Wednesday, October 27, 2004

10月のエルサレムの空の下、茶封筒の君とスキップと。

お昼過ぎに郵便ポストを見ると、不在配達表なるものを発見。ん?うちにいましたがな、ずっと。そして受取人の名前は、配達物にローマ字で書いてあった私の名を何とかヘブライ語で書いてみたらしく、「Sik Oku (シク オク)」と書かれている。なんとなく配達人の言わんとすることはわからないでもないような・・・。でもこれって私の名ではないぞっ。だけどそんな変てこな名前の住人はこの建物にはいないからやっぱりこれって私宛?

パスポートと不在配達表を持って近所の郵便局へ。エルサレムも10月の半ば、ちょっと太陽は秋らしい。郵便局の入り口には一目でエチオピア人とわかる小柄なガードマンが座っていて、カバンの中を見せてから局内へ入った。

やっぱりこの郵便局、相変わらず一歩一歩が昼寝の牛の歩みである。列に並んで待つ事、約10分。私の番が回ってきた。パスポートと不在表を見せると、係員のおっちゃんはその二つをじっと見比べる。あら、もしかしたら名前がちがうよって言われて荷物は受け取れないかも?とさっと不安もよぎったりした。

おっちゃんはじっとパスポートの名を見つめ、「よっしゃ。」とうなずく。この「Sik Oku」なる国籍不明の人物と私のパスポートの名はめでたく何の疑いもなく一致したらしい。なんといい加減な・・・。そして奥の棚から茶封筒を渡してくれた。やったー!っと、局内のベンチに腰掛けて、ビリビリと封筒を破る。ああ、この快感。日本からの贈り物は何度手にしてもうれしいものです。

開けた封筒からは、東京の彼女から葉書と金魚の付いたランチョンマットがいきなりかの地のニッポンで。メールが主流のイマドキ、手書きの葉書はとても新鮮で、しかもそれが遠い遠いニッポンの東京からとなれば、ビューンっと時も何もかも越えていってしまいそうな、不思議な気分になる。

ささっ、と誰にも見せないよっと、大切にまた封筒に戻してから郵便局を出る。ドアを開けると先ほどのエチオピア青年がぼんやり暇そうに空を眺めている。遠いエチオピアの空でも夢見ているのだろうか。私はこの国の共通語のヘブライ語で「トッダァ!」と言うとニッコリほほ笑んで、スキップしながら青い空の下をウキウキと。お買い物をしにバスに乗ろうと大通りへと。バス停でバスを待つ間、通り過ぎる車の補助席から「イヒヒヒヒヒッ」と大笑いしている太っちょのおばちゃん、「Almost Just Married!」と書いた車に乗ってウェディングドレスを着て笑っているお嫁さん、鼻歌交じりの警官、いろんな人たちが通り過ぎる。なんだかみんな楽しそう。ああそうか、それは私がうれしいからなのね。それじゃあ私だって負けずにちょとフフフンッと歌ってみる。たまにはいいな、こんな楽しい気持ち。遠いニッポンから運ばれてきた茶封筒の君、どうもありがとう。

Wednesday, October 13, 2004

「Jap! 」 jewish american princess

太陽の燦々と輝くワイキキ・ビーチにダイヤモンド・ヘッド。世界中のサーファーの憧れ、ノース・ショアー。黒い溶岩と白いくちなしの鮮やかな芳香。どこまでも青く澄んだ海でイルカと波と戯れる。そんな太平洋の常夏の楽園から、中東の水のない砂の街へと住み移った、娘のティナを訪ねてきた母ジャッキー。

 ティナとジャッキーを旧市街へと案内をするために、乾いた朝の日差しの中、ヒレル通りのオープン・カフェへと、いつものように早足で向かう。ガラス張りのカフェの外に並んだ小さなテーブルに腰かけたその娘と母の姿は、この街には少し珍しく映った。

