Friday, December 31, 2004

ひかりほのかに (1940年の神戸で)

サンタに忘れられた、クリスマスの訪れない砂漠の街エルサレム。2005年の12月ももうそろそろおしまい。このエルサレムの街はイエス・キリストゆかりの地とあってクリスマスもさぞ賑やかで盛大なものかと思ってみれば、思いきり肩透かしを食らうかのように、いつもと変らぬ非日常的な日常がある。ましてや、この国の住人の大半を占めるユダヤの人々にとって師走は、毎年9月から10月にあるユダヤ暦の新年の前で、今日も5月の青空のようなすっきりと澄んだ中東の空の下。

しかし地球儀の北に位置する国々では、クリスマスと正月ムードで街も人も忙しくウキウキ。ふわふわ真っ白な雪ですら、中東にいれば遥か遠い国のできごと。クリスマス・プレゼントを求める人々で溢れるマンハッタンのMacy'sに、凍えそうな身体を芯まで温めてくれる甘く真っ赤なホット・ワインの、吐く息も白いベルリンのクリスマス・マーケット。大好きなあの人に、大切な家族にと、贈り物が見つからずに思わず溜息のひとつも漏れても、心は弾んで楽しいもの。

そして家中の大掃除に買出しに、成長した子供たちの帰りを今か今かと心待ちにしている父や母。ヌクヌクと炬燵でごろごろ、鍋をつついてのニッポンの家族団欒、目にも味覚にも色彩豊かなお重の御節料理。新年の行事。家族と文化、ノスタルジックに想いは遠いアジアの故郷の国へと。毎年この時季になると、あの頃の神戸を思う。

時はさかのぼって1940年のこと。神戸や横浜などではユダヤの人たちの姿が見られたという。いつどこかでかは忘れたけれど、安井仲治氏が1940年ごろの神戸で撮られたというユダヤの人々の写真。その写真には、流浪のユダヤの人々にあてがわれた神戸の家の窓から、帽子の下の頬がこけたひとりの男が窓の外を不安げに眺めてた。

その、名も知れぬユダヤの男の想い。国家の都合と利益、そのために家族と祖国とを失い、それまで聞いたこともないような名のアジアの小さな島国にヨーロッパの大陸から流れ着き、なにもかもが慣れない異国の街で、その先どうなるかもわからぬ不安な滞在の日々。現代の社会に住む私には、想像はできてもその現実はわかり得ない。

世界中で戦争がはじまって1年のち、ヨーロッパのユダヤの人々はすでにイタリアからの海路での脱出の手立てはなく、追われ追われてポーランドから小国リトアニアへ辿り着いた。その一行にはポーランドの有名なオーソドックス・ユダヤの学校、ミル・イェシヴァの生徒たちの姿もあった。しかしもう時すでに遅し、リトアニアから先は八方塞で、どの国もこのユダヤの人々を受け入れようとはせず。ロシアから大陸を渡るしか残された道はなく、途方に暮れるユダヤの人々の姿。そんな中、彼らに手を差し伸べたのは当時リトアニア日本領事代理の杉原千畝(ちうね)氏だったという。

リトアニアで途方に暮れていたユダヤの人々は、杉原氏の発行した日本通過ヴィザを片手に、この先どうなるとも知れない不安とかすかな希望を抱いてシベリヤを横断し、神戸、横浜へと旅をして。着の身着のまま、わずかな荷物と共に流れ流れて日本の土を踏んだ彼らは、数ヶ月から1年ほどの滞在の後には安住の地を求めて、上海などを経由してアメリカや当時パレスチナと呼ばれていた土地へと渡って行ったのだそうだ。

「神戸での1年間と上海の生活で、日本人のもっとも良い面と悪い面を見せてもらったよ。つまりはだ、日本はアメリカとの友好関係を保つには、ややこしくなりそうだったユダヤ問題は使いようだと考えたのだろう。河豚という魚は調理次第で猛毒にもなり、また最高の美味にもなるそうだ。そこで日本政府のユダヤ人対策はユダヤを河豚を見なして「河豚計画」と名づけられたと聞いたがね。

