Friday, December 22, 2006

リニューアル

9月にリニューアルのためにお休みしますと残しましたが、こちらのウェブはBlogger(ブロガー)というGoogleグループのものを使っています。このBlogger、数年前のブログブームの初期にできたものらしく、今現在となってはものすごくローテクなシステムとなってしまい、ここ数ヶ月は大変使い勝手が悪くなっていました。更新するのもガタピシ、ギクッ、ごめーん、もう一回後でトライして?という感じ。そういうこともあって、しばらくお休みしていました。

そしてようやくBloggerも今週からすべて新しい機能となり、更新もスムーズにできるようになりました。そういうわけで、今回本には載せなかった過去ログのいくつかも公開しました。一番下から読むことができます。そして、また少しずつ新しい発見を書いていこうと思います。


リニューアルのロスト・ラゲッジです。

Wednesday, December 13, 2006

ロスト・ラゲッジ の発売です。

流れ流れて漂着したエルサレムで、葉っぱの坑夫のプロデューサーの大黒和恵さんに背中を押していただき書き始めた「ロスト・ラゲッジ」。今回、12月8日に一冊の本として出版するに至りました。2006年12月8日著書「ロスト・ラゲッジ ~エルサレムのかたすみで~」が発売されました。エルサレムの非日常な日常、NYのボーロパークでの日々、ホロコースト、アイデンティティーについてのショートエッセイ集。全国の書店、またはAmazonやYahoo、楽天などのインターネットでも購入できます。

著:大桑千花
定価:1,575 円(税込)
出版社:而立書房
JAN/ISBNコード:4880593362

Tuesday, September 05, 2006

Under construction

お知らせです。


リニューアル中のため、しばらく長期のお休みとさせていただきます。
閉じたわけではありませんので、いずれまた再開します。
気長にお待ちくださいませ。


9月5日
限りなくブルーな空の Jerusalem にて


大桑千花

Friday, May 05, 2006

J.ショーンバウムの記憶

クロアチアの街ザグレブの片隅で
長い時間忘れさられた革の鞄
戦争もホロコーストも知らない異国の女は
その記憶に触れた




むかし私はどこにでもいるような普通の子供だった
ただユダヤの家に生まれただけだ
青年時代には兵隊として第一次世界大戦で戦った
それからまた時代が変わり今度はナチがやって来て
私は妻と息子に二度と生きて会うことはなかった
どこかのキャンプで息絶えたのだ

絶望の中で私は生き残るために
クロアチア人のカトリックの女と偽装結婚をした
アマリアは心優しい女で我が家のメイドだった
私を救ってくれたアマリアには心から感謝している

それから戦争が終わってしばらくの時が過ぎ
十分に生きた私は死んだ

アマリアにはいくつかのスーツケースを残すのみとなったが
その他の財産はすべて失ったのだから仕方がない

私はザグレブのあの静かで美しい墓地に埋葬され
亡骸のない妻と息子の墓の傍にて
穏やかな永い眠りにつくことになった


私が静かな眠りについて
どれくらいの時がたったのだろう
ホロコーストも遠い記憶となったある日のことだった

愚かで哀れな心を抱えた者たちによって
昔からここに眠るユダヤの人々の墓の記録は
ミステリアスに放火され紛失してしまった
またしてもそんな馬鹿げた事が起きたんだ

ここで静かに眠っていたユダヤの人々は
ふたたび名も権利も失い
そこには新たに異教徒の墓が建てられた

遠の昔に生きる権利と名を剥奪された妻と息子は
今は静かに眠る権利と名を失い
私はまた一人になった

人々よ

私を安らかに眠らせてくれないか
私をほうっておいてくれないか

私はもう「シュマ イスラエル」と唱えたのだから

Tuesday, March 28, 2006

パズル

人生って

ひとつひとつの断片
大きなパズルのよう

こっちの隅にはこの断片
あっちの隅にはあの断片
一枚一枚埋め合わせている

ひとつの断片とその隣の断片
つなぎ合わさるまで
10年だってすぎてゆく

あ、わかった!

