Wednesday, July 21, 2004

遠い祖国 far away home

ある国の独立記念パーティにひょんな理由で顔を出すことになった。パーティの行われるヘルツェリア・ピトゥアという町はイスラエルのビバリーヒルズか神戸の芦屋か。エルサレムのどこを探しても決して出逢うことのないモダンな白亜の豪邸や各国の大使官邸が静かな地中海に向かって建ち並び、とても中東の小国とは思えないリッチな町並み。

太陽がちょうど地中海を真っ赤に染めて沈んでいく「7時30分よりレセプション」と先日送られてきた招待状には記されていたので、それに間に合うように宗教色の濃いエルサレムでは着られないようなノースリーブのドレスで、ちょっとだけおめかしをして、太陽が少しだけ西に傾きかけた6時頃にエルサレムを出た。

エルサレムから地中海へと西に向かって10分ほど高速を走ると、車の窓に映る景色は驚くほどに、途端にヨーロッパかどこかの長閑な田園風へと変ってゆく。エルサレムのカラカラに乾いた砂漠の空気も地中海独特の湿気を含んだ熱くベタベタした風となってすでに車内に舞い込み、首のまわりにじっとりと絡まりはじめて、思わず急いで窓を閉めてエアコンのスイッチを入れた。

カーッと焼けるような西日が海岸沿いの左の窓から車内に差し込み、ヘルツェリア・ピトゥアの海沿いのホテルに着いたのはちょうど7時。夕焼けがほど好い具合に穏やかな色に海を染め出した頃。ホテルの駐車場に車を停めると、久しぶりに眺める目の前に広がる海と潮の香り。パーティがはじまるまでまだ少し時間があった。すーっと少し軽く海風を一つ吸い込んで、そのまま崖下のビーチへと降りて行くことに。

ゆるい坂道のペーブメントをビーチに向かって下って歩いてゆくと、ちょうど一日の終わりを海で過ごし、濡れたままの水着でペーブメントをゆっくりと上ってくる楽しそうな子供づれの家族たちとすれちがう。もう一度、今度は思いっきり海風を深呼吸してみると、なんだか体も心も生き返ったような心地よさ。そしてほんのりとピンクに染まったビーチの砂の上には、夕日に照らされた裸の小さな子供たちが大人の世界とは無関係にキャッキャッとうれしそうに走り回る。日中の熱い太陽で温められたほっこりと母の胎内の羊水ような海に包まれるように浮かぶ人々。夕日と波の輝きの合間に見え隠れするカヤックの上の黄金の人影。

ああ、地中海の町での生活とはこんなに穏やかで平和なものなのだと、たった一時間ほどしか離れていないのに、こんなにも遠い遠いエルサレムの息の詰まりそうな緊張した日常が、まるで異国のことのようにさえ思えはじめてくる。



朱色のメノウのような夕日はまだ波の上にかろうじて浮かんでいる。海風もまだ少しだけ、地中海のムッとした熱さを含みながら。ビーチのオープンカフェでは数人の若い女性客が夕日に照らされながら、イスラエル人特有の全身を使った身ぶりの大きな楽しそうなおしゃべりがはずんでいる。そんなまったく何の変哲もない日常の光景が、いかにもエルサレムの日々とは全く無関係で、どこか・・・そう、映画にでも出てくるような安穏とした非現実的な世界がそこには広がってる。

もうホテルへ行こうかな。それともこの映画の中に飛び込んで、カフェの白い椅子に座ってミントの効いたアイスティーでも飲んで行こうか。そう思いながら手にしている蒼い絹の中国刺繍のバッグの中の時計をチラッと覗くと、ちょうど7時半をまわったところだった。さあ、どうしようか。少し迷っていると、ちょうどこのカフェの上が今夜のパーティ会場のテラスらしく、あの国の民俗音楽団の演奏が静かに波音の合間に流れてきた。それでは映画出演はまたこの次の機会にと、ペーブメントをホテルのエントランスへと歩いてゆくと、一挙にエルサレムの現実に引き戻されたかのようにグレーの警備服に腰には銃を下げたタフそうな三人のイスラエル人がそこに立っていた。