「お待たせしてごめんなさい!」
「あら、いいのよ。私たちも来たばかりだから」

 その外見からは想像しがたいほど訛りのないきれいな英語で、ジャッキーがほほ笑む。六十代のはじめだろうか。ふっくらとやさしい笑い顔にどこかキリリとした表情に、私はしばらく会っていない日本の母を思い出した。日系三世のジャッキーは、アメリカ人としてしっかりとハワイに根を下ろし、日本語はまったく話さず、祖父母の祖国、日本を訪れたことも一度もない。同じホノルル日系三世の夫との間に生まれた娘のティナも、一見、とても日本の若い女性らしい。とはいっても、しぐさひとつひとつはとてもイマドキのアメリカンな娘ふうで、古風な日本的な外見とのそのギャップがおもしろい。

 同じような日系アメリカンの多いホノルルの街で、両親や姉と同じように生きてゆくはずだったティナは、高校を卒業すると、ハワイの人たちがメイン・ランドと呼ぶアメリカ本土のロスへ、そしてさらなるチャンスを求めてニューヨークへと、ダンスの世界へとステップを踏みはじめた。しかし、太平洋の南の島ハワイからメイン・ランドのダンスの世界へ迷い込んだティナが耳にするようになったのは、こんな言葉。

「Jap! Go home!」

「ジャップめ、日本へ帰ってしまえ!」。ハワイを離れ、メイン・ランドに住みはじめてから、数え切れないほど耳にした悲しいその言葉。遠い祖先が日本という国の人だったといえども、それまでは肌や髪の色など関係なく、自分もひとりのアメリカ人だと疑いもしなかったティナ。思いもよらぬ「ジャップ」という蔑みを含んだ言葉を投げつけられても、彼女は遠い祖先の故郷「Japan」という島の土を踏んだこともなければ、その言葉を話したことすらない。「ジャップ」、その言葉のおかげで、自分は「アメリカン」になりきれない「ジャパニーズ」なのだと、「アメリカン」というアイデンティティは崩されていった。そしてもはや「アメリカン」ではないティナは、自分の「ジャパニーズ」としてのルーツはこのアメリカにではなくアジアのあの片隅にあるのだと、未知の国「Japan」へと旅立つことに。きっとそこに彼女の心の故郷があるはずだと信じて。

 まだ見知らぬ故郷の国「Japan」は、期待にあふれ飛行機を降り立ったティナの思いとは裏腹。どこもかしこも奇妙で馴染みのない「日本」。言葉も風習も食すらも、なにもかもがなんとも不思議な「日本人」の国だった。そんな「日本」という国で、「日本人」ではないアメリカの「ジャパニーズ」は大きな戸惑いを感じ、帰るべき故郷「Japan」は幻でしかなく、目の前の「日本」は、アメリカよりも遥かに遠い和の国。「日本人」にもなれず、ましてや「アメリカン」にもなりきれない「ジャップ」のティナは、いったい自分が何者なのか、その答えが出ないままに、アメリカのメイン・ランドへと、アジアの片隅の空港をあとにした。

 ふたたびメイン・ランドのダンス世界でステップを踏み続けてから、どれくらいの時が流れたのだろう。ある時、ティナはとあるアジア系女性ダンサーに偶然に出会った。そのダンサーの、アジア人の外見であることすらも自信とした、美しさに満ちあふれた姿に心を打たれ、一歩一歩、「アメリカのジャパニーズ」としての自分の姿を受け入れようとする。そして、同じようなアジア系アメリカ男性と生きてゆくのが自分の属する世界だろう、と思っていた矢先のこと。本当に人生一寸先はわからない。ある日、友人ダンサーと訪れたニューヨークの広告会社のユダヤ青年と、一目で恋に落ちて、そして結婚。そして結婚後、ユダヤの伝統もなにも知らない世俗ユダヤの夫とともに、少しずつユダヤの世界に迷い込み、いつの間にか夫よりもはるかにその精神世界へと惹かれてゆく。夫に出会うまでは名ばかりのクリスチャンだったティナは、やがて生まれた幼い息子とともに、段階を経てオーソドックス・ユダヤに改宗し、名もティナからラヘルへと改名。ユダヤの宗教世界に生きることに。そして、ティナの改宗によって、自分のルーツであるユダヤのアイデンティティを探しはじめた夫。そんな心の旅を続けるラヘルを、エルサレムのアメリカ・ユダヤの人々は暖かく、まるで懐かしい我が家に帰ったかのように迎え入れた。