当時、日本はアメリカとの関係を考慮して、あの時の私たちのように難民となったヨーロッパのユダヤや、アメリカのユダヤに好意的ではあった。事実、私の滞在していた神戸でも、人々は私たちユダヤにひどい仕打ちなどはしなかった。勿論、当時のヨーロッパの状況に比べれば私たちはどこでも耐えられたのかもしれないがね。でもそんな生活もアメリカとの戦争がはじまるまでだったが・・・。

日本とアメリカは戦争をはじめ、上海は日本の占領下になり、その頃上海にいた私や他のユダヤの人々はもう外交に使えない邪魔なお荷物となったのだよ。詳しい数などは知らないが、ここでも他の外国人と同じように収容所に入れられたユダヤもいた。私はうまくアメリカへ渡り、長い月日を経てからイスラエルへとまた移り住んだ。ここではもう誰も私たちを追い出したり、収容所に入れたりはしないと思ったからさ。

しかしパレスチナとの問題で、この地でも多くの人々が亡くなってゆく。この地ですら、私たちにとっては安住の地とは言い難いかもしれないのだよ。この世界中どこへ行っても、ユダヤはいのちある「人」とは思われないのかね?」

エルサレムに住む、オーソドックス・ユダヤの友人アヴィーの父君の言葉。アヴィーの父君は、ポーランドのミル・イェシヴァの生徒の1人として、あの杉原ヴィザを片手に大陸を越え神戸へ渡りのちに上海へ、ごった返す上海からアメリカのニューヨークへと渡って行ったのだそう。アヴィーの父君は当時のことはあまり語らず、現在はエルサレムのヘブライ大学の近くで静かに老後を過ごしている。

クリスマスが近づく頃、ユダヤ暦のキスレヴの月の25日。ユダヤの世界ではハヌカの祭りがやって来る。BC165年のキスレヴの月の25日のこと、マカビーと呼ばれる小数のユダヤの司祭たちは、エルサレムを治めユダヤの神殿を奪ったギリシャ軍へ戦いを挑み、勝利を収めた。そしてユダヤの司祭たちは、取り戻したユダヤの神殿に火を灯そうとしたが、一日分のオリーブ油しか残っていなかった。しかし、その1日分のオリーブ油は、次のオリーブ油が神殿に届けられるまで奇跡的に8日間も燃え続けたのだそう。

それからは、毎年、キスレヴの月の25日からの8日の間、奇跡を起こした神の存在を忘れないようにと、ユダヤの家庭では日没と共に、ハヌキヤと呼ばれる蝋燭立てのようなものにオリーブ油に芯を入れ火を灯してゆく。その火の光りを通り行く人々が見られるようにと、通りに面した窓や玄関先にハヌキヤが置かれる。

エルサレムの街の夕暮れ時、家路を急ぐ男たちの姿。夫の帰宅を待つ妻は窓際でハヌキヤにオリーブ油を入れながら、その傍で子供たちは母の手作りの揚げたての穴のない美味しいドーナツ、スフガニヤを頬張る。楽しそうなハヌカの歌があちこちの窓から響きはじめ、今年もエルサレムにまた、ハヌカの火が灯りはじめる。

あの年、神戸や横浜でハヌカの光は灯ったのだろうか。もしも、あの年の神戸や横浜の街角でハヌカの光が灯ったのならば、もはや失われた遠くの故郷を、そして別れ別れになった行方の知れぬ家族や友人を想い、みなでそっと静かに寄り添って、神はどこにいるのか、また奇跡を起こしてくれるのだろうかと、そして生きて行く上での大切な何かを思いながら、その光を静かに見つめていたのではないだろうか。

そんなことを思いながら
よい年越しを

Wednesday, December 29, 2004

それは手の中にあるもの

七日間のハヌカの祭りも終わり、エルサレムもすっかり寒くなってきて、昼間はそれでも、すかーんと雲ひとつないイスラエル・ブルーな空が広がることもまだ多い。日が暮れてからは星がキラキラと輝き、冷えた夜空が高くとても美しく、どれだけ文明が発達してエルサレムが街らしくなったといっても、やはり中東と呼ばれる土地の、砂漠の真ん中にいることには変わりはないのだなぁと思わずにはいられない。この中東の夜空は日本の夜空とも、ヨーロッパでもニューヨークのボーロパークで見る夜空ともまたちがう。高く遠く透き通り、どこかなぜか人の力を超えたものを感じさせる空、とでもいおうか。この夜空に輝いたハヌカの祭りはユダヤのマカビヤの人々とギリシャ軍との戦いと、そして神の奇跡を忘れないための祭り。