 「Shalom! Where are you going?」

そのうちの髪の長いいかにも中東らしいパッチリとした、薄い茶色の大きな瞳の若く女性が独特のヘブライ語訛りの「エー」という音が耳に残る英語で尋ねてきた。

「ホエアー エーユー ゴーイング?」

彼女の後ろには、上質の珈琲豆のように艶々と輝く肌のエチオピア男性が金属探知機を片手に構え、しかしニコニコとして私の答えを待っている。イスラエルではエチオピアの人々とごくごく日常的に出逢うのだが、彼らはいつもとても優しくて、どこか草食動物のようにゆっくりとおだやかで、しかも女性は小さな整った艶のある顔立ちに、カリッと引き締まった見事なS字の身体のラインが丹精に作られた芸術品のように本当にため息が出るほど美しい。

 「Shalom, Shalom!」

中国刺繍のバッグをちょっと開け、招待状を取り出すふりをすると、

 「Ok. I see! You can go in, have a great time!」

「have “a” great time!」と言った”a” がやっぱり「エー」と聞こえて、大きな瞳はニッコリ笑ってそう言うと、彼女の後ろに立つ三人目がドアを押して開けてくれた。

パーティ会場の入り口には、遠目にもイスラエル人風ではない、背がすかんと高く日に焼けた数人の男性が、これまたイスラエルでは珍しくヨーロッパ風にスーツにネクタイをビシッと着こんで立っているのが目に飛び込んできた。「あ、どうしよう。何か言わなきゃいけないのかな?」と思うまもなく

 「ヘェッピー・ホリデー!」

おかげですっかり「エ」のうつった発音で、にっこりとほほ笑んで、一人ずつとしっかり握手をし、地中海に面したテラスへと。あまりにも気さくな紳士たちだったのですぐにはピンと来なかったのだけど、どうやらこの男性陣は今夜のパーティのホストであるX国の大使たちのようだった。ホテルのテラスには手入れの行き届いたグリーンの芝生がエルサレムのガタガタの石畳になじんだ足には絨毯のようにふかふかと心地よかった。

一筋の白い光が水平線の彼方から放たれて、太陽は海の向こうへと消え去った。空からは深い紫色のヴェールが降り、風は西の彼方から海の上をなでながら心地よい冷たさを含みはじめた。テラスが少しずつ賑やかになりはじめたとき。華やかな楽団の演奏がそれまでとは打って変わって、聴き慣れないX国の牧歌的な国歌を静かに奏ではじめた。それにあわせてゲストも皆立ち上がって、静かにその穏やかなメロディーを聴いている。そしてX国の国歌に続いて、なんとも悲しげなメロディーが流れた。イスラエルの国歌である「ハ・ティクヴァ(希望)」が、ビーチからの波音と重なって強くあたりを震わせ、ちらほらとホテル上階の客室のベランダから耳をすませている人影も見える。

 「われらの胸にユダヤの魂が脈打つ限り
 東に向かう
 シオンに向かい未来を望み見る限り
 二千年の希望は
 われらが自由の身となって
 祖国シオンとエルサレムの地へと
 われらが自由の身となって
 祖国シオンとエルサレムの地へと」

演奏が「祖国シオンとエルサレムの地へと」へ差し掛かったとき、芝生のテラスのあちらこちらから胸に秘めた思いを募らせた声が海風に乗って波のように重なり合って。そして歌の最後には心からの拍手が沸き起こった。イスラエルに来てから、もう数え切れないほど耳にした「希望」という名の「ハ・ティグヴァ」というこの歌。いつどこでであっても、この歌の終いには人々の思いが込められた音となって胸が詰まる。なぜこれほどまでにこの歌はユダヤの民だけではなく、こうもいろいろな人々の心に響くのだろう。ユダヤの人々の何千年という西へ東への流浪の日々を支えてきた一つの希望。いつの日にか、必ずや故郷のエルサレムの地へ、と。現在のエルサレムのあり方、そして戦後のイスラエルの建国のされ方に問題がなかった、またはないとは必ずしも言い切れないが、それでも何世紀という長い長い時間を他と交あうことなく異郷で生きつづけ、そして幾度となくその土地から追われ、これほどまでにこの四国よりも小さな故郷への帰還を夢みていた人々の思いに何が言えようか。この土地に帰りたくても帰れずに、しかし心から安心して定住する場所もなくヨーロッパを追われつづけたユダヤの人々。そしてほんの半世紀前まではこの土地に暮らし、そして追われ、いま再びこの土地に帰ることを夢に見るアラブの人々。卵が先か鶏か、これほどまでにもだかった糸を一つ一つほどくのは、今となっては現実的には難しいこと。しかしこの土地が、その名は何であれ、悲しく泣いているその現実。この土地にかかわる人々は政治と平和という名ばかりの正義の犠牲となり、多くの人々が傷つき、しかしそれでも日々は坦々と流れる。このハ・ティグヴァ、そう、「希望」という歌を聴きながら、何とも複雑な気持ちで夜の白い地中海の柔らかな波頭を見つめていた。

