Wednesday, July 06, 2005

夢の中へ、ふたたび。

おばあちゃんがこの春、朱鷺の園に入ってからしばらくの時間が流れて、かなりわがままなおばあちゃんがまわりとうまくやっていけるのかとの母の心配もよそに、おばあちゃんは穏やかな菩薩様のような顔になって、もう「ここどこけ?いつ帰れるがけ?」とは尋ねなくなった。

「あら、あんた、よう来たねえ。何で私がここにおるがちゃわかったん?うち行って来たら私がおらんかったからここやと思って寄ってくれたん?有難いことやねえ。でも、いいタイミングやったねえ、私、今日は偶然ここにおるがやちゃ。いつもいるとは限らんよ。今日はここに泊まっていこうと思って。ここに私の部屋があるが。3年ほど前から住みついとるん。ほんまに、ここはええとこやちゃ、あ、ええとこやちゃ」

いままでの出来事はすべて「3年前」なのだそうだ。それ以前でも以後でもない。そう言って、おばあちゃんは私が今まで見たこともないような美しい、何の心配もなければ煩悩のカケラもないような、すっきりとまるで世の中の柵のない無垢な少女のような美しい笑顔になる。

ゆきえさんが若かった頃、彼女は夢路の絵のように美しかったと何度も耳にした。蝶よ花よとお嬢様育ちで世間知らず。そんなゆきえさんを通りで見かけて一目ぼれしたという、私が生まれずっとずっと前になくなってしまった正弘おじいちゃん。画家の正弘さんと結婚した、どこか夢の中に生きているような美しいゆきえさん、でも戦争が始まって、ゆきえさんの現実は彼女がついていけないほどに厳しくなり、30代はじめの夫と生まれたばかりの次女を次々に結核で亡くしてしまったのだそうだ。

そして私の母と二人、ゆきえさんは泣く泣く実家に出戻った。それからゆきえさんは再婚もせずに、定年までの30年以上を国家公務員として街の大学で勤めあげた。やがて大人になった母が私の父と結婚をして家を出て、私が生まれる少し前にゆきえさんは自分の家を建て、それからずっと、90歳を過ぎるまで一人で暮らしていた。その長い長い時間が流れるうちに、ゆきえさんはすっかり変わってしまい、昔のようにゆっくりと夢の中では生けてはいけず。それでもいつも、相変わらずに高価一点主義で、品物を見極める目だけは確かだった。

ゆきえさんが90歳に近づいた頃、家に行くだびに不思議と妙なものが増えだした。一人暮らしの老人を狙った訪問販売。「布団の乾燥させるのにいいよ」とやさしく誘われて、乾燥剤の入った木の箱が三つほど。母から話を聞いていたので、ゆきえさんの反応を見ようと聞いてみた。

「おばあちゃん、何これ?」

「ええもんながやちゃ。3つもかったっちゃ」

「いくらしたん?」

「3つで70万。・・・でもええもんながやちゃ」

「うっそ!」

この質問を母と私、そしてゆきえさんの弟とで何度か繰り返すと、

「もう言わんといてっちゃ。わかったがやちゃ」

どうもゆきえさんなら目が確かだから、そんなことにはならないと思っていたのが、やはり甘かったらしい。

「おばあちゃん、なんでこんなん買うたん?」

「あの人はあ、話を聞いてくれたがやちゃ!」

そうでした。やっぱりゆきえさんはとても寂しかった。ずっとずっと一人で生きてきて、忙しい母もゆきえさんならほおっておいても大丈夫と高を括っていた。でも、本当はずっとずっとゆきえさんは寂しかった。そしてそれをゆきえさんは誰にも言おうとも、甘えようともせず、一人でずっと生きてきた。そうするのが当たり前だと言わんばかりに。

そしてこの春、お世話になっていたソーシャルワーカの方のおかげで、ゆきえさんは、ゆったりとした空間に設備の整った、まるでちょっとした温泉のホテルのロビーような明るく落ち着いた憩いの場もある朱鷺の園に入ることができた。まわりにはいつもやさしく声をかけてくれて、「うんうん」と面倒くさがらずに話を聞いてくれる大勢のスタッフの方がいる。同じような年代の人たちもそこに寝食を共にする。おばあちゃんにはそんな生活は初めての経験。新しい生活のはじめは不安がいっぱいだったはずが、すっかり今では落ち着いて、もう昔のつらかった事など忘れてしまったらしい。

「あんた、誰け?・・・・ちかちゃんやちゃねえ」

「そんで、あんたのお母ちゃんのだんなさんは死んだねえ」

「へっ?!おばあちゃん、お父さん、まだ元気やでえ・・・。誰も最近死んでないよ」

「あら~、ほやったけ?でも誰か死んだよ。私、あんたのお母ちゃんと一緒にこの前葬式行ってきたわ。あれは大阪のきよこちゃんやったか」

「きよこおばちゃんも元気元気!おばあちゃん、ここずーっと、誰のお葬式も行ってへんって」

「あら~、そんなことないちゃ。えええ?それほんとう?誰も死んどらんがけ。あら~。でもやっぱり誰か死んだっちゃ」

「うんん、おばあちゃん、誰も死んどらんよ。ちょっとおばあちゃん、うふふ、ぼけたのねえ」

「ちょっと?ちょっとじゃないちゃあ~!いっぱいぼけとるわ!ほら、あんた、あそこに時計があるやろう。あれ、止まっとるがやちゃ。私の頭とおんなじや!あっはっはっはっは!」

水戸の黄門様のように豪快に笑う。入れ歯がふがふがするのが大きく開けた口の中に見える。

「あんた、ここの庭の向こうはどこかしっとるがやちゃねえ?」

「ん?どこなん?」

「ここから向こうに出て、ほんで左へ行ったらあんたんちの裏通りにつづいとる。ねえ、そうやねえ」

「まー、お母さん!そんなことあるわけないでしょう。うちとここは車で25分ほどあるんですよ」

母はなんでそうなるのよ?と腑に落ちない。

「あら、あんた、まちごうとる。ここからこうやってそうやって行ったら、ほら、あんたんちの裏やちゃ、ねえ、ちかちゃん、そながやろ?」

「うん、おばあちゃん、そうやそうや。そんでおおとるよ。うちの裏に繋がるねえ。(うん、ずーっと歩いていけばね)」

「ほら、あんた見なさい。おかしなひとやちゃね~。そんなことも知らんの?どうやってあんたここに来たがやちゃ」

「余計なこと言わなくていいのに、もう!」と、母に太ももをバシッと叩かれた。

「だって、ずっとずっと歩いていけば、いつかはこの道はうちの裏の道に繋がるよ。ねえ・・・」

「屁理屈!」

あたりを見まわすと、みんな、テレビを見たり、ソファーで寝転んで昼寝をしたり、テーブルで広げた本の同じページをずっと眺めていたりと、たくさんい人がいるのになんだかとても静かだ。私の住む時間の流れの速いこの世界とは異なる、すっかり時間も何もかもが止って、ゆっくりとふわふわと雲の上を歩くような世界が広がっていた。おばあちゃんは90歳を越えてから、やっとまたあの頃のようにとても美しく艶々と、何の柵もなく、ふわりふわり、菩薩様のように、ゆっくりと夢の中を歩いているのだろう。ただ、もっと早くにこうしてあげればよかったのに、と悔やまれるのだけれど・・・。