やっぱり戻ってきた父の失くし物。母が、出かける父を車で送って行った時に、またまたぽろりとポケットかどこかから落ちたのに気が付かず、後部席に忘れらさられていたようだ。まったく運のよい落し主だこと。しかしやっぱり名前と電話番号が書いてない。なので、ちょうどさっちゃんの持っていたかわいいキノコのシールを、意味もなくベタベタと貼っておいた。黒いから目に付かないのなら、キノコでも貼ってカラフルになれば落ちても気がつくかもと・・・。

そして先日、日本の母と電話で話していた時のこと。いきなり母が「ああ、そうそう、ちょっと聞いてちょうだいよ!」と笑い出して、言葉が言葉にならなくなった。どうしたのかと尋ねると、またまた父の落し物の陳話があるという。

その日は、久しぶりに父と母と揃って昼過ぎから映画を見に行って来たらしい。戦後が青春時代だった彼らには、ビデオやDVDが主流になった今でも、映画館へゆくのがロマンチックなデートのあり方らしい。そんなふたりは支度を済まして家を出て、近所の角を大通りへと歩いて映画館へ行った。そしてその次の日、父はどうも靴下が片一方だけ見つからないと、洗濯機やベランダ、箪笥の中を探していたという。どう考えても映画に行く前の日にはいた靴下は、脱衣場か洗濯物に紛れているかのどちらしかないのに、どこにもその靴下のカタワレが見つからず。

「おかしいなあ・・・」
「変ですねえ」

と、母もまあどこかから出てくるだろうと思い、さほど気にもせずに買い物に出かけた。母が近所の角をまた大通りへと歩いてゆくと、歩道になにやら靴下らしきものが落ちている。これまた変なところに靴下が落ちているものだと、母は靴下の傍を通り過ぎた。

「おやっ?まさか・・・」

しかし、母はその「まさか」の思いを吹き払うと、買い物をすまして家に向かった。またその近所の角まで来ると、まだ落ちているその靴下がどうにも気になったので、拾ってみようかなあと思ったらしい。そして靴下の横を通り過ぎようとすると、向こうから人が歩いてくる。それでそれを摘み上げるタイミングが掴めずに、無念にも角を曲がってしまったと。そんなの躊躇も何も、ほいっ、と拾えばいいのに・・・と思うのだが、やはりそこは人目を気にする日本であって、誰も何も気にしないエルサレムではないらしい。

買い物から帰った自宅では、父がいまだに見つからない、失くした靴下を探していた。母は、そうなるといよいよあの路上の靴下が気になってきた。しかしどう考えてもそんなところに父の靴下のカタワレが落ちている訳がない。が、やっぱりあの孤独な歩道の靴下は、父の靴下のカタワレかもしれないと、母は夜も8時を回り人通りも少なくなってから、ひとりで拾うのは怪しいかもしれないと私の甥っ子を連れて、近所の角を曲がってみた。やっぱりそこには靴下のカタワレが、しかも父のお気に入りの模様にそっくりの靴下のカタワレが、雨を吸い込んで悲しそうに打ち捨てられていた。母はそのびしょびしょのカタワレを摘むと、甥っ子の手を引いて、誰にも目撃されぬようにと急いで家に戻り、ぽいっとその靴下を洗濯機に投げ込んだ。

次の日、洗濯機が回り終わってふたを開けてみると、きれいになったその靴下は、紛れもなく、正真正銘、父のお気に入りの靴下のカタワレだったのだ。

「お父さん!靴下がありましたよ・・・!」

「ア、 本当だ。私の靴下だ!どこにあったの?」

母は父をリビングの食卓に誘うと、実はあの通りの角に落ちていたので、昨夜、拾って来たのだと告げた。

「そこの通りのあの角に落ちていたって???どうしてそんなことが・・・!ありえないでしょう!」

そう、どうしたら父が脱衣所で脱ぎ捨てたはずの靴下が大通りに落ちていたのか。なんだか狐に包まれたような話。つまりは・・・こういうことらしい。

映画に行く前の晩、父は風呂に入ろうと脱衣所でズボンとパッチと共に靴下を脱いだそうだ。どうも靴下を脱いでからズボン、そしてパッチをいちいち脱ぐのが面倒くさいらしく、そこですぽーんっと全部同時に脱いで籠に入れ、パンツと靴下を洗濯機に放り込んで風呂に入った。そして次の日に、またそのパッチとズボンをひょいっと同時に履いて、新しい靴下を履いたそうだ(パッチは毎回洗わないのかなあ?と思ったが、これもまた現実過ぎる話なので、言わないことにしよう)。そして母とふたりで映画に出かけ、あの角を曲がった・・・。そこで、前夜に洗濯機には放り込まれずに、パッチの中のどこかで包まっていたお気に入りの靴下のカタワレが、父のスキップするような癖のある歩きの振動によってズルズルと下に落ちて来て、パッチの裾から抜け出して通りへと落ちたのだろうと。そして例の如く、父はそれに気がつかなかったと。

この話は当人である父も、もうおかしくて笑が止まらなかったらしい。いやいや、これを国際電話で聞かされた私もなんだかもう、おかしいやら信じがたいやら、でもあの父のことだから十分にありえるのではないか。それに夜更けにこっそりと、打ち捨てられた靴下のカタワレを拾いに行った母の様子などを思い描くと、腹筋が痛くなるほど笑ってしまった。しかし、その時に誰も父の後を歩いていなくてよかった・・・。前を歩くおじさんのズボンの裾から、いきなり黒っぽい布切れが落ちてきたらびっくりしてしまうではないか。それよりも、パッチや股引に靴下が挟まっていたら、モコモコと履き心地が悪いだろうに・・・。それも気がつかなかったのかなあ。まったく父は不思議な人である。

そんなこんなで、父はいつも落し物をしては家族に話題を振りまいてくれる。とりあえずこの靴下のカタワレだけでも The Lost Sock にならず、また家に戻ってきて本当によかったのである。しかし、ブーメランのようにしていつの間にか落し物が手元に帰ってくる父にも、ずっと昔に落としいまだに戻ってこない「エルサレムに住む娘」という最大の落し物があるらしい。

Wednesday, November 02, 2005

子供時代

神社の参道に並ぶカラフルな出店やコンチキチンの音色、夜祭の灯り。春と秋の祭りが訪れると、各家庭でお赤飯や祭りのご馳走を拵え、子供たちは一張羅で着飾った。祭りの前には、近所の下駄屋で新しい下駄を選び、祖母の見立てらしいとても美しい大きな鮮やかな蝶が染められた着物を着せてもらった。

私の父方の祖母は、大きな家の姫様として育った大正生まれの女性で、今思えば、祖母はとても多彩な人のようだった。今とは時代も異なり、家には住み込みの戦争未亡人の女中さんや、花嫁修業として預かっていた親戚の娘さん、それに御用聞きやらなんやらとお抱えの方がたくさんいたらしい。今ならば「セレブな生活」とでも言うのだろうか。すてきな道具や着物に囲まれ、とても華やかだが、その反面、気疲れすることも多かったようだ。そんな祖母の生活の一部は、小さな私の生活のすべてだった。

当時の実家の茶の間は、ひっきりなしに祖母を訪ねていらした方たちで溢れ、祖母が一人でいるところは見たことがなかった。まだ小学生のチビ助だった私には、茶の間はおじいさんとおばあさんの集まりの場のようで、普通の家庭のように家族の憩いの場ではなかった。時には大きな顔の書道のお偉い先生が、たくさんの方に囲まれた座敷で「いやーっ」と、勢いある筆捌きを披露したり、広間では街の政治家の講演会が開かれたりもした。そして、祖母の遊びは、よそ行きの着物でお供を連れての京都の祇園の歌舞伎見物や、料亭で踊りの披露会。とにかく出かける時は大童で、黒塗りのタクシーが門の前で祖母とご一行を待っていた。そして、普段の日常は踊りやお茶の稽古、俳句と日本画の集まりやその他様々な相談事の相手などと、まったく今では遠い昔の暮し。

内孫で、しかもはじめての女の子とあって、きょうだいや従兄たちの中でも私だけが、いつも祖母の袖の下でそのおこぼれに預かっていた。大正生まれの女性にしては体の大きかった祖母は、その心も大きく、まだ若かった母親とは異なる宇宙的な安心感があったように思う。実家の茶室と座敷の間の一室には、夢路の絵のようにひょろりと柳のような、着物姿のお茶の先生も就寝を共にしていた。私が生まれる前からいらしたようだ。竹田さんというそのお茶の先生の、お弟子さんたちが稽古を終えて帰られた後に、その日の小さな上質の茶菓子をいただくのが、子供の私には何よりもワクワクさせられたのだった。おかげで子供のころから大の和菓子党で、大学生になる頃までケーキやパフェなどは、あまり口にしたことがなかったように覚えている。祖母と竹田さんは、ちびまるこちゃんな私にも、お茶と踊りをと話していたらしいが、母は私にピアノや水泳と現代的なことを習わせたかったようで、あまり乗り気ではなかったらしい。私は踊りとなぎなたにとても惹かれていたのだが、母の反対で結局それはお蔵入りとなってしまった。

そして、10歳の夏休みがはじまってすぐのこと。毎年8月にならねば遊びに来ない東京の従兄たちが、その日の数日前にはもうすでに家にやって来ていた。大人は当然祖母の死期を予期していたのだろう。祖母が60代に入ってすぐに彼女の夫が亡くなると、祖母も心労からあっという間に祖父の後を追って亡くなってしまったのだ。家と家との駆け引きで、ふたりは17歳で祝言を挙げ、祖父が養子に入ったという。お互いに惚れて夫婦となったわけではなかったから、祖父の生前は取り立て夫婦仲の良い間柄でもなかったのにもかかわらず、「おじいさんが呼んでいるから」と、祖母は夫に導かれてこの世を後にした。

しかし、まだ子供の私には何も知らされずに、その晩、深夜も近いころだった。ふと、自室で目が覚めると、なにやら階下でざわざわと忙しそうな気配に階段をトントンと下りてゆくと、誰かに指示を与えている父の声で祖母の死を知った。階段の途中で咄嗟に方向転換をすると自室へ戻り、祖母が亡くなったのは、しばらく見舞いに行かなかった自分のせいだと、布団に顔を押し付けて大泣きをした。その思いは、私が大きくなるまでずっと心のどこかで感じていたように思う。入院してからの祖母の姿はそれまで知っている祖母ではなく、真っ白な病院のベッドと病気の匂いに横たわる姿に、どうしても慣れずに戸惑う自分の姿も、ずっと憶えている。

祖母が亡くなって、がらんとした家の中。夢でもいいからもう一度祖母に逢えたらと、祖母が亡くなってから何度も願ってはみたものの、どうしてか祖母は一度たりとも私を訪ねては来てくれなかった。温かい袖下も失ってからは、お茶菓子を以前のように好きな時に好きなだけ食べられる日々も終わり、私の生活も大きく変わってしまった。表向きには、ひとりの普通の子供となった。祖母の取り巻きの方たちも、そのドンを失くしてがっくりと意気消沈。またひとり、またひとりと、実家に出入りする事もなくなって行った。それでもたまに思い出したように、昭和のはじめのような丸眼鏡をかけた電気屋のおじさんが、寂しそうに訪ねてきたが、年若いぶっきら棒な母ではどうしようもなく、10分もするとまた寂しそうに家の門をくぐって去って行かれた。そして、やがて竹田さんも病を患い、どこかの病院に入ってしまわれ、それきり亡くなってしまわれたようだった。

そんな祖母との生活の思い出の詰まった実家は、15年ほど前に大改築された。その大きな木造建築は、市の取り決めで再び木造にすることは認められず、趣のかけるモダンなコンクリート建築物となった。茶室と朱色の座敷、そして蔵と庭だけは昔のままに残されてはいるものの、子供時代の思い出と、祖母の温もりの名残であった実家の消失によって、私はぽつんとはじき出されたような、取り残されたような、いまだに新しい居場所が見つからず宙ぶらりんの空間を生きてきたような、どこかそんなふうなのだ。そして、祖母にさよならすら言えなかったことが、祖母の死後何十年と過ぎた今でも悔やまれて仕方がない。

今年の春に帰国した際に、神社での春の祭りがもうなくなってしまったのを知った。コンチキチもお赤飯もなく、着飾った子供たちの姿ももういない。庭の桜が咲く頃に、祖母の袖下の子供時代からの特権のように、蔵を引っ掻き回した。どこかの家の窓から三味線の音がゆっくりと響いて、葛篭の中から、たくさんのモノクローム写真に写る女学校時代の祖母が静かに私を見つめた。長い間、誰にも使われることのない茶室の畳を拭き、庭の苔を眺めながら、祖母に尋ねた。時代は代わり、失くしてしまったたくさんのものたちと、あなたの孫娘と心の中の思い出も、やがては中東の砂漠の塵となって散ってゆくのでしょうか。

Monday, October 24, 2005

「Surele」 忘れられたイディッシュの歌



שרהלע

א מאל געווען א שרהלע
א שרהלע א שיינס
געהאט האט זי א ברודערל
א ברודערל א קליינס

א מאל איז די מאמע אוועק אין וואלד
און נישט געקומען באלד
נעמט שרהלע איר ברודערל
און גייט מיט אים אין וואלדע

זיי קומען אריין אין וואלדעלע
און בלאנדזע אהין אהער
קומט אן צו זיי פון וואלדעלע
א גרויסער ברוינער בער

אך בערעלע דו גוטינקע
זיי און ריר אונז נישט אן
די מאמע וועט באצאל
דיר וויפל זי נאר קען

אוועק איז בער אין וואלדעלע
די קינדער בלייבן שטיין
קומט אן צו זיי א וועלוועלע
און סקריפשעט מיט די ציין

אך וועלוועלע דו גוטינקע
זיי און ריר אונז נישט אן
די מאמע וועט באצאלן
דיר וויפל זי נאר קען

אוועק איז וואלף אין וואלדעלע
די קינדער בלייבן שטיין
פינסטער וועט אין וואלדעלע
....עס הערט זיך א געוויין




Ah mul geven ah surele
ah surele ah shayns
gehat hot zi ah briderel
ah briderel ah klayns

Ah mul iz mame avek in valdun
nisht gekimen bald
nemt surele ir briderel
un gait mit eim in vald

Zay kumen arayn in valdele
un blondzeh ahin aher
kumt un tzu fun valdele
ah groiser brooiner ber

Akh berele
du gutinke
zay un rir undz nisht un
di mame vet batzulen
dir viffel zi nur ken

Avek iz ber in valdele
di kinder blayben shtayn
kumt un tzu zay ah velvele
un skripshet mit di tzayn

Akh velvele
du gutinke
zay un rir undz nisht un
di mame vet batzulen
dir viffel zi nur ken

Avek iz volf in valdele
di kinder blayben shtayn
finster vet in valdele
es hert zekh ah gevayn....


ああ むかしむかし ああ ひとりのスーラレという
ああ それはそれは かわいいおんなのこがいました。
スーラレにはおとうとがひとり 
ああ ちいさな ああ おとうとがいました。

ああ あるとき スーラレのママは 
森へでかけてゆきました。
でもママは ながいあいだ かえってきませんでした。
スーラレは ちいさなおとうとをつれて ママのいる森にいきました。

スーラレとおとうとは 森のなかをママをさがして 
あちらこちら さまよいあるいていると 
いっぴきの おおきな ちゃいろのくまにであいました。

「ああ まあ くまさん!
なんてやさしそうなのでしょう。
わたしたちに なにもしないでちょうだいね。
もし いじわるをすると ママがしかえしにくるんだから」

くまは 森のなかにきえてゆきました。
スーラレとおとうとは まだ森のなかにいます。
こんどは いっぴきのおおかみが
キバをギリギリならして こちらにやってきます。

「ああ まあ おおかみさん! 
なんてやさしそうなのでしょう。
わたしたちに なにもしないでちょうだいね。
もし いじわるをすると ママがしかえしにくるんだから」

おおかみは 森のなかにきえてゆきました。 
スーラレとおとうとは まだ森のなかにいます。
くらやみが 森におとずれはじめました。
そして 森は スーラレとおとうとが 
くすんくすんとないているのをききました...。

There once was a Surele
A Surele a pretty
She had a brother
A brother a small

One time her mother went to the forest
But did not immediately return
Took Surele her brother
And went with him to the forest

They come into the forest
And wandered here and there
From out the forest
Comes a big brown bear

Oh, bear
You good one
Harm us not
The mother will pay you
As much as she can

Away is the bear into the forest
The children remain
Comes to them a wolf
And grinds with his teeth

Oh, wolf
You good one harm us not
The mother will pay you
As much as she can

Away is the wolf into the forest
The children remain
Darkness becomes in the forest It is heard a cry....


イディッシュ語の古い忘れ去られた歌のひとつ「Surele」
イディッシュ語からの英語と日本語訳:Chika Okuwa & Yitzchok Schonfeld

英訳では「A Surele a pretty」など「A」が入るちょっとおかしな英語ですが、間違いではありません。この歌のイディッシュ語にできるだけ近いニュアンスに訳しました。

Tuesday, August 23, 2005

夏休み




レモネード、レモネード、ひとつ、ひとつ、どうぞ。クッ。

はい、レモネード、レモネード、ひとつですね、どうぞ。クッ。

いま異邦人のオネエサンが1シェケルくれました、どうぞ。クッ。


水にレモンを絞ってお砂糖が入っただけのレモネード。
おいしかったよ、小さなスパイさん。

一人の友

ボーロパークに住んでいた時にイツホックのオフィス・Cで、なぜだったかこんなハシディックの話をしていたのを思い出しました。


ある町の裕福なユダヤの男はいつもたくさんの人に囲まれていて、とても友の多い自分をうれしく思っていました。

ラビはその男にこう言います。

「人は君に惹かれているのではなく、財産のある君に取り付きたいだけだよ。そして人とは、何も問題のない時には傍によって来るものだよ。でも君がトラブルに巻き込まれた時になって初めて誰が本当の友かを知るだろう。お金などの財産よりも千人の取り巻きよりも、一人の信頼できる友を持ちなさい。それが本当の君の財産となるでしょう」

男はラビに言いました。

「いえいえ、ラビよ。彼らはいつだって絶対に私を助けてくれるでしょう。私にはすでにこんなに人気者でたくさんの友人がいるのですよ。誰も裏切るわけがない。財産だってこれほど豊かなのですから足りないものなどありません」

ラビは男に言いました。

「それではこれから牛の血をあなたの手と衣服に塗り、
 助けてくれと言って友人の家々を回って見なさい。
 しかしほとんどの人はあなたを門前払いするでしょう」

男は笑いました。

「いいですとも、ラビ。やってみましょう。私は自身がありますからね」

男は牛の血で染まった衣服と手で町を歩き、笑顔で友人たちの家のドアを叩きました。しかし血の付いた男を見るなり友人たちは顔色を変えて、男を家に上げるどころか「見たこともない知らない人だ」と言ってドアを閉めました。また一軒、そしてまた一軒、男は門前払いを食らい、誰もが彼に背を向けました。

男はうなだれました。そして叩くドアはあと一軒だけが残っていました。男はいつもは相手にしない貧乏な家の男のドアを叩きました。

ドアが開いて、貧乏な男は血に塗れた男を見るなり辺りを見回すと、すぐにドアを閉めました。そう、男を家の中へと上げてから。

貧乏な男は居間の椅子に男を腰掛けさせると「友よ、どうしたのですか。どうしたらあなたを助けることが出来るのでしょうか」と心から男に問いかけました。

男は貧乏な男の手をとりました。

「私はなんと愚かだったのだろうか。助けを求める時に誰も彼も私を家に入れてくれるどころか冷たく門前払いだよ。ああ、ラビの仰るとおり、人というのはそんなものなのだったのか。千人の取り巻きや財産よりも、たった一人でも心から信頼できる友を持つことの価値を知ったよ」


今も昔も、本当に価値のあるものが迷わされてしまう。

Monday, August 22, 2005

50%に追い込まれて

ガザ撤退の様子が毎日テレビから流れて、その土地を追われる人も追う人も共に涙を流していた。追う追われる、どこかで読んだ「占領イスラエルにどこまで追い込まれたらパレスチナの人は自爆するという行為に出るのだろうか」という文をなぜか思い出した。

今日は午前中にバスで20分ほどの町にある税務局へ。空は藤色に乾いて、暑いと言えども日陰に入ればそよそよと涼しい風。汗をかかないうれしさ。日本はきっとまだ蒸し暑いのだろうかと遠くの祖国の夏を思ってみる。 6月に仕事を依頼された企業がやっとこさ、その報酬を払ってくれると先日電話がかかってきたことで、税務局の登場となった。

「もしその給料額に税金を払うとしたら、ナン%?」

そう電話越しに6月の企業に尋ねると税金は給料の額云々で変わってくるらしいとのこと。

「あなたの場合は50%ね」

50%!!!それって最高納税額じゃないですか、異邦人の私が手にするのはそんなに偉そうな金額でもあるまいに・・・。それにしてもなにゆえに自分の働いた半分を差し上げねばならぬのよ!その見返りは何ぞや?と、これまでもなんとかあの手この手で税金を納めずにやって来たのだから、今さら50%も取られてはなんだか余計に悔しいので、これはやはり税務局にLet’s go!

