Thursday, March 18, 2004

苺くらべ

エルサレムの台所マハネ・イェフダ市場。雲ひとつないきれいなイスラエル・ブルーの空の下、市場の前のアグリッパス通りはいつものように買い物客でにぎわい、銃を肩からかけた警備兵がやる気なさそうに出入り口付近の買い物客のバッグをチェックしている。この一方通行の細い通りではいつも車におかまい無しにみんなあっちこっちと道路を横切るので、車はのろのろ運転で渋滞、しかも一方通行にもかかわらずバックで逆行していく車もいたりして、相変わらずごったがえしている。例の雑貨屋の前を通ると小さなトラックが積荷を下ろしているところで、どれどれっと覗いた荷台にはもちろん、大量のエコノミカが...。そう、もうすぐ春の大掃除がやってくるのだ。

春先とあっていろいろこの季節の旬のものが店先に並んでいる。たくさん並んだ店の真っ赤な苺。よし、今日あたりは買ってみよう。市場をぐるりと一回りして甘そうないちごを探してみると、1キロ*3シェケル(90円あたり)から9シェケルと、値段はかなりばらばらだね。たかが苺に9シェケルなんて払う人がいるのだろうか。しかしこの市場の勝手知ったるは強し、入り口に近ければ近いほど品物の値段が高く、真ん中あたりやあちこちと横道に入るほど安くなる。うろうろと市場内を歩き回り、ちょうど真ん中あたりのこの店の苺、1キロ4シェケルで見た目もけっこう甘そう。よし、これだ! と1キロ、店のお兄さんに頼むと大きなスコップのようなもので、台に乗った苺たちをザーッとすくって透き通ったプラスチックの入れ物に入れてくれた。おお、いかにもプロの手。そして市場の中のもう一本の通りを出口に向かって歩いていくと、おや、ここにもけっこうおいしそうな苺たちがいるではないか。1キロ5シェケルかぁ。ちょっと高かなぁ。でも見た目は今買ったのよりも随分と大きくてきれい。チラッと自分の手元の苺たちと見比べて、思わずまた「1キロちょうだい!」と買ってしまった。ちなみにこの国では、野菜や果物はほとんどみんなキロ単位で買っていく。

アグリッパス通りを車の合間を横切って渡り、家まで10分ほどを歩いて帰ってくると玄関先でTataが待っていた。

「おっ、ひさしぶり!ここしばらくみなかったよねぇ。えっ?晩ご飯なにって?イチゴだよ、イ、チ、ゴ、2パック。そう、2キロもあるから。さっ、どんどんお食べ」

ちょっとからかってみる。いくら野菜好きのTataでも、さすがにフルーツはお口に合わないよう。さっそく買ってきた苺を洗って大きなボールに入れて、さあ味見、味見。まずは4シェケルのほうから。ぱくっ!うーん、小ぶりでまあまあ甘いけど、今日中に食べなければ明日には痛んでいそうな予感。だから所詮は4シェケルなのか。では5シェケルのほうはどうかな。見た目はこっちのほうが大きくて断然きれいだけど、はたしてお味の方は?ん、4シェケルのよりも、もうちょっと甘いかな。それとも1シェケルの差という心理的作用が、こっちの方がほんのちょっと甘いような気にさせられるのか。もう一度食べくらべてみる。いや、やっぱりおんなじだ。あっ、そうか!とここでやっと気がついたのだ。たった1シェケルしかちがわないものを比べたって、はじめっからそんなに差があるわけがないではないか。いやはや、なんて無駄でせこい比べ方をしているのだろう。どうせ比べるのなら4シェケルのと、一番高い9シェケルのを比べたらよかったのだ! そして苺にかけたお金はトータル、9シェケル。だったらはじめからケチらずに、思い切って9シェケルのを1キロ買ってみればよかった...。どうも市場という場所は、庶民をさらにビンボー臭くさせるパワーがあるよう。

さっきからTataは「僕のご飯はまだ?」と、愚か者めと呆れ顔でワタシと大量の苺を見つめ、ああ、どうしよう。こんなにてんこ盛りのたくさんの苺たち。ふむっ、ジャムかな。やっぱり...。


*いちご1キロはだいたい日本のいちごのパック2つ半ほど。

Friday, March 05, 2004

お湯がない

二週間ほど前に雪が降った。にもかかわらず、ここ数日は30度の真夏日が続いている。いくらなんでも3月はじめとしてはちょっと暑すぎるが、久しぶりにバスタブに熱いお湯を張った。そう、「久しぶり」というのにはやっぱりある訳がある。