それからの夜はシャンペンやイスラエルの北部で採れるぶどうのワイン、おいしい地中海のディナーパーティと、ゆっくりと華やかさを増していった。民族音楽団の奏でる演奏も軽やかで楽しく、窮屈な靴なんて脱ぎすてて裸足でやわらかな芝生の上を心地よく歩きまわっていると、中東の日に焼けた大きな鼻の、なんとも気さくで人懐っこい田舎の大将のようなX国の大使を交えて、というよりも彼を筆頭にしてみなX国のフォークダンスをクルクルとオルゴールの上の人形のように踊りだした。そして時計の針も深夜に近づき、ちょっとほろ酔いの大使やもうすっかりへべれけに酔って真っ赤になっているX国の民族衣装の楽団員たち。シンデレラはまた砂漠の街エルサレムへと帰らなければ。でも靴は一足テラスに残しておくとしよう。どうも今夜は楽しい時間をありがとう。

エルサレムまで帰るX国出身の知人たちと一緒に駐車場の車へと夜の海風に吹かれ、帰路の車中、すっかり心地よい気分の彼らがポロポロと語ったこと。今夜のパーティの招待客の多くがX国から職も地位も投げ打って、中には家族とも離れて、この国へ移住してきてもう何十年という。そんな彼らは久しぶりに会った気心の知れる人たちとのお国言葉での会話がはずみ、楽しい和やかな時間が過ぎて、今夜は本当に楽しかったけれど、その分、こころがとても痛いんだのだと。もしこれが映画であったならば、「何でもやって見せるぞ!」と長い長いあいだあれほどまでに夢見たこの祖国の土を踏み、ゼロからの再出発の夢と希望のハッピーエンドというところでも、現実にはそこからの続きがある。先祖から伝えられた夢の祖国にいる事実と、ここに来るために去ったもうひとつの、おそらくふたたび帰ることはないであろう生まれ育った遠くのあの祖国。家族や自分の住んでいた家は、海は、学校は、友は、父や母、は元気だろうか。そしてあの美しい人はどうしているのだろう。みなすっかり変ってしまったのだろうか、それとも記憶の中とおなじくあの時のまま、そこにあるのだろうか。ダンスを踊りながら懐かしんだ祖国の思い出は美しく、そして美しいがゆえに忘れられずに張り裂けんばかりのこころが痛む。それと同時にここにこうしていられることの喜び。そんな思いが皆のこころにあった海辺のホテルの夜。それでも車が砂漠のエルサレムの街に近づくにつれ、彼らはどこかほっとしたような、そう、まるで温かい我が家に帰るような穏やかな表情に帰る。そしてまた日は暮れてまた昇り、いつものエルサレムでの日常がはじまって。エルサレムというこの街は、彼らのような多くの人の悲しみとよろこび、そして希望という思いがぎっしりと詰まった街。たくさんの悲しい涙を抱えた幸せの街。そしてそこに生きる私もまた、ひとつぶの砂のようにこの街の一部になりつつあるのだろうか。

Thursday, July 15, 2004

17歳の夏

17歳の夏、はじめて日本という島の外へ旅をした。
それはシルクロードの入り口のゴビ砂漠、オアシスの町、敦煌を目指して。

高校3年になってすぐのある晩のこと。夕飯が終わってから一服していた父は突然、「この夏に中国に行くけれども、お前は中国なんて興味ないよなあ。」と、冗談交じりに笑いながら私に向かって言った。それを聞いてなにを思ったのか私は、即座に、「行くっ!」と、ひとつ返事。「えっ?」と、ビックリしながらも、冗談にしろ誘った手前連れて行かねばならぬのか、と頭を掻く困ったようなうれしいような父の表情がなんだかおかしくて、こうして母も兄も抜きの、私と父とのあの夏の旅が一瞬にして決まってしまったのだった。