バスにゆられて税務局に行くも、去年までの係りのおじさんは不在。クビにでもなったのだろうか、エチオピア移民のような中年のおばちゃんがそこにいた。あらら、困ったなあ英語は通じそうもない。カタコトのヘブライ語で何度も説明するも、向こうの思い込みとでこちら専門的な語彙の少なさから意思は通じず、埒が明かないのでまたまた出直すことになった。 50%ねえ・・・。このまま黙って引き下がるのはくやしいなあ。

何にしろこの国に来てからというもの、お役所仕事は何事も一回でスムーズに行った例がない。ヴィザ一つ更新するのにも何ヶ月も役所へ行ったり来たり、終いには担当者が書類を失くすなんてことには何の後ろめたさもなければ日常茶飯事的に起こって。ヴィザを出してもらわないと困るという弱みを握られたような異邦人は無駄に時間と気力を費やして、担当者の尻拭いかのようにあちこちをぐるぐる駆け巡らなければならず、あっかんべー!おまえの母ちゃんでべそ!でも食らそうか、そのストレスはかなりのものに。でもだからと言ってジバクしようとは思わないもので、でも税務局ならばこっそりとバクダンの一つくらいは落としてみようかなんてね。きっとこの国のみんながスカッ!とするだろうから。

無駄足の税務局からの帰りにマハネ・イェフダ市場でバスを降りて、空っぽの冷蔵庫君を満たすようにあちらこちらの店先へ。肉屋や八百屋など庶民の台所を預かる店の店員の多くはパレスチナまたはアラブの人たち、カウンターの中ではユダヤの人と同じように白いエプロンをして、彼らのアラブ訛りのヘブライ語を耳にしなければスファラディーやミズラヒと呼ばれるユダヤの人たちとそれほど顔の濃さは異ならない。店店の客もユダヤの人が多いけれど「お前は憎きシンリャクシャのユダヤだ!」「お前はアラブだパレスチナだ!ここから出て行け!」といざこざが起きるわけでもなく。目に見えそうで見えなさそうな境界線のこちら側とあちら側、東エルサレムに住みながらもこちらの街でもユダヤと共に暮らしている。旧市街で喫茶店を営むパレスチナ一家も不平等に対しての不満はかなりあるものの、それでも息子を大学へやり、それなりに暮らしている。

それでもやはりパレスチナ自治区の日常はイスラエルのアラブの人たちとはまた異なるかもしれないけれど、それでもヤッフォ通りのマーク氏のレストラン「あっぷする~と」へとチェックポイントの裏道を通り抜けてこっそりと働きに来ていたパレスチナ青年のハリル。若い彼は先の見えない自治区の生活に追い詰められていたけれど、今も向こう側で何とか元気、時折こっそりと裏道を通り抜けてはこちら側へやって来る。そんなハリルだって、一歩間違えばバクハツブツを抱えて抜け道を走り、マーク氏のレストランをドカンとするなぞ簡単なこと。

人は敵対する人に「追い込まれたら」どうなるかというよりも、その時に間違った愛国心を掲げた同胞に「洗脳されないよう」に、ではないのかなあと思いつつ、ピンクとブルーのビニール袋を両手に提げて帰って来た。

さて、税金50%と追い詰められても誰も私に「国民の敵、憎き税務局をバクハセヨ、すれば君は天国へゆき、ハーレムが待っている」 と甘くまじないの言葉をささやきかけてはくれないので、仕方なし。払うべきか、それともどこかに抜け道を探すべきか。

Sunday, August 14, 2005

2005年のディアスポラ

2005年8月14日。数日前のこと、夏祭りの後の夜道のようにゴミやチラシの散らばるヤッフォ通りをマーク氏のレストランへと向かう。

ガザからの撤退で揺れるイスラエル。街の中では賛成を唱えるブルーと反対を唱えるオレンジのリボンがはヒラヒラと車のバックミラーに、学生の鞄に、手首にとはためいて。

何世代も渡りエルサレムに住む家系の友人シギーがガザ撤退に反対して嘆きの壁で行われる祈りに参加するというので、私も写真を撮りにカメラを持ってまだ明るい6時半過ぎに自宅を出て旧市街へといつものように歩いて向かう。なんらいつもの日常と変らない新市街を抜けてヤッフォ通りに出ると、あちらこちらからオレンジのTシャツを着た若者や中年、バックにつけたりボンのロングスカートの高校生などが目指すは一路、嘆きの壁。

もう少し早めに家を出るべきだったと思うも遅し、オレンジの人の波を縫ってタッタカターと旧市街へとヤッフォ門をくぐる。石畳の旧市街に入るとオーソドックス・ユダヤのハバッド派が「メシア」とヘブライ語で書かれた黄色い旗を振りながらにこやかにオレンジ色の人たちに混ざり歩いていた。嘆きの壁に向かう人たちの流れに押されながら細いアラブ市場の石畳を降りてゆくと、そこから壁へと続く道はすでにおしくら饅頭。乳母車を押しその反対の手で幼い子供の手を引く若い母親たちの姿が多く、子供は人ごみに揉まれるは退屈するはで、こんなところに連れてくるのは大人の身勝手かと思いつつも、ベビーシッターもそうなかなか雇えないのだろう。

壁へ向かう横道へ逸れてみるも、もうどこもオレンジの人でいっぱいで、壁には到底近づけない。オレンジのリボンを額に巻いた若いイェシヴァの生徒風の男がオレンジの紙を手に立っていた。「シャロンは辞任すべし!」そう書かれた紙を壁に向かう人々に手渡している。少し離れた花壇の上からその男の写真を撮っていると太っちょなおばちゃん、うれしそうににっこりと。

「Good! Take some more pictures! You speak English? 」

いかにも典型的なアメリカ移民の太っちょなおばちゃんはガザのグシュ・カティフ入植地がどれほどすばらしいかを英語で歌ったCDを自費出版したから買ってくれないかというのを「がんばってねー」と買わずにさよなら。ずっとずっと砂漠だったあの土地に緑を植えて開拓し町を作り、政治的にはどうであれそこを今去らねばならぬみなにはそれぞれ色々な思いがあることだろう。

日が西に傾いて、嘆きの壁の前からゆっくりと静かに祈りが響きはじめる。壁の前の広場、壁に向かう階段、通り、旧市街のユダヤの街は一体となってこれからのイスラエルとユダヤの人々の未来を祈る姿。大人の壁に挟まれてつまらなさそうに小さな子供がニット編みのキパを頭に乗せた若い父親に尋ねる。「偉いラビはどこにいるの?今日はどうしてみんなで祈るの?」

エルサレムの空に静かな祈りが揺れはじめると、人ごみの苦手な私は細い石畳をアラブ市場へ向かって歩き出す。アラブ市場の屋根の上の広場の上につくともうそこまでは祈りの声は届かない。そこからすぐそばの壁にあれほどたくさんの人たちが祈っていることすらまるで夢のようなエルサレムの夕暮れに吹きはじめる冷やりと心地よい風。昼間は風のないこの街も夜には夜には風の街へと異なった顔を見せるエルサレム。この屋根の上までも彼らの祈りが届かないのならば果たしてそれは一体どこまでならば届くのだろうか。風は祈りを遠くまで運んでくれるのだろうか。

屋根の上の広場では、桃色にそして青く染まった空に凧揚げをしている黒いキパのユダヤの少年がひとり。凧は鳥のように空高くすーっと風に乗って。政治も宗教も、そして祈りも関係なくエルサレムの風を受けて高く高く空を舞う。灰色の長細い猫が凧を見上げている私の前をひょんひょんと「人はおろかなものよ」とでも言いたげに知らん顔をして通り過ぎる。

旧市街の空がすっかり紫色に変わって、少年は器用に凧の糸をクルクルと手繰ると吸い寄せられるように降りて来た凧を手に、どこかへ行ってしまった。

祈りを終えてヤッフォ門から旧市街の外へと向かう人たちを避けて私は閉められた商店の閑散とした人影の少ないアラブの町を通り抜けてダマスカス門へと出てみると、そこにはイスラエル兵士と警察の姿があり、パトカーも待機している。しばらくすると同じようにヤッフォ門を避けてこちらへ回ってきたユダヤの人たちの姿も途切れることなく数を増しはじめ、近道に東エルサレムの大通りへゆこうとする黒い服の男たちに迂回せよと兵士たちは行き先を規制する。誰であろうとユダヤの人は理由抜きに迂回せよという典型的な強引さの兵士と警官の態度にうんざりしたように黒い服の男が「腕を放せ!俺は行きたいところへ行く!」と叫ぶと、警官はさらに力強く男の腕を引っぱり背中を押す。

男と警官がもめている背後をアラブの住民は「我れ関せず」とダマスカス門から旧市街へといつものように門をくぐる。

「そうやってイスラエル政府が、同じユダヤでありながらこの国でのユダヤの行動を規制すればするほどこの国は自滅の道を行くんだ」

そう言った黒い服の男の言葉の意味を考えながら、私はヤッフォ通りのマーク氏のレストラン「あっぷする~と」へと夜祭の後のような夜道を歩いてゆくと、おやまあ、「あっぷする~と」には嘆きの壁からの帰路の途中の腹ごしらえと満席で、カウンターに列を着いて待っているほどに。とりあえず、この夜の祈りがポジティヴに働いた人がひとりでもいたことを知った瞬間。店の入り口からカウンター内のマーク氏に手を振る。

「シャロームシャローム、チカ!腹減ってる??ん?」

いやいやもちろんお腹はすいてますが、それよりもマーク氏よ、あなたのレジの中をいっぱいに膨らましてください。一歩足を踏み入れた「あっぷする~と」はうーん、荒れてますなあ。テーブルの上には前のお客さんの残したサラダやコーラの缶、ナプキンやらなんやら、床の上には赤紫の小ナスの漬物が落ちてますよ。あらあらとなぞのトルコ人ハッサンを探してみるも彼の姿は見えず、マーク氏はオーダーを取ってあげてレジを叩いてとテーブルどころではない。ひょいっとキッチンを覗いてみればムハンマッド君はのんびり~っと食事中でチキンを詰めたピタを頬張って。それではとにかく鞄を置こうと店の奥のマーク氏の部屋のドアを開ける。うわっ、びっくりした!黄色いひよこのように元ニューヨーカーのモシェが電気の消えている暗いマーク氏の部屋でベットにちょこんと座っているではないか。

「ハ、ハ、ハ・・・ハイ!モシェ!・・・・何やってんの? 」

「僕ちゃんの大好きなロシア番組見てんのさ。だって、今夜は客が多すぎてさ、落ち着いてテレビ見れないんだよね。まったく邪魔なんだよなあ」

「あは~・・・、エンジョイ!」

あ、あ、びっくりしたよ。でもここは、い、ち、お、う、レストランだからね、客が多いほうがマーク氏のためにはいいんですよ、モシェさん。気を取り直してハッサンのスプレー片手にシュッシュ、サッサッ。テーブルやカウンターの上を片付ける。

「おー、お嬢ちゃんよ、ポテトまだ?うちの子がさっきから待ってんだけど~」

ちょっとごめんよ、マーク氏よ、ポテトだって。え?そこら辺の小皿に適当に盛って持ってってくれって?はいはいはい。それにしてもお嬢ちゃんと呼ばれる年ではないぞ。まあ中東の人は老けてるからニッポンジンは若く見えるのだろうけど・・・。走行してマーク氏を手伝っているとさすがにキッチンのアラブ君も申し訳なさそうに思ったのか、私の後を金魚の糞となって片付けた後のテーブルをなんとなく拭いてみたりと。

さてと、やっと客足も引いて、なんだか祇園祭の夜などを思い出しながらマーク氏の焼いてくれたチキンとピタを食べようかと、テーブルに腰を落とすと、嘆きの壁の前まで行くといっていた友人のシギーが「やっぱりここにいると思ったんだよね」と言いながら「あっぷする~と」に入ってきた。シギーは混雑を予想して早めに家を出たらしく壁の前まで行ったそうだが、とんでもなくたくさんの人で身動きができないほどだったらしい。

「あれ?だったら上から撮った写真に写ってるかもよ?」

どれどれ、とデジタルカメラをマーク氏の部屋の鞄から取り出して、モニターで見てみる。

「あー!!ここ、ここ!ここ、この場所に立ってたのよ私!」

豆粒ほどに小さく写る7万人近いアタマのいつくかを指すシギー。どれどれと覗いてみるもわかりませんなあ。

エルサレム人シギーの父君の家族は何代にも渡って旧市街に住んでいた。1948年にイスラエルが建国されると同時にガザはエジプトによって、そしてエルサレムの旧市街はヨルダンによってユダヤの人々はその土地を追い出されることになった。当時まだ幼い男の子だったシギーの父君とその家族は突然にやって来たヨルダンの兵士に銃を突きつけられて「これから5分のうちに荷物をまとめて出て行け」と着の身着のままでその家を追われたのだという。それまで旧市街ではムスリムもユダヤも隣り合わせに生きていたのに。ヨルダンはこうしてユダヤの人々を追い出すと、家を壊し、古くから建っていたシナゴーグを壊し、ユダヤの人々を嘆きの壁やイスラームが出来る以前から何千年とあるオリーブ山のユダヤの墓地を訪れることを一切認めずに。今ユダヤがガザを撤退することへの反対は、ユダヤの人々が住んでいる土地からまた追い出されることへの反対と、そんな個人的な背景だってあるのかもしれない。

Fiddler on the roof、屋根の上でまたしてもバイオリンが響く。ロシアで、そしてヨーロッパでと、何世紀にも渡り住み慣れた土地を追われたユダヤの人々。いくつかの小さな鞄にすべてを詰め込んで、または着の身着のままで新たなる土地へと流れ流れて、そしてやっとたどり着いた安住の地、祖国イスラエル。この祖国でまたディアスポラを経験するなどとは夢にも思わなかっただろう、いや、ひょっとしたら彼らは安住の地などないことをすでに知っているのかもしれない。シギーの家族のように、他所の中東の街からエルサレムへと流れ着き、何世代にも渡りこの街に生きてきたのちにまた流されて。そして今、また新たな風が吹いて屋根の上の風見鶏はクルクルと方向を変える。しかも今度はロシア政府でもドイツ政府でもなく、同じユダヤの人たちの政治によってその土地へ住んでみないかと歌われて、やがてまるで繰り返される歴史のようにそこから出てゆけと風は吹いて、またバイオリンと共に流れ流れて。

明日から48時間ののち、ガザのユダヤの町はすべて幻、虚しく悲しい夢の跡となってそこを追われた人たちのまた新たなる離散の人生がはじまる。15世紀にスペインを終われたユダヤの人々のように、幻となった町をそしてそこに建っていた家々の鍵を彼らもまた大切に保管しつつ、いつまでも思い続けるのだろうか。一体いつまで、どこまでこうして彼らは流れてゆくのだろうか。



                        2005年8月 エルサレムの自宅にて

Tuesday, August 02, 2005

とってもすてきな国だから、ライフジャケット。

エルサレムから南へヘブロンの方向に車を走らせると、広がるユダ砂漠の中にアロン・シュヴットという小さな町が見えてくる。1970年に作られた人口4000人ほどの小さなアングロサクソン系のモダン・オーソドックス・ユダヤの町アロン・シュヴット。1948年にイスラエルが独立する前からのユダヤの土地。今は入植地と呼ばれている。

エルサレムからアロン・シュヴットへ向かう道の谷にあるトンネルと、そのトンネルを見下ろせる丘のベイトジャラというアラブの町。2001年あたりには、このトンネルを走り抜けるユダヤの車を狙撃するには格好の町として、ベイトジャラには顔を黒い布で覆った男たちが隠れ、この「魔のトンネル」の出口でユダヤの車が狙撃されたというニュースが頻繁に流れていた。

ある日の夕暮れのこと。南アフリカのケープタウン出身のエイドリアンと妻ギャビーはいつものようにエルサレムでの仕事を終えて、アロン・シュヴットの自宅へと防弾ガラス張りの車を走らせていると、丘の上のベイトジャラの町からトンネル出口に向けて狙撃がはじまったというニュースがカーラジオから流れた。エイドリアンとギャビーはエルサレム方面に引き返すに引き返せず、トンネル手前あたりでわき道にそれ、どこかの民家のそばで一時間ほど車のエンジンを切りじっと音も立てずに隠れていたという。

それからも頻繁に続いていたベイトジャラからの狙撃。イスラエル政府もようやくこのトンネルの出口付近1キロほどに、高速道路でよく見られる防音壁のような分厚い壁を建て、はじめはさほどでもないかと思われた壁の威力はベイトジャラからの狙撃を確実に減らす結果となった。しかしそれでもエイドリアンとギャビーに誘われ、彼らの防弾ガラスの車でアロン・シュヴットへとこの道を通るたびに、私のこころにはとても嫌な不安がよぎった。

アロン・シュヴットに住む別の友人スーザン。20年ほど前にニューヨークからイスラエルへと移住し、夫と19歳の長女を筆頭に6人の美しい子供たちがいる。パワーあふれるスーザンがエルサレムのハイテク・パークで経営していたソフトウェア会社は、2001年からのインティファーダの影響で起きた不況のおかげで3分の1に縮小、ついには他人の手に渡ってしまった。

ある年の夏、スーザンと子供たちからの誘いで久しぶりにアロン・シュヴットを訪ねた。エルサレムから車で30分ほど、カラカラのユダ砂漠の中を走るとちらほらとあちこちにアラブの村が点在しはじめ、やがて砂漠の中にアロンシュヴットの玄関、白いゲートが見えてくる。ゲートにはニット編みのキパをかぶったアロン・シュヴットのイェシヴァの生徒が門番として銃を担いでいた。

一歩アロン・シュヴットに入ると、エルサレムでは見られない大きなマイホームが建ち並び、砂漠の中とは思えぬような緑豊かなオアシス、アメリカ風の静かなベットタウンが広がっている。静かなゲート内のスーザンの家。久しぶりのスーザンは元気いっぱい、相変わらず6人の子供たちのよき母。子供たちはせっかくだから一緒に近くの泉へ行こうと私の袖を引っ張るので、散歩がてらにスーザンも一緒に泉に下りて行くことにした。

アロンシュヴットのゲートから徒歩で外へ出て、砂漠の谷に20分ほどガラガラと石と共に降りてゆくと、あら、こんなところに小さな泉があったのね。Vの字の谷底の泉から、ぐるりとまわりを見回せば、そこはイタリアかギリシャか、地中海沿岸のオリーブ色の風景が藤色の空の下になんとも穏やかに広がっている。あたりには他に人影もなく、秘密の泉で子供たちと小一時間ほどものどかに遊び、また谷を砂埃を上げながらアロンシュヴットへと登ってゆく。谷から砂漠の通りへ出ると、時々荷物を積んだ大型トラックが勢いよく通り過ぎてゆくだけ、そこを通る車はほとんどない。

オリーブ色の谷の風景とは異なった作られた緑の茂るアロン・シュヴットのゲートをくぐり、スーザンの家に戻りエアコンをつける。子供たちは濡れた服を着替えにスーザンの合図であっという間に2階へと駆けていった。

「そうそう、今ね、私、こういうの発行しててね、アメリカでも募金を集めに行ったりいろいろと忙しいのよ」

手渡されたのはアロン・シュヴットのタウン誌。パラパラとページをめくるとスーザンの末の子供、小学1年生のアヴィヤの写真が載っていた。

「そうなのよ、彼女にモデルになってもらってたの。かわいいでしょう?アロン・シュヴットにもっとライフジャケット(防弾チョッキ)の数を増やしたいから、募金集めのいい宣伝なのよ。やっぱり住人のみんなが着用できるようにね」

先ほど谷の泉で戯れていた小さなぽっちゃり天使アヴィヤは、タウン誌の中でライフジャケットを着用してほほ笑む。スーザンは車でアロン・シュヴットのゲートをくぐる時には、いつも必ずライフジャケットを身に付け、以前は大げさかと思えるヘルメットすらもかぶっていた。そして同乗する子供たちにもライフジャケットを着用するようにと指示している。いつどの道でアラブに狙撃されるかわからないからと。アロン・シュヴットの付近には特に危険はないけれど、それでもやはりゲートの外にはアラブの人たちが住んでいるのでそうそう油断はできないとスーザン。

「どうしてそこまでしてこの町に住みたいの?」

そうスーザンに尋ねたかったが、なぜか尋ねられなかったのはきっとその答えはわかっているからかもしれない。

いつだったかエイドリアンに、なぜアロン・シュヴットに住むのかと尋ねたことがある。ケープタウンからイスラエルへと移住したエイドリアンは、アロン・シュヴットのイェシヴァで学ぶうちにいつのまにかそこが自分の町となった。やがて彼はギャビーと結婚し、子供を育てていく環境としては広い家が安く購入できるアロン・シュヴットのような町がいいと。そしてこの町のゲート内の住人はみな同じレベルの宗教観を持っているのでイザコザがなく住みやすいのだという。アロン・シュヴットの住人の40%がイングリッシュ・スピーカーで、ここの住人として受け入れられるには同じ宗教レベルでなければ却下されてしまうので、当然ながら世俗のユダヤはひとりもおらず。そして、宗教右派のエイドリアンらしく、エルサレムや他の街では感じられない、遥か昔のユダヤの祖先の時代からの本当のユダヤの土地を感じたいと。

