Thursday, December 18, 2003

一本の炎と腹痛と

ニューヨークのボーロ・パークに住むオーソドックス・ユダヤのブックスバウム一家が、一週間のみじかいイスラエルの旅を終えて、またニューヨークへと帰って行った。まさに台風イッカとはこのことか。

何年か前にボーロ・パークで居候させてもらったこのハンガリー系ハシディックのユダヤの一家、27歳の長女リキから5歳のおしゃまなイェティー、イェシヴァで学んでいる黒い服の長男と次男、総勢9人の子供たち。泣く子には「もっと激しく感情を込めて泣きなさい!」というほど感情表現を大切にするブックスバウム家、このブックスバウム家の一員となったはじめの頃は、1時間も彼らと共に過ごせば、その声音の大きさと表現力に耳とアタマが痛くなった。とりあえずすべてにおいて、おなかのそこから感情が吹き出るのである。ボーロ・パークでのそんな彼らとの生活では、「笑う時は口に手を当てて!」の日本の音量が骨の髄まで染みこんでいる私は、なにかとよく注意されたものだった。

「チカ!笑う時は“うふふ”じゃないの!あっはっはっはっ!!!わっはっはっ!!!って、お腹の底から全身で笑うのよ!手を大きく振ったってかまわない!うれしい時も怒る時にも、もっともっと全身で感情を表現しなくちゃダメ!神との対話も感情を込めて表現する、これがハシディズムよ!」

そうはいわれても、20年以上もの長い時をかけて養われた、日本というなんとも曖昧グレーな表現環境の賜。ネガティヴであれポジティヴであれ、ポーカーフェイスの私にとっては感情表現は甚だ難しく、どうしたら思いのままを表現できようか。しかし、感情表現にはスパルタな彼らとの生活は、そんな自分の殻を破ってトランジションするための一種のセラピーだったのかもしれない。そんなブックスバウム一家のイスラエルへの旅。

当然、大勢いる子供たちみなを連れてくるわけにも行かず、今回はブックスバウム夫妻と長女リキと彼女の夫のモイシ、この4人だけの小さなブックスバウム家の旅となった。2年ぶりのなつかしく、かつエネルギッシュな彼らとの再会の夕食はとても温かで楽しく、まるでボーロ・パークへ里帰りしたようなひと時。しかしこの台風一家、わざわざ何時間も空と時を越えてニューヨークからこの砂漠の街まで遊びに来たわけではなく、「ある事」をするための訪問だという。「理論よりも感情」のハシディック、人の持つ神秘性を疑わない。その人柄とぴったりでふくよかなブックスバウム夫人は、エルサレムでの夕食のテーブルでにっこり笑って、こう言い切った。

「イスラエルには、観光や買い物なんて単なる楽しみに来たのではなくてね。そう、精・神・的・なことをしに来たのよ!」

それを耳にして、私はふと思い出したのだ。ボーロ・パークのブックスバウム家では、夕食後の子供たちが去った静かなキッチンで、ブックスバウム夫人が毎晩コンロ横でそっと蝋燭を灯していたことを。

「過去の偉大なるラビたちの精神を受け継ぎますように」

まさか、とは思いながらも、私も時々はそっとその炎を見つめながら、なんだか本当にラビたちの息吹きがまっすぐに天へと伸びる炎を伝い、すーっと地上の私たちの元へ降りてきているような、とても理屈ではない不思議を感じた。

イスラエルのいたるところに存在する遺跡の数々。もちろん史実とは無関係に何世紀も後に勝手に遺跡として建てられたものも多く、まあ、それはそれでまたおもしろいのかもしれない。エルサレムの旧市街のヴィア・ドロローサは、今から2000年も昔、イエス・キリストがローマ帝国によって罪人とされ、十字架を背負って歩いたといわれる道。このヴィア・ドロローサのある石の壁には、遠いあの日、背負っていた木製の十字架の重さに思わずイエスがついた手の跡が、あたかもハリウッドの路上のスターの手形ようにその記憶を残している。

実際にはこの旧市街は、イエスの時代から何世紀もの間に壊されてはその上にくり返し建てられて現在の街の形となり、当時のローマ時代の街はすでにその地中に深く埋もれていると知りながらも、ふーん、と、そっとその跡に触れてみると、なぜか少しドキドキしたりして。そんなくねくねと迷路のような石畳みの路地を滑らないように歩いてゆくと、十字軍兵士たちの夢の跡。

イエスが十字架にかけられたという、ゴルタゴの丘だと謂れのある大きなドームの美しい聖墳墓教会の地下へ降りる階段の石壁には、ヨーロッパからエルサレムへと足を伸ばしてきた十字軍の兵士たちが、ナイフで彫ったらしい数え切れないほどの十字架が、夜空を埋める小さな星のように今でも深く刻まれている。薄暗いその教会の階段で、ウソか本当か、その十字架の上にするりと指先をすべらせてみると、1000年近くも昔の兵士の姿がオーバーラップ。彼らはなにを思い、この十字架を彫ったのだろうか。

そして2001年までは、クリスチャンの巡礼の人たちでにぎわっていたベツレヘムの町の入り口にあるユダヤの「ラヘルの墓」。

「ヤコブの妻ラヘルはベツレヘムに向かう道の傍らに葬られた。
 そしてその碑は今でも残っている」

旧約聖書の創世記にそう記されているように、このラヘルの墓が軽く5000年ほども昔のものであるのか、その真相は今となっては誰にもわからない。それでも今日も世界中からたくさんのユダヤの女たちが、賢母ラヘルのようになれますようにとその墓へと祈り訪ねてくる。

ハシディック台風、ブックスバウム家御一行さまは、そのラヘルの墓やその他にも点在する旧約聖書にまつわるユダヤの史跡や、歴代の偉大なラビの墓めぐり、そして過去だけではなく現代のウルトラ・オーソドックス・ユダヤの街メア・シェアリムに生きる、ミスティックな力を持つラビたちに会うために、遠い東海岸からこの中東へと。しかもそれはいかにも彼ららしく、恐ろしいほどの強行スケジュールだった。

たった4人といえども、ブックスバウム一族は典型的なハンガリー系ユダヤ、限りなく底抜けにパワフルなのだ。そんな彼らの「スピリチュアル・イスラエル7日間の旅!」のハード・スケジュールに合わせて、翌日の、ベツレヘムのラヘルの墓参拝に私も同行することに。2000年の夏にこの墓を訪れた際は、ベツレヘムへと続く道のチェックポイントに銃を担いだフル装備の兵士、ピリピリとした雰囲気が流れていたが、今はどうだろうか。その前夜はちょっぴりワクワクと遠足前の子供の気分、珍しくさっさとベッドに入った。翌朝7時過ぎ、目覚ましが鳴る前に目が覚める。そろそろ起きなくてはと思ったその途端に、右腹にぐっと重い痛みが走った。

きゅー、ぐっ。

息をする度に肺の動きで痛む。あれれれ、へんだなあ。学生のころ患った十二指腸潰瘍のあたり、昨夜の夕食会でちと食べ過ぎたかな?しかし痛みは思いの他に一向に治まらず、残念ながらその日のベツレヘムへのミニ旅行は諦めることとなった。その日の午後近くには痛みはほぼ治まったものの、それでも痛みは時折思い出したようにきゅっ、きゅっ。なんだかヘンダゾ、ヘンダゾ。それから何日かが過ぎた日の午後、珍しく京都の父からメールが届いて、おやっ?なんだろう。

「元気ですか?」

戦前生まれの彼らのスター、高倉健さんよろしく感情をほとんど表現しない父のメールの用件名にしては、大変に珍しいことだった。少し躊躇しながら、恐る恐るメールを開いてみると、これまた珍しいことが。いつも元気な感情豊かなイタリア女のような母が、なんと重症の十二指腸潰瘍で数日前から入院したというのである。・・・あっ、わかった!先日の朝の私の腹痛はこれだったのだ。思ったことをなんでも瞬時に口にし、ストレスなどとは縁の無い人のように家族から思われている母。

しかし、そんな母でも、ハンガリー系ユダヤからすれば、まだまだ感情の抑えすぎということだろう。ここ数年の生活の変化諸々によって、いつの間にか溜まったストレスが痛みを引き起こし、それは時空を越えて、遠いこの中東まで知らせてきたのだ。そうだ、だったらこの際、しばらく母をボーロ・パークのブックスバウム家に預けて、リハビリさせてみるのもいいかも、なんて。

科学者や数学者は、目に見えることをデータで立証しようとする。どんどんと進んでゆくこの世の中で、人は取り分け目に見えないものには懐疑的になる。そして、それがどこかの神や仏あったり、宗教であったり、はたまたは魂と呼ばれるものであったりすれば、なおのことウサンクサイ。しかし、目には見えなくてもしっかりと存在していることもあるのではないだろうか。心と心のつながりは、決して数字に表れることもなく手で触れることもできない。しかし、それはしっかりと私たちのまわりで存在しているのだろう。

例えバカバカしいと思っていても、信じていれば誰かの手が何世紀を超えてどこかの壁にひょっこり現れるかもしれないし、遠く地球の裏側にいる人の痛みを感じさせることもあるのかもしれない。世の中には不思議なこと、ありえないはずのこと、もしかすると時間も空間も越えてあっちこっちで起こっているのかも知れない。ひょっとするとキッチンから天に延びた一本の炎だって、本当に彼らへとつながっているのかも知れない。

Friday, November 21, 2003

冬の入り口

ほんの昨日までは夏だった。そして今日は冬の入り口。
昨晩ふった砂まじりの雨。
三月のおわりの、春をつげる最後の雨から数えて二回目の雨。
ガラガラと配水管の詰まりを直すような、そんな音の雨だった。


It rained last night. Rain with heavy sand from the sky. It was just like the feeling of fixing a pipe after not having used it for a long time. It sounded just like that.
It was the second rain in a long time after the last rain in March that told us the spring had came.

Yesterday, it was still summer and, now today, the winter has began.