他のクラスメイトは受験勉強に追われていたあの夏休み、のんき坊主な私は受験勉強もそっちのけに父と大阪の伊丹空港を出発して、何日かかけて北京から蘭州へと北上した。紫禁城の壮大さにぶったまげ、楊貴妃の庭でちょっとその気になって遊び、はじめて見るコーヒー牛乳色した黄河で乗ったフェリーの舵を執らせてもらう。行けども行けども続く、雪をかぶった天山山脈の果てしない荒野。時折思い出したように現れる狼煙台。砂漠を満天の星の下、ガタガタとオンボロバスに揺られて、やっとたどり着いた敦煌の町。時計を見れば真夜中過ぎの午前二時。器をひっくり返したようにあたり一面180℃に、天の川がどこにあるのかさえわからないほどの無数の星たちが煌めいて、憧れのシルクロードの入り口までやっと到着した旅の疲れと感動で、もうそれだけで胸がいっぱいになり、夜空と星の他には何も見えなかった。 
 
次の日には朝早くに、まさに『月の砂漠』のイメージで、鳴砂山という砂山へ向けて駱駝に揺られトコトコトコトコと。初めて揺られた駱駝の背中は、想像していたよりも骨ばってゴツゴツとして、質の悪い絨毯の上に座っているような。駱駝が一歩踏み出すたびにけっこうおしりが痛くて、ポロシャツにタオルを首に巻きつけた父は、私の後の駱駝の上から「あいたたたぁ」。

朝日の光と影の織り成す線が、とても芸術的で美しい鳴砂山は、小さな三日月の形をした、鏡のように透き通った月牙泉という、砂漠にあっても一度たりとも枯れた事のない泉のそばに、砂丘のように静かに私たちを待っていた。父と二人、ゴツゴツした駱駝の背中から開放され、サラサラの砂の上を頂上に向かって歩き出すと、一歩一歩、きゅっ、きゅっ、と音がする。この音は砂が夜に間に降りてきた霜を含み、靴に踏まれてきゅっ、きゅっ、と鳴く様な音を出すので、鳴砂山と言うのだそうだ。やっと登りつめた鳴砂山の頂上で、父はおもむろにリュックの中からなにやら中国語のラベルのついたボトルと、旅の途中で手に入れた深緑色の薄い石で作られたグラスを二つ取り出し、紹興酒を注いで乾杯!私はこんな父に出逢うたびに、あの映画のインディアナ・ジョーンズを思い出し、なんだかおかしくなってしまう。
 
それからしばらくの敦煌の滞在では、仏教史博士の父の旅の目的地であった莫高窟(ばっこうくつ)の壁画へと足を運ぶのに忙しく、窟内で父は一生懸命にメモを取り、いろいろと壁に描かれている絵の意味や物語などを説明をしてくれたのだが、私はただその美しい天女のような姿が描かれた壁画に見とれるばかりで、その他の事は何がなんだかさっぱりわからずに、旅に出る前にもっとちゃんと勉強しておけばよかったと、少し後悔したのを憶えている。

そして敦煌での最後の夜は、どうしてもあの夜空をもう一度だけ心に留めたくて、翌日の旅の準備を終えてから、ひとり星降り注ぐ空の元へと。夏の砂漠の夜空の遠く向こう、星が途切れたところが地平線。両手を広げても、息を吸っても吐いても、前も後も右も左も、星、星、星。ひとり、星明りの下、地面にぺったりと座り込み、敦煌の夜風に月の砂漠を口ずさむ。     
 
それから帰国して月日が流れ、敦煌熱もすっかり冷めかけた、高校を卒業した頃にはもうかなりの近眼になってしまった私の目は、眼鏡をかけても、コンタクトレンズを入れたところでも、もうあの夏の夜空の星たちのひとつひとつをはっきりと認識できるほどの視力は持ち合わせなかった。あの17歳の夏に見た、敦煌のあの煌めく夜空がその最後となってしまった。

Friday, July 09, 2004

「あっぷする~と」は相変わらずに。

またまた登場の「あっぷする~と・シャワルマ」、奥の間には相変わらずイェシバの学生達がテレビに見入っているし、前回マーク氏が作ったカウンターのおかげで、一人でも気軽に入りやすい店内の雰囲気となって、お客さんは大入り。うんうん良かったね、マーク氏。とキッチンに目をやると、あら、なんと、あなたはハッサンではないか!