先週の水曜日の晩に見た「Fiddler on the roof―屋根の上のバイオリン弾き」でこんな場面があった。ユダヤ村のミルク屋のテヴィエの長女は、父テヴィエが突然に決めた金持ちの婚約者の他に、誰にも打ち明けずにすでに将来を誓った幼馴染のさえない村の仕立屋がいた。父テヴィエにしてみれば、こんな貧乏でダメ男の仕立屋には同じ村人という以外は一切の関心を持っていなかった。それまではどうしてもテヴィエが恐ろしくまともに彼と口さえも利けなかった仕立屋は長女を他の金持ちの男と婚約させたと聞きつけ、初めてありったけの勇気を振り絞り長女との結婚を認めてほしいと熊のようなテヴィエに訴える。それを聞いたテヴィエはいつもの通りにうるさいハエでも追い払うように、このみじめな男のわたごとには耳を貸さず、しかしそれでも仕立屋は全身の力を込めて彼の想いをテヴィエに伝える。

「こんなちっぽけなさえない仕立て屋だって、し、し、しあわせになる権利はあ、あ、あ、あるんだ!」

「ほー!こんなひ弱なダメ男で、何のとりえもない貧乏な仕立屋のお前でさえも、一丁前の男のような口を聞くことがあるのかね!」

ついにテヴィエも空を見上げて考える。そして結局は仕立屋のありったけのその勇気と熱意を買い、そこまでの想いがあるのならと大切に育ててきた長女との結婚を認めてしまう。

そして場面は森のなか。人生の意外な展開への驚きとうれしさのあまりに歌い踊る仕立屋とテヴィエの長女。

「神は奇跡を起こしたんだ!」

仕立屋は森の木々のあいだを駆け回りながら全身で喜び歌い踊る。

このシーンを見ながら、現在のオーソドックス・ユダヤに見られる問題を思い出した。オーソドックス・ユダヤの世界の多くの住人は、いつの日にか神が使わすこの世を救うメシアの到来を待ち望み、イェシヴァと呼ばれるユダヤの宗教学校で学びながら日々を暮らしている。神の奇跡とは自分たちは何もしなくても神が起こしてくれるもの、人生の決断は神がしてくれるもので自分はそれにただ従えばよい。

神の奇跡、ハヌカではそれを忘れないようにと祝う。はるか昔、ギリシャ軍によって攻め寄せ落とされ大切な神殿を奪われたのち、ギリシャの宗教と異文化を押し付けられたユダヤの人々も、今さらギリシャのような大軍にかなうはずがないがそれでもと、ほんの少数が立ち上がって勝ち目のないギリシャ軍に立ち向かった。その結果としてユダヤの人々は最終的には神殿を取り返し勝利を得たが、取り返した神殿を清めるためのオリーブ油はたったの1日分しかなく、新しいオリーブ油がエルサレムに運び込まれるまでは、それから8日間も待たなくてはならなかったという。リスクを犯さずに8日のちに新しいオリーブ油が届いてから神殿を清めるために火を焚けばよいところを、あえて1日分しかないオリーブ油を焚き、その結果としてその炎は8日目に新しいオリーブ油が到着するまで燃え続けた。ハヌカの奇跡として語り継がれているこの1日分の少量のオリーブ油が8日間も燃え続けたという話は、きっと現実には起らなかったかもしれない。

「Fiddler on the roof」の仕立屋の捨て身の告白。それまでは恐ろしいクマのようなテヴィエ、しかし勇気を振り絞り声を発したことでダメ男の仕立屋が手にした幸せ。じっと座って誰が何かをしてくれるまで待つのではなく、立ち上がり挑戦したことの結果が、ここで言われる神の奇跡なのだろう。