Wednesday, October 15, 2003

あっぷする~との夜は更けて 

ヤッフォ通りの中東料理のレストラン。オーナーのマーク氏はいつものほほ~んっとアタマが痛い。

「もっと店が流行りそうないいアイデアはないかい?」

異邦人の女に向かってマーク氏の青緑色の目がクルクルっと大きく輝く。異邦人の女いわく突っ込みどころ満載のこのレストラン。真夜中の閉店間際にはすっかり出来上がっちゃっている片手ヴォッカのオーナー兼料理人マーク氏、パレスチナ自治区の小さな町からエルサレムへの抜け道を駆ける若きアラブ従業員のハリルに、どうしてこの砂漠の街に迷い込んだのか謎の掃除夫トルコ人のハッサン。関西系のお笑い芸人かと思わせるようベタベタなノリの常連の顔ぶれもしかり。

この店はエルサレムの目抜き通りヤッフォ通りの突きあたり、エルサレムの旧市街のすぐ近くと立地条件はよろしく、すぐそばにある市役所で働く人たちや旧市街へと流れる観光客も通りすがりの腹ごしらえにひょいっと気軽に立ち寄っていく。それなのに店の中にはこれといった装飾もなければ味もない。あるのは色気も何もないヘブライ語のメニューのみ。エルサレムを彷徨う旅人にはちと心細く、そして何と言ってもあまりにも「男臭い」。

「そうなのよね~ん。ウォーマン・タッチが欠けてるのよねん」

バーのママさん風に冗談っぽく頬に片手を当ててみるマーク氏、うんうん、と一人で納得している。

「だったらどう?テーブルクロスでも掛けてみる?中東のファースト・フードらしくファラフェルやシャワルマの写真をレジカウンターの上に掛けて、そこからもメニューを選べるようにしてみたら?」

異邦人の女は「グッド・アイデアじゃない?」と左手の細長い人差し指をピンと上に向けてみる。

「それがねえ、先日さ、頼んだんだよね、知り合いの写真屋にさ。そしたら出来上がった写真がひどいのなんのって。ホムスが花かなんだかわかんないってありえないだろう?ホムスは豆だよ、豆!ヤツもなんだこれ?って。撮った本人がそういうんじゃあ、話にならないねえ、まったく・・・」

「あー、わかりました。撮り直ししましょう。それからもうひとつ。マーク、前からずっと気になってたんだけどさ、この店って・・・えーっと、名前あるの???」

異邦人の女は何かを探すようにして、人差し指を左右に揺らしてみた。

「おおっ!よくぞ気がついたなあ!それそれ、名前だよ、名前!いや、実はあるんだけどねえ。一応は。でもこの際、名前をつけかえよう!んんんんー?で、なにがいい?」

やっぱりそうだったんや・・・、どこにも書いてないから名前ないのかなあ、と異邦人の女。レストランに名前があってもなくても、マーク氏はいつものように右手にヴォッカで、のほほ~んとしてる。

「ふーん・・・、じゃあさ、どう?アブソルート・シャワルマ!なんてね。あはは、冗談冗談!」

異邦人の女の目の前には、スウェーデン製の透き通った“Absolute Vodka”のボトルが3分の1ほど残っている。いつものマーク氏の眠れぬ夜の友、閉店間際の友。これがなくちゃあ、夜は更けはじめない。

「あっぷする~とり~!名案だ名案だ!それにしようか!」

青緑色のきれいなクルクル目をさらにクルクルさせながらマーク氏、新たなレストランの名前をアブソルート・ヴォッカで乾杯!それにしてもこんな安易に決めちゃっていいのだろうか、しかもちょっとマーク氏の発音がおかしいけれど、まあいいか、と異邦人の女。次の日の午後に赤と白のチェックのテーブル・クロスを何枚か「あっぷする~と」に持って行った。

「・・・あ、だめだめ!そんなのダサいよ!」

いつもはとても無口な抜け道青年ハリルが、異邦人の女が広げたそのチェックのテーブル・クロスを見るなり、キッチンの窓から手を大きく振ってそう笑った。

「どうしてよ?ちょっとイタリアン・カフェみたいでいいんじゃない?客はこういうのが好きだと思ったんだけどなあ。特にヨーロッパからの観光客や巡礼者には馴染みやすいよ」

青年ハリルいわく「アラブの田舎町の安食堂みたいでダサいからだからダメだよ」。ほう、ところ変ればなんとやら、感覚っておもしろい。それを聞いていたマーク氏、「うーん、それはちょっと・・・」と苦虫顔で胸の辺りでいかにもロシアの男っぽい太く金色の毛深い腕を組んでいる。「試しにしばらく使ってみては?」とそれでもなかなか諦めない異邦人の女。マーク氏も腕を組んだまま「それじゃあ、しばらくそうしようか~」と、のほほ~ん。それから異邦人の女はマーク氏の用意した料理にカメラを向けて新しいメニュー用の写真を撮ると、ぺろり、ごちそうさま~。テーブルに並んだ料理をたいらげて、「それじゃ、またね!」と、その夜は「あっぷする~と」を後にした。

それから何日か過ぎての夕暮れ。異邦人の女は、先日写したメニュー用の写真を現像しに、新市街にあるいつも小さな写真屋へ。いかにも中東らしいパッチリとした大きな目に薄くはえあがったおでこのおっちゃんと無駄話をしながら、10分ほどでプリントしあがったばかりの写真を封筒に入れて小脇に抱えると、ヤッフォー通りの「あっぷする~と」へと。

「アハラ~ン!元気かい?」

中東料理店の店主でロシア人のマーク氏、彼の挨拶はいつもアラブ風。もうなんでもごちゃ混ぜときたものです。

「あのテーブル・クロス、いいねえ~。なかなか好評だよ。あれっ?写真もって来てくれたの?うれしいねえ~。そうそう、チカ、隣の店、もう覗いてみた?笑っちゃうだろ~?」

なんだ、ちゃんとテーブル・クロスを使ってるじゃないの、マーク氏。マーク氏は「覗いてみてごらん」と、隣の店先へと異邦人の女の袖を引っぱって行く。

「どうしたの、隣の店?」

ヒョイッと太い首を隣の店先に向けて傾げるマーク氏に続いて、異邦人の女はヤッフォ通りからガラス越しに薄暗い店内を覗いてみる。非常口の電灯と通りから差し込む灯りの下で、「あらら、何これ?改装したの?」異邦人の女は目をパチパチさせる。隣の店に新しく取り付けられたカウンターの位置など、「あっぷする~と」の内装とほとんど同じで、これではまるで隣同士で双子のお店。どっちがどっちだかほとんど変わらない。隣の店の入り口のガラス戸には、お世辞でもあまりおいしそうとは思えない小さなサンドイッチの写真が二、三枚、なんだかとても申し訳なさそうに貼りつけられ、さらには「あっぷする~と」と同じように壁の上のほうにテレビも設置してみたらしい。しかしその真新しいピカピカの黒いテレビが、なんだかなぜだか、いかにもここの店主が卑屈なのかが伝わってくるから不思議なもの。「ま、でもマーク氏のほうがおいしいからテレビなんか関係ないよね」と異邦人の女。すると、うふふ、ともうひとつ、楽しそうにマーク氏の目がクルクル回る。

「ん?他にもなんかあったの?」

マーク氏、またまた異邦人の女の袖を引っぱって、今度は「あっぷする~と」の裏口へと。マーク氏の店のテレビは、ユダヤの宗教学校イェシヴァの男子生徒御用達のケーブル・テレビで、当然マーク氏が正規の手でそれを繋いでいるなんてことはありえない。そっと密かに、どこかから無断で繋いでいるのケーブル線が店の裏口にあるらしい。なんと、隣のオヤジはそれをみごとに嗅ぎつけて、パチン!とペンチで切断してしまったらしい。お陰で「あっぷする~と」のケーブル・テレビは放送を打ち切られ、イスラエル国営放送と民放の2チャンネルしか映さないらしく、うふふっとマーク氏。なんだか楽しんでいるようないないような・・・。すわ、いそがん!と早速テレビを設置した隣の店のオヤジ。まったく、これでは「小学生かい、君たちは!」と異邦人の女が嘆きたくなるほど本当に低次元で、しかしいのちにかかわるような危険な害はないから、まあいいか。マーク氏は相変わらずのほほ~んと構え、でもこれもエルサレムのローカルな個人商店の「サバイバル合戦」の最前線なのかも。

異邦人の女は少し軽い脱力感とともに、もはや隣の店と見分けのつかなくなってしまった「あっぷする~と」に戻ると、なんだか店内がいつもと少し違っているような気配を感じた。あら・・・?カウンターの向こうに無口な料理人、アラブ青年ハリルの姿が見えない。ハリルはお休み?あら・・・?あなたは、・・・・・・・・ハッサン?!またエルサレムに戻ってきたの?!シュッシュッ、サッサッ。ハッサンはどう答えていいのか分からないといったふうにはにかんで、前と変わらずに片手に洗剤スプレー、もう片方には布巾で店中を拭き掃除にいそしんで、「あっぷする~と」としては少々珍しく、なにもかもがピカピカと真新しく輝いている。

「そう、ハッサンに帰ってきてもらったんだよね。実はね、あは~、ハリルね、見つかったんだよ。ついに警察にさ。先日店にやつらが乗り込んできてさ。“誰か”が通報したらしくてねえ、まったく・・・」

ひょいっ、とマーク氏、首を隣の店へと傾けた。

「またハリルがここで無許可で働いているのが見つかったら、次はオレも彼もしばらく塀の中の生活ってわけよんっ。それだけは勘弁こうむりたいねえ」

それでも、のほほ~んっとマーク氏。しかしマーク氏がこのレストランで何年も手塩にかけて一人前に育てたハリル、そのとても真面目な働き手のハリルが連れて行かれて、実はマーク氏もかなり堪えているように異邦人の女の目に映った。イスラエルの北部の港街ハイファからエルサレムへ単身赴任のマーク氏と、パレスチナ自治区からチェックポイントを避けてこっそり裏道を越えてやってくるハリル。店を閉めてマークが家族の待つハイファの街へと帰る週末以外は、店の奥のマークの部屋でハリルとふたりで共同生活をしていた。パレスチナ自治区のアラブの小さな町に住む若いアラブ青年ハリルは、イスラエル国内への労働許可書はなく、毎週、彼の住むその小さな町からイスラエル側のチェックポイントを避けて、横道を通りぬけ、エルサレムの「あっぷする~と」まで出稼ぎにやって来ていた。そんな環境の中でも、いつも無口でテキパキと一生懸命に仕事をこなし、ニッポンの一昔前のオトコは黙ってなんとか、そんな気質のなかなかの好青年だった。お客の少ない時間には、あちら側の生活や価値観、彼の家族のことなどぽつりぽつりと異邦人の女に話してくれていたハリル。これから彼は仕事などなかなか見つからない向こう側でどうやって生活していくのだろうか。

そんなことを思いながら、異邦人の女は封筒の大判の写真を取り出し、革靴のまま椅子に上ってカウンターの上の壁に取り付けていると、もうすでに陽が落ちて暗くなったヤッフォ通りから、見慣れぬ中年の太った女性とハタチほどの娘さんが入って来た。その母らしき女性はどうやら目が不自由らしく、その手をゆっくりと引いている娘さん。

「お手洗いを貸してください」

マーク氏が指した方向へ、母娘は店の奥へと入って行った。そしてハリルの分と二人分働かなくてはならないマーク氏はキッチンの中へ。ハッサンはシュッシュッと、どこかへと消えてしまった。