そう、このハッサン、彼は「謎」のトルコ人。
トルコのとある町からなぜかイスラエルに出稼ぎに来て早数年が経ち、最初のころはイスラエルでもアラブの町のほうで働いていたのが、パレスチナとトルコの歴史的理由が原因であまりいい待遇を受けなかったらしい。そこでいつの間にかマーク氏の『あっぷする~と』マジックにかかってここの一員に。でもあのハリルが来る前にハッサンはどこかへ消えてしまったのが、なんと、今夜はごくごく普通に、いつものようにまたちゃんとキッチンにいるではないか。

「ハッサーン!久しぶり!まだイスラエルにいたの?」

そう尋ねると、ふきんを持ったままの手で相変わらずスポーツ刈りの頭をなでながら、彼は恥ずかしそうにはにかんで、掃除用のスプレーを左手ににぎっている。彼はどこでも・なんでも・いつでも掃除魔なのだ!あっという間にテーブルからお皿を下げてシュッシュッとスプレー、サササッとふきん。店内はおかげでいつもよりはるかにピカピカ。

「えっ?市民権を得たからもう大丈夫?ずっとここにいられるの?」

ななななんと、謎のトルコ人ハッサンはいつの間にかちゃっかりとイスラエルの市民権を得て、市民としてのIDまで持っていて、一週間前に『あっぷする~と』に帰ってきたらしい。うーん、消えている間にどうやらこれをどこかで手に入れてきたのね。

それからしばらくすると、ハリルがいなくなってからハッサンが帰ってくるまでここで働いていた、エルサレムの旧市街に住むアラブの男性が残りのお給料を貰いにやってきて、私を見るなり「探してたんだよ」と言う。ん?なんだろう、と思っていると、彼はいま旧市街で家族と一緒にレストランをやっているので、『あっぷする~と』と同じように店内にメニューの写真を貼りたいから、それをお願いしたいという。ちょっとどう返事をしようかと、横で話を聞いていたくるくる目のマーク氏をチラッと見ると「いいんでないの?」っといつものノンキ顔をしている。「それじゃ、まあ、とりあえず、そのうち行きますわ。」というと、来週には必ず来て欲しいと八の字眉毛にして泣き出しそうな顔をするので、断るに断れず、じゃあ、いついつの午後の三時あたりに行くということでOKしてもらった。

あらららら。正直、ちょっと困りましたなあ。というのも、イスラエル国内でもアラブの町の物価はユダヤの街の物価よりもうーんっと安く、おまけに彼らの写真代というものの相場がわからないし、わかったらきっと私はこの仕事は断ってしまうような気がするので、やってもいいと思うのならば聞かないほうがいい。でも現像代がやっと出るだけのというのは、ちと困る。それともうひとつの困ったなあは、彼らアラブの好むスタイルは目茶目茶派手なのだ。ニッポンのトラック野郎の赤や黄色や紫の電飾ピカピカでド演歌のあの感じ、といえばピッタリくるような、そんな派手さはまさにアラブのお気に入り。そういう人たちが良いねーという写真ってなんだろう?困ったなあ・・・。とりあえず、来週、旧市街に行ってみます。

「ね、ところで、この前の魚は?」
と、マーク氏、思いだしたように聞く。
「えっ?この前来た時にグリルしてくれたお魚?おいしかったよ!今日もあるの?」
と、ワタシ、ニコニコと答える。
「ハローハロー、誰かいますかねぇ?」
と、マーク氏、私の頭をつ、つ、く。
「ん?・・・・あっ!・・・忘れてた!来週もって来るわ!!」

そうです、すっかり忘れておりました。前回マーク氏に頼まれた新しいメニューの魚のグリルの写真を。撮影した後に食べたんだよねー、あのお魚さん。いやはや、あのお魚、おいしかったのでちゃんと食べたことだけは憶えておりました。と、いつもの『あっぷする~と』の夜はふけてゆく。