「私は誰なの?
帰るべき家はどこかしら?
私が属するのはどこなの?」

 ラヘルの小麦色の笑い顔と歌声。ラヘルとジャッキーをまだ暑い日の続くエルサレムを旧市街へと案内したその夜、ラヘルのステージ「One Woman Show ~JAP*(ジャップ)」をふたりに誘われ、エルサレムのとあるアメリカから移住してきたユダヤのお宅へと、ちょっぴり夜風の涼しい路地をゆく。

「あら、あなたがラヘルね?とってもすてきなショーだと聞いて、楽しみにしていたのよ!オーソドックス・ユダヤの世界じゃ、あまりダンス・ショーを見られる機会なんてないものね。そしてお母様、ようこそエルサレムへ!」
「いえいえ、ちがうんですよ。ティナ、あ、いいえ、ラヘルはあちらでショーの準備を。このお嬢さんはお友達なんですよ」
「あ・・・あら、いやだわ、私ったら」

 アジアを知らない人には、ティナも私も、誰でもが同じような黒い髪に黒い瞳のアジア人。しかしその夜のラヘルのショーは、煌びやかなブロードウェイ時代とはうって変わり、男が女の歌声を直接耳にしたり、踊る姿を目にしてはいけないというユダヤの戒律に則り、観客はひざ下が隠れるほどのロング・スカートに、肌が露出しない長いシャツ。かつらやスカーフで髪を隠した30人ほどの、既婚のオーソドックス・ユダヤの女たちと、ポニーテールに結わえた髪が若い未婚の娘たち。ブロードウェーなどの派手なショーや映画を見ることはないその家の、リビングに用意されたステージ空間には、椅子がひとつ。そして、ティナではなく、かつらに踝までの黒いロングスカートのラヘルという、オーソドックス・ユダヤの女。ティナがラヘルを見つけるまでの自分探しの半生を、「アメリカのジャパニーズ・ユダヤの私は本物のJap*よ!」とおもしろおかしく、ラヘルの作曲作詞の歌とダンスとで語られた。

 人は常に誰かに受け入れてもらいたい、と願うものなのだろう。どこかに帰属したいという切望。だから人は故郷を忘れられず、また探しもとめるのだろうか。

 アメリカ人なのに、そうなれなかったアメリカ人ティナ。メイン・ランドでは、ヨーロッパ系の彼らと同じアメリカンとして受け入れられることはなく、日本ではそこには属せないアメリカのジャパニーズ。それならば、どこならば自分は受け入れられ、誰になら属することができるのか。彼女がそんな壁にぶつかった時に、ユダヤという世界がそこにあった。ユダヤの人々の、そしてアメリカ・ユダヤ社会でラヘルとして生きることで、それまでの人生の中で、はじめて誰かに受け入れられたと感じたのかもしれない。そしてその世界の服を身にまとい、既婚女性らしく髪を被いながらラヘルとして踊ることで、ようやく彼女を認めてくれるアメリカを見つけ、ひとりのアメリカ人になることができたのだろう。

 はたしてティナは、彼女の本当のアイデンティティを見つけたのだろうか。ショーのあと、なぜか少し、寂しい気持ちが残った。

    *「JAP」―Jewish American Princes(アメリカ・ユダヤ     の気位の高いわがまま娘)と、日本人を見下した意味のJapという俗語の掛け合わせ。