「じゃ、どうも」

と、すぐに、写真と壁と格闘している異邦人の女にそう言い残して、娘さんの方だけがさっさとひとり、また通りへと去ってゆく。

「はっ?えっ?ちょっとー!」

異邦人の女が聞き返すまもなく、娘さんのうしろ姿はもうどこかへと。同時に「ふんふんふんっ」と、鼻歌を歌いながらキッチンから出てきたマーク氏を、異邦人の女はじっと意味あり気に見つめる。

「んっ?なに?」

クルクル目のマーク氏。

「あー・・・娘さんじゃなかったみたい」

「んっ?何がよ?」

ニコニコとまったく要領を得ない彼。

「うーん。あのおばちゃん、一人でトイレに残されちゃったんじゃないかと・・・」

「っ?」

声になっていないマーク氏の青緑色の目が、店内の空中の一点を見つめる。

「うん、多分ね。だって若い娘さん、もう消えちゃったよ・・・」

二人の間をしばらくヘンテコな沈黙が続く。

「やっぱり、・・・この場合、・・・私よね、様子を見に行くのって・・・」

濃い茶色い目で伝える異邦人の女。

「オ、オレが行くのかいっ?」

青緑の目で聞き返す彼。不思議な言葉のない会話。

「よしっ!」

すると何かを決意したようにマーク氏、店の奥へと消えて行ってしまいました。しばらくして、マーク氏とその女性、めでたく二人は手を引き合って、ゆっくりと店の奥から歩いてくるではないか。さすがマーク氏、やさしい。そして目の不自由なおばちゃんは店の出口までマーク氏の手に引かれてゆくと、ゆっくりとした足取りでまた暗いヤッフォ通りへと消えていってしまった。

その後すぐに、元ニューヨーカーのアタマの薄い中年男なのに万年少年のモシェが、いつものように真っ赤なほっぺたで、息を弾ませサッカーくじを握り締めて駆け込んで来た。マーク氏の兵役時代からの友人で、口だけは達者なタクシー・ドライバーのイェフダも乗り付け、さっさとカウンターの中に入ると、気兼ねなどなく勝手にサラダを白い皿に盛っている。

「おっ?なんだ、この写真。いいじゃないか、うん、いいねえ」

「赤と白のチェック柄のテーブル・クロス?ちょっと趣味じゃあないなあ。もっとこう、そう、お上品なのはなかったのかい?」

「なにがお上品だよ、お前がいうなっての!」

「あっぷする~と」に集まる人たちは、みな家族のように気心が知れて、お陰で店のことには、なにか一言でも二言でも口を挟まなければ、どうにも気がすまないらしい。と、これまたいつものようにイェシヴァから抜け出して来たらしい、黒い服にキパをかぶった学生たちが通りから賑やかに駆け込んで、あれよあれよという間にテレビの前に集まりだした。ケーブル・テレビのチャンネルからではなく、国営チャンネルでのサッカー中継独特のにぎやかな解説と歓声、万年少年モシェはリモコンを握るとボリュームを目いっぱいに上げ、ピタパンにチキンの炭焼きを頬張る。いつもと変わらぬヤッフォ通りのレストランでの夜。ただ、ハリルの姿がないのが少し寂しかった。いつかまた、彼は秘密の抜け道からこちら側へとやって来るのだろうか。

Sunday, August 24, 2003

ねこまち



エルサレムにはたくさんの猫たちが住んでいる。住所不定・無職で名のないヤサクレ猫もいれば、中東の暑い日差しを避けて家猫となり、その上ちゃっかりと何軒ものお茶飲み仲間のいる猫君もいるらしい。猫君たちは国籍にかかわらず箱やクッションがお好きなようで、エルサレムの住所不定の猫君たちは、マハネ・イェフダ市場の横道に積み重なった空になった野菜のダンボールの中や、旧市街の裏路地に階段の下に、アパートの屋上に放置されてボロボロになっているマットレスの間に、子供が何人もが入れそうな、通りに無造作に置かれた大きなふた付きの緑色のゴミ箱の中に、庭に忘れられた古びたクッションの上に、誰に気兼ねするでもなし。そんなエルサレムの猫君たちと住人たちはケンカすることもなく、お互いのテリトリーを分けあって生きている。

いつの間にやら異邦人の女の自宅に同居しているエルサレム生まれのTata猫君。乾いた日中の厳しさとは対照的に、砂漠の空気がまだ夜露でしっとりと濡れている朝5時頃、彼のために異邦人の女がマハネ・イェフダ市場から担いできた茶色い籐編みのカゴからぴょんっと起きだして、「ニャッ!」と少しかすれた声で手短かにあいさつすると、まだ冷えた砂漠の薄暗い空の下をスキップするようにして小走りで出かけてゆく。まだ明けやらぬエルサレムの朝靄の中、彼の「ニャッ!」をほわんと夢心地に眠い目をこすり、ノソノソとベッドから這い出すようにして玄関の鍵を開けるのが異邦人の女の日課となりつつある。それにしても、Tata猫はいったい毎朝、そんなに早くどこへ行くのだろうか。

エルサレムの台所マハネ・イェフダ市場に近いTata猫の住むナハラオット界隈は、良くも悪くもとことん庶民クサく、車の通れない細いガタガタ小路に階段が多く、古い石造りの小さなエルサレム的町家が犇いて、大阪のどこかの下町の裏路地でワイワイと文化住宅のおばちゃんたちの「よけいな世話好き」な会話が響いてくるような開けっぴろげさ。世話焼きおばちゃんとおじちゃんの家の隣はシナゴーグ、そして角にもまたまた小さなシナゴーグ。夫婦喧嘩も赤ん坊の泣き声も、シナゴーグから聴こえてくる祈りへのバックグラウンド・ミュージック。聖と俗は別けられることなく、日常の中でともに存在している。そんなナハラオットは、一世紀ほども昔、まだなにもない砂漠だったこの町へとやって来た人々が住みはじめた古い町で、10年ほど前まではエルサレムきってのスラム街だった。通りには若いドラッグ常習者が徘徊し、隣接する古い小さなシナゴーグとシナゴーグの祈りの合間をこそ泥がスルスルと要領よく走り抜ける。しかし、ここ数年、京町家ならぬ古い小さなエルサレム町家も、薄桃色が美しい花崗岩、エルサレム・ストーンで化粧直しされ、New&Old、ツギハギ・パッチワークなのがなんともまた不思議ワールド。そこにエルサレムっ子はもとより、カリフォルニアあたりからのユダヤの留学生などもローカルなおばちゃんおじちゃんに混ざって住人となりはじめた。このかつてのスラム街を、レインボー・カラーのキパを頭に乗せたニューエイジな若い人やイマドキのヒッピーもどきが、この国へのアイデアリスティックな夢を胸にシナゴーグと町屋のあいだを、そして半世紀近くも前にルーマニアから住み移ってきたユダヤのアーティストが居座り続けている、反政府居座りライヴ・ハウスのアコースティックなギターやドラムの響きに誘われて、スルスルと抜けてゆく。そして猫君たちには、道路わきのプラスチックのタッパーの中、安息日明けのチキンの混ざった残飯や、賞味期限の切れたキャットフードをあやかりに、お決まりの食事場所へと、器用に秘密の抜け道をのんびりと歩いてゆく。

そんな猫にも人にもぶらぶら歩きにはもってこいの、ファンキーでごちゃ混ぜ文化のエルサレムの一角にある、銀製品を磨いている小さなアトリエ。銀の蝋燭立てや、銀のぶどう酒の杯、土曜の夜に去りゆく安息日の終わりに用いるハブダラの銀のスパイス入れ、そんな銀の小物たちはユダヤの家庭には欠かせない。そのアトリエに毎朝現れる東エルサレムに住むアラブの中年男。夏休みのいたずらっ子のように珈琲豆色にこんがりと日に焼けて、ぽってりと肥えた身体に、皺でよれよれのブルーの制服と白いラインの入った木綿の帽子。昔の物売りのように肩にかけた箒にダンボール箱をぶら下げて、ほっぺたをペカッとニカッと毎朝アトリエに歩いてやってくる。彼は清掃の仕事をする午前中、いつもアトリエの横の花壇のブロックに腰掛けて、どこかなぜだか、サウジあたりの石油王のごとくにとてつもなく優雅に小指を立てて、透明なガラスコップの底に粉の溜まった濃厚なアラブ・コーヒーを楽しんでいる。そのアトリエの上の階に住んでいた異邦人の女は、この男が掃除をしているところに果たしてお目にかかったことがない。だからといって誰かがそれを怒っているのもとんと見たことも、窓越しに聞こえてきたこともない。男はいつも花壇のそばでアラブ・コーヒーを飲みながら、行ったり来たり通りすがりの猫君たちと陽気にのんびり世間話をするのが本職のよう。

異邦人の女の隣のアパートの住人は、エルサレムの新市街のとてもアンダー・グラウンドなBarのオーナーで、セルビアのベオグラードから移住してきた小柄な金色の髪の若いオネエサン。この小柄なオネエサンのアパートの玄関は日夜鍵がかかったまま、しかし通路脇の窓がひとつ、ちょうど猫が一匹入れるほどに開いている。どうやら近所の猫君たちはちゃっかりとそのことを知っていて、いつも何やら忙しそうにバタバタとそこから出たり入ったりしているらしい。

ある日の午後のこと。異邦人の女は中東の熱い日差しの中、サンダル履きで買い物へ行こうとその窓の傍を通り過ぎた。

・・・バタバタバタ!

すると大慌てわれ先にと、何匹もの猫君たちがびっくり箱のように狭い窓の隙間から飛び出して来た。どうやら異邦人の女の靴音を、オネエサンのご帰宅と勘違いしたらしい。「ふうん、いったい何があるのかなあ?」と、異邦人の女は猫の額の分だけ開いた窓からオネエサンのアパートをちょいと覗いてみる。薄暗いがらんとしたリビングと大きく開かれたフレンチ・ドアの奥にはベッド・ルームで、窓のテーブルの上には何本ものグリーンと茶色の空っぽのビール瓶が縦に横に転がり、リビングの中央には大きなちょっと古ぼけた、それでも目がチカチカしそうなショッキング・ピンクのソファーがひとつ。その他には家具らしきものはなにも見あたらず、毎日ここで誰かが生活を営んでいるような家庭的な雰囲気は微塵もない。

「あれっ?」

部屋の中央のソファーの上にもう一度、ゆっくりと異邦人の女の視線が戻ってゆく。

「はて、目の錯覚でしょうか砂漠の街の蜃気楼でしょうか。なんだか暗がりの中に見なれた顔が・・・。非常に見なれた猫君がひとり。あれれれっ?・・・アナタさまは、Tata?!」

Tata猫はオネエサンの部屋のそのショッキング・ピンクのソファーの上で、しかも堂々とその中央にデンっとあたかもエジプトの王家の猫のように優美に寝そべっている。そうか、ここのところしばらく昼間に見かけないと思っていたら。Tata、君はここにいたのか!