スーザンの発行しているタウン誌には世間では入植地と呼ばれるアロン・シュヴットが、そしてイスラエルに住むことのすばらしさが、英語圏からの移民の子供たちによって、アロン・シュヴットのラビによってしたためられていた。住んでいる国であっても祖国ではないアメリカから、南アフリカから、イェメンから、スウェーデンからと世界の国々から祖国イスラエルへ、そしていのちを守るためにライフジャケットを当たり前のように身につけなければいけない土地へと移り住む。心から祖国と呼べるイスラエルに住むということ、そこで少しでも住みやすい環境や宗教的な理想を求めそこに危険があろうとも住み続けるということ、そしてそれがすばらしいと言えること。仮にそれが自分や家族、子供たちのいのちを危険にさらすというリスクがあっても。ここから生まれるものは一体何なのだろうか。愛国心?敵対心?それともその両方か。

イスラエルという土地の中に、100%完璧に安全な土地というのはないのかもしれない。どこにいても、多かれ少なかれ、いのちのリスクがある。だけど、私はアロン・シュヴットのような孤立したゲートの中で同じ価値観の人たちだけとライフジャケットを着けて共に生きたいとは思えない。それは本当の意味でみなが共存するということではないと思うから。ましてや自分の子供にライフジャケットを着せなければならない土地に住みたいとは、自分の人生のこの時点では思わない。

イスラエルではない他の土地で、ユダヤの人々は共に生活して生きていた。しかし時代は変り、同じユダヤの人同士が右派だの左派だのオーソドックスだの世俗だのと言い合って一つの町すらに住めず、その結果同じ価値観の人たちだけで生きるということへの疑問。ライフジャケットも大切だけど、ユダヤの国とされるイスラエルですら同じユダヤの人々が共存できずにいては、この土地に和平など訪れないのではないのか。そんな気がした。

ガザ地区撤退に向けてまた一悶着ありそうなイスラエル。この国に住めば住むほど、異邦人の私にはまだまだわからないことばかりなのである。

Wednesday, July 06, 2005

夢の中へ、ふたたび。

おばあちゃんがこの春、朱鷺の園に入ってからしばらくの時間が流れて、かなりわがままなおばあちゃんがまわりとうまくやっていけるのかとの母の心配もよそに、おばあちゃんは穏やかな菩薩様のような顔になって、もう「ここどこけ?いつ帰れるがけ?」とは尋ねなくなった。

「あら、あんた、よう来たねえ。何で私がここにおるがちゃわかったん?うち行って来たら私がおらんかったからここやと思って寄ってくれたん?有難いことやねえ。でも、いいタイミングやったねえ、私、今日は偶然ここにおるがやちゃ。いつもいるとは限らんよ。今日はここに泊まっていこうと思って。ここに私の部屋があるが。3年ほど前から住みついとるん。ほんまに、ここはええとこやちゃ、あ、ええとこやちゃ」

いままでの出来事はすべて「3年前」なのだそうだ。それ以前でも以後でもない。そう言って、おばあちゃんは私が今まで見たこともないような美しい、何の心配もなければ煩悩のカケラもないような、すっきりとまるで世の中の柵のない無垢な少女のような美しい笑顔になる。

ゆきえさんが若かった頃、彼女は夢路の絵のように美しかったと何度も耳にした。蝶よ花よとお嬢様育ちで世間知らず。そんなゆきえさんを通りで見かけて一目ぼれしたという、私が生まれずっとずっと前になくなってしまった正弘おじいちゃん。画家の正弘さんと結婚した、どこか夢の中に生きているような美しいゆきえさん、でも戦争が始まって、ゆきえさんの現実は彼女がついていけないほどに厳しくなり、30代はじめの夫と生まれたばかりの次女を次々に結核で亡くしてしまったのだそうだ。

そして私の母と二人、ゆきえさんは泣く泣く実家に出戻った。それからゆきえさんは再婚もせずに、定年までの30年以上を国家公務員として街の大学で勤めあげた。やがて大人になった母が私の父と結婚をして家を出て、私が生まれる少し前にゆきえさんは自分の家を建て、それからずっと、90歳を過ぎるまで一人で暮らしていた。その長い長い時間が流れるうちに、ゆきえさんはすっかり変わってしまい、昔のようにゆっくりと夢の中では生けてはいけず。それでもいつも、相変わらずに高価一点主義で、品物を見極める目だけは確かだった。

ゆきえさんが90歳に近づいた頃、家に行くだびに不思議と妙なものが増えだした。一人暮らしの老人を狙った訪問販売。「布団の乾燥させるのにいいよ」とやさしく誘われて、乾燥剤の入った木の箱が三つほど。母から話を聞いていたので、ゆきえさんの反応を見ようと聞いてみた。

「おばあちゃん、何これ?」

「ええもんながやちゃ。3つもかったっちゃ」

「いくらしたん?」

「3つで70万。・・・でもええもんながやちゃ」

「うっそ!」

この質問を母と私、そしてゆきえさんの弟とで何度か繰り返すと、

「もう言わんといてっちゃ。わかったがやちゃ」

どうもゆきえさんなら目が確かだから、そんなことにはならないと思っていたのが、やはり甘かったらしい。

「おばあちゃん、なんでこんなん買うたん?」

「あの人はあ、話を聞いてくれたがやちゃ!」

そうでした。やっぱりゆきえさんはとても寂しかった。ずっとずっと一人で生きてきて、忙しい母もゆきえさんならほおっておいても大丈夫と高を括っていた。でも、本当はずっとずっとゆきえさんは寂しかった。そしてそれをゆきえさんは誰にも言おうとも、甘えようともせず、一人でずっと生きてきた。そうするのが当たり前だと言わんばかりに。

そしてこの春、お世話になっていたソーシャルワーカの方のおかげで、ゆきえさんは、ゆったりとした空間に設備の整った、まるでちょっとした温泉のホテルのロビーような明るく落ち着いた憩いの場もある朱鷺の園に入ることができた。まわりにはいつもやさしく声をかけてくれて、「うんうん」と面倒くさがらずに話を聞いてくれる大勢のスタッフの方がいる。同じような年代の人たちもそこに寝食を共にする。おばあちゃんにはそんな生活は初めての経験。新しい生活のはじめは不安がいっぱいだったはずが、すっかり今では落ち着いて、もう昔のつらかった事など忘れてしまったらしい。

「あんた、誰け?・・・・ちかちゃんやちゃねえ」

「そんで、あんたのお母ちゃんのだんなさんは死んだねえ」

「へっ?!おばあちゃん、お父さん、まだ元気やでえ・・・。誰も最近死んでないよ」

「あら~、ほやったけ?でも誰か死んだよ。私、あんたのお母ちゃんと一緒にこの前葬式行ってきたわ。あれは大阪のきよこちゃんやったか」

「きよこおばちゃんも元気元気!おばあちゃん、ここずーっと、誰のお葬式も行ってへんって」

「あら~、そんなことないちゃ。えええ?それほんとう?誰も死んどらんがけ。あら~。でもやっぱり誰か死んだっちゃ」

「うんん、おばあちゃん、誰も死んどらんよ。ちょっとおばあちゃん、うふふ、ぼけたのねえ」

「ちょっと?ちょっとじゃないちゃあ~!いっぱいぼけとるわ!ほら、あんた、あそこに時計があるやろう。あれ、止まっとるがやちゃ。私の頭とおんなじや!あっはっはっはっは!」

水戸の黄門様のように豪快に笑う。入れ歯がふがふがするのが大きく開けた口の中に見える。

「あんた、ここの庭の向こうはどこかしっとるがやちゃねえ?」

「ん?どこなん?」

「ここから向こうに出て、ほんで左へ行ったらあんたんちの裏通りにつづいとる。ねえ、そうやねえ」

「まー、お母さん!そんなことあるわけないでしょう。うちとここは車で25分ほどあるんですよ」

母はなんでそうなるのよ?と腑に落ちない。

「あら、あんた、まちごうとる。ここからこうやってそうやって行ったら、ほら、あんたんちの裏やちゃ、ねえ、ちかちゃん、そながやろ?」

「うん、おばあちゃん、そうやそうや。そんでおおとるよ。うちの裏に繋がるねえ。(うん、ずーっと歩いていけばね)」

「ほら、あんた見なさい。おかしなひとやちゃね~。そんなことも知らんの?どうやってあんたここに来たがやちゃ」

「余計なこと言わなくていいのに、もう!」と、母に太ももをバシッと叩かれた。

「だって、ずっとずっと歩いていけば、いつかはこの道はうちの裏の道に繋がるよ。ねえ・・・」

「屁理屈!」

あたりを見まわすと、みんな、テレビを見たり、ソファーで寝転んで昼寝をしたり、テーブルで広げた本の同じページをずっと眺めていたりと、たくさんい人がいるのになんだかとても静かだ。私の住む時間の流れの速いこの世界とは異なる、すっかり時間も何もかもが止って、ゆっくりとふわふわと雲の上を歩くような世界が広がっていた。おばあちゃんは90歳を越えてから、やっとまたあの頃のようにとても美しく艶々と、何の柵もなく、ふわりふわり、菩薩様のように、ゆっくりと夢の中を歩いているのだろう。ただ、もっと早くにこうしてあげればよかったのに、と悔やまれるのだけれど・・・。

Sunday, June 19, 2005

礼儀はもはや死語か?

某放送局のラジオの生出演も無事に終わった。後で自分の話した箇所を聞いてみると、あら?

放送中のインタヴューの時間が短かったので、自分では出来るだけ早口で話したつもりだった・・・・。そう、「つもり」は結局「つもり」でしかない。聞きなおして見ると、なんとゆっくりと話しているのだろう・・・。そりゃあ、アナウンサーの方も時間を気にして焦ったかも知れない。自分と現実のギャップはなかなか埋まらないような。

ここ最近、メールでの問い合わせが増えた。やはりイスラエルというマイナーな国が珍しいのだろう。でも気になります、メールでのコミュニケーションの仕方。相手が見えないヴァーチャルなメールであっても、向こう側には人がいる。だったら「礼儀」というものは欠かせない。そう思うのは私の頭が古くて固いからなのだろうか。

この放送局に引き続いて、全国にネットワークを持つ某Tテレビ局の番組の出演依頼のメールがきた。担当者の「番組に出させよう」という押しの強いメールと何度かやり取りした後に、どうも番組の趣旨とあわず「いろいろと検討した結果、番組にはあわないと思うのですがどうでしょうか。」と尋ねたところ、それ以来ぷっつりとその担当者からの連絡はなくなった。

なんだそれ?まともに相手にしたこっちが阿呆だったのだろうか。多くの人があわよくばと「人生の5分間の栄華」を求める時代、こちらの「出演のお断り」の態度を高飛車に取ったのかなんだかわからないが、せめて「わかりました。ではまたの機会に」ぐらいの返事の一つくらい出来ないものだろうか。

そして同じように写真の依頼が何件かあった。「死海の水を扱ったコスメの商品化にあたり写真を使わせてもらいたい」というような問いが最近多いのだが、なぜか事後承諾なもの、なんだかよくわからない商業的な使いみちなもの。メールであれば自分にとってよい都合だけで「一方的」でよいのだろうか。と、書いていて思い出したことがある。この春、実家でごろごろと過ごしていた時に、ちょうど不在中の父宛に若い男性から電話があった。受話器を持つ母が電話口で声を荒げる。

「主人はいるんですか?」
「(主人?ご主人でしょう?いる?いらっしゃるでしょう!)・・・どちらさまですか?」
「あー、えっと、XX社のものですが・・・・で、主人はいるんですか?」
「(ムカッ)今、不在ですが」
「じゃ、いつ帰ってくるんですか?」
「あなた、ちょっと態度が悪いですよ!何の御用でしょうか!?」
「えー、いないんならいいですよ。ガチャッ」

なんだろう・・・。XX社と言えばそこそこ名の知れた会社である。こんなまともに敬語も使えなければ礼儀も知らない社員がいていいのだろうか。大方何かのセールスだったのだろうが、それにしてもあんまりである。そしてもちろん、こんな事は日本だけではない。イスラエルでも電話の礼儀の悪さには辟易した事が何度もある。

プルルルー。

「ハロー?」
「あれっ?あんた誰?」
「・・・はっ?(え?なんで?)」
「誰?」
「・・・えっ?あなたそ誰です???」
「ボアズやー。で、あんた誰や?」
「・・・チカ」
「はああ?誰やそれ?」
「(こっちの台詞や!)だから、どこかけてるんですか!?」
「リフカいるぅ?」
「だから、どこかけてるのよっ!?」
「あー・・・(やっとかけ間違えたと気づいたらしい)、そんじゃまあ、いいやっ。ガチャッ」

ななななっ、何がええねん!

日本もイスラエルもこんな人が最近めっきりと多いのである。

Wednesday, June 01, 2005

エステルの言葉

雨季の冬が訪れる12月まで一滴の雨も降らない、乾いた藤色の春のエルサレムの空の下。ひらひらとスカートと遊ぶ砂漠の風は生ぬるく、思わず目、耳、鼻、口、露出している身体の穴すべてを押さえたくなるほどに砂を含んでいる。毎年、雨季が終わって春が訪れる度に異邦人の女の器官は砂で詰まり、呼吸も話すことさえも難しくなってしまう。そうすると、異邦人の女はエゲッドのバスで死海へと何日かの洗浄休暇へ。クレオパトラも浮いたという死海の水、豊富なミネラルに、しっとりとした柔らかな空気。ナツメヤシの林に囲まれ、砂漠と死海を見つめて静かに過ごす。人とよりも自然を相手に自分と対話する方がどうも向いているらしい。

その日の午後のこと。異邦人の女はいつものようにエルサレムの旧市街へ向かう途中、久しぶりにマーク氏のレストラン「あっぷする~と」を訪れると、「あっぷする~と」の店先には、ここ何年もエルサレムの街角からぱったりと姿を消していたエステルが立っているではないか。エステは年のころは40代半ばだろうか。エルサレムの街を徘徊する多く迷い子のひとり、オーソドックス・ユダヤの既婚女性の印として頭をすっかり覆い隠す長いスカーフ、引きずるように裾の汚れたロング・スカートに長袖のシャツ。

言葉をどこかに置き去ってしまったのかエスエルの口は堅く閉じられたまま、彼女の口から言葉を聞いたことはない。エルサレムの街のどこかに彼女の帰る家はあるのだろうか。いつ、どうしてか、オーソドックス・ユダヤの世界から零れ落ちたエステルは、その日、長い棹を持った気だるい門番のごとく「あっぷする~と」のガラスドアの前に無言で静止したままだった。そのエステルの横を通り過ぎて異邦人の女が「あっぷする~と」に入ろうとした瞬間、直立不動のエステルはぎゅっと力強く、異邦人の女の腕を掴んだ。

「入ってはいけないよ」

そう目で異邦人の女に語りかけたかと思うと、またすぐに「・・・行きなさい」と口を開くことなく首をかしげて、つかんだ腕をすっと離した。

「アハラ~ン!なんて久しぶりな友よ!」

「いやー、ほんと、マーク氏、元気?」

「あっぷする~と」はこの門番のおかげでかその日は満員御礼、商売繁盛、よかったではないですかマーク氏、と異邦人の女。「本当に日本で招き猫の置物でも買って来ようかと思ってたんだよ」と同時に、異邦人の女はふいに冷たい視線を感じて、隣に立っていたイカツイ男をちらりと見た。

すうー。

その瞬間、このカラカラのエルサレムで、冷たい汗が異邦人の女の背中を流れるような感覚が走った。イカツイ男も異邦人の女と視線があうと同時に、ハッとサッとその視線を逸らすと、まるで異邦人の女などそこには存在しないかの如く透明人間となり、イカツイ男は何気ない素振りでマーク氏に一言二言はなしかけると、そのボテボテと体を重そうに揺すりながら、「あっぷするーと」を後にした。

「マーク氏、ねえ、今の、・・・・知りあい?」

「うん?ああ、まあね」

「ふーん・・・」

「アイツ、昔、ムスリム、今、ユダヤだよ」

「うん・・・知ってる。よく来るの?」

「うふん、ほらさ、チョッとでもおかしなヤツは、なぜかしらオレんとこに来るんだよね。アイツ、8年ぐらい前から知ってるけど、時々思い出したようにふらりとここに寄るよ。でも、なんでまたヤツのことが気になるのさ?」

「まあ、ちょっとね。実はさ・・・、仲のよかった友達が彼と結婚したんだけど・・・」

「ああ、そりゃあ、その友達の過ちだな、しょうがないじゃん」

異邦人の女の記憶がいくつか前の春のエルサレムにタイム・スリップする。ニューヨークのボーロ・パークからエルサレムへと移り住んだオーソドックス・ユダヤの娘トヴァは、知り合って数ヶ月のヤコブと、あれよあれよという間にフパの下で妻と夫としての契約を結んでしまった。イスラームからユダヤへとトランジションを遂げた男と、生粋ボーロ・パークのアシュケナジー系のオーソドックス・ユダヤの娘の恋は、エルサレムの雲ひとつない青い空の下ではあっという間に噂の的。

ユダヤ家とアラブ家、その両家の争いは「おお、なぜあなたはロミオなの?」どころではなく、これまでに微塵の信用も許されないほど騙し騙され、傷つきあってきた。過去にも、イスラエルで長いあいだ夫婦として生活をともにしていたパレスチナとユダヤの男女、その夫が実は妻の知らないスパイだったりと、シン・ベット(イスラエル国内の諜報部)がユダヤ娘と結婚するアラブ男をマークすることも少なくはないらしい。と、それは嘘か本当かスパイ映画の見すぎか、トヴァの友人たちは彼女の将来を楽観できずに心を痛めた。

「トヴァ、この結婚は止めたほうがいいんじゃないの?それとも、もう少し時間をかけて考えてみたらどう?」

「だからこそ奪ってやるんだ!」

息巻くヤコブ。

トヴァはボーロ・パークという保守的なユダヤの街に育ち、子供の頃から常に「よい子」を演じてきたのだった。幼稚園から一貫してオーソドックス・ユダヤの女子校に通い、季節にかかわることなくタイツとロング・スカート。襟元まできちんとボタンを留めた長袖シャツ。ユダヤの知識を学ぶことが楽しかった。

「きっとトヴァは頭脳明晰なラビと結婚するのね。彼女にはそれがあってるわ」

誰もがそう思い、疑わなかった。そして年頃になると、いくども持ち込まれる誰が誰だか見分けもつかないような見合い話し。トヴァ25歳、そんな型にはめられた「よい娘」を演じることに嫌気がさし、自由な恋愛だってしてみたい。しかしボーロ・パークでは結婚前の若い娘が、婚約者であっても異性と肩を並べて歩くことなどはしたなく、そんな型にはまっただけの人生なんてもうまっぴらだと、まるで未開の土地へ渡りゆく開拓者のような意気込みで大きなリュックを背に、中東の混沌としたエルサレムの街へとJFKから空を越えた。

そして新天地エルサレムで、ユダヤのしきたりにも教えにも興味のない自由奔放な世俗ユダヤの青年たちと出会い、生まれてはじめて恋というものを知り、その甘美に酔いしれた。異性との恋という越えてはいけなかった橋を渡って、スリリングで不可能な恋の相手との関係を重ねていった。そうして気がつけば、異次元の砂漠の街エルサレムでのトヴァの自由な恋の日々は、あっという間に流れ去っていった。ボーロ・パークではハタチを過ぎたら大年増のゆき遅れ、三十路ではすでに5人、6人の子の母。40代ではもう何人もの孫がいる。しかしエルサレムのトヴァは30代に差し掛かっても、子供どころか夫として考えられる相手にすら出逢えずに、まだ結婚へたどり着けない焦りだけがどんどんと先走るようになっていった。

そんな時、運命か、はたまたカミサマのちょっとしたいたずらか居眠りか、トヴァはエルサレムの街角で、ユダヤとなったアラブ男のヤコブと出会った。そう、困難な恋ほど不幸で悲しく、だからメラメラと激しく燃え上がるもの。アラブ・ロミオ&ユダヤ・ジュリエット、いずれふたりは引き裂かれるのならば、いっそその前に手を打とうではないか。娘の思わぬ展開にボーロ・パークで胸を痛めている父に反抗するかのように、トヴァはまるでなにかに取りつかれたかのようにヤコブとの結婚へと急発進した。打ちひしがれながらエルサレムへと駆けつけたトヴァの両親は、もうウェディング・ドレスでフパの下に立つ間際の娘に掛けてやれる喜びの言葉は見つからない。3月の終わりのある夕暮れ。エルサレムの旧市街を望む美しい丘で、オーソドックス・ユダヤのラビの立会いのもと、トヴァはヤコブの妻となった。

そしてトヴァの結婚後すぐに、不幸なことにも彼女の友人たちの不安は的中した。かつらが既婚の印であるアシュケナジー系の母や姉たちとは異なり、今やスファラディ系のユダヤの妻となったトヴァは黒っぽいティホで髪を隠し、エルサレムの街角で友人たちに出会うと、途端に落ち着きのない視線をそらした。まるでボーロ・パークだけではなくエルサレムの彼女の過去のすべてを断ち切らねばならないかのように。