何も行動をしなければ何も起こらない。手に入るものさえも、そのままするりと手から抜けて滑り落ちてしまう。だめでも、それでも懸命に立ち向かったということが大切なのじゃないのかと。できるだけを尽しても、それでだめならばそれはそれでしょうがない。でも何もしないでいては、もっとしょうがない。人生には、大きなこと小さなこと、いろんな場面に出会ってゆく。その時に思い切って立ち上がるか立ち上がらないか、そこで得るものと得られないものが分かれていく。それが大きなものであればあるほど、全身で立ち上がらなければならない。こんなあたりまえのことなのだけど、人はすぐにちょっとすると楽なほうへと流されやすく、いや、それが人というものなのだろう。いったい何が本当に大切かを忘れてしまう。もし神の奇跡というものがあって、それが起るか起らないかはきっと本当は自分たちの手の中にあると、そんなことなのじゃあないかなと思いつつ、今年のハヌカを終えよう。

Sunday, December 12, 2004

かざみどり fiddler on the roof



「Sun rise, sun set...sun rise, sun set...日は昇りまた沈む・・・そして日は昇りまた沈む」

「Tradition!!.....But on the other hand...伝統を守れ!・・・でもまあ、ちょっと待てよ・・・」

エルサレムのシネマテックで行われている「Jewish Movie Festival」で上演された「屋根の上のバイオリン弾き」を、昨夜観に行って来た。予定ではこの映画監督と主演のイスラエル出身の俳優ハイム・トポル(Chaim Topol)氏が、舞台挨拶をするということだったので、往年の名優を一目みたいと少々ミーハー的な気持ちもあって、デジタル・カメラを片手にいそいそと出かけて行った。しかし、ああ、やっぱりここは中東の街エルサレム。

会場の入り口では、上演30分ほど前からすでに押すな押すなの大騒ぎ。それもこれも、今回の映画がシネマテック内の大きな劇場での上映なのにもかかわらず、座席指定がされていないこと。そして、ああ、やっぱりさすがはエルサレム人!「オラッチが一番だぎゃ」と、ロビーではもう他の人のことなどはお構いなしの押し合いへし合い。ようやく劇場の入り口のドアが開いたと思ったら、おりゃー、とオラッチたちは狭い入り口へ突進し、もう見苦しさいっぱいの座席取り合戦がはじまった。いやはや、他国民といえども、こんな大人の行動は見ていて恥ずかしい・・・、というよりも、これじゃあ、とっても大人じゃないか。

と、私もそんなに悠長にお利口さんぶっている場合ではない。会場の隅の席でデコボコしたアタマにスクリーンをさえぎられて、上映の3時間をムズムズしながら過ごすのはゴメンである。ガイジンサンだって、日本に住めば日本のマナーを身につけるご時世。昔から人は「When in Rome, do as the Roman do」そう、郷に入れば郷に従えというではないか。なにを隠そう、私ももちろん、オラッチよろしく潔くセキトリ合戦に参戦して、しかも、カヨワキ、ヤマトナデシコ、ちゃっかり劇場の中央を陣取ってみる。

ふぅー、もうすでに体力の半分ほどを費やしてしまった感じがするのは気のせいだろうか。そうしてやっと他の観客たちがそれぞれの席に着いても、いつまでたってもザワザワと相変わらずやかましい館内。これから3時間の長い映画、頼むから静かにしてちょうだいエルサレム人たちよ、などと思っていると、司会のオネエサンが舞台際でヘブライ語でなにか話しはじめた。それでもさすがはエルサレム人、ザワザワと静まらないおしゃべりに、「しーっ!しーっ!」と、あちこちでやりはじめたから、またまたそれがなんとも騒がしくてアタマが痛くなる。

「・・・監督さんは奥さまが二日前に亡くなられ、残念ながら急遽アメリカへ帰国なさいましたので、今夜はこちらへはいらっしゃいません。では皆さま、映画をお楽しみくださいませ」

とオネエサン。出だしから思いっきりの肩透かしを食らう。まあね、そんなものですよエルサレム。でもそれじゃあ、もう一人のゲスト、トポル氏はどうなさったのだ?と尋ねる暇もなく、お待ちかねの「Fiddler on the roof」の幕は開けた。