「Tata!」

ショッキング・ピンク色のソファーの上の王様猫は、「下女なぞには用はない、下がっておれ」といわんばかりに、ちらり、横目で異邦人の女の顔をじっと見つめた。異邦人の女は、猫の額分だけ開いた窓の、その狭い隙間にむぎゅーっと顔を押し込むと、もう一度、今度はちょっとムキになった。

「Ta!Ta!」

「・・・うるさいにゃ~・・・」

ヤレヤレ、ノソノソ、面倒くさそうに王様Tata猫はソファーから起き上がると、軽くため息をついて窓の隙間に向かってゆっくりと近寄り、ピョンっと猫らしく柔らかい身体のバネを利かせて窓の燦に飛び上がった。「ようやく他の連中が出て行ってひとりきっりになれたところなのに・・・」とでもいいたそうにして。

それからしばらくいつもの日々が過ぎて、オレンジ色のタンクトップとジーンズにサングラスとラフな姿のオネエサンに玄関先で異邦人の女はばったりと出くわした。マハネ・イェフダの市場にでも行って来た帰りなのか、両手にぶら下げた水色とオレンジのビニール袋からは、重そうなキャット・フードの袋が見える。

「あら?猫でも飼いはじめたの?」

「そうなの。・・・サンチョ!」

オネエサンが肩までの金色の髪を耳にかけながら、猫の額の窓を指してそう呼ぶと真っ白のふわふわドレスを着たようななんとも乙女チックな子猫が一匹、そそそっと少し慎重におっかなびっくり顔を出した。

「1ヵ月ほど前からこのサンチョと同居中なの。私が留守中も、いつでも彼が散歩に出られるようにって窓を少し開けてあるのよ」

なるほど、だからオネエサンの留守中、ここはすっかり秘密の猫クラブになっていたのかと異邦人の女。

「あはははっ、知ってるわよ。このあたりの猫が毎日うちで集ってるのは。サンチョのごはんが目当てなのかしらね?ま、家の中を荒らさないなら別にいいんじゃないの?」

そんなことは何でもないわと、小柄なオネエサンはケラケラと笑い飛ばす。わかりました。どおりで外出から帰るTataのおなかはいつも満腹なわけが。彼はここでサンチョの食事をかっぱらっているのだな。他の猫君たちも同じようにここで食事をしているってことね?異邦人の女は足元に甘えて額をこすりつけているTata猫をニヤッと見つめた。Tata猫は「ボク、何のことか知らないよ~」と白を切ってか、異邦人の女の両足の間をSの字に身体を寄せながら行ったり来たり。それにしてもオネエサン、一言よいでしょうか。「サンチョ」のイメージは乙女チックなふわふわドレスではなくて、南米あたりのイカツイ男かドン・キホーテの物語かと思うのだけど・・・。

異邦人の女は熱い中東の太陽の下を階段を皮のサンダルをパタパタさせながら駆け足で下りてゆく。花壇の傍のコンクリートの塀にはアラブ男の透明のガラスのコップが、いつものように少し傾いて置かれている。明日も男はコーヒーを飲みながらのんびりと猫と世間話をしにやって来るのかな。

異邦人の女はTata猫が毎朝5時にどこへ出掛けていくのかはまだ知らない。だけどこの界隈では、きっと猫君たちのこんな秘密のアジトがあちこちにあるにちがいないってことはわかったらしい異邦人の女。なんだかエルサレムって、猫にとってはなかなか住みよさそうな街ではないか。

Thursday, August 21, 2003

カレーな香りのエチオピアン

エルサレムの青空の下に人知れず広がる
小さなエチオピア・ワールド。
そこにはアフリカのエチオピアの言葉と
料理と男たちが住んでいる。

この空間にあるドアというドアは、
なぜだか知らないけれど、とっても小さい。
それにみんな緑色に塗られてる。

エチオピアの言葉、陽気で純朴。
帽子をかぶったペンギン聖職者たち。

いつからここに住んでるの?

はははは、ずーっと昔からだよ。

屋根の上にはイスがあるね。
あれ、だれか座ってるね?

左手の洞穴長屋のような住居区からは、
なんだかいい匂いがしてきた。

ひょいとのぞいてみる。
くん、くん、くん、いい匂いだなぁ。

あっ、カレーの匂いだ。
エチオピアのカレーかあ。食べてみたいなあ。

そうか、もうすぐお昼だね。

あっ、鐘がなったよ。
あっ、にっこり笑ってるね。
こんにちは。

カラン、カラン、カラン。

Tuesday, August 19, 2003

matan 君が消えたあの夏の夜

MATAN、
それってねぇ
贈り物っていう意味

君はそう教えてくれたよね

よし、やろうぜっ!
遊びだよね、平気、平気、
ぜんぜん

ボクはホントに、
そのつもりだったんだからね

Matan、
その瞬間
君はもう行ってしまった

たくさんの、
笑顔を残して

君のキラキラした黒いヒトミ

みんな知っていたよ、 
君が眩い空からの贈り物だって

そう、 
ほんとに遊びのつもりだったんだよね・・・

Matan、
君は十六歳だった
君は眩しかった

あの夜、
君は熱い地中海の風と共に
行ってしまった

みんな泣いた
幻でも見たかのように、

あっけなく消えてしまった君に

Matan、
またいつか
逢おう

またいつか
笑いころげよう

さみしいけれど、
君のことを思うと笑顔になれる

さみしいけれど、
君の残した笑顔とともに
生きていくことにするよ


(Matanは2003年の夏の夜、地中海の美しいナタニヤの町で、取ったばかりの免許証で友人たちとドライブに出かけたまま、夜の闇と波の音の中に消えてゆきました。夏の夜のちょっとしたカーレース、そんなお遊びだったのでしょう。享年16歳。彼の心と同じでまっすぐの黒い瞳のとても美しい少年でした。Mata、君のことは忘れない・・・)

Monday, August 18, 2003

ああ、むじょう ( 若きハシディックの悩み)



僕の名はレイブレ。
今日は君に会えてうれしいよ。

19年前にエルサレムのオーソドックス・ユダヤの街メア・シェアリムに生まれて、今はニューヨークのボーロ・パークに住んでいるんだ。そう、もう結婚してこの街にずっと住んでいる僕の3番目のダヴィド兄さんを頼ってやって来たんだ。だって、生まれた時からもその前からもなにも変らないヨーロッパのユダヤのゲットーの化石のような、がんじがらめのメア・シェアリムなんか、あんな陰気くさいところはもううんざりで、あの古めかしいゴミゴミした街のなにもかもが鬱陶しいんだ。どっちを向いても乳母車と黒い服、なにひとつ新しいものはない。それにさ、君は僕がどんな言葉を話してるか知ってるかい?こんな言葉、聞いたことがあるかい?今の時代に「イディッシュ語」なんて時代遅れもいいとこなんだ。

僕のタティ*はオーソドックス・ユダヤのハシディック派のレベ*で偉い人なんだそうで、まわりにいつも取り巻きっていったら悪いけど、たくさんの人がくっついていてさ。僕はイェシヴァを終えてからボーロ・パークに来るまではタティの運転手をさせられてたんだ。だって他になにをすればいいのさ?エルサレムのメア・シェアリムの、ガタガタの細い裏路地にある僕の実家の一部はイェシヴァになっていてね、あ、イェシヴァってユダヤの厳しい宗教学校のことで、黒い服を着た髭づらの生徒たちが通うんだ。

だから家にはいつもいつもそんなむさ苦しい風貌でイディッシュ語を話す男たちが出入りをしていて、タティはイェシヴァの授業特有の大きな張り上げるような声で毎日授業をして、そうでなければわざわざ海を越えてニューヨークのユダヤの街まで寄付を集めに行ったりで、僕たち子供のことはほったらかしさ。上の兄貴や姉貴たちはもう結婚してそれぞれ子供がいるし、マミィ*はまだ小さな弟や妹たちの世話で忙しくって、僕と話をする時間なんて取れやしない。僕は子供の頃からいつも兄弟やらなんやらの影に消えて、今も昔も家の中での存在感は薄いんだ。真ん中の、しかも全然冴えない息子なんて誰も気にかけやしないさ。

つまり、僕の現実はこうだってこと。君の世界から見れば、時代遅れにも宗教的な価値観が生きているメア・シェアリムの、レベの家庭の15人兄弟のひとりさ。そう、いてもいなくてもどっちでもいい7番目の子供で、兄貴たちのようにイェシヴァでユダヤの勉強を一生続けていく自信もないし、かといって他に将来の目標もない。男だらけのイェシヴァで知ったのはユダヤの世界だけで、専門職につけるような知識も技術もない。ましてや世界の歴史や英語の授業もなかったし、仮になにかを学ぼうと大学なんてとこに行けたとしても一体なにを勉強したらいいのかも知らないんだ。

国際政治学って?科学や生物学ってなに?チラッと誰かから、恐竜っていう生き物がいた時代があるって聞いたことがあるけど、それがどういう意味か僕にはわからない。イェシヴァのラビたちはそんな時代のことは一言も教えてくれなかったし、恐竜って言葉すらも聞いたことがなかった。ちなみに僕たちの世界じゃ今は西暦の2006年じゃなくて、神が天地を創造してからの5766年だよ。だって2006年というのは異教での話で、キリストっていったっけ?彼が生まれてからなんだろ?でも彼はもともとユダヤなんだし、僕たちには彼の誕生にはなんの意味もない。

そんなつまらない街を抜け出して、なにもかもが自由なニューヨークに来てからは、アートって言葉なんかをよく目にするけど、僕はなんだか前よりもこんがらがってきたんだよ。この世の中に神の形を彫ったり絵を描く人がいるなんて、メア・シェアリムに育った僕にはとてもじゃないけど信じられないよ。だって、僕たちの世界では人が神の姿を描くことは禁止されているんだから!だから写真だって撮ったことはないんだ。だって人の形、つまり神のイメージで創られた人の形が写るだろ?神の姿を形づけるなんて僕の世界ではいけないんだよ、ああ、だめだよ、そんなことは。

そうだ、「人が写る」で思い出したけど、この前はじめて行ってみたマンハッタンには、シアターなんてものがあったよ。映画ってのも実は一度も観たことがないんだよ。だって、短いスカートの女の人も出てくるし、異性同士が手を握りあったりさ。見てはいけない場面がいっぱいあるんだって。え?君は見たことがあるのかい?!僕はさ、実をいえばテレビだって見たことがないんだけど・・・。だってテレビの置いてある家庭なんてメア・シェアリムにもボーロ・パークにもないんだよ。それにさ、ユダヤ以外のことを書いた世俗の小説の一冊すらも読んだことがないんだ。そんな本はメア・シェアリムのたくさんあるどの本屋にも売ってはいないよ。もちろん偉いラビの書いた哲学的な本なんかは、もう目が潰れるのじゃないかってくらいに読んだけれどね。