Friday, October 01, 2004

egypt の夜 ~ロイ&マルヴィーナ

日本のナーヴァスな着信音よりもゆっくりと、「プルルー・・・、ふー、プルルー・・・ふー、」とため息をつくように、エルサレムの自宅の電話が鳴り響いた。その週の安息日がはじまろうとしていた九月終わりの夕暮れ。安息日間近のすべりこみセーフの電話は、大抵ろくなものじゃない。その例外にもれず、受話器を置いたあとで、くやしさと、一体どこに持っていけばよいのかよいかわからない怒りとで、涙が止まらなかった。一瞬にして消えてしまったいのち。友を、家族を失うこと。この国ではいつまでこんな悲しみが続くのだろう。

 数年前にヨーロッパからこの国へと移り住んできた恋人のマルヴィーナと、ユダヤの新年休暇を利用して小旅行へ出かけたロイ。イスラエル最南の街エイラットからエジプトのシナイ半島へと。世界中のダイバーの憧れブルー・ホール。紺碧の紅海の背後にそびえ立つ赤い砂の山々。赤い砂の山々のあいだを駱駝に揺られ、ナツメヤシの木々を照らすオレンジ色の月。焦げるような砂漠の暑さとは対照的に、深い谷間の紅海は雪解け水のように冷たく澄み渡り、カラフルな熱帯魚がフリルをヒラヒラさせながら群れを成して泳いでゆく。

 経済的にも政治的にも厳しい現実を離れ、このシナイ半島で水煙草でくつろぐのが、イスラエルの若者に人気のバカンスの過ごし方。あの夜も、ロイとマルヴィーナは紅海のビーチで、静かなひと時を過ごしていた。

「今回の休暇はシナイ半島は危ないからよせよ。なんだかエイラットあたりも危ないらしいぞ。ハマスの爆弾なんかに吹っ飛ばされたらどうするんだ・・・」

 ロイの父は、息子たちが出発する前の晩に、心配して電話を入れた。イスラエル政府はその休暇の時期、テロの可能性があるイスラエルとエジプトの国境の町エイラットや、そこから南、エジプトのシナイ半島のリゾート地周辺には、できるだけ行かないようにと、国民に警告を出していた。しかし、そんな事態を心配する父の気持ちもよそに、ロイはそれを軽く笑い飛ばした。

「そんなの、いつものことだよ。それに僕は兵役も終えたし、いざって時には戦い方も知っているよ。憶えてるだろう、父さん?僕がレバノンに駐屯していた時のこと。激戦で何人もの戦友を失ったけど、僕は大丈夫だったじゃないか。それに今度は戦いに行くんじゃないよ、遊びに行くんだからさ。そんなに心配しなくてもなにも起こらないって。それにテロにあうのは交通事故にあうのと同じくらいの確立さ。しかもこれまで何度も行ってるシナイだよ。大丈夫だって!しかも僕たちが泊まるのは小さなバンガローだから、テロなんかに狙われないって。大丈夫、大丈夫。じゃ、数日で帰るからね。母さんによろしく!戻ったら電話するよ」

 そして若いふたりは昼過ぎに車に乗り込むと、地中海の街からカラカラに乾いたユダの砂漠を渡り、赤い砂の山々に囲まれた紅海のバンガローへと。ロイの思ったとおり、そこはエイラットとは比べ物にならないほど宿泊客の姿も少なく、まるでテロなどとは程遠い、オアシスのバンガロー。迎えてくれたエジプト人のオーナーも気さくで、ユダヤだのムスリムだのなんだの、そんなことはまるで遠い世界でのできごとのよう。砂と塵にまみれたカラフルなカーペットが敷き詰められたビーチ・ハウス。日に焼けたヨーロッパからの若い旅人たちが、上半身裸のままで水煙草を楽しみ、レゲイ音楽にあわせてどこかから陽気にタブラの音が響いてくる。香ばしく炭で焼かれた獲れたての魚の、オリーブオイルとガーリックの香りが食欲をそそう。朝の紅海で魚と泳ぎ、午後には土産屋のオヤジも猫も旅人たちも、風に吹かれてシエスタ。
 