それにしてもこの映画、しょっぱなから最後まで強烈なくらいにユダヤ・ワールド全開なのである。一つ一つの会話の運び、ボケとツッコミ、爪の先からアタマのてっぺん、身体の動きから何から何まで、これ以上は描けまいというくらいにユダヤの世界が見事に描かれている。まさに「ユダヤ映画の傑作」といっても過言ではないほどの勢いで。

この映画の原作「Tevye's Daughters」では、テヴィエは日常の悲しみにおいて常に神と対話をしているが、映画では全身体的におもしろおかしく描かれ、トポル氏の迫力の歌を名演技で楽観的。しかし、映画後半から徐々に影を現す、幸せと悲しみがいつも紙一重で隣り合わせのユダヤの運命への苦悩。何世紀にも渡り、ヨーロッパでそしてロシアで繰り返されたユダヤのポグロムと流浪の歴史。「Tevye's Daughters」の著者で、ロシアのウクライナ出身のイディッシュ文学の文豪シャロム・アレイヘム(1859―1916)彼自身も、1905年のポグロムを経験し、この物語の主人公ユダヤの中年男テヴィエと同様に、住み慣れた家と土地と、街と、友と、家族と離れて、アメリカへと悲しい移住をしたという。

そして、この映画のテヴィエといえば、やはりこの台詞「Tradition!」なのだ。テヴィエの3人のトシゴロの娘たちは、ユダヤの伝統を重んじて生きてきた父とは別に、ユダヤの伝統的な結婚をせず、そんな時代の流れにテヴィエはアタマを抱え込む。しかし時代は変わりゆくもの。自分とは異なる世代を生きる娘たちを通して目の当たりにする世界の刻々たる変化と、これまで自分たちが生き残るために守ってきたユダヤの伝統としきたりの狭間で、テヴィエはこの先、なにが一番大切なのかを選択をしてゆかねばならない。テヴィエは娘たちの非伝統的な結婚に、怒りを込めて人差し指を立てた両手を空へ掲げる。

「Tradition!」

守らねばならぬのはユダヤの伝統だと、テヴィエは野太い声で叫ぶと、ふっと空を見あげて、いたずらっ子のような大きな眼をして、少し考えてみる。

「・・・いや、ちょっと待てよ。伝統も大切だが、今や時代は変りつつあるんだ。伝統と娘の幸せを天秤にかけるのならば、少しのことは大目に見て許してやろう。近所のヤツラにはなんとかうまく言っとくか。愛しい娘の幸せには変えられんよなぁ・・・よし!娘よ、わかったぞ、好きにするがいい!」

そう掲げた手を下ろし、妥協してゆくのだった。ユダヤのコミュニティーの中で生きていくには、曲げることなど許されない伝統。しかし、それだけではもうどうにもならない時代の流れに、守らねばならない伝統と妥協との狭間を行ったり来たりする父テヴィエ。娘たちの幸せを何よりもプライオリティーとし、人差し指を下ろす父としてのテヴィエをスクリーンに見ながら、なぜか日本にいる無口で頑固な父の姿を重ね合わせていたような気がしてならない。

Fiddler on the Roof。いつ落下するとも知れない危なっかしい屋根の上で、風が吹くたび、よろよろふらふらら。まるでクルクルまわる屋根の上の風見鶏のように。守るべき伝統と文化と、それらを必要としない文明と物質重視の二つの両極端のベクトル。そんな新たな時代の風に吹かれながら、伝統だけにガンジガラメになっていては、その他の本質的な大切なものを見失うこともある。しかし、そうかといって伝統をそっくり投げ出してしまっては、新しい風が吹くたびにあっちへ方向転換こっちへ方向転換と、軸が無くなってしまえばこれまたどうにもならない。

価値観の異なってしまった時代で、それまで受け継がれてきた伝統と、自己のアイデンティティを保つことの難しさ。そして伝統を持たない人々はアイデンティティを取り違え、軸もなくくるくるまわり方向を見失い、価値を見失う。しっかりと大地に足を下ろさなければ、バイオリンはうまくは弾けない。

日は昇り、そしてまた沈む。テヴィエの苦悩は、まさしく現代の苦悩。あっという間に時代は流れ、変化し、伝統なんぞは古めかしい時代遅れのガラクタよと、笑われる。ならば私もここいらでテヴィエのように、そして父のように「Tradition!」と、声高々に両手の人差し指を空へ掲げてみようか。それとも、彼らのようにウインクして、やっぱり片手ぐらいにしておこうか。そんなことを考えながら家路についた、澄んだ砂漠の星の夜だった。