そう、それでさ、しかもさ、さっきチラリと話した大学ってとこじゃあ、確か女の子と一緒に机を並べるんだよね?それって、とっても不品行で、でもそんなのって、もう羨ましすぎて頭がクラクラしそうだよ。一体そんな環境でどうやって勉強なんてできるのか不思議だけどね。僕たちの世界じゃ男の子は男子校へ、女の子は女子校へ、幼稚園からそうだもん。だからこの年になるまで僕は家族以外では君以外に女の子と向き合って話をしたことがないんだ。だからさ、女の子と話したことがないから、結婚だって好きな子との恋愛結婚なんてあり得ないよ。だって、どうやって知り合うのさ?学校だって別々だし、街角で女の子と知り合うなんてことはありえない。おしゃれなカフェなんて存在しない。この世界では自由な恋なんてありえないしさ。でもきっといい気持ちなんだろうなあ、恋ってさ。

だから、兄さんたちのように、普通に見合いだってもうしたってかまわないと思ってるよ。みんな18歳には結婚しちゃってたんだ。君の知っている3番目のダヴィデ兄さんはあの時19歳で、妻になった人は16歳だったんだよ。こんなことはそっちでも普通だろ?えっ、ち、ちがうの?!知らなかった・・・。え?僕たちはなんでそんなに早く結婚しちゃうのかって?そりゃあね、結婚ってのはさ、あ、これもラビたちから聞いたことだけどね、毎日毎日のこつこつとしたことの積み重ねなんだって。そしてさ、若く結婚すれば夫と妻は一緒に同じ目標を持った大人になっていくわけだし、中年になって、そう40歳になったころにはもう20年ほども一緒に生きてることになるんだからね、お互いのことはよくわかるよね。

結婚してる大人はみんないうんだよね。自分の片割れと出会って結婚すれば、今までの自分の人生、そしてそこからの人生の行き先、人生の目標がはっきり見えてきて、生まれてきたことの意味がわかるって。ああ、このために僕は生まれてきたのかって。そしてなぜユダヤとして生きていくのかも。ユダヤの教えがお互いに精神的に高められる人生のパートナーとの生活で、さらに深い意味を持たせるんだ。だからさ、本当にそうだといいけど、どこかに僕の片割れのバシェレット*がいるはずなのに、でも、僕には彼女がどこにいるのかわからない。僕はいつになったら心の深いところでつながった人との結婚という最も神聖なことを経験するんだろう。

ねえ、でもね君。僕はね、もっとちがう人生だったならってよく思うんだ。メア・シェアリムや、ニューヨークでもボーロ・パークなんかじゃなくて、あのすばらしいマンハッタンのアッパーウェスト区に住んでさ、なにか流行の仕事をして、たくさんのお金を手にしてね、高級車に乗って好きなことができて、食べたい物をみんな口にしてさ堪能して、ほしいものがすべて手に入るなんてすばらしいじゃないかって。今まで着たことのないおしゃれな服、そう、色のついた、例えばブルーのシャツにジーンズなんてのも着てみたいし、それにかっこいい茶色の革の靴なんかいいよね。そしてトライベッカあたりのクラブなんかで朝まで踊ってマリファナだって吸ってさ。え?日本じゃ吸っちゃだめなの?ふーん、そうなんだ。ニューヨークでも本当はダメなんだけどさ、みんな吸ってるよ。

それでさ、今日がいろいろな決まりの多い安息日かどうかなんて気にしなくてもいい、そんな自由な生活が出来たらどんなにかいいだろうか、なんてね。そうか、トウキョウってのもエキゾチックだなあ。あの街にも僕のようなオーソドックス・ユダヤの人が何人か住んでいるって聞いたことがあるけど、僕はこんな格好じゃいやだな。トウキョウでもみんな自由な服を着て、好きなことをするんじゃないの?それなのに、なぜ僕はこんな黒い服を着なくちゃいけないのかな。そんなこと、本当は神とは関係ないのにねって思うこともあるんだ。これ、いわゆるオーソドックス・ユダヤのユニフォームなんだよね。でも僕がメア・シェアリムやボーロ・パークでオーソドックスのユダヤとして生きていくには、この服を着続けるしかない。耳の横のぺオスってなんで切っちゃいけないんだ?こめかみに剃刀を当てちゃいけないから?決められたカシェルの食品しか食べちゃいけないし、安息日は守らなければいけないのはそう神が決めたから?「神が私たちに授けた聖書にそう書かれているから」そうとしかイェシヴァのラビは教えてくれない。だけど僕はもうその説明だけじゃあ、納得できないんだ。

ねえ、君。宗教も神も関係なく生きている君たちや彼らを見ているとうらやましい反面、僕はついつい人生の意味がこんがらがってきちゃうんだ。君だけには思い切っていうけどさ、僕の中では神さまって本当にいるのかさえもこの頃は疑わしいんだよ。神がいるのといないのではどこがどうちがうのだろう。そしてそれが僕の人生にとって本当に大切なんだろうか。そんなこと、メア・シェアリムでもボーロ・パークでも絶対に口にできはしないし、いってしまえば気が狂った異端者と思われるのが落ちさ。でも誰もその意味を教えてはくれないんだ。

ねえ、君、僕は本当にこのまま黒い服を着続けるんだろうか。だけど、なにもかも捨てて、物質だらけの世界に生きてみたい気持ちはあるけどさ、でもね、そんな生活に意味が見出せるとは今の僕には思えないんだ。僕は本当に悩んでいるんだよ・・・。




*タティ...イディッシュ語でお父さんの意味
*レベ...イディッシュ語でラビの意味
*マミィ...イディッシュ語でお母さんの意味
*禁じられてるチーズバーガー...ユダヤのカシェル規定の一つで、乳製品と肉類を一緒に料理すること、または食べることは禁じられている。
*バシェレット...Soul mateまたは運命。つまり、運命的に決められている伴侶。ユダヤ教では独身者は半分と見なされ、神の神聖なる祝福を受けた結婚し、二人揃うことによって一人とされる。

Sunday, August 17, 2003

Jerusalem 聖なる街えるされむ the holy city

―レイブレの場合―

レイブレは石の壁に囲まれた古い街の中を、ひとり、彷徨っていた。長く暑い乾いた夏と短い雨の濡れた冬、季節もなにも関係なく、一年のあいだいつも変わりなく身につけている少し裾が擦れて薄くなった綿の黒いズボンに、おそろいの黒いジャケットをくしゃくしゃと無造作に小脇にかかえながら、なんだかとても投げやりで、ちっとも楽しそうじゃない。石の壁の中の古い街で、中東の陽は皮膚から蒸発した水分が湯気となって発散されるのがまるで目に見えるかのように、レイブレの真上から焦げるようにカラカラと乾いた熱を発しながら照りつけている。

街の細く入りくねった道は茶色く埃っぽく、デコボコと不揃いな石畳の表面はたくさんの人の歩みで磨かれてツルツルと光り、滑りやすかった。この街を訪れるオーソドックス・ユダヤならば誰しもが行う嘆きの壁での祈りをレイブレはとっくにすませてしまい、かと言って午後のミンハの祈りの時間にはまだ幾分早すぎた。そうなると、19年間ユダヤの法の通りにレールに乗った人生を歩んできたレイブレには、次になにをすればいいのか自分ではまったく思いつかずに、ただ暇をもてあますしかなかった。ユダヤの法に基づいたイェシヴァでの教育のお陰で、レイブレには皆が同じように行動する意外になにをしていいのか、自分で自由に考えてみる能力を養う機会はなかった。

その日、その壁に囲まれているエルサレムの旧市街のユダヤの町は、どこかいつもとはちがっていたが、宛てもなくただウロウロと、サングラスも掛けずに何時間も旧市街の中を歩きまわっても、レイブレはそんなことには気がつかない。白く強烈な光りの反射に目が痛みだした。この中東の陽の下を、サングラスを掛けずに歩き回れば強い光りで目は焼けてしまうことくらい、この街で生まれ育ったレイブレにもわかっていたのに、なぜかその日の彼はそれ程にも投げやりだった。町の広場の一本の曲がりくねったオリーブの木陰のベンチへと、サッと視線をそらすと、砂埃で黒いズボンが白く汚れることすらまったく気にかける様子もなくレイブレは気を重たそうに腰を下ろした。オリーブの木陰には、いつもいるはずの猫たちの姿はなく、なにか気の抜けたような町の空気。

茶色いペンキが塗られた古い木製のベンチに腰掛けると、あたりの白光が嘘のように思えるほど、オリーブの木の下では風は涼しげにさわやかで乾いて、レイブレは落ち着きなく、細い片方の足を小刻みに揺すりながら、広場を通り過ぎる誰もが似たような風貌の黒い人々をぼんやりと心無く眺めていた。でも決して広場を通り過ぎる年頃の娘たちの姿は追わないように。旧市街の外の黒いベルベットのキパを頭に乗せたオーソドックス・ユダヤの街の裏路地に生まれ育ったレイブレには、通りすがりの若い娘の身体を見つめるなどとは、その世界のモラルに反することだった。それでもそんなユダヤのモラルも、若い男の本能にはどうしようもないこともあり、レイブレは広場を通り過ぎる清楚な濃紺のフレア・ロングスカートに長袖のシャツの同じ年頃の娘たちの姿を追いそうになる。

そして慌てて神経質にハシディックの黒い丸みを帯びたフェルト帽子を何度もかぶり直し、耳の手前にクルクルと巻かれているぺオスをひとさし指にからめては耳の後ろに引っ掛けてみたり、戸惑いを隠せない。そうしてベンチに腰かけながら時間をもてあましているうちに、建物のあいだの細い石畳の小道の向こうから見覚えのある青年が広場を横切って、レイブレの方へと歩いて来るのが視界に入った。その青年は何やら黒いビニール袋をさげている。レイブレは最近かけはじめた眼鏡越しにその青年を見つめた。

「よおっ!シャローム!ハイムじゃないか!びっくりだなあ。君がここにいるとは思わなかったよ」

ハイムはレイブレの前までやって来ると、オリーブの木陰のベンチに腰掛けているレイブレを、無感情に黙って見つめた。

「ハイム、君はいつボーロ・パークからここへ?ああ、そうか、そこの角のイェシヴァにいるんだな?ま、世界中どこにいたって僕らにはイェシヴァに行く以外に他になにもすることなんてないもんな。あれっ、なんだよその袋は?隣のムスリムの町の市場で買い物でもした?なんてね、あはははっ」