イスラエルではいまだに都市ガスではなくプロパンを使用し、玄関脇に小さなガスのタンクが置いてある。はじめはいまどきプロパンガスとは!と驚いたが、在イスラエル5年、それにもすっかり慣れました。また、電気使用料はけっこう高く給水タンクのお湯を温めるのには、各家庭の屋根に設置されているソーラーシステムが大活躍。しかし冬場の天気の悪いときなどにはほとんど役に立たないので、そうなると電気式のボイラーで30分から1時間かけて給水タンクのお湯を沸かすことになる。これもまた非常に不便、かつとんでもなく時代遅れな感じで、数年ごとにモダンな日本やニューヨークに行くと、温かいお湯が無限にどんどん出てくるのには驚きと喜びであり、ああ文明ってすばらしい、なんて感動してしまうのである。そして特にお風呂。これはやはり「日本の湯」に勝るものなし!エルサレムでシャワーを浴びようとすれば、自動的に頭の中ではあとどれくらいタンクにお湯が残っているのかを気にしながらになるので、とてもじゃないけど「ほ~っ」とリラックスなどは夢のまた夢。そしてお湯を張ろうものなら、たいていの場合は普通サイズのバスタブにはタンクの水量は少なすぎるので、浅い湯船に子供の水遊びのような感じで座るか、または水を足して満杯にしたけどぬるいので風邪を引くかのどちらかである。

一週間前の火曜日、まだエルサレムが冬だった頃、シャワーをかけていてもなぜかお湯がぜんぜん温たまっていないので、ボイラーが壊れたのかと夕方大家に電話をしたところ、さっそく明日誰かをよこすとの返事。このプロレスラー様な大家さん、返事だけはいつも調子よくすばやい。そして次の日は待てど暮らせども結局は誰も来ず、冷え込む石造りのアパートでキッチンとバスルームのお湯なしの寒い日を過ごした。

そしてその翌日の水曜日、大家にもう一度電話すると「今日はきっと来るはずだから」という返事なのでまたしょうがなく待つ。今思えばこの時点で自分で修理人を呼べばよかったのだが、下手に呼んではこちらが代金を払わされることにもなりうるので、大家に任せることにしていた。そして日が暮れはじめても、誰かが屋上に上がって行った気配はなくまたもやはずれの日、ああ、ため息が漏れる。その夜、またまた今度はちょっと起こり気味で大家に電話すると、実は誰かやって来たらしいが、彼は修理に間に合う道具を持ってなかったとのことで、そのまま未修理で帰ったという。だったら一言言ってほしかったよな。あー、やっぱりこっちで呼べばよかった、と後悔先に立たずでこれでお湯無し生活も「事無く」2日目が過ぎる。このあたりで、だんだんとゾクッとするほど冷えきったキッチンとバスルームに行くのがとってもおっくうになって来る。そして、明日は木曜日・・・。ということは明日直してもらわなければ金・土曜の安息日をはさみ日曜日までの間、まったくの、お、湯、な、し??いや、それはさすがにきついので、なんとしても願わくは明日にはぜひとも直してもらいたいと、抱かなきゃいいのにはかない希望を抱いていた。

そしてお湯なし生活3日目の木曜日。灰色の空の下、お昼過ぎまでストーブのそばでじっと待ってみるけれど、もう、胸の内のいやーな予感はここまでくればまちがいはない。今日もお湯なしなのね、きっと。朝から誰も来ないので午後2時ごろに大家にまた電話をするとこんな返事が。
「あ、昨日の修理人とね、ケンカしたから。代わりの、日曜に送るから。じゃ。」
ああ、だからいやなんです...この国で人に任せるのが。

うううううーん。お湯がない。
うううううーん、と悩んでも嘆いても、やっぱりお湯はない。
シャワーをかけたくてムズムズする。おっ、ここで名案が浮かんだ。そうだ、お湯を沸かそう! さむーいキッチンでふだんパスタをゆでるイチバン大きなお鍋に水を入れ、市場で買った何度擦ろうとしてもボキッと折れるマッチに「うりゃッ!」と脅しをかけると、イッパツで火をつけることに成功。ああ、マッチ売りの少女にならないで。ふふふ、これは先行きよいぞ。そして10分ほどでお湯がちゅんちゅんに沸いてきたっと、あら、しまった!お料理してるんじゃないんだから、こんなに沸騰させてどうする?あわてて火を止め、コンロからおろすも、なぜかあつーい鍋を持ってキッチンをウロウロ。さて、小さな鍋に水を入れてその沸騰したお湯を足し、顔と首を洗う。おー、久しぶりのお湯、きっもっちい~い。でも、ふと、寒いキッチンで鍋にお湯を沸かして顔を洗う自分になぜか、とても貧乏な気分になったのだ。これが旅先のインドなどなら、それはそれで話はまた違うのだが、まさか自宅で、とは思いもよらなかった。

なんだか、エルサレムで気分はとっても四畳半物語。

そして日曜日。春らしい日の午後、やっと修理が終わり、今は夏のような日々。ソーラーシステム大活躍である。ああ、長かったお湯無しの日々よ、さようなら。