「またあのふたり、通りで言い争いをしていたよ」

「あら、あたしは彼らが通りで人目も憚らずに、激しいキスをしてるのを見たわよ」

「僕が見たのはその両方さ・・・。ベン・イェフダ通りで派手に口喧嘩していると思ったら、仲直りの熱いキス・・・。これまでもボーイフレンドはいたけど、やっぱり彼女はオーソドックス・ユダヤだったし、人前でそんなことをするなんてことはなかっただろ?思わずあのトヴァが?って目を疑ったけどね」

「オレ、トヴァにバスターミナルで偶然に会ってさ。よお!って声かけたらさ、彼女、オレを見るなり驚愕の表情で向こうへ走り去ったんだよね。なんだか怯えた感じでさ」

「あ、あたしも!」

「それにしても激痩せしたよね、トヴァって。何かよくないことでも起きてるんじゃないの?」

そんな心の痛む声を耳にしたトヴァの知人のとあるユダヤの夫妻は、トヴァが結婚する前のように、ある安息日の夜にトヴァとヤコブを友として自宅に招待した。しかし、蝋燭の灯る穏やかな安息日の食卓は、ヤコブのいかにもアラブ男的な自己中心で押しの強い態度と、人目もかまわずにそれに対抗するか、ナンセンスにも同調するトヴァとのギクシャクした緊張感に包まれ、その夜ににがい後味を残しただけとなってしまった。その夫妻は、あまりにも変わり果てたトヴァと、あまりの心地悪さに、二度と彼らを安息日の食卓に招くことはなかった。そして、まわりからは親友と思われていた異邦人の女とも、トヴァは連絡を断つようになった。

「トヴァ?」

「・・・ダレ や?」

異邦人の女がトヴァの携帯に電話をかけると、決まってアラブ語訛りのヘブライ語が答える。

「・・・チカだけど、トヴァいます?」

「イマ いナイ」

「じゃあ、また後でかけなおします」

「イヤ、レんラク は コチカラする!」

「え?ああ、いえ、またかけなおしますから。トヴァと話したいので」

「ダメダ!コッちカラ スる!」

プーッ、プーッ、プーッ。

こうしていくどもヤコブに遮られ、異邦人の女がトヴァと話をすることはほぼ不可能となっていった。そんな日々がすぎたある時、異邦人の女は偶然自宅の近くのベツァレル通りの丘の上で、トヴァとヤコブのふたりを見かけた。

「あら、久しぶりね?」

多少のためらいを感じながらも、以前のように異邦人の女はトヴァに声をかた。しかし、噂に聞いていたように、ふたりはどうやらなにやらいい争いをしているようだった。

「・・・フンッ!」

ヤコブは異邦人の女を無視すると、

「じゃあな、トヴァ・・・」

往来の少なくはないエルサレムの街角で、またもや噂に聞いていたように激しいキスをトヴァから奪うと、ヤコブは丘の下の大通りへと駆けていった。仮にもオーソドックス・ユダヤの家庭に育ち、エルサレムに来てからも安息日や口にするカシェル食品を守っていたトヴァにとって、相手が夫とはいえ人の往来の多い街角での抱擁すらも決して心地よいものではなさそうで、ヤコブの腕に抱かれてのキスはどこかぎこちなさを残していた。でも、それももはや彼女が今でも以前のトヴァならば、ということなのだろうか。

トヴァは黒い服に黒い帽子のユダヤの世界では存在しない、そんな分別のない男の履きちがえた男らしさに憧れ恋をして、妻と夫となった。しかし砂漠の街での現実は、綿菓子に包まれた恋の世界とは異なるもの。異邦人の女には、オドオドと視線の定まらないトヴァがとても痛々しかった。

「それで、あなた、元気なの?」
 
異邦人の女は、横を向いているトヴァを覗き込むと、結婚以前はふくよかだったのがほっそりと痩せた腕でやつれ、鼻の上にはかすり傷、右目の下はうっすらと青痣の残るトヴァがいた。思わず異邦人の女は驚きの表情になると、言葉なくもう一度視線の定まらないトヴァの顔を見つめた。

「・・・転んだだけなの!なんでもないって言ってるじゃない!じゃあ、急ぐから!」

そう吐き捨てると、トヴァは数ヶ月前まであれほど仲のよかった異邦人の女とろくすっぽ目もあわさずに、わざと忙しそうな素振りで走り去ってしまった。夫やボーイフレンドのまちがった行為を隠す典型的な態度とも、しかし本当にうっかりと転んだだけなのかもしれない、と異邦人の女はどうしてよいのかわからずに。トヴァの意固地さを十分に知っているだけ、この状態のトヴァがなににも聞く耳を持たないことはわかっていた。ただいつか、トヴァが盲目の恋から覚めることだけを願いながら、虚しさとともに異邦人の女はベツァレル通りをダウン・タウンへと坂を下っていった。

そしてその翌日、異邦人の女は近所に住む友人Aにぱったりと通りですれちがった。

「ところでどう?オレ、ぜんぜんトヴァから連絡ないんだけど、最近トヴァに会った?」

あんなに親しくしていた彼ともか・・・と、異邦人の女はため息まじり。

「・・・昨日会ったよ。・・・顔にかすり傷や痣があったけど、転んだんだって」

「・・・あっ!ウソだね!ヤコブのヤツめ、トヴァを殴ったな!!」

「それは知らないよ。トヴァは転んだっていってたから」

そのままAと別れた次の日の昼下がりのこと。仕事中の異邦人の女の自宅にプルルルルー、電話が鳴った。

「Hello?」

「ハイ!シャロム!チカ?」

受話器の向こうには聞きなれない男の声、しかし、どうしても隠し切れないアラブ風の訛りのヘブライ語だった。

「そうですけど?」

「アハハ、オレ、ヤコブ。ヤア、ゲンキ?」

「・・・ヤコブ?・・・ああ、元気よ。あなたは?」

まるで仲のよい友かなにかのように彼の弾んだ声に、異邦人の女は困惑した。

「オレ?ゲンキさ、アハハ。チョットまテ、トヴァ に カハル!」 

・・・・なんなんだろうか。

「あたし、トヴァよ」

「あら、トヴァ、どうしたの?!」

「・・・・・」

やっぱりなにかおかしい。

「・・・ちょっと、あんたね・・・」

えっ?なんだろうこのトヴァの口調。

すーっと深呼吸をするような、そんな間が聞こえた。

「ーそう、あんたさ、A から聞いたんだから!ヤコブが私を殴ったなんてAにいったんでしょう!こんなでたらめ言い触らすのやめなさいよねっ!最低よね、あんたって!ひどいじゃないのよっ!!ヤコブはそんなこと、一度だってしたことないんだから!転んだっていったじゃないのっ!!ある事ない事ペラペラといい触らすのやめてよ!!人のことに首突っ込むなってのよ!迷惑なのよ!!!!」

咄嗟のトヴァの噛みつきに、異邦人の女は頭が白くなってしまい言葉を失った。それまで異邦人の女が知っていたトヴァとは別人のようで、なにをいえばいいのかもわからなかった。 

「・・・な、なんとかいいなさいよっ!首を突っ込むなっていってるのよ!転んだらバカでも顔に怪我ぐらいするわよっ!」

ただただ呆然と受話器を握る異邦人の女。それでもトヴァは、まるで誰かにナイフでも突きつけられているかのように、切羽詰った口調で異邦人の女を罵り続ける。

「黙ってないでなんとかいいなさいよ!今後一切こんな事はいわないって!どうなのよ!!」

「トヴァ・・・」

カナシイ、ワタシ。

「な、なにヨっ!」

「私たち、お互いをよく理解してると思ってた。これまで何年も本当にいい友達だと思っていたんだけどね。でも今のあなたにはすごくがっかりさせられた。そう、はっきりいって、もうとても失望しかけてるけど、もしちゃんと大人として話をするつもりがあるのなら、電話くらい自分ひとりでしておいでよ。じゃ、Have a good day・・・」

ソレデモ、カナシイ、ワタシ。

・・・ガチャン。

それが異邦人の女にいえる精一杯のことだった。“こんなことをトヴァにいわせるために、ヤコブは電話をかけてきたのか。しかも、自分はさも関係のない振りで愛想よく。誰がどういったかそんなことをいい争うのは時間の無駄。そんな言いあいは泥沼化する他に行き着く先はなく、私からトヴァにはもうなにもいうことはない・・・”トヴァの答えを待たずに静かに受話器を置いた異邦人の女の手は、なんだか少し緊張感を含んで震え、なんともいいようのない後味の悪い怒りが残った。それから5分もするかしないかのうちに、異邦人の女の電話がふたたび鳴り響き、受話器からはAのムッとした声が響いた。

「“チカ ノ タイド は ナッテナイ!ナメヤガッテ ハノ オンナ!”・・・ってね、ヤコブがさあ、たったいま、怒り狂ってって言葉がぴったりで電話してきたよ。チカは殴ったなんていってない、俺がそういったの!って何度いってもヤコブのやつ、耳を貸さないんだよね、ったくさあ」

宗教を変えたからといってその人の根本は変わりはせず、そして仏教徒であろうとなんであろうと日本人が日本人であるがごとく、アラブはアラブ。アラブのとても保守的な男中心の社会、異邦人の女のようにオンナのくせにいちいち生意気なのは、とてもじゃないけどそのプライドが許せない。しかし、そんなことよりも、迂闊にAにトヴァの傷のことを話したことが異邦人の女の犯したとんでもない過ち。やはり、口は災いの元。異邦人の女の知っていたかつてのトヴァは利発で人の悪口など決して口にはせず、相手をむやみに傷つけるなんて愚かなふる舞いもしなかった。

「良いことでも悪いことでも人の噂には必ず尾びれがつくでしょ。だからユダヤでは他人の噂話は固く禁じられているのよ」

知り合ったばかりの頃、そうトヴァが異邦人の女に教えてくれた。ヤコブとの結婚で自分を傷つけているような、黒い深い穴に落ちてゆくトヴァ。傷ついた人は、その傷の深さから他人を傷つけることに鈍感になる。彼女は怒り、喚き、弁解している。アラブ男の妻となったがゆえに身をもって知ることとなった冷たい社会と人々の現実にだろうか。それともまちがった相手との結婚の正当化に必死なのだろうか。しかし彼を選んで妻と夫となったのは、誰でもなくトヴァ自身なのだから、自分の行動の責任は自分で取るしかない。その黒い穴から這い上がりたいと本人が求めなければ、どれだけこちらが手を差し伸べても、トヴァはさらに穴の奥へ奥へと逃げてしまう。

それからトヴァとヤコブはいよいよ住みづらくなったエルサレムの街を離れ、イスラエル開拓精神に意気揚々として、どこかの小さな入植地のプレハブ小屋に住んでいる、と異邦人の女はエルサレムの雲ひとつない乾いた青い空に舞う噂を耳にした。恋と政治と宗教は、時として人を盲目にさせる。トヴァの前途は多難で、それは彼女自身がいつの日にか目を覚ますまで背負っていかなければならないのだろう。でもひょっとすると、彼女はこのまま目が覚めなくても、それはそれで幸せなのかもしれない。人にとっての幸せは皆それぞれ異なるのだから、なにがトヴァにとって本当に幸せなのかは、実のところ誰にもわからない。

ヤコブはユダヤに改宗する前までは、エルサレムから少し離れたベツレヘムに近いあるアラブの町の住人だった。しかし満ち足りないアラブの町の生活からの脱出、この国のどこにでも自由に住むことができ、仕事の選択も多い一級市民の位置を手に掴むには、はやりユダヤへの改宗だという思い。そこに訪れたトヴァというアメリカ行きチケットへのチャンス。

今や、小さなアラブの町のムスリム青年時代には夢のまた夢だったアメリカへ渡るチャンスすら、自らの手の中にある。イスラエルのアラブの町の名もない男が夢を見て、トヴァに影響を与えそうな人たちを排除していった。日本という満ち足りた世界からやって来た異邦人が、簡単に批判できることではないのだろう。しかし、なにかが大きく歪んでいるようで深いため息も出る。このイスラエルという国と、アラブ・パレスチナのあり方に感じる幾つかの疑問。そしてそれを取り囲むアラブ諸国への疑問。

そんなムダ話をマーク氏と異邦人の女、ふたり昼下がりのエルサレムの片隅にて。さてと、異邦人の女はフレンチ・フライとファラフェルを紙袋に詰めてケチャップをかけ、道々のおやつに頂いてゆくとしましょうか。「今日はこれから旧市街に行ってくるけど、マーク氏、なにか買ってきて欲しいものある?ないの?じゃ、また帰りにちょっとだけ寄るわ」さて、異邦人の女はすっかり長居してしまった「あっぷする~と」をあとにしようとすると、どこからか現れたのは、カウンターを甲斐甲斐しく掃除する謎のトルコ人ハッサン。

シュッシュ、サッサッ。

いつものように片手に布巾、反対には青色の掃除用洗剤のスプレー。昔エルサレムがトルコ帝国の支配下にあった屈辱から、ハッサンは同じムスリムでありながらもトルコ人だというだけの理由でエルサレムのアラブ社会では優遇されずに職が続かない。そんなハッサンはマーク氏の店にドロン、パッ、また現れては消えて。あちこちを振り子のような生活を送っている。そんなハッサンの口もまた迂闊には開かない。

さてさて、それじゃまたね、と異邦人の女は今度こそ「あっぷする~と」の出口に向かうと、ヤッフォ通りから元ニューヨーカーの中年男で万年少年のモシェが元気いっぱいに駆け込んできた。薄くなった頭にニット編みの水色のキパを乗せて、薄っすらと汗をかき、相変わらずシャツはズボンの後ろからはみ出している。

「おおー!!君かあ。異邦人、しばらくだったねえ!お、マーク、マーク、ほらっ、テレビのリモコン貸してくれよ。ロシアテレビのメロドラマが始まってるんだよ。見逃しちゃうじゃないかっ!あ、それにいつものね、若鶏の串焼きにピタ、ああ、いわなくてもわかってるだろ。僕は君が作ったのじゃないとダメなの、知ってるだろう?それ、ほら、マーク、マーク、リモコン、リモコン!!」

モシェはテレビの世界へと旅立つと、他のものは一切見えなくなってしまう。マーク氏は、横目でやれやれと異邦人の女にウインクをすると、タクシー・ドライバーのイェフダがキキキーと「あっぷする~と」の前に車を停める音がした。

「よー、マーク!昨日さ、中国製のバンド・エイドが安く手に入ったんだけどさ、5箱ばかり買ってくれないか?よく指、切るだろう?キッチンには必需品だよなあ。ピタッと傷口を包んでくれるぞ。なあ、買ってくれよー。そうそう、使い捨てライターもあるんだぜ。これも安くしとくからさあ。えっと、そうだな、今日スープあるの?え?ない?でもよー、メニューにはあるって書いてあるんだからさあ、オレ、スープが飲みたいの、スープ!」

わかったよ、スープだろ、ちょっと待っとけよ、とマーク氏。キッチンを覗き込むと深いため息一つ。ハリルの後釜のアラブ従業員は仕事嫌いで、アッラーへの祈りの時間だといっては座り込む。

「ムハンマッド、おい!ムハンマッド!ヤッラー!いつまで祈ってるんだよ、ちょっとはシゴトしろよな!なんで一日に5回も6回も一時間もかけて祈ってるんだよ、仕事になんないだろ!」

そしてマーク氏は小声で、カウンター向こうのイェフダに気づかれないようにこう囁く。

「でな・・・、おまえ、ひとっ走り向かいのタイ料理の店からスープひとつ買って来い。ほら、客が待ってるんだよ、隣のオヤジの店にでも行かれたらたまんないよ。ほら、早く行ってこいよ!」

向かいの店へ元気よく走って行ったムハンマッドを待つこと10分ほどだろうか。イェフダはすっかり待ちくたびれて、マーク氏は少しイライラと煙草をぎゅっと灰皿にねじると、ムハンマッドがニコニコと帰ってきた。

「おまえ、遅いよ~。・・・ほら、スープはどうした?・・・ん?」

「ああ、ちゃんと注文は伝えたよ。スープはあの店のタイ人が今持ってくるってさ」

マーク氏、がっくりと無言で肩を落とす。ああ、誇り高きアラブ男はスープなど運ばないのだ。そう、使いに行っただけであるからして。マーク氏よ、あなたも本当によく耐えますなあ、と異邦人の女。

「エルサレムの変り者クラブだよ、ここは・・・。オレって本当についてるよなあ」

続いてロシアの移民が3人、大きな体でノソノソ、ノッシノッシと熊のように「あっぷする~と」へと入って来た。ひとりは真っ赤な顔ですでに酔っている。マーク氏はカウンターからひょいっとヴォッカのボトルを取り出すと、プラスチック・カップに半分注ぎロシア男に差し出した。マーク氏、ニヤッと笑って、そっと異邦人の女の耳元で囁く。

「ほら、やつらも呑んでるだろ?だったらどっちが強いかってね、オレも呑まなきゃね。ロシア式勝負は言葉じゃなくて態度で示そう、だな」

「呑まなきゃやってられないって、そう顔に書いてありますよ、マーク氏。しかし口は災いの元、奥さんにはなにもいわないでおくわ」

すっかり冷たくなりはじめたフレンチ・フライとファラフェルの入った紙袋を手に、異邦人の女は旧市街へと「あっぷする~と」を出ると、空は快晴、雲ひとつなく日差しは強し、そこにもうエステルの姿は見つからなかった。言葉のないエステルは、きっとこの街のすべてを知っているにちがいない。ヤコブのことも、トヴァのことも。そして異邦人の女のことも、そしてきっとあなたのことも。エステルはいつも私たちにそっとなにかを語りかけている。言葉なく。この砂漠の街の通りのどこかで、また彼女に会えるのだろうか。

Friday, May 20, 2005

たぶんイスラエル人きっとイスラエル人  -エディの場合

エディはアラブ・クリスチャンでエルサレムの旧市街出身、「自称」イスラエル国籍保持者。眉毛のつながった思いっきり濃い中東顔のエディの英語は、その泥臭い外見に反して紳士なブリティッシュ訛りの、しかもちょっと身振りがどこかゲイっぽいのがおもしろい。歳のころは20代後半だろうか。

エディは6年間のイギリスでの結婚生活を解約してエルサレムに戻り、今は私がよく足を運ぶ新市街の靴屋さんの店員をしている。ヤッフォ通りのその靴屋で、エディはいつも機嫌よく私の足の相手をしてくれ、いつも履きやすい靴やサンダルを見繕ってくれる。先日は「旧市街のでこぼこ石畳でもへっちゃらで、ちゃんと歩きやすくて、しかも見た目もいい靴!」という難題を吹っかけてみたが、それでもエディはちゃんとイスラエル製の手作りの革靴ブランド・ベネシャイの靴を選んでくれた。少々頑丈そうなその外見が今ひとつ好みじゃないかな?と思いつつも、いざ試し履きしてみるとかなりの履き心地。そのそばで、エディのゲイっぽい「んんん~、似合うわよ~!」のしぐさに絆されて、ついついそのまま、そのベネシャイの革靴を購入してしまう。

おしゃべり大好きでキュートなエディもまた、話し出したらなかなか止まらないエルサレム人。どうも私を含め、エルサレムの住人は話し好きが多いらしい。しかしその日はいつものおしゃべり好きな彼らしくなく珍しく口が重く(といっても普通の人よりもたくさん話すのだけど)浮かない様子。

「あら、どうしたの?」

すると「よくぞ聞いてくれたわ!」と、待ってましたと笑顔になって、エディはいつものキュートなイギリス英語で語りはじめた。かれかこ3年のつき合いになるエディのガール・フレンドのこと。あら、ゲイじゃなかったのね、なんて、ふたりで笑いながら、でもちょっとしゅーんっと落ち込み気味のエディ。エディのガール・フレンドはアジアの片隅フィリピンからエルサレムへと働きに来て数年、しかし何ヶ月か前に彼女の労働許可が切れてしまったらしい。さてさて、一体どうしようか、とモタモタしているところを運悪く不法滞在となって捕まり、先週フィリピンへ強制送還となってしまったという。

エルサレムの街角で、ゆっくりゆっくりとお年寄りに付き添って歩いている介護の若者をよく見かけることがある。しかし同じようにお年寄りと並んで歩いているイスラエル人の若者にはお目にかかったことがなく、通りで見かけるほとんどはフィリピンやタイの若者たち。アメリカなど海外から移住してきたそこそこ裕福な一人暮らしのお年寄りや、家族との同居のお年寄りの介護人として働いている。そんな彼らも、フィリピンやタイの遠いアジアの母国では、学校の教師やエンジニアだったりと教養のある人も多く、肉体派の出稼ぎ労働者という雰囲気はあまりない。

しかし彼らの母国で得られる一ヶ月の給料では到底家族を養えないと、テル・アヴィヴの斡旋業者に30万円ほどもを支払ってイスラエルへと職を求めて来る。そんなフィリピンやタイの若者には、斡旋料30万などという大金を一度で現金払いができるわけもなく、イスラエルでのはじめの3年ほどはその借金を返すことに追われながら、残りの給料のほとんどを母国の家族の元へ送金するのだそうだ。お年寄りの家に住み込むか、または同じ国の人たちと共同で安いアパートを借りて倹約し、妻や夫や子供たち親兄弟と離れた遠いイスラエルで、厳しい条件での彼らの一ヶ月の給料は10万円ぐらいだろうか。

エディの彼女も彼らと同じようにして数年前に斡旋業者を通し、うわさに聞いていたイスラエルという国へと鞄に少しの身の回りの品をつめた。そして先日、何人かでアパートにいるところ、同じようにヴィザの切れたフィリピンの女性の張り込みをしていたイスラエル側によってエディーの彼女の存在もばれてしまい、母国フィリピンへの強制送還となってしまった。エディは、もうイスラエルへは戻ってこられないガール・フレンドをフィリピンまで迎えに行こうか、それともこのまま別れしてしまうのだろうか、とうねりの強い黒く濃い髪の頭を抱え込んでいた。「お金に余裕があるのならば、フィリピンまで行ってみるのもいいかもしれないね」と言ってみて、そこでひとつ、素朴な質問が。エディは「自称」イスラエル国籍ということは・・・?