海を越えたニューヨークのオーソドックス・ユダヤの街、ボーロ・パークで育った生真面目なハイムが、この壁の町の異教の市場などへ買い物に行くはずもないとレイブレも当然知っていた。だから直のこと、たわいもなくからかってみたかっただけだった。しかしそんな子供っぽさの抜け切らないレイブレを、ハイムは彼のストレートな黒髪に似あう細い黒縁の眼鏡越しに悲しげに無言で見つめ返した。だらりとやる気なくぶら下がった細い左手の黒いビニール袋をぎゅっと握り締めて、ため息一つ。

「ザイ・ゲズント・・・」

イデュッシュ語でそう短く挨拶をすると、また熱い中東の陽の下を短い影と共に嘆きの壁の方へと消えていった。

「・・・ザイ・ゲズント」

レイブレは同じよう返事を返すと、ピッチリとアイロンのかかった白いYシャツに黒いズボンのハイムの後ろ姿を見つめながら、なぜだかハイムに出会う前よりもさらに孤独に陥り、ぷい、と視線をハイムの後姿からそらした。

「なんだよ、せっかくさぁ、久しぶりに会ったのに。ちょっと話し相手になってくれてもいいじゃないか。だいたいあいつは暗すぎるよなあ」

そう独り言をいいながら、ハイムの後姿が嘆きの壁へ向かう小道のむこうへと消えてゆくと、レイブレの視線は、ベンチの向かいのがらんと客の姿のないみやげ屋のショー・ウィンドウに止まった。そのショー・ウィンドウに飾られたカラフルな虹の上を羽ばたく鳩、「Jerusalem The Holy City」と書かれた白い綿のTシャツが、やけに空々しく映った。

「Jerusalem The Holy City・・・なにがホーリーなもんか。ここが地球のオヘソだって?ふん、ちっともおもしろくないよ、こんなカラカラに干からびて砂のように色褪せた街。ごみを漁る猫だってねずみだってまったく変わらないじゃないか!僕はもううんざりだ、エルサレムも黒い服も!なにも起こりはしないよ、こんなところにいたって・・・。思い切ってニューヨークにでも行こうか・・・。あそこに行けば・・・、ひょっとしてなにかが変わるかもしれない・・・」


―Tataの場合―

ねっ、ねっ、今からボクがこの前ちょっと小耳に挟んだ話を聞いてね。まあ、君にはしがない猫の話なんてつまんないかも知れないけどさ。ボクはね、このエルサレムの下町で生まれたんだけど、あっ、多分この近所だと思うよ。そりゃあ、ちゃんと「ここの軒下、何月何日生まれ」なんて憶えちゃないけどさ。この界隈はナハラオットっていうんだけど、この辺はね、えーっと、人が温かいっていうか、あっ、人情っての?そう、それがあるっていうかさ。道の脇の日陰に水飲み用のタッパーがそっと置かれてたり、安息日の残り物の食事をさりげなく町内用の大きなゴミ箱の傍に捨てて置いてくれるんだよね。

だからボクみたいな自由気ままな半家猫も、ワイルドな野良公たちにもそんなに悪かないよ。まあ、早い話は、猫にとっちゃぁ住みやすくて安全ってことね。でも本音を言えばさ、最近ちょっと鼻息の荒い野良公たちが多すぎるのが難だけど・・・。でもさ、聞いた話によれば、この地域だけじゃなくてエルサレムってどこでも猫が多いらしいんだけどね。

でね、この間さあ、聞いたんだ、ボク。旧市街の猫たちの噂話をね。あいつらがいうにはさ、あの石の壁に囲まれた古い街って、どうもこことはちがってボクたち猫には住みにくいんだって。だってね、スパイスの香りがして、大きなスピーカーからコーランっていう祈りが流れてくる町の人ってのは、家畜になる動物意外にはまったく興味がないし、ましてや猫なんて家の番にも一銭にもならないってボヤいては「ヤァッラァー!ヤァッラァー!」ってアラブ語っていったけかな、それでさ、大声でホウキでひっぱたくらしいんだ。おお、恐ろしい!

それからね、その隣の黒い服を着たユダヤの人の町なんだけど、あそこって旧市街の中でも新しい町だし、もともとあそこいた人たちはもうあまり住んでいなくてね。最近ではマンハッタンやフロリダっていう海の向こうの大きな街からやって来た、ちょっと浮ついてお高くとまってる人たちなんてのもいっぱい住んでるんだって。だからね、そこでも家なし猫なんて、どうも迷惑らしいんだけど、それでもなんとかみんな一緒に住んでるんだって。

それでね、ここからが今日の話なんだけどさ、いろいろ道草食って伝わってきたからいつの話なのかわかんないけどね。こんな話だよ。

ある時、海の向こうからやってきた一人の眼鏡クンがイェシヴァの寮に住んでいて、あ、イェシヴァってユダヤの宗教学校のことね。えーっと、彼はなんて街から来たんだっけなあ、アメリカのボ、ボ、ボーロ・・・あれ?忘れちゃったよ・・・まあいいや。それでね、その眼鏡クンは旧市街のユダヤの町で家なし猫たちと友達になってね、餌をあげるようになったんだって。彼がその日のイェシヴァの残り物の食べ物を黒い袋に入れて広場の近くの猫たちに持って行くと、ワーッとたくさんの家なし猫が寄ってくるんだけど、その中に一匹、足の悪い猫がいたんだってさ。でも、その足の悪い家なし猫は他のやつらみたいに速く歩けないから、いつもみんなが食べ終わったころにやっとその眼鏡クンの元にたどり着くんだ。それで眼鏡クンは思ったんだって。世の中ってほんと、不公平だなって。その弱い猫にこそ、ちゃんと食べさしてあげたいのにってね。うん、やさしい人だよね、この眼鏡クンってさ。

それでね、それからしばらくしてから、こんなことが起こったんだよ。旧市街のユダヤの町で家なし猫の一斉除去が行われたんだ。これ、どういう意味かわかるかなあ?そう、あの恐ろしい保健所ってのがやって来てね、道に猫の餌をばらまいたんだ。もちろんなにか良くないものを混ぜてね。でね、保健所の思惑通りにその餌を狙って家なし猫たちがやって来たんだ。そのあとのことは・・・・いわなくてもいいよね・・・。

それからしばらくして、その眼鏡クンがまたいつものように、暑い日の午後に黒いビニール袋の食事を持って行ったんだって。でもね、もうすべて遅かったんだ。誰もいつものように眼鏡くんの足元にやっては来なかった。そこで彼はその近所の人から猫たちは連れて行かれたよって聞かされたんだって。ああ、ボクこの話を聞いて、ホントにナハラオットに生まれてよかったって思ったよ。旧市街なんて死んでも行かないよ、あ、行ったら死んじゃうか・・・。それでね、眼鏡クンは本当に悲しかったんだ。打ちひしがれながら旧市街のユダヤの町を、その黒い袋を下げたまま暑い陽の中歩き回ったんだって。そして大きな壁のあるところに行ったらしいんだ。そこで、足の悪いあいつは逝っちゃったんだなあって、不幸な猫人生だったなあって、雲ひとつない真っ青な空を見上げて、ああ、どうしてですか。なぜ、あなたは弱い者に対してじっと黙っているのですかってね。大きな壁のそばで、一体誰に話しかけていたんだろうね、その眼鏡クン。

でもね、それからしばらくして、眼鏡クンはあいつに出会ったんだ。そう、足の悪いあいつに。・・・えっ?どういうことかって?もお、鈍いのね!だー、かー、らー、あいつ、足が悪いから、保健所のまいた餌に間にあわなかったの。みんなに先に食べられちゃってさ。それでね、眼鏡クンはじーんっと胸が熱くなったんだって。やっぱり弱い者は、それなりにちゃんと、どこかで助けられてるんだなあって。マイナスだと思ってることが本当は活かされてベストになることもあるんだなって。そしてネガティヴはポジティヴにも変りえるんだよね、本当にちゃんとすべてに理由があったんだって。それでこんなことが起こるエルサレムが、どうして聖なる街って呼ばれるのか、カミサマもやるじゃんって。

うーんっと、実はね、君だけには教えちゃうけど、ボクにはこの「聖なる街」とか「カミサマ」ってなんなのか全然わかんないんだけどさ。なんでも人間が勝手にそう呼んでるみたい。でもやっぱりさ、こういう話ってちょっといいなあって思っちゃったよ。なんてったっけ、この街のこと、えーっと、ああ、ミ、ラ、ク、ルってのが起こる街で、地球のオヘソなんだってさ。あ、ミラクルってなにかなんて、猫のボクに聞かないでよね。

さってと、今日のボクの話はここまでね。散歩にでも行ってこよっと。隣の白猫のサンチョでもからかってこようかな。えっ?旧市街には行くなって?ごみは漁るな?拾い食いには気をつけろって?んもー、わかってるよん。じゃ、またねー。

Saturday, August 16, 2003

one shekelの夢

天使は行きかう人に

「スリハ(すみません)!」

元気よく声をかける。

ふわふわ巻き毛あか毛の女の子が
真っ白な光りの午後
階段通りに広げた敷物の横に立っている。

「スリハ!」

「はい、なんでしょう?」

着ているサマードレスも去年のものか
それとも下界に降りてくるのに慌てて誂えてきたのか、
少々、いやかなりピチピチだね。
なんだかちょっぴり太っちょな天使かな。

「なにかかいませんか?
おにんぎょうはどう?
イロのついたペンもあるよ」

使い古したおもちゃらしきものが
畳一枚分ほどの敷物の上に
ポンポンと並べてある。

「じゃぁ、その大きな貝殻はいくらです?」

「1シェケル!」

とても元気な天使。

「じゃあ、その貝殻を2つ、
くださいな。いくらですか?」

「・・・あっ!
2シェケル~!
うふふふふっ!」

大きな白い巻貝を受け取って
代わりに2シェケルを天使のぼっちゃりとした手に渡す。

なんの計算もしがらみもなくほほ笑んだあか毛が
きらきらと陽に透けて
とても美しかった。
こんな天使にほほ笑まれたら
誰が断われるのだろう。


マハネ・イェフダ市場へ買い物に行く途中
ゴミゴミした通りの上で
男の子の天使が3人
通行人に声をかけている。

天界も長い夏休みで暇をもてあましているのか
はたまたちょっとオマセな下界体験か。

「スリハ!」

「はい、小さな紳士さん、なんでしょう?」

「なにか飲みものを買いませんか?」

そのうちの知的な笑顔の少年天使が
脇の小さなテーブルの上を指差し
彼の後ろの二人はちょっと恥ずかしそうにはにかんだ。

テーブルの上には白い光りの中
水滴の滴るガラスのピッチャーが3つと
プラスチックのカップ。

「何があるんです?」

「アイスティーと、レモネードと、ソーダ水!冷たいよ!天国の味がするよ!」

「そりゃあすてきですね。じゃあ、冷たいアイスティーをくださいな」

「1つでいいですか?」

「はい、1つくださいな。いくらです?」

「1シェケル!」

「はい、1シェケル。ああ、冷たくておいしいね、天国のアイスティー。ありがとう!」

少年天使がママ天使に頼んで作ってもらったらしい
アイスティーを一口飲んで天国の味を楽しむ。
ポケットの小銭から1シェケルを取り出すと
はにかんでいる天使の一人の手のひらへ。