Thursday, December 02, 2004

パン職人のけっこん the most beautiful moment

男と女。出会って別れて。いくつもの出会いと別れの中で、一体いつになれば夢にみたあの人に出会えるのだろう、なんて、ふと思う。そのたったひとりに出会うまで、いつまでも人は彷徨い続けるのだろうか。

バシェレット。運命、またはソウル・メイトというイディッシュ語の言葉。ユダヤの教えの中でも神秘主義と呼ばれているカバラでは、人がこの世に生まれて来る40日ほど前にそれぞれの「バシェレット」が決められるという。むかしむかし、エデンの園のアダムとイブがひとりの人だったように、この世界に生きるすべての人にはどこかにその欠片が存在し、そしてその欠片と出会い、共に生きることで二人は完全なひとりの人となるのだそう。


בראשית ברא א-להים את השמים ואת הארץ

はじめに神は天地を創り、そこにはまず闇があった


והארץ היתה תהו ובהו וחשך על פני תהום ורוח א-להים מרחפת על פני המים
ויאמר א-להים יהי אור ויהי אור
וירא א-להים את האור כי טוב ויבדל א-להים בין האור ובין החשך
ויקרא א-להים לאור יום ולחשך קרא לילה ויהי ערב ויהי בקר יום אחד

そして神は「光りあれ」というとその通りに光りが生まれた
神は光りを見て良しとされ、光りと闇を分けて
光りを昼、闇を夜と呼び、夕べがあり朝があった
こうして一日は創られた


ボーロ・パークの夕暮れ。新たな一日のはじまり。橋向こうの遠くに立ち並ぶ高層ビルの隙間に見え隠れしながら、マンハッタンの西に落ちてゆく陽の光りを、空に満ちる排気ガスのスモックが朧に包みこむ。コンクリート・ジャングルの上に柔らかく朱色に染まった空とともに、ユダヤの新しい一日がゆっくりとはじまろうとしている。

深いボルドー色の美しいビロードのフパ(家の象徴である天蓋)の下で、ハシディックの正装を身につけたメナシェが、それまでにたった一度だけ会った彼の新しい花嫁を待っていた。透き通るように青白い肌、ブルー・グレーの瞳のメナシェ。金色の髪の頭の上には茶色の光沢の毛並みが美しい毛皮のシュトライマレ帽がすっぽりと落ち着き、左右のこめかみからはクルクルと丁寧に巻きこまれたペオスが揺れている。膝下までの黒い絹のカフタンと呼ばれるロング・ローブ、コサックの衣装のようにすぼまった黒いズボンに細い飾りリボンが結わえられ、そこから白いタイツがすーっと伸びやかに細い足を包む。その気品はまるでずっと遠い昔のポーランドかどこかの貴族のように、静かに高貴さを含んでいる。フパの下に凛と立つメナシェの隣には、同じようないでたちの、しかし少々くたびれたような黒い服にシュトライマレ帽を被ったラビや結婚の証人の男たちが並び、花嫁が母親に連れられてホールの扉を開けフパへとやって来るのを、今か今かと、祈りの時のように静かに身体を前後に揺らし、リズムを取りながら待ちわびていた。

天井の高い、ヨーロッパ調の広いホールの中央に建てられたフパ。それを囲むようにして、静かな黒い一塊。おしゃれとは程遠い古風なスタイルの黒い上着に、おなじように黒いスカートとシーム入りのタイツを穿いた女たち。頭部をかつらや雪帽子のようにまあるくスカーフで包んだ小さな黒い女たちが集まり、小声のイディッシュ語でなにやらヒソヒソと囁いている。黒い女たちの塊のあちら側には、彼女たちの髭の長い黒い服の夫たちが先ほどから身体を揺らしている。マンハッタンとおなじニューヨークでありながらも、オーソドックス・ユダヤのしきたりによって生きているボーロ・パークでは、女たちと男たちの姿と声が公で無防備に混ざり合うことはない。