そうつないだ断片
それでもやっぱりわからなかった

16年前に見つけた断片
16年後にやっと見つけた
その断片の隣

5年前の宙に浮いたままだった断片
今になってやっと知った
その断片の意味

見つけた瞬間から存在しはじめる
次の断片

今はまだどこにあるのかすらもわからない
人生という名のパズルの断片たち

あせらずにゆっくりと
探してゆこう
きっといつかどこかで

その答えは見つかるはずだから

Friday, March 24, 2006

Bei mir bist du schon

.... בײ מיר ביסטו שײן ,ביי מיר האסטו חן



「私が知り合ったすべての男友だち 
それもたくさん男友だちはいるけれど
あなたにはじめて会うまで私は孤独だった
あなたが現れたとき私の心は軽やかになって
いつもの世界がまるで新しくなったかのように見えたのよ

あなたは本当にすばらしいって認めざるを得ないわ
あなたにはあなたにふさわしい言葉しか似合わないわ
だからあなたのすばらしさを説明できないかしらって 
頭をひねって考えてみたの

バイ・ミル・ビスト・ドゥ-・シェーン どうか説明させて
バイ・ミル・ビスト・ドゥ-・シェーン あなたがすてきだって
バイ・ミル・ビスト・ドゥ-・シェーン もういちど説明するわ
この世でかけがえないのはあなただってこと

ベーラ!ベーラ!って言ってもいいし
ヴンダバーって言ってもいいわ
どんな言葉だってかまわない 
あなたがどれほどすばらしいかって伝えたいだけ

とにかく説明したかったの
バイ・ミア・ビスト・ドゥ-・シェーンってこと
だから私にキスをして
そしてわかったって言ってよ!

バイ・ミル・ビスト・ドゥ-・シェーン もう聞き飽きたかしら
だけど説明させて
バイ・ミル・ビスト・ドゥ-・シェーン あなたがすてきだって
バイ・ミル・ビスト・ドゥ-・シェーン 古ぼけた歌い文句かしら
だけどもういちど言わせて
私にふりむいてほしいって

ベーラ!ベーラ!って言ってもいいし
ヴンダバーって言ってもいいわ
どんな言葉だってかまわない 
あなたがどれほどすばらしいかって伝えたいだけ

とにかく説明したかったの
バイ・ミル・ビスト・ドゥ-・シェーンってこと
だから私にキスをして
そしてわかったって言ってよ!

(日本語訳:Chika Okuwa)


Of all the boys I've known, and I've known some
Until I first met you I was lonesome
And when you came in sight, dear, my heart grew light
And this old world seemed new to me

You're really swell, I have to admit, you
Deserve expressions that really fit you
And so I've wracked my brain, hoping to explain
All the things that you do to me

Bei mir bist du schon, please let me explain
Bei mir bist du schon, means you're grand
Bei mir bist du schon, again I'll explain
It means you're the fairest in the land

I could say bella, bella, even say wunderbar
Each language only helps me tell you how grand you are
I've tried to explain, bei mir bist du schon
So kiss me, and say you understand

Bei mir bist du schon
You've heard it all before, but let me try to explain
Bei mir bist du schon means that you're grand
Bei mir bist du schon
Is such an old refrain, and yet I should explain
It means I am begging for your hand

I could say bella, bella, even say wunderbar
Each language only helps me tell you how grand you are
I've tried to explain, bei mir bist du schon
So kiss me, and say that you will understand」


1933年に書かれた古いイディッシュ語の歌。
ユダヤの姉妹バリー・シスターズ(The Barry Sisters)が
イディッシュ語で歌い、のちに英語に訳されて
アンドリュー・シスターズ(The Andrew Sisters)で大ヒット。