はにかみ天使はコイン一つ、穴の中に入れる。

ちゃりーん。

「どうもありがとう!」

自分たちで作った穴を開けただけの箱のレジ。

ポケットいっぱいの夢を買うエルサレムの天使たち。

Friday, August 15, 2003

水煙草カフェでなすび pucapuca tabacco cafe



エルサレム旧市街のムスリム地区の水煙草カフェ、さすがに男社会のイスラームらしく、店の中に女の姿はない。そう、そのニホンジーン・ガール以外には・・・。

ぐるりと四方八方からコーランの鳴り響くこのイスラームの町。ぎゅうぎゅう詰めに所狭しと並ぶ商店の売り子も食堂の給仕も肉屋も、みな、男、おとこ、オトコ。この迷路のようなイスラームの町で働くわずかなスカーフの女たちは、町の玄関であるダマスカス門あたりで、石畳の路面にどっしりとそのグラマラスな腰で座り込んでいる。いかにも家の裏の畠からその日の朝に摘み取ったような、色艶がよく元気でふぞろいのなすびやズッキーニやトマト、セージやカモミール、イスラエル産のミントなどを売りさばく、達磨さんのようにスカーフで頭を隠したよく肥えたおばちゃんたち。当然、そこには若くはちきれそうに魅力的なイスラーム娘の姿などはない。ニホンジーン・ガールは、以前おばちゃんのひとりをパチリとカメラに収めると同時に、イタタタタ!「エイッ!」とおばちゃんに投げつけられたなずび。どうやら写真に撮られることはイスラーム女の奥ゆかしさに反し、それに加えて、どうもそのそのグラマラスおばちゃんの虫の居所が悪かったらしい。それ以来、ニホンジーン・ガールはこのイスラームの町でグラマラスおばちゃんにカメラを向ける時には、まずはなすびや胡瓜の一本でも買うことにしている。アラブのおばちゃんは、グラマラスな身体だけではなく中身もなかなかタフなのだ。

そんなちょっとおっちょこちょいなニホンジーン・ガールが彷徨うこのコーランの響く町に、一軒の古い水煙草カフェ。異邦人とはいえ、とりあえずはカテゴリー「女」なるニホンジーン・ガール。通りすがりにその店の中をちらりと覗くふりをするのでさえも、少しばかり緊張するほどに、とにかくこのカフェの中には年がら年中、男、おとこ、オトコ。しかも、その男たちは、いかにもアラブ男らしく、濃い一本眉毛のチョビ髭中年オトコたちで、目にも鼻にもとにかく限りなく、五感にじーんっと男臭いのである。そしてそんな男たちは、「それ、テーブルクロスにいいね」とニホンジーン・ガールの思う、チェック柄の男性用スカーフのケフィヤをかぶり、どこを見るわけでもなく宙に浮いた目でプカプカ・プワワワーン、と水煙草を吸っては吐き、まどろみ、壁にもたれ掛かっている。そこにカテゴリー「女」がひとりおじゃまして、「お茶を一杯!」いわんやカメラを向けるなんて、とんでもなく男たちの雷が落ちてきそうなのである。

そしてその日も例に漏れず、いつものようにニホンジーン・ガールはさりげない横目でチラリ、その水煙草カフェの前を通り過ぎようとしていた。と、思いきや、なにを思ってかニホンジーン・ガール、ちょっと店の前でじっと立ち止まってみたりした。

「Tea?Coffee? Come! Come! 」

すると意外にもその瞬間、カフェの中からやたらガリガリにこけた頬の若い男が、アラブのアクセントの強い英語でニホンジーン・ガールを手招きをしたもんだから、それにはびっくり驚いてしまったニホンジーン・ガール・・・、ドキドキ、心の中で思った。

「えっ?いいの?いいの?本当に?でも・・・うーん、女人禁制ではないのかな?でも店の人が呼んだのだもんね。よぉし、だったら入ろうか!」

店内のチョビ髭男、おとこ、オトコ、たちが、水煙草屋に飛び込んできたニホンジーン・ガールをプカーっとギョロリ、無言で見つめ、またまたプカプカプカカ~。店の中の男臭い熱気と男たちのギョロ目に一瞬怯んでしまいながらも、ニホンジーン・ガールは思った。

「あれ?ひょっとしたらワタシ、カテゴリー「女」に思われてないのかも?いくらなんでも、まさか小学生に見られてるってことはあるまいに?!」

まあいいや、と思い切ってニホンジーン・ガールは、12畳ほどの水煙草カフェに積み上げられている、足踏み台のような小さな椅子のひとつを降ろすと、その上にちょこんと、おっちゃんたちの間に収まってみた。すると、すぐに世話しなくその痩せた給仕。

「Coffee?Coffee?」

「なぜかエルサレムの人は関西人同様、おなじ単語を二度くり返すなあ・・・」

ちょび髭のおっちゃんたちのように「水煙草をぷかーっとひとつね!」と頼むほど大胆にはなりきれなず、ニホンジーン・ガール、いったい度胸があるのかないのか、頬コケ給仕の言うとおりに「Yes, yes, coffee, coffee」とニカッと頷く。そう、このトルコやヨーロッパでは一般にはトルコ・コーヒーと呼ばれているコーヒー、しかしここはエルサレムのコーランの響く町。エルサレムのアラブの男たちは、決してこれを「トルコ・コーヒー」とは呼ばない。このコーヒーは誰がなんと言おうと、アラブのアラブによるアラブのための「アラブ・コーヒー」なのだ。エルサレムは過去にオスマン・トルコ帝国の統治下に置かれていた苦い経験があり、それはエルサレムのコーランの民、プライド高きアラブの男どもにはとっとと闇に葬り去りたい記憶。

さて、そんなアラブ・コーヒーなおっちゃんたちに囲まれたニホンジーン・ガール。はじめはじっと大人しく、でも足をぶらぶらさせながらそのアラブ・コーヒーたるを待っていた。しかし、壁の時計の針が四分の一動いても給仕は忙しそうに狭い店内を駆け回り、なかなかアラブ・コーヒーが出てくる気配はない。そこで暇をもてあましてきょろきょろと店内を見まわせば、いつものようにニホンジン・ガールの好奇心がムクムクと湧いて来たらしい。「いいやんね?」と、すくっと立ち上がり、スタスタとカフェの入り口の傍のキッチンへと。カフェの入り口の横にあるコンロには、年季の入った大きな真鍮のタンクが火にかけられ、デコボコへ込みのある薬缶の口もシュンシュンと忙しそうに湯を鳴らしている。その横には、形もそれぞれにふぞろいな、それ故になんともいえぬ味のある、小さな煎茶茶碗サイズの古いガラスのコップたち。こげ茶色の細かなコーヒー粉がパラパラとカウンターにこぼれ落ちている真鍮の小箱。水煙草に欠かせない炭もパチパチと真っ赤に怒って、今か今かと出番を待っている。奥の壁には、口髭を蓄えた年配の男の色あせて傾いた古写真が数枚、ヨルダンかどこかのアラブの王様の写真だろうか。

頬のこけた給仕は、そんなウロウロ・ニホンジーン・ガールには目もくれず、水煙草をふかし噂話に花を咲かせているおっちゃんたちの間をキビキビと抜けて、燃える炭を運んでゆく。ニホンジーン・ガールは、シンクの上の壁にだらりと掛かっている水煙草パイプを手に取って遊んでいると、ふと思い出したように床に忘れられた鞄から黒い小さなニコンのカメラをこっそり取り出した。そして、水煙草を吹かす男くさい写真をパチリ、パチリ。その途端に、給仕が一言叫んだ。条件反射、なすびの痛い記憶がニホンジーン・ガール、ちょっと身構える。

「Coffee!!Coffee!!」

「あら・・・。はーい、はいはいはい!」

なんだ、つまらない。ここはなすびもスプーンも飛ばないカフェだったのか。とニホンジーン・ガールは、子供のようにぴょこんと、でもうれしそうに小さな椅子に戻ると、給仕の男は、同じ椅子をもうひとつ彼女の前に置いてテーブルに早変わり。ゆがんでデコボコとした金色の真鍮の盆と、その上に小さなガラスのコップを置いた。

「あ、これ、子供のころ、おままごとで作ったよね!」

「・・・・???Coffee!!Yes?!」

「はいはい、泥水、いや、Yes, That’s coffee!!」

そのまさに泥水のような、小さなガラスのコップの下3分の1に細かなコーヒー粉が沈んでいるアラブ・コーヒーを見てうれしそうなニホンジーン・ガール。限りなくエキゾチックな甘い魅力的な香り。ふわ~んと息を吸い込むたびに幸せになるような、そんな香りの温かい泥水。

「Cardamon! Cardamon! 」

隣に座っていたチョビ髭の濃い眉のおっちゃんが、ここぞとばかりにニホンジーン・ガールのコーヒーを指差して、野太い声でくりかえす。

「なるほどー。カルダモンなんや、カルダモン!」

ニホンジーン・ガールはそのエキゾチックな幸せカルダモン泥水の上澄みだけを一口すすってみた。

「うわあ、甘くてスパイシーで、でもちゃんとコーヒーなんやね」

エスプレッソにたっぷりの砂糖とカルダモンで風味をつけたような、なんともいえない不思議な味がニホンジーン・ガールの口の中に広がった。カフェでは相変わらず男たちが宙を見つめるように、プカープカープカプカプ~。流れのゆるやかな時間が過ぎて、さてと、そろそろおいとましようか。

「いくら?」

「5シェケル、5シェケル!」

「え?たったの5シェケル?120円くらいかな。新市街じゃ15シェケルくらいもして、しかもこんなにおいしくないよ。そうだねぇ、このコーヒーなら50シェケル払ってもいいね!」

なんて、少しおっちょこちょいにニホンジーン・ガール。カテゴリー「女」らしいスカートのポケットから、5シェケルのコインを一枚取り出すと、給仕のガリガリ男に渡した。

「また来るね。次は水煙草、水煙草にプカプカーっと挑戦やね!」

「Yes!! Arab coffee!!Good!!No?!」

頬コケ給仕とニホンジーン・ガール、なんだか通じているようで通じていないようで、仕方がないからちょっととぼけて笑おうか?

「Yes! Cardamon! Cardamon! Arab Coffee, Good! 」

ニカッ!