「イスラエル国籍だと・・・思うんだ。だって僕のママも弟もイスラエル国籍らしいしね。だから、たぶん僕もだと思うんだ・・・でもね、ほら!みて!ちゃんと市民権はあるよ」

そう自身なさそうに、エディーの少し大き目のお尻のジーンズのポケットから、IDカードを取り出した。以前、彼がイギリスへ渡った時には、パスポートではなくトラベル・ドキュメントなる書類だったらしく、いったい自分がどこの国籍保持者なのか100%の確信があるわけではないと、ちょっと戸惑うエディ。イスラエルという国の、エルサレムの旧市街で生まれ育ち市民権も持っているから、おそらく国籍もまたイスラエルなのだろうと、そしてエディはこう強調した。

「でも僕はムスリムじゃない、クリスチャンだ!まぁ・・・アラブには違いないけどさ・・・」

私のアタマはすっかりこんがらがってしまった。たいていの場合、日本で日本人の親から生まれて日本で育てば、自分の国籍は日本だと疑うわけもなし。宗教がナンであろうと書類上は日本人であるはず。しかしエディの話を聞いていると、イスラエルに住む人=イスラエル国籍という簡単な図式すらも、なんだか、ああ、ややこしや。エルサレムの旧市街には、1948年にヨルダンがエルサレムを統治していた時代からのヨルダン国籍を保持しつつも、イスラエル市民権を持つ人々も多い。しかし彼らは決してヨルダン人でもなく、パレスチナ人(プラス、宗教的にはクリスチャンやムスリム)だという。ということは、旧市街出身のエディもイスラエル国籍だと思っているだけで、ひょっとするとヨルダン国籍なのかもしれない。スティングが「I am an English man in New York」と歌い、「巴里のアメリカ人」という映画もあった。ということは「イスラエルのジャパニーズ」もありえるということかな。

一言にイスラエルってなんだろう。イスラエル国籍のユダヤ、アラブ・ムスリム、アラブ・クリスチャン。そしてドゥルーズやベドウィンなど砂漠の民族、なんとややこしいのだろう。そしてこの国では、イスラエルに住むアラブの人同士でも、ムスリムかクリスチャンか、その宗教と文化によって社会的な地位やイメージが異なり、エディーのようにちょっとムキになるほど主張したくなるのもまたこの宗教と民族の坩堝なお国柄なのか。

さて、かたくるしい国籍問題もしかり、果たしてエディはフィリピンに行くのだろうか。彼女はまたイスラエルに戻ってくるのだろうか。彼の恋の行方は砂漠の風に吹かれてどっちへゆくのだろうか。

Monday, May 02, 2005

飛び散った羽根のごとく

こんな話がありました。

あるユダヤの男は、隣人のこれまたユダヤの男といつも知人の噂話や陰口を叩いていました。
ある時、陰口を叩いていた知人について、まったくの思い違いしていたことに男は気がつきました。

男は慌てて町のハシディックの白髭ラビを訪ねてゆくと、その知人に今まで口走った悪口について謝るには一体どうしたらよいか、と尋ねました。

白髭のラビは言いました。

「この羽毛の枕をひとつ持って、これから一緒に市場へ行きましょう」

男は何がなんだかわからずに、しかしラビに言われるままに枕を抱えて、市場へと向かいました。

男はラビに尋ねます。

「さて、ラビよ。仰るとおりに枕を持って市場に来ましたが、それと私の質問とどのような関係があるのでしょうか?」

白髭のラビは男に言います。
 
「まあ聞きなさい。ここでこの枕を破って、中の羽毛をすべて取り出してみなさい」

男はただ言われるままに、枕の中から羽毛のすべてを取り出しました。すると瞬く間に羽毛はふわふわふわふわ、風に乗ってあたり一面に舞い散らばり、あちらへこちらへと飛んで行ってしまいました。

白髭のラビは男に言います。

「では今度は、羽毛をすべて集めて、元のように枕に入れてごらんなさい」

男は答えます。

「ラビよ、それは無理な話でしょう。御覧のとおり、羽毛はもう探しようがないくらいに風に舞って、あっちこっちに散らばってしまいました!」

白髭のラビは男に言います。

「その通りです。そしてそれはあなたのしたことと同じではありませんか?風に舞い、あちこちに散らばった羽毛ももう発してしまった言葉も、いくら謝っても元に戻すことはできないのですよ。あなたは一体何を口にするべきか、発する前によく考えるべきでした」

男は自分のした事の重大さに、頭をうなだれました。

例えそれが良い話であっても、ユダヤでは人の噂話や他人についてあれこれ話すことは、非常に避けなければならないことだと言われます。例えば、イツホックが「シムションはとてもすばらしい男だ」と言います。この「すばらしい男」というほめ言葉は、他の人にシムションを嫉ませたり、シムションと比べられたと感じた人の自信を喪失させることへつながるかもしれません。ひょっとするとこの一言が過大評価となって、シムションに悪い影響を与えるかもしれず、誉めたはずの言葉が思いもよらぬことになるかもしれないのです。

ユダヤの経典タルムードでは、人前で他人を罵ったり貶めたり辱めることはその人を殺すのと同じに値すると言われています。人を殺めた後でどれだけ反省してもその人は生き返りはしません。人前で他人に精神的な苦しみを与えることは、それほど大きな過ちであるのです。言葉の持つ力。風と共に散らばった羽毛と同じように、傷ついた心も、どれだけ謝ってももう元に戻りはしないことを忘れないでおこう。

Wednesday, March 16, 2005

おばあちゃんの春

おばあちゃんは100年よりもちょっとだけ短い、それでも91年もの昔の、日本という国に生まれた。そして今年の5月になると、92回目の春がやってくる。

ゆきえという美しい名前のおばあちゃん。
何十年も一人で住んだ家を去る、その日がやって来ました。

その前の夜は雨が降りはじめて、ちょっと寂しげで。とうとうお引越しをするおばあちゃんのことを思うと、心の中も雨模様。ゆきえおばあちゃんという人の、孫である私が知っている、ほんの少しの一生を記憶の断片をパズルのように思い描きながら、ベッドの中でなんだか眠れない夜。でもその日の朝にはちゃんとお日様が顔を出して、春のように暖かく。

お昼過ぎに、車で15分のところのおばあちゃんを迎えに行くと、おばあちゃん。

「今日はいまからどこへ行くがけ?」

やっぱり忘れてたネ。昨日もその前の日も、一週間前にもちゃんとなんどもなんども説明したのにね。でもいいよ、また説明するからね。そしておばあちゃんの、すこしだけの身の回りの物をかばんに詰めて、母と二人で、腰のちょっぴり曲がったおばあちゃんと杖を車に乗せた。

「どこ行くがやちゃ?家のカギしめたね?!」

おばあちゃんの家から、車でほんの10分ほどでそこへ着く間に、なんどもなんどもおばあちゃんは、そうくりかえしくりかえし、助手席の私に尋ねた。

「うん、おばあちゃん。鍵はちゃんと閉めたよ。窓もしまっとるよ。大丈夫や。今からいつも行ってる朱鷺の園に行くんやん。今日からそこにしばらくお泊りしてみるねん。朱鷺の園、知ってるやろ?」

「朱鷺の園?それどこけ?私そんなとこいったことないちゃ。あれ、なんしにそんなとこ行くがけ?カギ閉めたね?大丈夫やね?・・・ねえ、どこ行くがやちゃ?」

「おばあちゃん。鍵しまっとるよ。朱鷺の園って、おばあちゃん毎週二回デイケアーサービスで行ってるところやん。そこにしばらくお泊りに行くんやで。」

「朱鷺の園???そんで今日はそこへ行くがか?家のかぎ閉めたの?」

こんな会話が朱鷺の園につくまで、息をつく間もなく延々と繰り返された。

「はい、おばあちゃん、着いたよ。ほら、ここ来た事あるやろ?」

「しらんちゃ、こんなとこ。来たことないちゃ。はじめてやー。」

朱鷺の園に着くと、係りの方が私たちを薄い桃色の一階の、おばあちゃんの部屋へ案内してくれた。障子の覆いのようなものとカーテンで仕切られた、かなりゆったりとしたきれいな造りの新しい二人部屋で、おばあちゃんの部屋のある一画には、20人ほどのお年寄りが住んでいて、みなが集うホールには雛人形が飾られているなど、広々ととても快適な暖かさの空間スペースで。ちょっとしたホテルのように小奇麗で、中庭には小さな噴水と燈籠があって、しかもいろいろなところにやさしさが感じられる。お年寄りの住まうホームにしてはとてもモダンで明るくて、「ふつう」の生活があるように。

老人ホームへおばあちゃんを住まわせることは、母にとってはとても心が痛む決心だったが、90歳をすぎてひとり家にいるおばあちゃんは、もう身の回りのことをするには疲れすぎたらしい。一人娘の母は、家におばあちゃんを呼んで来ることも考えたが、階段を使わなければならない家であること、そしてとても寒い家であることなど、おばあちゃんにとってもあまり理想的な選択ではなさそうで。そこで、このホームならば明るくて暖かくて、おしゃれなおばあちゃんにもいいのではと思っていた矢先に、そこにひとつ部屋が空いたという知らせが入ったのだった。

「この部屋はなにけ?あれ?私はどこも悪くないちゃ。ここは病院ながけ?」

「おばあちゃん、ちがうよ、ここは病院じゃないよ。うん、おばあちゃん、どこも悪くないから心配いらんよ。」

「じゃあ、私は何しにここへ来たがけ?ここ何け?」

「ここにはね、おばあちゃんみたいに一人で住んでた人たちが、いっぱい一緒に住んでるんやぁ。そしたらみんなでお友達になって、ご飯も一緒に食べて、もう一人で寂しいと思わんでもいいやろ?お友達もできるから楽しいね。ほら、ね?朝もお昼も晩御飯もここであったかいのを食べれて、お風呂も入れてもらえるよ。どうや、おばあちゃん?しばらくここに泊まってみる?」

「ああ、そんながけ。そしたら楽しいねぇ。・・・でもなんで私ここにおるがけ?・・・あんた、誰け?え?」

「ちかちゃんやん。おばあちゃんのま・ご!さっきからずっと一緒にいるやん。」

「あれ、そうや、あんた、ちかちゃんけ。ああ、おおきなってねぇ。きれいになってねぇ。あれぇーえ、ちかちゃんけ。ちょっとおばあちゃんに顔見せてぇ。」

おばあちゃんは私を見つけるといつもそう言う。それが1分前でも10年前でもいつもおなじ。そしておばあちゃんの待っている答、「そや、きれいやろ?おばあちゃんに似たんかな?でもおばあちゃんの若い時のほうがきれいやで」と言ってあげると、おばあちゃんは鼻に皺を寄せてニヤッと笑う。

「ああ、ちかちゃんや。あんた、おおきなってねぇ。ああ、私はこんなに年取ってしもてねぇ。90歳や、今年。」

「あら、おばあちゃん、92歳やで。」

「え???92ちゃ、どう?そんな年ながけぇ、私。あれぇー、え。なんてことやろねぇ。こんなに年とってしもてねぇ。」

「あら、おばあちゃん、まだまだ若いよ。元気やん!皺もないしねぇ。」

「あれ、そうか。あっはっは!そうや、どこも悪ないっちゃ!ほんで、いつ家に帰れるがけ?あっちが私の部屋ちゃ、どういうことけ?」

ほっぺたのつるつるのおばあちゃんは、なぜ自分がそこにいるのか、わからないらしい。なんど説明しても、その一瞬は理解するけれど、説明が終わるか終わらないかのうちに、またすぐに同じ事を聞く。そうして二時間ほど、母が事務室で入居の手続きをしている間、私は同じことを繰り返し繰り返しおばあちゃんに告げながら、その日は過ぎた。そしてさんざん話した後に、やっぱり最後には「あんた誰け?」と尋ねられ、その瞬間はいささか、がっくりきてしまったのだけれど。

「ほんならおばあちゃん、たんすに全部入ってるからね。パジャマも下着も。さっき一緒に入れたやろ。今日はここにお泊りやからね。それで、しばらくここでやってみようね。でも家に帰りたくなったらいつでも帰れるからね。こっちとあっちと家が二つあると思ったらいいよ。」

そしてこっそりと私は付け加えた。

「でもね、おばあちゃん、ここにいるほうが家でヘルパーさんに来てもろて住むよりも、安つくわ。知ってた?」

ゆきえおばあちゃんは若くして未亡人となり、私の母が父と結婚した時から40年ほどを、一人で暮らして来た。そして頭の中で戦後のいまだ終わっていないおばあちゃんは、10円でも安ければ、杖をつきながら歩いて30分もかけても、そちらのスーパーへ買い物に行く。その帰りにはスーパーの駐車場で「あんた、うちの近く通りまさらんがけ?乗せていってくださいませんかね。」といつまでも抜けない富山弁でヒッチハイクして帰ってくる、その界隈では名物の人である。

「あれ、そんながけ?家におるよりも安いちゃほんとながけ?そしたらいいわねぇ。しばらくここに泊まってみても。いつでも家には帰れるがやし。一週間ほどおったらいいちゃね。そやちゃね。」

ニカッ。やっぱり、おばあちゃんのわかる言葉で話してあげなければ。おばあちゃんは入居費が安いと聞いてほっとしたので、その日はそれで切り上げて、また次の日におばあちゃんを尋ねて行ったら、やっぱり「あんたちかちゃんけ?おおきなってねぇ」からはじまり、「昨日の晩はなんでか家に帰られんかった」と不思議がった。そしてその次ぎの日には、おばあちゃんの部屋のたんすから全てを出して、どこから貰ったのか、大きな袋に衣類の一切が詰められていた。

「おばあちゃん、これどうするがけ?」

「なーん、ほれ、盗られるかと思てねぇえ。袋に詰めたがや。これ、あんたのお母ちゃんにこうてもろたさけね。」

袋の中の一番上には、母が買ってあげたおばあちゃんのフリースのジャンパーが入っていた。

「おばあちゃん、大丈夫や。誰もなんも盗らんよ。心配せんでもいいよ。ほんなら、これ、たんすに一緒に入れよか?それでいい?」

おばあちゃんは昔からとてもおしゃれな人で、その一生を見ても、店先に並んでいる既製の服を買ったことがない人だ。なので、おばあちゃんにとっては洋服は財産のように大切で、完全なプライベートのないホームでは、誰かが盗っていってしまうのじゃないかと、気が気ではない。そんなおばあちゃんが朱鷺の園に入る前の日に、ハイカラだったおばあちゃんに、おばあちゃんが若い時に作った仏蘭西からの舶来物のワンピースを貰った。おばあちゃんはここ数年、すっかりおしゃれが面倒になったらしく、私におばあちゃんの服をくれようとする。

「ちかちゃん、なんでも好きなもの、持って行ってぇ、え。これは二年前に作ったがやちゃ。まだ新しいがやぞ。あんたにこれ、似つくよぉ。」

と、本当は30年以上は前に作った、その濃いブルーにきれいな模様の入ったサッカー生地の、いかにもおしゃれな夏のワンピースを大事そうに、でもちょっと名残惜しそうに私に譲ってくれた。おばあちゃんの頭の中では時間はゆっくりゆっくり流れているようだ。しかし、やはり90を越えても、老いても女は女なのだなぁ。もう絶対に着られないとわかっているワンピースでも、いやそれならば、なおさら「着られなくなった私」が、悔しく惜しいものなのだ。おばあちゃん、ありがとう。大切に着るからね。

そんなこんなで一週間が過ぎて、おばあちゃんは「いつ家に帰れるがけ?なんでここにおるがけ?」とは聞かなくなり、なんとなくホームの暖かさが心地よくもあり、でも大勢の人と暮らしたことのないおばあちゃんには、ちょっと不安なこともあって。おばあちゃんの、90歳をすぎてはじまった新しい生活。そして少しずつ、記憶が曖昧になって、老いるという事の大変さ。母は、自分の母親のそんな姿を目の当たりにして、言葉少なげで。私はおばあちゃんという主人のいない家が、なんだか物足りなくて寂しくて。

外は春の香り。それぞれの思い。おばあちゃんの庭に咲いた、沈丁花とゆずの実。私の幼いころを思い出させる、ほわんとノスタルジックな香り。もうすぐまた私はその香りの届かない、遠いエルサレムへと帰って、おばあちゃんとこんな会話もできなくなってしまう。次に会うまでに、きっとおばあちゃんは私のことは、まったく忘れてしまうかもしれないし、ひょっとすると、もう会えないのかもしれない。でもきっと、おばあちゃんは100歳の春までも、いや、きっとそれよりもずっと長く春を迎えるよね。そしていつも「あんただれけ?」って、「ちかちゃん、おおきなってねぇ、きれいになってぇ。」って、言ってくれるのだよね。

Monday, February 14, 2005

満月夜の猫たち(full moon and cats)

同居人は真夜中の坂道を下ってTataに会いに行きました。小学校前の家へ行く途中でTataにそっくりな、でも彼よりも小さな猫が一匹、同居人のほうへ向かって忙しそうに駆けてきます。

 「あら!Tataにそっくりね、猫さん。そんなに急いでどこに行くの?」

 「あら、Tataさんちの同居人さんじゃあないですか。なにをノンキなことを言っているんですか、私は出遅れちゃったんだからね!急がなきゃ急がなきゃ。ああ、ほんと、出遅れちゃったよ今夜は。じゃ!」

そう言うと、ちび猫は急ぎ足でどこかへ駆けて行ってしまいました。

 「なんだろう?忙しそうな猫ね」

それから同居人はエルサレムの澄んだ夜空に向かって白い息を吐きながら、坂を下りていきました。今夜は「木々の新年」というお祭りで、白い月はぽっかりと満月で、なぜか今夜はゴミ置場にもあちこちの角にも、猫たちの姿は見当たりません。

やっぱり今夜は寒いから、みんなどこかへ隠れているのかなぁ?でも本当に誰もいないね。

そんな事を思いながら同居人は階段通りを下りて行くと、すると今度は階段の下から一匹の猫が、急ぎ足で駆け上がってきます。あら?Tataかしら?と同居人はワクワクして、暗がりを近寄ってくる猫を見つめました。

 「あら・・・、またあなたなの?ちび猫さん。よく会いますね今夜は」

 「あら、また同居人さんですか。じゃ、失礼。私は先を急ぐので!」

 「ああ、ちょっとちょっと、ちび猫さん、待ってください!あなたはどこへ行くの?ねぇ、他の猫たちは今夜どうしちゃったの?誰も見かけないよ」

 「ああ、同居人さん。私はおしゃべりなんかしている暇はないんですよ。みんなもうとっくにどこかへ集まっているんだもの。さっきから言っているでしょう?私はすっかり出遅れちゃったって。うっかり今夜の会議の時間を間違えたんだもの。はて?今夜の集りは会議だったっけ?それともダンスだったかな?・・・と、に、か、く。今夜はみんなどこで集まっているんだろう。私もこんなに方々探しているのに、さっぱり話し声も音楽も聞こえやしない。

ああ、同居人さん、言ったでしょう?おしゃべりなんかしている暇はないんだってね。探さなくっちゃ、探さなくっちゃ。今夜はどこだろう?」

ちび猫はそう言ってから、また急いでどこかへ駆けて行ってしまいました。

会議?
ダンス?
みんなで集まってる?
出遅れちゃった?
おもしろいことを言うちび猫さんね。

同居人はちび猫の話に首をかしげながら小学校前の家まで来てみると、やっぱりちび猫のいう通りなのかもしれないと思いました。だって、誰もいないんですもの。Tataの子分のノラちゃんも、いつもの大きな白猫も、そしてTataの姿も。あたりに猫の気配は感じられませんでした。

同居人はTataがいつも寝ている家の外の奥の階段のほうに向かって、何度かTataの名前を呼んでみましたが、いつものようにゴソゴソする音は聞こえず、やっぱり誰も出てきません。仕方なく持ってきたTataのお弁当をまたぶら下げて、同居人は他の通りを家に向かって歩き出しました。ひょっとするとみんなそっちの方向に行っているのかもしれないと思ったのでしょう。

坂道を白い息を切らせながら上がり切ると、一軒のシャッターの下りた商店の前に出ました。積み上げられたプラスチックの牛乳ケースの横に、影のように猫が一匹、すました顔をして座っていました。その猫はまたまたTataと、そして今夜はよく出会うちび猫にそっくりで、同居人にはなんだか本当は同じ猫があっちこっちでぐるぐる回っているように思えてきました。