静かに音もなくホールのドアが開いて、フパの下のメナシェはまわりの誰も気がつかないほど小さく息を飲むと、ほんの一瞬、ちらりと不安にその視線が左右に泳いだ。花嫁が母親らしき黒い服の小さな女と、もうひとり、おなじように黒い服で無口そうな中年の女に支えられながら、一歩一歩ゆっくりと踏みしめるようにメナシェの立つフパへと近づいて来る。世俗の華やかなウェディングではもう古めかしく、ブライダル・ブティックのショー・ウインドウにすら飾られることもないような、つま先から首まで肌を隠した古風で、清楚な光沢の絹が白く流れるAラインのロング・スリーブのウェディング・ドレス。

ちょうど花嫁の細い肩に触れるほどの長さの厚い絹のヴェールは、これまで見たハシディックの花嫁のどれよりも厚く、しっかりと首から上部を覆っている。その厚いヴェールに包まれた花嫁の思いは、一歩一歩、ゆっくりとフパに近づくほどに神秘性を増してゆく。フパのまわりを囲む黒い服の青白く小さな女たちは少しうつむき加減で、すでに囁きを止め言葉なく、じっと食い入るかのようにその顔のない花嫁を見つめていた。ヴェールに包まれた花嫁は、母親と付き人の女に導かれて、フパの下でどこか遠くをじっと見つめているような新郎のまわりを、伝統に従い7回ゆっくりと回り、そうして静かに厳かに、ユダヤの婚礼の儀ははじまった。


ボーロ・パークの片隅の、パン焼き職人のメナシェ。両耳の横に巻かれた金色のペオス。黒いヴェルベットのキパを頭に乗せ、口下手で、年の頃は30の少し手前だろうか。白いワイシャツに黒いベストと黒いズボン、昔の紳士のような典型的なハシディックないでたちに、エプロンを小麦で真っ白にしながらボーロ・パークの端の小さな工房でパンを焼く。メナシェは、まだ右も左もわからない若い頃に親が決めた、おない年の妻との折り合いがどうしてもうまくいかず、お互いに本当のバシェレットを見つけようと、一年ほど前に妻と夫としてではなく別々の人生を歩むことにした。それからというもの、妻の望みによって、メナシェは愛する二人の息子たちの前に姿を見せることは許されず。オーソドックス・ユダヤの世界では、離婚した後、それほど時間をおかずに次の結婚の相手を探すことが多く、まわりの世話焼きな黒い服の男たちは、メナシェとおなじような年頃でおなじように離婚したての女性との見合いを、当たり前のように彼に勧めた。メナシェもそのしきたりに従い、何度目かの見合いをしてから半年後、ふたたびフパの下に立つこととなった。

フパの下に立つ日が決まった頃、メナシェはその日のパン焼きの仕事を終えると、パン工房から幾ブロックか先の友人イツホックのオフィス・Cに度々顔を出すようになった。この次こそ本当のバシェレットと共に生きることとなり、再び人として一人前になる喜びに満ちているはずのメナシェなのに、少しも浮かれた様子など見あたらず、それどころかとても気が重そうで、ブルー・グレーの瞳は少し悲しげに潤んでいた。

「メナシェ、どうしたんだい?!結婚前の君がそんなに落ち込んでいるなんて、なにかあったのかい?」

イツホックは思わずそう尋ねずにはいられなかった。

「ああ、イツホック・・・。よく聞いてくれましたね。・・・実は今度の再婚のことなんだ・・・。正直な話、僕はまだ心が定まらずにいるんだ。現実的にはまだ結婚などできないと思うんだ。今でもふたりの息子たちのことを思っている。片時も忘れずにね、彼らはずっとずっと僕の心にいるんだよ。できることならば、どうにかして息子たちと一緒に生きてゆきたいんだ。・・・でも、わかっているさ、そんなことは別れた妻が許しはしないって。僕はしがないパン焼き職人で、だめな男の見本らしいからね。息子たちには悪い影響なんだそうだ・・・」