Thursday, August 14, 2003

ラヴェンダーと赤い月と

「いま、なん時でしょうか?」

通りで男が、見知らぬ女に声をかける時。男の本心、時間など本当はどうだっていい。ただ誰かに話しかけるキッカケを探しているだけだから・・・。

熱い熱い焼けるような太陽がテル・アヴィヴの地中海西に傾いて、砂漠色のエルサレムの街はその日で最も美しく穏やかな時を迎えた。ほんの少し前まで風も雲ひとつなく、スカーンと乾いたイスラエル・ブルーの空が、ほんわりとやわらかな桃色に染まりはじめた途端に、露をふくんだ冷たい風が西から吹きはじめる。雑草のように道の脇に咲いているラベンダーを片手分だけ摘むと、若い異邦人の女はぐるりと壁に囲まれたエルサレムの旧市街へと、まるで旧約聖書の時代から変わらないノマッド風の革のサンダルで歩いてゆく。エルサレム・ストーンで囲まれた旧市街の城壁の向こうの谷で、へばりつくようにその谷底で荒い息をしているアラブの村も、その向こうヨルダンへと続く遠い砂漠の山々も、その桃色の西日に染まり、淡い幻想世界のようにどこまでも霞んでいる。いくどとなく見慣れたはずのこの景色。それでも、改めてここは中東の片隅なのだなあと、異邦人の女の肩からうれしくも、そしてどこか少し寂しげなため息が桃色の空の露のように漏れる。

旧市街の嘆きの壁を見おろす丘の公園で、その若い女は夕日色のエルサレム・ストーンの石段に腰掛けると、ゆっくりと鞄から一冊のノートとペンを取り出した。暑く白い午後を忘れさせてくれる冷えたエルサレムの夕暮れの風は、すーっと心地よく、異邦人の女はこの薄桃色の時間が一日の中でもとても好きだった。石段の上に座り、その日の思いなどをつらつらとノートに書きとめていると、異邦人の女はどこからか響いてくるか細い男の声にハッと顔を上げた。幻想的なオレンジ色の街灯の下には、意外な世界の住人がひとり。異邦人の女をじっと見つめながら直立している。ちょうど男の胸のあたりまで伸びたウェーブのかかったグレーの長い髭が、60代とも30代の若者とも見当のつけようのない、黒いスーツに黒い帽子のその男。そのいでたちはどこからどう見てもオーソドックス・ユダヤ(正統派ユダヤ)のそれだった。

なぜかしらオーソドックス・ユダヤの男たちは、不思議の国のうさぎのように、いつもどこでもまるで時間に追われるかのように早歩き。そんな彼らが通りで女とすれちがう時、男は黒いカウボーイ・ハットのようなユダヤの帽子をきゅっと鼻先まで引きよせ、さっとうつむき横を向くか、まるでお尻に火がついたような速さで、でも決して走らずに通りの向こう側へと急いで渡ってゆく。すれ違いざまに女の姿をじっと正面から見つめたり、ましてや少しでも肢体に触れるなどは、その世界ではハレンチこの上ないらしい。インターネットや街角で、安売りされているロマンスを手軽に得られるこのご時世でも、オーソドックス・ユダヤの世界では「男女4歳にして席をともにせず」、結婚適齢期の17歳あたりから見合いをするまでは、起こり得ない異性との出会い。異ならない宗教価値観の家庭の娘と息子は、一、二度、見合いの席でちらりとお互いの顔を覗き合うほどで結婚へと。そしてあたかも銭湯のような男と女別々の入り口と、これまた男と女に仕切りられたウェディング・ホールでの結婚の儀まで、互いの声さえも聞いたことすらなかったなどは決して珍しいことでもない。そして人の夫となった男は、それまでとはなんら変わりなく、通りでは黒い帽子をきゅっと引きよせ、あちら側に渡り続ける。

そんな奇妙な世界の住人の男が、そのか細い声でその異邦人の女に触れる。ちょっとこわばった笑顔で、でも少し不安げに痩せたそのグレーの髭の男。

「いま、なん時でしょうか?」

いつも時計を持ち歩かない私は、その声にペンを膝の上のノートの上におくと、「時計は持ってないけれど・・・ほらね」と軽く両手首を上げて見せた。髭の男はちょっと苦虫を潰したような困ったハニカミで、黒い帽子の鍔を引きよせるように少し躊躇い、一歩、異邦人の女に近づくと、膝の上に広げられたままのノートを神経質に細い人差し指で指し、珍しそうに目を細めた。

「・・・これはどこの国の言葉?君はどこの人なの?」

日本という、あなたの知らないアジアの隅の、日のいずる国の言葉。髭の男は、彼には絵に見えるらしいはじめて見る日本語の文字を、瞼をパチパチさせながら見つめた。しばらくの沈黙が流れて「さあ、もういいでしょう?」と男に気のないふりをする異邦人の私。しかしその意に反して、どうしたわけでかこのグレーの髭の男はさらに話しを続けた。

「私は・・・エフライムといいます。あの、少し話をしてもいいですか?そこのイェシヴァで時々個人的に何人かの生徒に教えているので・・・」

髭の男は公園の隣に建つイェシヴァと呼ばれるユダヤの宗教学校を自信なく指して、決して怪しい者ではないと告げたそうだった。仕方がないので「ああそう?」と私は軽く相槌を打つと、なぜか彼の心になにかが引っかかっているような気がして、ノートを膝の上に置いたまま、しばらく彼のぽつぽつ話に耳を傾けた。すると彼はオーソドックス・ユダヤの男らしく、長い髭を顎から下へすーっと引っぱるように撫でながら、少し口ごもり、そして次にはその口からまこと黒服のオーソドックス・ユダヤの男らしからぬ言葉が飛び出した。

「君は日本の人なんだね?・・・あの、よかったら、その、私とトモダチになってほしいのだけど・・・」

私は一瞬驚いて、じっとその髭の男を見つめた。束の間の沈黙。オレンジ色の街灯は少し艶かしくあたりを包む。私は少し現実的に、確認の意味を込めてその髭の男に尋ねた。

「トモダチってどんな友達なのでしょう?話をするだけの友達?それとも・・・?」

オレンジ色の街灯はもはや尋問されているグレーの髭の男をくっきりと映し出し、髭の男は瞼をドギマギ、パチパチ。

「えっ・・・?イヤ・・・その、ときどき会って・・・その、まあ、あの、そういうトモダチ、なんだけど・・・」

やっぱり男なんてそんなもんです、とそれならば、オーソドックス・ユダヤの世界の住人である彼が受け入れやすい、謙虚でオーソドックスな大嘘をついてみた。

「あら、ごめんなさい。私、ずっと前から結婚していて、子供ももう“タクサン”いるから」

すると彼は、先ほど距離を一歩縮め寄った私の膝から、残念そうにまた一歩後ろへ遠のいて。しかしそれでもまだそこから去ろうとはせずに、さらにこう早口で一気に切り出した。

「すみませんでした。実は私は妻に離婚されたばかりで、6人の子供たちにも会わせてもらえなくて、それでその、ひとりぽっちで、えっと・・・、」

オレンジ色の怪しげな街灯の下。はじめは気づかなかった。その切羽詰った彼の孤独な思いを映した瞳は、実はとても真面目なもので、でも真面目な分だけきっと愛情にとても不器用な人なのだなと、どこか迷子の子犬のような困ったような寂しさが切なくて。そうしてグレーの髭の中に埋もれた彼の口からは、洪水のようにそれまでの思いがあふれ出し、私は彼のバケツになった。遠く家族の住む町を離れてからというもの、おなじ屋根の下で語りあう人のいない心寒さは私自身も身に沁みて、そんな髭の男の孤独をつき放せない自分がそこにいたから・・・。

「そう、つらいよね。暗い誰もいない家で一人眠る夜は・・・」

髭の彼は眉毛をきゅっと八の字に寄せ、幼子のように今にも泣き出しそうに、黒いオーソドックス・ユダヤの服の肩が細かく揺れた。

陽の明るい間はいいけれど、語りあう人のいない夜は永遠のように長く寂しくて。引っ越した町には知りあいもまだ少なく、語りあえる人もなく。唐突に子供を連れて出て行ってしまった妻だけど、それでも青年時代から長い年月を共にした妻をまだ忘れられずに恋しく思い、いつもまとわりついていた子供たちのうれしそうな笑い声が今も耳に残る。ならば、せめて一人ぼっちの寂しさをごまかしたくても、この砂漠のオーソドックス・ユダヤの街角に、手ごろなロマンスは売られてはいない。こんなほんのひと時の出会いですらも、彼の世界には落ちていない。そこで、このぼんやりとオレンジ色に包まれた旧市街の公園で、偶然に見かけた異邦人の女に声をかけてきたのだろう。嘆きの壁へゆく人の絶えない夜の旧市街のユダヤの町で、現実と夢の間を彷徨いながら。

私は着ていたコットンのシャツの胸ポケットから、先ほど摘んだ香りの強いラベンダーの一本を、長いまつげを伏せてじっとたたずむグレーの髭の彼にそっと差しだした。すると彼の目が一瞬きらりと輝き、少年ようにちょっと眩しそうに、そしてオーソドックス・ユダヤの男らしく、異性である私の指に決してふれないようにと、そっとラベンダーを軽くつまんだ。

「これは・・・なに?」

「ラベンダーよ。きっと、眠れるから・・・」

深くため息をついて、彼。

「ラベンダー?・・・眠れる?これで?知らなかったよ・・・」

そうして髭の彼はラヴェンダーの香りを鼻先に持ってゆくと、ラヴェンダーへのユダヤの祈りを唱える。

「ברוך אתה הי א-להינו מלך העולם בורא עצי בשמים」

「そう、カミサマはこんな香りも創られたのね。きっと今夜あなたがゆっくりと眠れるようにと・・・」

まじないのような、どこか悲しげなヘブライ語の祈り。そして私はそっと囁いて、彼はゆっくりとラヴェンダーを吸い込むと目を硬く閉じた。

混ざり合った香辛料と、どこか甘ったるいアラブ・コーヒーの香りが漂う、迷路のように細く入りくんだ隣りのムスリムの町と、谷底の村のあちこちから高く突きだしたスピーカーから、コーランの太い祈りが静かな冷たい風に乗り、薄桃色から青紫色へとグラデーションしたエルサレムの夜空を割るように響きわたる。目の前には、その響きにも動じずに、静かにたたずむかつてのユダヤの神殿の西壁の名残り、嘆きの壁。身体を前に後に揺らしてリズムを刻みながら、その壁の前で一心に祈りを捧げる黒い服に包まれた男や女たち。ラベンダーをぎゅっと握り、今にもポロポロと泣き出しそうな迷い子の髭の彼。それをしばらく前から少し離れた木の蔭で、じっと静かに息をひそめ、瞬きもせずに見つめている金色の髪の若い男。そして、気がつけばなんの故郷のカケラも見あたらない遠い砂漠色の街に住む、異邦人の私。数え切れないほどのLost Souls。と、何千年もの祈りを秘めた壁の彼方の夜空に浮かんだ中東の、赤い月。