 「まあ、猫さん、あなたってとってもTataに似ているのね。おんなじ模様をしているわ。Tataを知っているの?あなたは今夜は集まりに行かないの?」

 「あら、同居人さん、こんばんわ。今夜は冷えますわね。・・・Tata?彼は私のいとこよ。ご存じなかった?こんなに似ていちゃあ、やっぱり一族でしょう?でも今夜は男どもはどこかで集まっているみたいね。満月だもの。さっきからゴロちゃんがみんなをうろうろと探しているけど、出遅れちゃったみたいよ、彼」

 「あら、やっぱりあなたはTataの一族だったのね。そう、どことなくTataの前妻のジョセフィーナさんにも似ているもの。ゴロちゃんってあのちび猫さん?今夜は何度も道でお会いしたよ」

 「まあ、あのジョセフィーナに似てるですって?!あらいやだわ。あんなにしたたかじゃないわ、私。そうそう、ゴロちゃんよ、それ。彼もTataに似ているでしょう?彼は私の双子の弟よ。ほら、だからそっくりでしょう、私たち。お、わ、か、り?」

 「ああ、なんだ、そうなんだあ。それであなたたちみんな似ているのね。今夜見かけた猫はみんなTataにそっくりだったから、ちょっとびっくりしちゃったのよ。これで謎が解けたよ。

それでね、いとこさん。今夜Tataを見かけませんでしたか。探しているのだけど・・・いないみたい」

 「あら、だからさっきから言ってるじゃないですか。集まりですよ、お、と、こ、の。満月の夜にはいつも集まっているのよ。何をしているのかはさっぱり知らないけどね。でも、見つかりはしないわよ今夜は。仲間のゴロちゃんですら見つけ出せないんだもの。あきらめてお帰りなさいよ、同居人さん。もし明日Tataさんに会ったら同居人さんが来てたわよって伝えておくからさ。ところでその袋はなあに?」

やっぱりちゃんとお弁当に目をつけているところがジョセフィーナさんに似ているわね、と同居人はほほえみながら袋からお弁当を出して、いとこさんに差し出しました。彼女がお弁当箱に顔を突っ込んではちょっと哲学して一息つく様子がTataにそっくりで、同居人はくすっと目を細めてそのしぐさを見つめていました。

 「じゃあ、またね、いとこさん。Tataを見かけたら大好きだよって伝えてね。いつでも帰っておいでって」

同居人はスキップしながらエルサレムのぽっかり白い満月を見上げ、白い息を吐きながら家に帰りました。満月の夜の集まり?Tataは他の猫たちと一体何をお話しているのだろう。それとも今夜はどこかの無花果の木の下で、月の光りに照らされながらダンスを踊っているのかな。

おやすみ、Tata。またね。

Sunday, January 23, 2005

Saturday, January 15, 2005

橋向こうの迷路(せかい)

ブルックリンの向こうから、キラキラと輝くマンハッタンを眺めるのがとても好きだった。色彩豊かな吐息と、イエローキャブの途切れることのないテールライト。騒音と排気ガス。とめどとなく散りばめた小さな無数の宝石のように、七色にも十色にも煌々と瞬きながら、どこかゾッと冷ややかな美しさと愚かさを放つ高層ビルの光り。

365日眠ることなく、札束と夢が交互しながらビル風に空を舞い、休日には緑豊かに造られたセントラル・パークで笑いあって語りあって、人間ゲームを楽しむ。でも、本当はだあれもなにも気にしちゃいないって知っていた。そう、自分たちのこと以外はね。希望と野望と夢と虚無が混ざりあった街。そんな、橋向こうの世界、マンハッタン。そんなあの街へと、ゆらりふらり、橋を越えようか。だって、誰も僕を知りはしないから。

鞄のひとつも持たず、ズボンのポケットのしわくちゃの10$札とコインとシュムエルが、ゆらりふらり、とFラインでマンハッタンからブルックリンの片隅のボーロ・パークへと、橋を越えてやって来る。30代半ばの彼はちょっと眠た気な優しい羊を思わせる、子供のように澄んだ心が温かいとても頭のよい人だった。フランスのとある街のオーソドックス・ユダヤ家庭の末弟として生まれたシュムエル。

記憶に残っていないほどまだ幼かったころにフランスで母を亡くし、その後、父に連れられて兄たちと海を越え、ニューヨークへと移り住むことになった。しかし、母を失ったばかりの子供たちのたったひとつのより所だったシュムエルの父は、彼らがニューヨークに着くか着かぬかのうちに、父であることを完全に放棄し、5人の子供たちをみな、離れ離れに親戚へと引き渡してしまった。大人の身勝手な選択で、栗色の短いペオスが揺れる幼いシュムエルは、理由もわからぬままに兄たちと引き離されると、ほんの少し身の回りの物の入った小さな黒い鞄をひとつ抱えて、ひとり、ボーロ・パークに住む痩せた気難しい父方の祖母の元に身を置くこととなった。それ以来、その痩せた祖母は、小さなシュムエルが兄たちと会うことを許さず、決して父の行方も教えることはなかった。

あの日、フランスのあの街で母が亡くなって以来、家族の温もりや人との心のつながりを知ることもなく、小さな心にぽっかりと大きな穴が開いたまま、ひとりぼっちのシュムエル。レンガ色のボーロ・パークの片隅で、そんなシュムエルの日々は静かにすぎていった。

ユダヤの成人式バル・ミツヴァも終えてから三度目の夏の終わり。バル・ミツヴァをとっくに済ませたといっても、まだまだ心は繊細なまま。大人になりきっていないうっすらとしたあご髭が気になりはじめた16歳のシュムエルと黒い鞄ひとつ。母が亡くなって以来、たった一人の身内であっても、冷たく、これっぽっちの愛情の欠片も感じられず、ただ惨めな気持ちにさせるだけだった祖母の元を逃れるようにして、シュムエルはボーロ・パークの隣町にあるオーソドックス・ユダヤのイェシヴァの寮へと、小さな黒い箱に皮の巻き紐のついた祈りの道具ティフリンと祈りの本と、白いシャツと黒いズボン何枚かを入れた黒い鞄で、ボーロ・パークの家を後にした。生まれ故郷のフランスでもボーロ・パークでもない見知らぬ空の下で、16歳、鞄をひとつ抱えて、天涯孤独の道を歩きはじめる。

その新しいユダヤの街は、それまでとなんら変らず、ボーロ・パークと似たような通りには、イディッシュ読みのヘブライ文字の看板にカシェル印のついた食堂や、ヘブライ文字の書物が並んだ本屋に黒い服の男たち。忙しそうに乳母車を押しているかつらをつけた女たちや、その手伝いをする小さな少女たち。わき見をしようにも、なにもかもが判を押したようなイェシヴァの宗教世界で、毎日机を並べるおなじ年頃の黒い服の男子生徒の中でも、シュムエルはその群を抜いてタルムードの理解に長け、若くしてラビの資格を得ることとなった。しかし、誰かに心からやさしく見守られたことも、また誰かの心に深く触れたこともないシュモエルには、いつまでたっても人と人との心のつながりを本当に心から感じることはなく、それは神と己の関係と人と己との関係、その垂直と平行のユダヤという宗教の基本が理解できないという致命的なものだった。

現実のシュムエルの父は家族を捨て行方をくらました父であり、ユダヤの「すべての父である唯一の神」という神の根本は、その実の父に見捨てられたシュムエルを苦しめるばかり。しかしその困惑からの出口をひとりで見つけるには、シュムエルはあまりにも若すぎ、まして長い髭の黒い服の大人たちからも納得できる答えは一度たりとも聞けずにいた。そして、現代的なマティリアルな生活とはまったく縁がなく、生まれながらの居場所である宗教世界で生きることになんの疑問を持とうともしない学友たちからは、誰とも心が結かない変わり者と嫌煙されていたシュムエルが25歳も過ぎたある日。オーソドックス・ユダヤの精神世界に留まらなければならない確かな理由が見つけられなかったシュムエルは、16歳でボーロパークを去りその街にやって来た時とおなじように、たったひとり、と、鞄ひとつ、で、それまで触れたこともない世俗の世界へと静かに旅立った。

誰も知る人のいない橋の向こうの、巨大な迷路のようなマンハッタンの街をひとり、イディッシュ語訛りの抜けない片言の英語で、ゆらりふらり。おなじニューヨークの片隅といえども、イディッシュ語でのオーソドックス・ユダヤのイェシヴァには英語の時間などはなく、マンハッタンの通りの看板に書かれた英語の言葉もよくわからず、街角のダイナーでウェイターになれるほど英語をうまく話すこともできなかった。それまで生きてきた世界とはまったくの異次元、マティリアルにうごめくマンハッタンの世界では、どう息をしたらよいのかさえもわからず戸惑うばかり。いくらタルムードの教えに長けていても、コンピュータケースに名刺の一枚すらないシュムエルなど、誰も見向きもせず。ビジネスのノウハウも知らなければ、なにか手に技術があるわけでもない。

なにもかもが慣れないその不思議な世界では、橋をたった一つ越えただけといえども、オーソドックス・ユダヤのラビ・シュムエルの落ち着ける所などそう簡単に見つかるはずはなく。ゆらりふらり、セントラルパークで寝泊りするシュムエルを、ボーロ・パークのイツホックは放ってはいられずに、不動産を扱う友人シムションに頼み込むと、アッパー・イーストのコロンビア大学に近いハドソン・リバー沿いのアパートの一室を都合した。そのアパートの別の部屋にはすでに若い世俗のユダヤ男が住んでいたが、橋を越えてから幾日すぎて、いつまでも公園のベンチに寝泊りするわけにも行かず、シュムエルは鞄ひとつ、その世俗ユダヤのアパートに転がり込んだ。

シュムエルがそのビルの三階のアパートの一番奥の部屋にノックして入ると、そこには髭もなければペオスもなく、ジーンズを履いたまるで異教徒のような姿の若い男が、乱雑なベッドの上に寝そべりながらテレビを見ているところだった。ジーンズにネクタイ、ミニのドレスを身につけた何人かの若い男と女たちが、アパートの一室のソファーに座り、肩をふれあわせて楽しそうに笑いあっているソープ・オペラの、生まれてはじめて身近で見る実際にテレビというものに映される画面、にシュムエルの目は一瞬大きく見開き、釘づけになった。しかしすぐにためらいとともに画面から男の方へと視線を戻すと「シャロム アレヘム」と、帽子の鍔を少し下げて、世俗世界ではまったく場違いなあいさつをした。

「ハイ!オレはアヴィ・・・今日から仲良くやろうぜ!」

「アヴィってことは、アブラハムか。とりあえず名前だけはユダヤなんだな・・・」、シュムエルはそう喉の奥で飲み込んでその世俗男の軽い口先だけの挨拶を背にすると、薄暗い廊下の洗面所脇の部屋のドアのノブを回した。ドアの横の電灯スイッチもONにせずに、薄暗い部屋の中をサッと見回すと、空き部屋特有の湿りを含んだムッとする匂いが黒い服と帽子に纏わりつき、シュムエルはまるで自分がその重く薄暗い空気に同化してしまうように感じた。その湿気た空気をふり切るようにして、鞄を無造作に部屋の中央に放り投げるように置くと、舞い上がった白い埃も気にせずに、シュムエルは六角形の中庭を見下ろせる窓の傍らに静かに佇んだ。すっかり汚れた窓ガラスと中庭の向こうには、電灯の灯りに浮かび上がったそれぞれのアパートの住人たちの夜の生活が、ちらりほらりとオムニバス映画の断片のように見え隠れしている。

向かいのアパートのキッチンの窓には、若いカップルがテイク・アウトしたチャイニーズ・フードを、2本の細長い棒のようなもので突きながら楽しそうに口に運んでいる姿が、暗い中庭にまるでテレビ画面のように浮かび上がる。その若い女のウェーヴのかかった赤い髪は燃えるように魅力的で、シュムエルの濃いグレーの瞳には下着としか映らない胸の大きくあいたベビー・ピンク色のキャミソールから伸びた白い肌、椅子の上で行儀悪く膝立をしている脹脛までのズボンの片方の足は、すらりと細くしなやかだった。

髪も覆わずにあんなに肌を露出させて男の服を着るなんて・・・
しかも素足を・・・ああ、タイツも履かないんだな・・・

七分丈のカーゴパンツの赤い女とテーブル越しの男は、まるでオーソドックス・ユダヤの若い結婚前の娘のようなポニーテールの長い栗色の髪に、それに似合わずしっかりとした力強そうなあご。濃い紫色のシャツの胸元は開き、頬杖をつきながら赤い女と笑いあっている。その男の形のよい鼻に引っかかっている黒く細いフレームの眼鏡だけが、これまでのシュムエルにとって見慣れた世界の名残のようだった。

おや、あれはなんだろう・・・
カタツムリに似ているようだけど・・・

シュムエルにはそれがシュリンプであることなどまったく知るすべはなく、スパゲッティーをさらに茶色く細くしたような麺も栗色の髪のように思えた。そのカタツムリのようなタンパク質を、2本の棒で少し不器用に摘んではうれしそうに口へ運んでいる若いふたり。橋向こうの世界でなら、とうに子供が数人もいるような家庭の男と女。この髪を隠していない若い赤い女が結婚しているともシュムエルには思えず、しかし、そんな未婚の若い男女が一つ屋根の下にたったふたりっきりでこのように時をすごしているなどとは、現実として受け止めるには、シュムエルの頭はただ混乱してしまうだけだった。

橋をひとつ越えただけで、こんな非現実的な世界が本当に存在したなんて・・・

シュムエルはただじっとその窓の向こうの世界を、まるで先ほどアヴィの部屋でちらりと見たテレビのソープ・オペラの続きのように、見るともなくぼんやりと見つめていた。橋向こうの世界の住人だった自分とはなんのかかわりのない、遠い遠い世界。それからどれくらいの時間がたったのだろうか。気がつくと向かいの窓灯りの下では、あの若いカップルが食べ散らかしたチャイニーズ・フードの入れ物を横に、食後のコーヒーをすすりながら、テーブルの上で互いの手を愛しそうに重ねあっている。シュムエルは不安げに窓から目をそらすと、湿った薄暗さにも慣れはじめた目で部屋の中をぐるりと見回した。薄暗いその部屋にはイェシヴァの寮と同じくらいに家具と呼べるそれらしいものはなにもなく、デスク用の古ぼけた小さな電灯スタンドがひとつとシュムエルの傍の窓際に、そして部屋の隅に一枚のマットレスが白く埃をかぶって放置されていた。

汚れた古いフローリングの床の上には、ひび割れた小さな手鏡とその横にいかにも硬く切れの悪そうなハサミがマットレスに寄り添うようにして忘れられている。シュムエルはゆっくりと気だるそうに床の鏡を拾い上げると、ふっ、と吹きかけた息は薄暗い部屋に白い粉となって飛び散って、思わず咽こみ、橋を渡ってから着たきりの黒い上着で顔を覆った。そして上着で鏡の表面の残りの埃をぬぐうと、窓のそばに腰掛けた。黒い帽子に蝋のように白い肌と虚ろな深いグレーの瞳、そしてどこか中東を思わせるような黒く濃い髭の男が、薄い暗闇に窓から入り込む灯りの鏡の中に浮かび上がった。「これが、橋向こうの僕というわけか・・・」

鏡の中と窓の向こう。そのあまりにも奇妙な現実に、思わず細身の体が窓にのめり込むように傾いた瞬間、視界に突然、パッと小さな光が現れた。灯った部屋の小さな灯りに、シュムエルの顔が窓に照らし出される。その左右に、斜め上に下に、無数の髭の男たちの顔が浮かび上がる。兄たちの顔、祖父の顔、歴代の偉大なるラビたちの顔、顔、顔、が、薄暗い灯りの中でシュムエルを取り囲む。静かに悲しげなヘブライ語の祈りがどこからか流れる。

パチンッ!

再び訪れた薄暗い空間。シュムエルは窓ガラスに映ったそれら髭の顔に、すぐにその窓際の小さなスタンドのスイッチを叩くように切った。「・・・バカな、幻想だ、」と、軽く息を整えると、シュムエルは静かに橋向こうの世界そのものであるその黒いあご髭に触れると、橋を越えてから何日もシャワーも浴びずブラシもかけていないその黒い髭は、いつもよりもゴワゴワと、まるで手触りの悪い粗悪な織物のような心地悪さを残していた。

耳の横のペオスと同じく、髭を落としてはならないことは誰にいわれるまでもなく、橋向こうのオーソドックス・ユダヤのラビ・シュムエルは百も承知だった。彼らの世界では、父から息子へと、そのまた息子へと、3000年という彼らの歴史と伝統の中で、シュムエルの知っている男はみな髭を剃られるより死を選んでも守ってきたことだった。シュムエルは、たった今、彼の心を見透かすかのように窓ガラスに映し出された髭の男たちと、それらの無限の叡智を思い返すと、なにかを諦めるように、失望感にそっと大きく深い息をついた。窓ガラスに映った男たちと記憶の中の男たちのどこにも、幼くして別れた彼の父の姿を見つけることはできなかった。

カタン、パチンッ。

たった今切り落とされたばかりの細かな針のような髭が散乱した窓際に、その錆びついて切れの悪い鋏を置くと、シュムエルはもう一度、今度は自分の意志で部屋に光りを灯した。そして手元の手鏡をそっと左手に取ると、小さな光りの灯った鏡に映る髭の落とされたあごと頬は、不気味なほどに不健康に青白く、もう片方の手でシュムエルはその裸になったあごをそっと触れた。窓に映った向かいのキッチンを見つめながら、手さぐりで切り落とした短い残り髭がチクチクと突き刺さるような不快な感触に慣れず、しかし黒く濃い髭を蓄えていた時よりも格段と若く鏡に映るシュムエルがいた。

・・・僕にもちゃんとあごがあったんだな。ふん、思ったよりも遥かに小さな顔だ

髭が生えはじめてから、もう何年も知ることのなかったそのあごに右手で触れたその時、はじめてシュムエルはそれまで隠れていた自分の輪郭というものをはっきりと知ったように思えた。シュムエルは鏡を置くと、スタンドの弱々しい電球の光りの中で不機嫌そうに見捨てられた鞄を開けた。何枚もの白いYシャツに4足の黒いズボン、まったく同じ形の2枚の黒いジャケット。肌着とYシャツの間に着るそれぞれのコーナーに白い編み紐の下がったツィツィットが2枚、と白い靴下に白い肌着。それに紛れて「שומאל」とヘブライ文字で彼の名が白く刺繍された濃紺のビロードの道具袋がひとつ。

額と腕に巻く祈りの道具テフィリンと祈りの本が入っているその濃紺のビロードの袋を両手で取り出すと、イェシヴァで祝ってもらった13歳のバル・ミツヴァで「これからは一人前のユダヤの男だよ。ユダヤの法を守ってしっかり生きてゆきなさい」とラビにそれを手渡された時のことが脳裏に浮かんだ。ようやく成人として認められるバル・ミツバを迎える少年たちは、これで自分もひとりの大人の男として認められることへの喜びと責任にうれし恥ずかし、初めて各々のコミュニティーのシナゴーグで旧約聖書の朗読を披露する。そんな息子を誰よりも誇りに思う両親によって、息子の友人、親戚、コミュニティーの人々を招いてバル・ミツヴァの盛大な祝いの宴が催される。しかし、シュムエルにはそんな両親も、そして心の通った家族や親戚はひとりとしておらず、ボーロパークで身を寄せていた痩せた祖母は「そんなことはコミュニティーが面倒を見るべきだ」と、祝いの宴すら開いてくれる様子もなかった。

シュムエルの孤独といつまでも決して埋まることのない心の穴。そのことを少なからず気にかけてくれたイェシヴァのラビは、シュムエルの名が刺繍されたビロードの道具袋にテフィリンと柔らかな黒い革の表紙が美しい祈りの本を用意し、いつものイェシバの食堂での夕食をささやかながらも祝いの場としてくれたのだった。その時にそのラビに手渡されたテフィリンもビロードの道具袋ももうすっかり古くなり、そののちに新しいものに取り替えてしまったが、それでもシュムエルにとってはどのテフィリンもあの時のテフィリンであり、濃紺のビロードの道具袋もまた同じ思いだった。シュムエルはマットレスの上の埃をふっと吹くと、祈りの本とそのビロードの道具袋をそっと置き、それから中庭に向いた硬い窓を一気に押し開けた。そこから一気に湿気た部屋へと吹き込んだ、まだ冷たいに春先のマンハッタンの夜風は、裸の頬とあごにいつもよりも冷たく、しかしどこか清らかにすら感じられた。

シュムエルはためらいもせずに黒い上着を脱ぐと、開けた窓から空中に身を乗り出すようにして、その生暖かい黒い上着を外へと投げ捨てた。黒い上着は、すーっ、と暗い中庭にどこかへ吸い込まれるようにして消えてゆく。それを見届けてから、シュムエルはすっかり汚れた白いシャツのボタンをひとつひとつ素早くはずすと、同じようにまた窓から中庭へと投げ捨てた。そして部屋の中央に忘れられたままの不機嫌な黒い鞄をつかむと、その残りの中身を中庭に向けて大きく逆さまに数回、揺さぶった。数枚の黒い服と白いシャツが、風にひらひらと黒と白の大きな花のように空中に舞いながら、まるでスローモーションのように、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた味気ない六角形の夜の中庭へと舞ってゆく。

ひらひらひらひら、ひらり、ひら、り。

それまでのシュムエルの橋向こうの過去、彼の生きてきた記憶が、なんとも呆気なく空っぽになって消えてゆく。

「これで最後だ!」

頭の上に残った橋向こうの世界、その黒いフェルト帽子の鍔にかけた手に、突然、六角形の中庭のどこかの窓から、季節外れのジャニス・ジョップリンの「Summer time」が流れる。


Summer time
and the living is easy
Fish are a-jumpin’
and the cotton is high


・・・女の歌声じゃないか!