ベニー・グッドマンにも演奏されて古典ジャズにもなった。
1993年の映画「Swing Kids」の
ラスト・シーンでも挿入されていたんだって。

わたしのこころに響くそんなイディッシュ語の歌、
日本語に訳してみました。

イディッシュ語の歌詞も載せたかったので
インターネットで探してみたけど、
見つからなかったのがちょっと悲しい。

Saturday, February 11, 2006

中東の空の下、聴こえてくるはあの歌声

テル・アヴィヴの南
ヤッフォーという古い港町に蚤の市がある

古い中東風の道具や
たくさんの忘れられたガラクタ
おっちゃんたちの野太い声
荷馬車の馬のひずめの音
甘いアラブ・コーヒーの匂い
イスラームとユダヤの祈りの声

民族と宗教の交差するエキゾチックな蚤の市の小宇宙
ここで見つからないものは何もない

1991年、湾岸戦争の直後、私はその町にいた
当時はまだ未熟な若い旅人で
京都の古臭いしきたり的な空気にうんざりしていたから
ふぞろいのひとつひとつが織りなす美しさと輝きに
右へ習えの日本なんてくだらないとさえ思った

太陽の明るい、開放的なこの国の何もかもが
若い旅人の私にはすばらしく映った

そんな雑多なヤッフォーの蚤の市
路上の古いレコード屋さんには
ノスタルジックな大きな蓄音機

そういえば、遠い昔
実家の蔵の二階にしまってあったなあ

その大きな古い蓄音機をあとに
地中海のほうへ蚤の市を進むと
とても懐かしいような歌声が背中から大きく響いてきた

その歌声に、一瞬
自分がどこにいるのかわからなくなった
カーッと太陽の照りつけるヤッフォーの蚤の市の真中で
立ち止まる

地中海のまとわりつく海風と
京都の盆地の湿気の記憶が重なる

自分の中の日本の心にはじめて気がついたのは
その歌を中東の限りなくブルーな空の下に聴いた時だった
その暑い中東の市場に流れてきたのは
遠い昔、子供の頃に聴いたこの歌だった


「上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
思い出す春の日 一人ぽっちの夜

上を向いて歩こう
にじんだ 星をかぞえて
思い出す夏の日 一人ぽっちの夜

幸せは 雲の上に
幸せは 空の上に

上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
泣きながら歩く 一人ぽっちの夜

思い出す秋の日 一人ぽっちの夜

悲しみは 星のかげに
悲しみは 月のかげに

上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように
泣きながら歩く 一人ぽっちの夜

一人ぽっちの夜
一人ぽっちの夜」



そして二週間前だったか、エルサレムの夜
神戸の街とメールをしていると
15年ぶりにこの歌が流れてきた
エルサレムの自宅のFMラジオから、懐かしいこの歌が

思えば、あれからずいぶん遠くへ来たもんだなあ
またあの蚤の市に行ってみようか

Sunday, February 05, 2006

しあわせな出来事

去年の11月11日のこと

「クレープに誘われて、探偵落第」で見失ったノアム君

久しぶりに彼から電話があった

「今、彼女と一緒にチカの家の近所にいるから、
今から行ってもいい?」

もちろんですとも!

ニューヨークに住む彼のいとこは
私のかけがえのない友人

ノアム君ともその友人を通して
5年来のつきあいがある


「チッカ~!久しぶり!」


大きな笑顔でノアム君が入ってきた
その後ろから小柄な娘さん

少年のままのノアム君に
しっかりした彼女
大きな透明な石の指輪

結婚式は3月の半ば
エルサレムにて

NYの友人たちもやってくる
私の親友もやってくる
単純にうれしいな~

幸せな人のエネルギー
美しい人のエネルギー

みんなもも幸せになれる
早く3月が来るといいな

Friday, January 27, 2006

さよなら「あっぷする~と」

2ヶ月ほど前のこと。エルサレムの旧市街へ行く途中に、マーク氏の「あっぷする~と」の前を通ったので、店の中を覗いてみた。

いつも礼拝ばかりしている、とマーク氏が嘆いていた人のよさそうなアラブ青年の姿が、相も変わらずキッチンの奥に見えた。しかしハッサンの姿もなく、それよりも肝心のマーク氏はどこに?また近所のパン屋で油を売っているのかな?おやっ?「あっぷする~と」の店内に、見知らぬイスラエル人の中年の夫婦が通りを伺うようにして座っている。

「いらっしゃいませ~」

はい?あれ?