 そうしてイスラエルの日常から離れた紅海での楽しい時は過ぎ、何日目かの夜のこと。

「マルヴィーナ、今朝、オーナーに頼んでおいた新しい部屋の鍵を受け取りに、フロントに行って来るよ。部屋に荷物を移したら、すぐ戻ってくるから」

 静かな夜の紅海の海風に、ゆったりとビーチウェアーでカーペットの上で横になっていたマルヴィーナにそう告げると、ロイはバンガローのフロントへと。それからほんの少しの時が流れて、マルヴィーナの背中に、静けさを破るようにして激しい爆発音が響いた。突如としてバンガロー一帯は停電し、きな臭い匂いが立ち込める。

「・・・・ロイ!」

 夢中でバンガローのフロントへと、マルヴィーナは裸足で、昼間の熱がクールダウンしはじめた砂に足をとられながら、暗闇を走った。

「ロイ!ロイ!どこにいるの?!・・・ロイ!!」

 暗闇のどこからもロイの声は聞こえてこない。
 暗闇のどこにもロイの姿は見つからない。

 それからどれくらいの時が過ぎたのだろう。テロを予期して、エイラットの町に待機していたイスラエルの救急車が、ようやくこの小さなバンガローに到着した。マルヴィーナは車内に運ばれるすでに心拍のない人の姿に見覚えがあったが、咄嗟にそれを否定した。混乱の一夜が明けて、政府が用意した飛行機。まるで昨晩は何もなかったかのようなテル・アヴィヴ。マルヴィーナはアパートへと急いだ。もしかしたら、ロイは先に戻っているのかも知れない……。しかしアパートの中は数日前に出かけた時のまま、がらんと静かで、そこにもロイの姿はなかった。

 葬儀では、大勢の友人や親戚、そして家族がロイに別れを告げた。マルヴィーナは服用していた精神安定剤のために涙も出ず、ヨーロッパの母国から駆けつけた両親に支えられながら、ただ映画のように、すべてが非現実的にひとりでにぐるぐると回り、なぜかロイひとりだけが忽然と消えてしまった。葬儀も終わってしばらくのち、マルヴィーナは「ここにひとりいてどうするんだ、帰って来い」と懇願する両親への答えを出した。祖国をはたちで去ってからの四年間、これまで移民としてゼロからはじめ、がんばって生きて来たこのイスラエルという国。ロイとの思い出とともにこのもうひとつの祖国で、これからも生きていこうという、娘の意志を尊重し、後ろ髪を引かれながら帰国の途に着く両親を、ベン・グリオン空港からひとり見送った。

 ロイ、享年二十八歳。眼鏡の似あう、やさしくおおらかな青年だった。ふたりはフパの下で結婚を誓い、妻と夫となる日を心待ちにしていた矢先の出来事だった。しかし人生はままならない。ロイはあの夜、シナイ半島の星空の下で「さよなら」も告げずに、それまでの彼の存在がまるで幻だったかのように、マルヴィーナとそして私たちの前から、闇夜に消えてしまった。

 あれから一年という時が流れ、テル・アヴィヴの北、ヘルツェリアという街で、地中海の海辺のホテルで久しぶりに再会したマルヴィーナ。思いのほかにマルヴィーナは、まさにサナギから美しい蝶へと。あの夜のことはもう遠い思い出のようにさえ感じさせられた。

「あら、マルヴィーナ、ちょっと大人っぽくなったのね。背も少し伸びたかも?」

 少し、からかってみた。

「あはは~!人生は山あり谷ありだからねえ!」

 彼女のほうが一枚うわて、女は強い。ロイを失ってからのマルヴィーナ。これからも強く生き続けてゆくのだろう。きっと、もう大丈夫。彼女はイスラエルで見つけたのだろう、今までの、そしてこれからの自分自身を。さようなら、ロイ。心配しないで、そちらで安らかでいてください。あなたのマルヴィーナは、美しく強くこの土地で生きているから。