ジャニスの絞るようなハスキーな歌声にシュムエルの視線が泳ぎ、黒い帽子の鍔に掛かったままの手は、そのままどうしていいのかわからずに硬く静止している。

ああ、いや、そうだった。こちらの世界では女の歌声などまったく問題ないんだったな・・・

そう自分にいい聞かせながら、それでもシュムエルはいつも通りで女とすれちがう時のように、黒い帽子の鍔を鼻先へきゅっと引くと俯いた。そして埃と髭の積もっているのも気にかけず、窓の燦に腰を下ろすと胸の前で両腕を組むと、そっと静かに目を閉じてその歌声に耳を傾けた。


Your daddy’s rich
and your mama’s good-looking
So hush little baby
Don’t you cry…

Summer time…


なにを歌っているのか知らないけれど、なるほどたしかに艶めかしいな。
これじゃあラビたちが躍起になって、女の歌声を聴くのを禁止するはずだよ。

ふっ、と小さく皮肉るように微笑すると、シュムエルは黒いフェルト帽子にもう一度手を掛けた。帽子の鍔を引き、脱ぎ捨てるように手首をクルリと捻ると、

「ザイ・ゲズント!」

シュムエルの黒いフェルト帽子はクルクルと回転しながら窓の外、夜の色に同化し、六角形の中庭の暗闇に消えていった。シュムエルはそれを見届けると、マットレスの上のテフィリンと祈りの本の入ったビロードの袋に視線を落とした。それらも鞄の中の他のものと同じように夜と同化させれば、それですべては終わる。まださわり慣れないザラザラとした頬からあごをひと撫ですると、シュムエルはゆっくりと窓の燦から離れ、濃紺のビロードの道具袋を手にした。

そして壁のクローゼットの扉を開け、一番下の棚の奥にそっとそのビロードの袋を乗せると、白く埃のかぶったマットレスの上に泥のように重い体をくの字に抱え込んで横たえた。バル・ミツヴァを迎えたあの13歳の朝以来、毎朝の祈りに用いる旧約聖書の引用文の書かれたテフィリンと祈りの本を、そしてたった一度だけ与えられた温かい心の欠片を、この窓から夜の闇へと投げ捨ててしまうなど、とてもシュムエルにはできず、中庭に開いた窓から吹き込む冷たい夜風は、まるでそれを知っているかのようにして、左足のつま先に軽い痙攣を起こしながら深い眠りに落ちてゆくシュムエルのまわりを舞っていた。

それからの髭なしシュムエルは、橋向こうとボーロ・パークのどちらの世界にも居場所を見つけられない同じような髭なしの男たちと、ボーロ・パークのオフィス・Cとマンハッタンを行ったり来たり、あの橋を越える。ボーロ・パークのようなオーソドックス・ユダヤの街では、安息日と食品カシェルを守らない髭なしの彼らは神との契約を破棄した異端者でしかなく、そして小さなビジネス・カードがものをいう橋向こうの世界では、なんの肩書きもないシュムエルなど誰も見向きもしなかった。

シュムエルと同じく生まれながらのオーソドックス・ユダヤでありながらも、器用にニューヨークのビジネス世界をも泳いで来たオフィス・Cのイツホックは、ゆらりふらり、のシュムエルに、当面の生活のために、インターネットを通してコンピュータの個人販売の仕事をやってみてはどうかと持ちかけた。イツホックの手助けでなら、ひょっとしたらそれくらいならやれるかもしれないと、シュムエルはアッパーウェストのアパートの、六角形の中庭に面した家具のなにもないがらんとした部屋から、細々とコンピュータの販売をはじめてみることにした。

こんな僕にもなにかできることがあったとはね。
しかもポケットにお金が入ってくるなんて、本当にすごいじゃないか!

生まれてはじめてそう思えてから数年が過ぎ、眠っていたかのような深いグレーの瞳も子供のように光りを増して輝きはじめたシュムエル。あの日から髭の剃り方も覚え、青白く不健康だった頬とあごも陽の光りに健康的な色を取り戻した。ようやく英語らしい話し方も身について、マンハッタンの碁盤の目に走る通りの看板もすらすらと読めるようになり、自分に少し自信もついた頃のこと。いつの頃からかシュムエルのコンピュータ販売のパートナーとなったマンハッタン男が、事もあろうにシュムエルの売り上げ一切を持ち逃げどろん、その行方をくらませてしまった。精神世界から物質世界への橋を越えてからはじめて人に裏切られた失望と、数万ドルという売り上げが同時にどこかへと姿を消してしまい、シュムエルはアパートの部屋の電話線を抜くと、ひとり、また暗い穴の中に落ちてゆく。ゆらりふらり、誰も彼を知らないマンハッタンの雑踏の中に身をすっぽりと埋めることでその現実から逃れようと、橋を越えてオフィス・Cに足を向けることすらなくなっていった。

そうしてしばらくのち、シュムエルはアパートの世俗ユダヤの男に勧められるままに、セントラル・パークを望む通りの、上辺だけのやさしさが典型的なニューヨーク女のカウンセラーへ時折通いはじめた。そのマリーという名の50代後半の女カウンセラー。豊熟な体がどこか柔らかで優しそうで、ひょっとするとシュムエルは記憶の遠いところ、おぼろげな母の面影をマリーに重ねていたのかも知れない。しかしマンハッタンという街に生き、宗教の持つスピリチュアリティや自分のアイデンティティを探すことも、また見出したことのないマリーには、そこからこぼれ落ちたシュムエルの探しているものが一体なになのかは知りようもなかった。

「さすがにクリスマスとハヌカぐらいは知っているわね。だって、街中のダイナーやレストランの窓に“Happy Chanuka!& Marry Christmas!”って一緒くたに飾ってあるじゃない?あははははっ!」

そうオプテミスティックに笑い飛ばすマリーには、ユダヤの、しかも髭のシュムエルの生きてきたオーソドックス・ユダヤの精神世界については、当然のことながらまったく未知の世界でしかなかった。

「ねえ、マリー、僕は一体これからどうしたらよいのだろう?」

「そうね、あなたは、まず、ユダヤであることをすべて忘れたほうがよいわね。そう思わない?ずっとこれまであなたを苦しめるだけのオーソドックス・ユダヤの人たちとは、一切関わらずに生きてゆくことがいいのよ。そしてユダヤではない異教の女性と結婚してはどうかしら。キャリアがあって自立している子がいいわね。だって、気位だけは高いニューヨークのJAP(Jewish American Princes)なんて、あなたには到底重荷なだけよ」

シュムエルのルーツのユダヤとは今後一切かかわらないようにと「世俗のすすめ」を説くマリー。しかし、ゆらりふらり、とマンハッタンの浮き草となったシュムエルでも、それらをまったく切り捨てた世俗世界への橋を、そう簡単にそして完全に越えられるものではなく、ユダヤの男としての象徴ともいえるテフィリンを捨てられずにいることの意味は、話したところでマリーにはわからない。

ボーロ・パークでの、ある安息日の夜のことだった。ブックスバウム家の長女リフカと私、テーブルに並べるだけ並んだ安息日の夕食をろうそくの光りの元に平らげたあと、腹ごなしの散歩がてらに走りすぎる車の一台も見当たらない元旦のように厳かに静かなボーロ・パークの目抜き通りをぶらぶらと歩いていた。いかにも東海岸らしいレンガ造りの建物にイディッシュ語の看板のかかった通りを行きかう、シュトライマレ帽に清楚に黒く着飾ったオーソドックス・ユダヤの人々の姿。サテンの黒いロング・ローブ、カフタンの下から覗く白いストッキング姿の紳士と、その隣をかつらの上にスカーフを掛け、慎みある黒いスーツとタイツで身を包んだ妻。

その両親の傍で、小さな妹や弟たちの手を引いている子供たちも、安息日用の一張羅のワンピースやまるで七五三のようなスーツにキパ姿で、親戚や友人たちを訪ね笑顔がこぼれている。彼らの口々からは歌うようなイディッシュ語が流れる。そんなボーロ・パークの安息日の夜の通りの向こうから、意外なことに、シュムエルともうひとりの髭なし男のジョニーが歩いてくる。

「シュムー!ジョニー!Ah Gut Shabbos!」

イディッシュ語で「よい安息日を」と、ふたりに声をかけると、ニヤッと顔を見あわせるジョニーとシュムエル。

「だめだよ、お嬢さん!キミもユダヤの勉強をしているのなら、ボーロ・パークの通りで、こんな落ちこぼれた異端者の男たちに話しかけるなんて。ほら、みんな怪訝な顔でこちらを見てるだろ?・・・Ah Gut Shabbos!Ah Gut Shabbos!あはははは!」

安息日が訪れる金曜の夕日沈むころになれば、髭なしでも今も自分がユダヤであることを思い出さずにはいられない。橋向こうの世界からFラインに乗って、ゆらりふらり、こちら側の世界へと。「じゃあね、」とボーロ・パークの安息日にはまるで似つかないトレーナーにベージュ色のチノパンとカジュアルな二人の髭なし男たちは、彼らがこの街では受け入れられないことを皮肉に笑い、どこかへと通りの向こうへ消えていった。そんな帰りたくても帰れないふたりのうしろ姿を見つめながら、噂話などすることのないリフカも「あの人たち、誰?」とさすがに声を少しひそめた。

「髭もペオスもなくて、あんな異教徒のような格好をして。彼らはもうこの世界に戻る気はないのでしょう?だったら、かかわらないほうが賢明ね」

リフカのその声は、ボーロ・パークの一般的な声かもしれない。それでもイツホックやオフィス・Cの男たちの中には、そんなシュムエルたち髭なし男たちの帰りを待っていてくれる人たちもいる。しかし、子供のころから一貫してイェシヴァで学び、哲学的にも深い髭なし男たち。なんらかの理由によって神をそして自分のアイデンティティを拒否し、ユダヤの精神世界からこぼれ落ちてしまったまま、それまでとはすべての価値観が異なる世俗世界で生きてゆく葛藤と混乱。そこに見つけられない出口は、ユダヤというルーツへ戻ることの他にはないと彼らも心の奥深くでは知ってはいるものの、橋のあちらとこちらを、ゆらりふらり、戻るに戻れず、その日の風に任せて彷徨い続ける。

売り上げを持ち逃げされる前に、数人の友人たちと彼と、そして私。一緒にテーブルを囲んだコロンビア大学の向かいのチャイニーズ・レストラン。白い陶器の皿の上でツルツルと滑る椎茸が珍しくて、シュムエルは子供のように好奇心いっぱいにその椎茸を見つめては、不器用に箸でつまみあげた。パクっと椎茸を口に放るように投げ込むと、その、つるん、とした味にうっとりと夢を見るように、やさしい羊のように目を閉じるシュムエル。

通りでサヨナラと抱き寄せてくれた肩がふわりと温かくて、大好きなジャズを聴けばそのすべての細かな音をも聴き分けてしまうほど情熱的なシュムエル。「元気かい?」と橋を越えたマンハッタンを訪ねた時に電話を入れる私に、「ああ!君は今夜、泊まるところがないのかい?心配するな、僕の部屋の隅を貸してあげるよ。毛布でも引いて寝ればいいさ」と、いつも少しピントはずれに優しいシュムエル。しかしその心の奥深くには、誰にも触れることのできない穴がいまだに塞がらずにいる。

そうしてまた夏と冬が過ぎ、今年の春のこと。シュムエルはあれからまた少しずつコンピュータの販売をはじめた。相変わらずマンハッタンの雑踏に埋もれながら、ゆらりふらり、橋を越え、ゆらりふらり、オフィス・Cへと。そして先日のこと。春の暖かい風吹くエルサレムへと、シュムエルから一通のメールが届いた。

「異邦人の君、エルサレムで元気でやっているかい?

君がボーロ・パークを去って、みんなしょんぼりしているよ。特に君を気に入っていたイツホックはいつもつまらなそうだよ。シムションも決して口には出さないけれど、とても君に会いたがっている。それは僕だっておなじさ。

・・・以前、君とも話したように、僕は本当に家族も愛というものも知らない。たくさんいたはずの兄たちの関係すらどういうものかは知らないし、母の愛も、そして父の愛も感じたことはなくここまで来てしまったよ。家族というものを一度も経験したことがないから、それが一体どんなものなのか僕にはわからないんだ。家族がほしいと思っても、本当に何を求めているのかが僕にはわからない。それにずっと黒い服の世界で生きてきたから誰かに恋をしたことだってなかったし、こちら側へと橋を渡ってからも、まだ一度も誰かを求めたことがないんだ。僕にはそこまでたどり着く以前の問題なんだ。愛する、愛される、って一体どんなことなんだろうね。僕にはまださっぱりわからないよ。きっと僕は誰かを想うことも、そして誰かに想われるということも、本当は怖いのかもしれない。これはきっと、僕と神との関係も同じことかもね。

でもそれよりも、果たして神は存在するのだろうか。やはりこの問題の答えは一生かかってもわからないかもしれない。漠然といるといいなあって思うけどね。でも、もし神が存在するのなら、なぜ神は父に僕を捨てさせたのだろうか。父は神とユダヤの宗教を頑なに信じていたのにもかかわらず。父は僕を捨て、僕はすべての父であるらしい神を見出すことができないままさ。そしてそんな神の存在が、どう僕の人生に関係があるのか、オーソドックス・ユダヤのラビにまでなったけれど、それでもやっぱり僕にはわからない。そのことが僕には理解できずにいて、考えても考えてもまたこの場所に逆戻りさ。いや、知れば知るほど僕は迷路に入り込んでしまったんだ。その答えが本に記されたり白黒と単純ならば、僕はきっとあの橋を渡らなかっただろう。髭があった頃の僕、髭のない今の僕、どう異なるのだろうか。

でもね、チカ。ほんのすこうしだけど、そう、少しなんだけどね。どこか向こうのほうから小さな光りが射しているのが見えるんだ。真っ暗闇ではないんだよ。そう、きっといつかその先に出口は見つかると思っている。僕はいつか見つけるよ、きっと。きっといつかすべての答えが見つかると思うんだ。だけどそれがいつかは、まだ僕にはわからない。

君がまた空を越えてニューヨークへ来る時は、いつでも連絡しておくれよ。ご存知の通り、とても家庭的な雰囲気の部屋なんていえないけど、とりあえずは屋根と六角の中庭に面した窓、マットレスだけはある。それに実をいうと、君が花なんかを抱えて訪ねてくると、この僕の部屋が家庭的な色に染まって、とても不思議な感覚がするのがまたおもしろいからね。たまにの「家庭ごっこ」は僕も大歓迎さ。ところで以前僕が君に売った、あのIBMが今もちゃんと作動していることを祈っているよ。

                          君の友、シュムエルより」


シュムエルが精神世界から橋を越えて、人生の迷路を、ゆらりふらり、と彷徨いはじめてから10年近い日々が過ぎようとしている。彼はいつか、その小さな光りの向こうに、新しい橋へと続く道を見つけるのだろうか。

Monday, January 10, 2005

夢見心地

寒い冬のエルサレムを抜けだそうったらこんな一日!

エルサレムから死海へと続くこの不思議で魅力的な道。ごちゃごちゃ文化のエルサレムを抜け出して、時計の短い針が10回も動けばグルグルグル。そこからエンエンと広がるのはシゼン。モコモコ豊かな森や深く物語る湖、心に潤いもたらしてくれるほっこりとした自然とはちがうもっとベーシックなシゼン。アッチモコッチモ見わたすかぎり乾いた赤茶けた裸岩の山々、雲ひとつないまーっ青な空、カーッと熱いオレンジ色の真赤な太陽、まったくと言っていいほど生きているモノの影もないのにとっても生命の力があふれている。イキをするのも苦しい熱い空気はエルサレムの乾いたカラッカラの空気とは別のイキもの。バスが海抜0地点に近づくにつれ、体内で柔らかに明るく温かく作用しているのがしっかり感じられる。

トントントンと壁のないトタン屋根の集落がバスの窓から見えてきた。ほんのりのりたま青海苔を振りかけたように草がクサクサッと生える砂漠の丘の上に遊牧民ベドウィンたちの住居テントが建っテント。遥か昔も近い今も国境なんて関係ないよ、あら国境ってったってあなた、どこにも線なんて引いてないよこの土地の。線が引いてないから土地から土地へとあっちトッチと移り住む砂漠の民の彼らも、トントントントンとテントもトント近代化の波に乗って途端にトタン小屋。いくつものトタン小屋のまわりの小さな丘には、羊の群れの番をするアラブの長いワンピース服を着た男に、数匹のらくだがのんびりとじーっと遥か遠くを見つめるように同じ姿勢でこりゃまたらくだ楽だね。そんな景色一式、声の無い無声映画のようにバスはどんどんと海抜マイナス150地点を過ぎて、地図のいらないベドウィンの姿もドロロンッと消えたらうさぎがもちつく月面の白い世界へと空気圧の変動でバスは飛行機、耳はぼーっぼーっと、イシキは現実から遠のいてゆくケシキ。

左手の岩肌に青いモザイク「Sea Level-300m(海抜マイナス300メートル)」の標識見たら、お風呂の洗面器をしゃっくりしてひっくり返して狼煙台になったよ、白いポコポコ不思議な地形。さらにバスは進み、一本道の左は蜃気楼の遠くに小さく地上でサイコーに低いセカイサイコのジェリコの町が浮かんでくる。海抜マイナス400メートルにある町ってどんな町なのだろう。ゆらゆらゆらゆら、町に一歩足を踏み入れると途端にそれは幻。

そして目の前にはついに霞がかかったようにミルク色に青く風もなく波もなく、ただじっと眠るように静かに広がっている死の海。そのほとりを南にゆくのは決して後悔はしない紅海の町、イスラエル最南端の常夏の町エイラットへと。灼熱の太陽に照らされた砂漠の一本道。一滴の水さえも生と死を分けるような、ああ無常!な慈悲も何も感じられない過酷さゆえの存在の中に、だったらこの赤茶けた荒れ地になんとしても、這ってでも生き抜いてみようじゃないか!とアンビバレントに最大のポジティヴ観を発見する。昔の旅の人のようにこんな乾き切った大地を自分の足で旅しなければならなかったならば、それはいかなる自分との戦いだったのだろう。この先の赤い山の砂漠で彷徨っていたモーセとユダヤの人々。自然と人、それを超えた存在との関係を改めて考えてみたりする。

そしてこのあたりの道から私の長年の心の友「旅の虫」君が騒ぎ出すのだ。ああ、このままあの常夏のエイラットまでバスに揺られて、体で感じる外気とは裏腹に氷のように冷たく感じる水に、ちょいちょいっとフラミンゴのように足をつけてから、ぱしゃぱしゃっと魚になって、すいーっと対岸のアカバの町まで行ってみようか。透き通る蒼い蒼い紅海と、アカバの後ろのヨルダンの赤い山々を水面に見つめながらおしゃれでカラフルな熱帯魚と友達になったら、珊瑚の間をかくれんぼに鬼ごっこ。すると熱帯魚はエイラットのイルカたちとも遊ぼうよと私を誘うと、こんなところにもイルカがイルカ?キィーキィーキキキキッ、あら本当だ、イルカいる!熱帯魚の後をすいーっとエイラットまでもう一路、珊瑚の迷路をうまく潜って、と思ったらあら?一体熱帯魚はどこへ行ったんだろう。イルカの声も届かない。迷子になった魚の私はまたぱしゃぱしゃっと水面に近づいてぴょーんっと陸に上がると、あらここはアフリカ大陸?かと思いきや、なんだエイラットの隣のタバの国境じゃないの。それじゃあ、せっかく陸に上がったのだから目指すはシナイ半島の小さな紅海の町か、はたまた甘いミントティーを飲みにカイロの裏路地へとか。それじゃあ鳥になって飛んでいこうか、それともこのまま国境沿いで旅人たちを待ちかまえているエジプト男の運転する乗り合いタクシーで行こうか。

「さあっ!」と私を手招きするとニヤッと不ぞろいの白い歯で笑う運転手ご自慢の、クーラーなしのぼろんちょタクシーは不機嫌にでも軽快にガタガタガタガタと走り出す。ぼろんちょ君は今にも空中分解ならず路上分解しそうな速さでびゅーんっと、エジプト男のアタマに巻いたチェック柄のケフィヤのすそはパタパタパタっと熱風の中にはためく。私は大きく開けたぼろんちょ君の窓から顔いっぱい風船のようにぱんぱんっと熱い風を浴びて瞬きすらもできず、広がる紅海の蒼さに弾むココロの乙女ゴコロ。

そんな旅をぼーっと夢に見ながら、気がつくと私の乗ったバスは死海のほとりで紀元73年のマサダの砦へとタイムスリップして、私は血気盛んなローマ軍の将校かそれとも砦に立てこもる憂いの目をした砂漠のユダヤの女か。ヘロデ王とローマ軍に抵抗した900人近いユダヤの人々が3年ものあいだ立てこもり、自決して最期をとげたネゲヴ砂漠の断崖絶壁にそびえる悲劇のマサダの砦の爪跡が目の前にせまり目を閉じた。

ローマ将校の私は砦を攻め落とそうともう3年も陣営している砦の西にあるテントから、今まさに勝利を得に行かんと身支度をする。すっかり轍が出来上がったガラガラの砂漠の道。暑さで幾度となく撤退するべきかとも迷ったがエルサレムの大将はここに留まれと言うばかりだ。

それー!突撃だ!ユダヤのヤツラはもう反撃もしてこないぞ!兵士たちよ、後に続け!砦へと登り詰めるんだ!