「あの~、マークはどこでしょう?」

「あ~、もう、いませんよ」

「もう、い・な・い・・・???」

あっぷする~とを飛び出して、急いでマーク氏の携帯電話に連絡を入れる。

「アハラ~ン!チカ!元気?久しぶりだねえ~!」

・・・マーク氏よ、それはこちらの台詞だよ。

「今ね、メア・シェアリムの入り口の角のカフェにいるから、来る?そう、ここで働いてんのよ、しばらくね」

旧市街からの帰りに、マーク氏のその新しいカフェに寄った。通りを急ぎ足で行きかう男も女も黒い服に黒い帽子やスカーフ。そんなメア・シェアリムには少し場違いな、おしゃれなヨーロッパ風の小さなカフェ。なかなか居心地がよさそうではないですか。カフェの入り口には、一目でマーク氏の手作りらしいカウンター。その中で、相変わらずクルクル目のマーク氏は片手タバコでのほほ~ん。

「マーク!」

「アハラ~ン!チカ!なに食べる?!」

ガクッ。「チカ=腹減り娘」なのね、マーク氏のアタマの中では。

「そうね~、でもお腹すいてないんだけど・・・おっ?いい匂い!おおっ?マッシュルームのスープ?食べる食べる!」

ガクッ。なんだかんだ言いながら、食べ物を拒めない自分が情けない。

「それで、マーク氏、どうしたの?あっぷする~とは売っちゃったの?」

「そうなのよね~ん。パートナーがさ、あの店は売るってんで、あ、そう、って。でも、オレも毎日ブラブラしてるわけにも行かないしさ、今さら地元のハイファでのフード・ビジネスは難しいしだろ?それで、ここのオーナーはオレと同じロシア人だから、ちょっくら手伝ってやろうかしらん、なんてね。でもな、チカ~、秘密だけどね、まあ、ここはあと数ヶ月も持たないね。オレも他にも何か考えなくっちゃさ、家を売る羽目になっちゃうからさ~。で、寿司バーなんてどうよ?チカ、寿司巻けるだろ?」

「・・・巻けますけどね、お寿司くらいは。でも、ほんまに店を開くとなれば、毎日誰が寿司を巻くのよ?握るよの?それにしても「あっぷする~と」は売っちゃったんだ・・・。残念だなあ。それで今どこに寝泊りしているの?バスで40分ほどの街の義理のお母さんの家?ああ、だから夜はヴォッカもお預けなんだね。なるほど、大変だねえ・・・」

そんな会話があって、温かい湯気のマッシュルーム・スープを食べ終えると、じゃあ、またね。

それから昨日の夜、どうしているかとマーク氏の携帯電話に連絡してみた。しかし誰も出ない。留守電にメッセージを残しておいた。そして今日、もう一度連絡を入れるも、またもや留守電。メア・シェアリムの入り口の角のカフェも閉まっていた。

マーク氏、どこにいるのでしょうか。なんと言っても生き残り合戦ではタフなマーク氏だから、それほど心配もしないけどね。きっと今頃は、また穏やかな地中海にボートを浮かべて魚を釣りながら、のほほ~んと片手タバコで次の案を練っているのかな。

私もあなたのように、何があっても「のほほ~ん」としてみようか。諸行無常、移り変わらないものは何もない。すべてにははじまりと終わりがある。今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹く。たくさんの波が寄せてはまた引いてゆく。あの街角で出会い、またどこかの街角で別れがある。そしてまた新しい出会い。またきっとどこかで会おうね、マーク氏よ。その時をのほほ~んとエルサレムのどこかの街角で待っているよ。