砦のうえで何が行われようとしているかなど私はまるで想像もつかず、捕まえたユダヤたちをローマに連れて帰れば私もようやく一息つけるだろうか、そんなことが脳裏をかすめると、私は兵士たちと共にガラガラと崩れ落ちてきそうな岩山を登りはじめた。

「さあ、ここに集まったユダヤの者よ、われわれはやれるだけをやったのだ。今登り来るローマ軍に降伏して捕虜になるよりも、ユダヤとしてこのいのちを終えようじゃないか!この砦は3年という尊い時間をわれわれにくれたのだ。水を溜め、祈りのためのシナゴーグを作り、食料粉も倉庫も風呂も作った。新しいいのちも育った。この3年間、われわれはユダヤとして生きるために異教徒のローマなどには降伏はしなかった。しかし神は今、われわれをユダヤとして神の元へと呼ばれた。さあこれからくじを引くぞ。いいか、子供たちよ、またすぐにお前たちの父や母が後を追う、心配するのではないよ。男たちよ、愛するものたちを痛みなくこの世から旅立たせるのだぞ」

気が遠くなるような熱気の中を私は夢中で砦まで登りつめる。熱い太陽が地上よりもさらに近く、はるか下のほうに私のテントとわだちの跡が小さく見える。若い兵士はみな動物のように興奮しながらユダヤを探し出そうと砦の中を駆け巡る。その光景を見ながら私は陽の光りと喉の渇きで目眩がして、どうにもこうにもその場で剣をつっかえ棒のように乾いた土の上に刺すと、左手で目頭をぎゅっと押さえた。

ウオー!ウオー!

叫び声が風に乗って草の一本も生えないこの砂漠を駆け巡る。ああ、なぜ今この時になってこんなにも頭が痛むのだろう。私は背後からやって来る兵士たちに押されて前へつんのめると、目頭を押さえたままで剣を抜き取りゆっくりと目を開けると、陽の光りが白くあたり一面に鋭く反射している。まるで輝く真っ白な雲の中を彷徨うかのように、私は聞こえて来る野獣のような叫び声へとゆっくりと歩き出した。

砦の奥で私が見たものは、その後にエルサレムへ引き返してもずっと脳裏から離れることはなかった。数々の戦を勝ち抜いた私はあのマサダで、事もあろうにユダヤに負けてしまったのだ。ユダヤは最後までローマ軍には堕ちなかったのだ。私はローマ人として彼らのように凛とした最後を迎える勇気はあるだろうか。それほどまで頑なに彼らが降伏しなかった訳は一体何だったのだ!砦の奥で重なり合う満ち足りたような魂の抜け殻。エルサレムよ、頭痛はあの砦の日以来こうやって私につきまとう・・・。

どれほどうたた寝をしたのか、目が覚めるとバスは死海のオアシス、エイン・ゲディを通りすぎ世界の大手ホテルの建ち並ぶ死海のリゾート地エイン・ボケックへ。ここで私はバスにサヨナラバイバイ、チューリップ印のホテルの前を静かに横たわる死海のほとりへと。むら~んむら~ん、濃い塩分、ミルクブルー色の巨大ゼリーの中に足を突っ込んだら不思議と浮くんだなぁ、これが。すぃぃぃぃーっと滑るように滑らかな水面をあっちこっち、アメンボウになって見上げた空はきっと何千年という時もナンノソノ変わりなく、雲ひとつなく真っ青で。すっかーんっと何も知らん振りを決め込んでいる。豆粒ほどの小さなアメンボウはアー、アー、アー、と大きな青い空に向かって叫んでみると、小さなプロペラ飛行機プロペロペロペロッと飛んできて、マフラーをなびかせたトンボ眼鏡の飛行士がこっちを向いて「ィヤッホゥー!」と大きく愉快に手を振ったよ。そしてこのままアー、アー、アー、対岸のヨルダンの町まで空を見てたらアメンボウ、流されちゃってました、あはははっ!なんて、またまたノンキに死海で夢を見て。また来た砂漠の道を星にテカテカ照らされながらバスにゆらゆら揺られて、白い三日月のエルサレムまで帰って来た。こんな何千年の夢の旅の一日もまた楽しかな。

Sunday, January 09, 2005

ら~めんは懐かしい母の味

エルサレムでの食生活って、欧米などと同じようにやっぱりどうしてもこってりしたものになってしまう。日本だったら小腹がすいた時や簡単であっさりしかも何か汁ものでも、と思うような時ならば、インスタント・ラーメンだってローソンのおにぎりだって、角のおうどん屋へだってさらっと簡単に食べることができて。

でもエルサレムのファーストフードといえば、ピタパンに詰まったファラフェルやフライドポテト、はたまたはブレッカスと呼ばれるチーズやマッシュドポテトのパイ。クリームチーズの挟まったベーグル。まるで食は人を表すとでも言うのかな。ああ、何かもっとあっさりと食べたいなぁ。

そんなある日。新市街のど真ん中にある生協経営の大きなスーパーへ行ってみた時のこと。

何気なく乾物コーナーでパスタなどを手に取っていると、どことなく見たことのあるような大きさの四角い包みが目に入って来た。いやいや騙されはしませんぞ、と思いつつも、一袋、手にとってじっと目を凝らしながら袋に印刷されたヘブライ文字を読んでみると、「ぬ・ど・る・す」と読めた。そして袋の真ん中には英語で「Instant Noodles」と書かれている。

い・ん・す・た・ん・と・ぬ・う・ど・る?

いんすたんと・ら~めん?

ラーメン???

まさか?しかもコーシャーの?

袋の裏にはしっかりと「コーシャー」のマークが付いている。つまりこのインスタント・ラーメンらしき物には、豚やラードやその他の非コーシャーな原料が含まれていないということ。種類は野菜スープ、チキンスープ、ビーフスープの3つの味で、すべてがパラヴ(乳製品でも肉製品でもないもの)と表示されているということは、チキンもビーフも人口に付けらた味なので、もちろん健康には非常に悪そう。それでも今までインスタント・ラーメンなるものをエルサレムで見たことがなかったし、麺類大好きな私にはこれは試さずにはいられない。

そこでとりあえず、3種類一袋ずつ買って帰って、恐る恐る作ってみた。チキンスープ味のら~めんの袋を破ると、何から何まで日本のインスタント・ラーメンそっくりの波波の乾麺が顔を出す。いやいや、だからといって同じものとは限らんぞ、期待しすぎちゃダメよ。と自分に言い聞かせるように麺を茹でる。そして茹で上がったところに、スープの素の袋を破ると・・・・。

ああ、なんて懐かしい匂い!

なぜか思いもよらず、このインスタントな粉末のスープの匂いがまるで懐かしい母の味のように、きゅーっと脳裏を刺激して体がワクワクと踊りだす。

もしかしたらこれはいけるかも?!
なんて、淡い期待を抱いてしまう。

以前見つけて購入しておいた白いどんぶりに、出来上がった熱々のら~めんを移して、さてかんじんのお味のほうは?

ちょっとおっかなびっくり。
一口で「やっぱりね・・・。」とがっくり首をうなだれ箸を置く可能性も考えながら、お毒見のように麺を口に運んだ・・・。

「つる。つる。・・・・・うンまい!!」

これぞやっぱり自分の体にぴったりくる食べ物!それがどんなにケミカルで不健康でも、日本人の自分の体にはこういう汁気のある食べ物が細胞の一部なんじゃないかと思うくらい文句なしに「うまい!」そして「ほっこり」と感じられるもの。

この偉大なる発見によって、私のエルサレムでの食生活に大きな変化が起きてしまった。もう油で揚げたファラフェルやポテトなんて食べたくないし食べなくてもいい。サンドイッチもシャワルマも、もうバイバイ!コテコテ人生はもう結構よ。

これからは、ちょっとお腹がすけば君たちに代わって「しゅるんっ」と「ら~めん」なんて食べちゃうんだもんね。はっはっは。なぜかしらこれほど勝ち誇った気分になれちゃうなんて、やっぱり「食はアジアにあり」とはよく言ったもんで、たかがインスタントと言えども、されどら~めんは偉大だったのだ。

コーランを聴きながら鐘がなり、黒い帽子が急ぎ足。私はここではふはふとら~めんをすすっては、ほ~っと息をつく。ああ、幸せなら~めんの街、エルサレム。これに死海が温泉だったらよかったかな、なんて。

Wednesday, January 05, 2005

Tataを探して。(真夜中過ぎの住人たち・真夜中過ぎの猫たち)

同居人はとうとうTataが心配になってきたようで、真夜中過ぎになると通りへこっそりと夜な夜なエルサレムの街をTataを探して歩き回ります。口笛を吹きながらTataの行きそうな路地裏や公園、ゴミ箱の下などをTataを探しています。ある夜のこと、車もなく静まり返った大通りをTataを探して歩いていると、同居人はシャンガシャンというロボットのような音を聴き、なんだろう?と立ち止まると、向こうのほうから歩行器を押しながらアインシュタインのような髪型をしたおじさんがやって来ます。

「コンバンワ」

同居人がそう声をかけると、アインシュタインおじさんはニッコリと笑ってガシャンガシャンと通り過ぎてゆきました。毎晩、真夜中過ぎになるとこのおじさんは、ガシャンガシャンという音と一緒にどこかへ出かけてゆくのです。

次に同居人は街角のハープ弾き、おかっぱアタマの太っちょおばさんのところへ行きました。このハープ弾きの太っちょおばさんは、雨が降ろうとも横に爆弾が落ちようともまったく関係ないわと、毎日同じ角でひとりハープを弾いています。同居人が太っちょおばさんのところに行くと、おばさんはちょうど帰り支度をしていました。

「コンバンワ、おばさん。今夜はもうおしまい?ねえ、Tataを見かけなかった?」

おばさんはいつものようにハープを弾いて答えます。

「♪~ん、♪♪♪♪っ♪♪♪~♪♪♪♪♪♪♪♪ぁ、♪♪♪♪♪♪ぉ♪♪♪・♪♪♪♪♪~」

「そう・・・、Tataは今日は一度もこちらに来なかったんだ。うん。どうもありがとう。おやすみなさい」

「♪♪♪っ~♪♪♪♪♪」

同居人はちょっぴりがっかりしてハープ弾きのおばさんの角を後にして、小学校前の家から引っ越しするもうひとつ昔に住んでいた階段通りの家へ行ってみようと思ったのです。もしかしてTataはそちらに行っているのかも知れません。オレンジ色の街灯の下、同居人が階段通りで口笛を吹くと、暗闇からどこか見覚えのある猫が一匹飛び出してきました。そして「にゃ~ん」と色っぽく同居人の足元にまとわりつきます。もちろん同居人はすぐにそれが誰だかわかりました。

「あらっ!誰かと思ったらやっぱりジョセフィーナさんじゃありませんか。お久しぶりですね、お元気でしたか。その後おかわりは?」

一年ぶりで再会したTataの前妻猫さんのジョセフィーナ。なんだかちょっぴり顔色が冴えません。

「それにしても顔色が良くないですね、ジョセフィーナさん。どこか具合でも悪いんですか?えっ?後ろにいるのが去年生まれた新しい娘さん?で、その後ろの子猫が孫猫?あらら、またまた家族が増えましたね、あなた」

ジョセフィーナの後から彼女似の、少し細身のべっぴんさんの若い娘猫と子猫がひょいと顔を出し、ジョセフィーナと同じように同居人の足元にまとわりつきます。

「ふんふん、そうだったんですか。じゃあ、あれからジョセフィーナさん、あなた、男猫運が悪いんですね。あのイケイケの白猫も結局どこかに行ってしまったんですか。はあ、それでお顔の色が優れないんですね。毛荒れもしてますよ。いけませんねえ。やっぱりちゃんと浮気心など起こさすにTataと連れ添っていれば、今頃は幸せだったのにね、でもそんなこと今さら言ってもしょうがないですね。それでなんですけども、ジョセフィーナさん。こんなこと聞いちゃ失礼かもしれませんが、この一週間にあなたの前夫猫のTataを見かけませんでしたか?」

ジョセフィーナはTataの名前を聞くと、ふんっと顔をあちらへ向けて、昔と変わらずにちょっとすねて見せます。

「ふんふん、そうですか。Tataはアレっきり顔を出してないんですか。そりゃ、あなた、あれからTataは傷心してましたからねえ。えっ?悪いのはあなたじゃないってんですか?まあ私にはどっちでもいいんですけどね。それじゃ、ジョセフィーナさん、お元気で。えっ?寂しいから行かないでくれって?いやあ、そう言われても私も困るんですよ。そうやってまた私を利用する気でしょう?あなたも本当にしょうがないヒトですねぇ。それじゃ、また明日の晩にでも手羽先でも煮て持ってきてあげますよ。あら、結局利用されましたね、また。じゃ、おやすみなさい」

さすがのジョセフィーナも、男猫疲れとやるせなさでかなり落ち込んでいる様子。同居人はじっと潮らしく寂しそうに同居人の後ろ姿を見送っているジョセフィーナを後にして、階段通りを下って行きます。階段通りの右手の真っ白なひげのフランス人の老人の、靴箱のように小さな古ぼけた家から相変わらず音楽が聴こえています。痩せた髭の老人は、夜遅くから霧が冷たく車のボンネットの上を濡らす朝方までステテコにシャツ姿でソファーに寝そべりながら、独り言をぶつぶつ、時には誰もいない壁に向かって大声で怒鳴りながらスピーカーいっぱいの音量でクラシックを聴いているのです。さすがに同居人もTataがここへ寄っていないことを知っていたので、老人のドアはノックしませんでした。

すると冷たいエルサレムの霧の向うから、どこから見つけてきたのか山のように荷物を積んで、両脇にたくさんのゴミ袋を吊るしたスーパーのカートがガタガタとアスファルトの路面をこちらに向かって来ます。男とも女ともつかないそれは何枚ものボロボロの布をまとい、ゆっくりと同居人のほうへ進んでいました。クラシック音楽を聴きながら独り言を繰り返す老人、霧の中のカート、同居人は真夜中過ぎのエルサレムでちょっぴり心細くなって階段通りを急いで駆け下り、引っ越し前に住んでいた小学校前の家へと走りました。同居人がそこへ着くと家のあたりは真っ暗でシーンと静まり返り、以前のように猫たちの姿は見当たりません。同居人は軽く口笛を吹いてTataを呼ぶと、暗がりの奥から眠たそうな目をこすりながらTataがノソノソと現れました。いつもの屋根の上で眠っていたようです。

「Tata!昨日の晩もその前の晩も、ここに来たらノラちゃんが一人でいたよ。でも君はいなかったね。どこへ行ってたの?ハープのおばさんのとこにも行ってなかったしさ。やっぱりこっちの家のほうがいいの?新しい家には帰ってこないの?向こうはいや?ご飯はどうしてるの?」

同居人は次から次へとTataに質問しますが、ジョセフィーナに会ったことはTataには内緒にしておきました。それでもTataは眠っていたところを起こされてかなんだかちょっとおもしろくありません。どうも家を出てからあっちこっち歩き回ったので、一緒に引っ越ししたことをすっかり忘れてしまったようでちょっと混乱しているのでしょう。同居人はTataに「一緒におうちに帰ろうよ」と言いますが、たくさんの道をあっちこっち歩き回ったTataはもう眠たくて仕方がないので、ここで今夜は寝たいんだけどなと思っているようです。それを感じた同居人はもうどうしていいのかわかりません。

「Tata、明日の晩に君のカバンを持って迎えに来るから、この時間にまたここにいてね。カバンに入ってなら新しいお家に連れて行ってあげられるからね。それとも、君、いま一緒に歩いてくる?」

Tataは眠たそうに首を横にふります。これから歩いて行くなんて・・・。でも悲しそうな顔をしている同居人がちょっぴりかわいそうになって、角の公園のところまでならお見送りしてあげるよと言いました。それで同居人は仕方なく角の公園まで一緒に歩いてから、もう一度Tataに一緒に帰ろうと誘ってみますが、Tataはやっぱりうなずきません。そこで同居人はとうとう、「じゃ、また明日ね。待っててね。」とTataにさようならを告げ、濃い霧の夜空の下、階段通りとは反対の坂道を登って一人で新しい家に帰りました。

そして、次の夜。いつものように真夜中が過ぎて、新しい家のリビングにTataのソファーもおそろいのグリーンのクッションも用意してから、同居人はTataを入れる黒い小さな旅行カバンとタッパーに詰めたTataの大好きな鶏の手羽先のお弁当を持って小学校前の家へ行ってみました。昨晩と同じように口笛を吹きながらTataを呼びました。でも、返事はありません。もう一度呼んで見ます。でもやっぱり返事はなく、濃いグレーに縞の入ったノラちゃんがひとり、塀の上で香箱を組んで同居人を眺めています。

「ノラちゃん、Tataを見かけなかった?昨日、この時間にここで待っててねって言っておいたんだけどな・・・」

ノラちゃんはいつもそうするように、同居人の顔をじっと、なんだか眩しそうに瞳をパチパチさせて見つめます。同居人はいつもノラちゃんのこの表情を見るたびに、ヨーロッパのどこかで見かけたおなかをすかせたジプシーの子供のようだと思うのでした。ノラちゃんと話しながら同居人はしばらく塀のそばでTataを待ってみることにしました。そうして、真夜中過ぎの時間がしばらく過ぎて、カシオペア座がぐっと頭の上に近くになった頃、階段通りからの角で塀の上にピョンっと乗った猫影が同居人の目に留まりました。

そう、Tataがやって来たのです。同居人は急いでお弁当をカバンから取り出し「Tata!」と呼ぶと、Tataはタッタッタッとまるでアフリカの草原を駈け抜けるライオンのように軽快に走ってやってきました。同居人はお弁当のフタを開けるとうれしそうにTataに差し出します。Tataもすっかりおなかがすいていたのでしょう。ほんの一瞬でそれを平らげてしまいました。そして、ちょっとTataのおなかもほんのり幸せになったところ、同居人は辺りをすばやく見回すと、母親猫が子猫を持ち上げるのと同じようにTataの首ねっこをヒョイっとつかんで、黒いカバンの中にTataをポンっと入れてジッパーを閉め、「バイバイ、ノラちゃん!残りは食べていいよ。またね!」と急いで真夜中過ぎのエルサレムの坂をびゅーんっと駆け上がりました。今夜の猫泥棒の唯一の目撃者のノラちゃんは相変わらず塀の上から不思議そうにパチパチと瞬きをしてそれを眺め、思い出したようにTataのお弁当の手羽先をくわえるとどこかへ行ってしまいました。

Tataがやっと開けてもらったカバンから顔を出してみると、「あら、ここはどこ?」と一瞬と惑ったようでしたが、すぐに引っ越しした新しい家だと思い出しました。

「Tata、ごめんね。いきなり君をカバンになんか入れちゃって。でもね、君はすっかりこの家にたどりつく道のりを忘れちゃったみたいだから。これからほんのしばらくはお家から出ちゃだめだけどね。だって、また忘れちゃうでしょ、この家のこと」

Tataはそうだね、同居人の言うとおりだね、と相槌を打つと、すぐに冷蔵庫の前にきちんと前足をそろえて座り、いたずらっ子っぽく緑の瞳を輝かせて同居人に言いました。

「じゃ、これからしばらくはずっと手羽先作ってくれる?そしたら僕うれしいな。今夜カバン誘拐されたことだって忘れちゃうよ」

同居人は冷蔵庫から冷たく冷やした手羽先と、そのまわりに固まったゼラチンを取り出してTataのお皿に乗せました。

「Tata、はい、これ。ちゃんと作っといたんだから。ほら、全部食べていいよ。でもそのかわりにちゃんと一週間のエルサレムの冒険の話しを聞かせてね」

それからTataと同居人はいつものようにベッドに一緒に寝転んで、うふふふふっと笑って、Tataの長い一週間の冒険話が終わったのはすっかり夜の霧が晴れてエルサレムの東の空が明るく染まりはじめた頃でした。それから二人は朝鳥の声を聞きながら、桃色の空の下、毛布に包まってそっと眠りに落ちてゆきました。

Sunday, January 02, 2005

雪とNYとシュトライマレ

NYのバーロパークから
Eメールで写真が届いた。

雪の降るバーロパーク
窓から眺めるそのレンガの町並み。

こんなことを思い出したよ。

ある安息日の静かな午後。
シュトライマレをかぶった男が
あっという間に雪の降る中

通り過ぎていった。

それをじっと窓から眺めて。
あのミンクような毛皮の帽子。

雪の中ではとっても絵になるのね。
そりゃあそうだね。
もともとは雪深い東欧のかぶりものだもの。

エルサレムの砂漠の太陽の下じゃあ、
ちょっと、いやあ、かなりかな、

アツツツツ、って思っちゃう。