「なにをいっているんだい、メナシェ。君がダメな男であるはずがないじゃないか。・・・すると君は離婚以来、子供たちにまったく会わせてもらえないのかい?」

「そうなんだよ・・・。すでに前の妻には新しい家庭があるし、幼い息子たちには新しい父がいる。妻の今の夫と僕の宗教観が微妙に異なるからさ、息子たちが神への理解を混乱するといけないってね。息子たちの本当の父親は僕なのに、息子たちには会わせてもらえないんだよ。この苦しさを一体どうしたらいいのか、毎日、胸が痛むんだ。まだとても両手を上げて次の結婚を喜ぶなんてできない気がするんだ」

「ああ、そうだったのか・・・。いくらこの街じゃあ珍しくもない話だといえども、それじゃあ君はつらいだろう。ということは、メナシェ、ひょっとして君はこの結婚をやめるのかい?!」

背もたれにもたれて椅子を前後に揺らしながら、イツホックは、悲しそうに背中を丸めたような姿勢のメナシェに尋ねた。

「いや、イツホック、そんなことをしたら、それこそ僕は変わり者扱いさ。そうなったらとてもじゃないけど、もうこの街には住めないよ。息子たちとも永遠にお別れだ。ここはボーロ・パークだからね。離婚したらまたすぐに見合いで相手を見つけて結婚だろう?まわりは僕にとって良かれと思って、見合いだの結婚だのバシェレットだのというけどね、そんなことは今の僕には自信がないんだよ」

見合いと結婚、離婚と子供との別離、そしてまた結婚。出会いと別れというトランジション。まだ一度たりとも結婚をしたことのないイツホックですらも、現実がすべて甘い綿菓子でできていないことはわかっているつもりだった。メナシェは続けた。

「離婚してからまだ一年にも満たなくて、心の整理ができていないんだ・・・。人の心はそんなに簡単なものじゃない。いくらすべては神の手にゆだねるべきこと、すべては成るようになっているといっても・・・。それに、わかってはいるけどね、新しく僕の妻になる女性には僕と同じようにすでに子供がふたりいるんだよ・・・。僕の子供たちには他の父がいて、僕は他の子供たちの父となる。どうしてこうなったのか、どうしても今は理解できないんだ。家族ってこんなものかい?結婚って、バシェレットって?神は・・・一体・・・ああ、ハス・ヴェ・ハリラ!僕はとんでもないことを口にしようとしている。忘れてくれ、イツホック・・・」

メナシェは丸めた肩で大きな溜息をつくと、耳の横の金色のペオスを人差し指でクルリと不安げに巻き直し、ブルー・グレーの瞳を伏せた。オフィス・Cの常連で家庭を持つ男たちは、そんなメナシェの思いなどナイーヴな戯言と軽く聞き流す。

「なあに、メナシェ、再婚すればあっという間に気も晴れるさ!また子供が何人もできればそれでいいじゃないか。しばらくもすればまた家族になれるし、くよくよ考えている暇なんてなくなるさ!時計はチクタク、人生は短く、時は待ってはくれない。君はそんなことに悩んでいる暇があったら、もう少しトーラーの勉強をした方がよくないか?」

やけに白々しい男たちの声は、メナシェの気持ちをさらに不安にさせるだけだった。イツホックはいつも話を聞く時にするように、少ししかめっ面をして、長く伸びた顎髭を何度も上から下へと静かに撫でていた。ボーロ・パークの片隅で、もうすぐ彼は30代を終えようとしているのに、いまだにバシェレットに出会ってはいない。イツホックのバシェレット、神の計画は誰にもわからない。イツホックは椅子の背もたれを前後に動かしながら、メナシェを見つめた。

「なあ、メナシェ、憶えているかい?ラビ・ヤコブ・ウェインバーグの言葉を。ラビ・ウェインバーグは、“人生で起こったことの10%が事実で、残りの90%は自分の受け取り方である”と、仰った。君が離婚したことも、子供に会えないことも、そしてこれから再婚することも、それはすべて事実だろう。しかし、これからもそうやって否定的に受け留めてゆくのか、それともそこから何かポジティヴなことを見つけてプラスにしてゆくのか、それは君次第なのじゃないだろうか。コップに半分入っている水、これを半分しかないと嘆くのか、または、まだ半分も入っていると感謝するのか。それはその人の選択だ。コップに水が半分入っているということだけは、誰にも同じ事実だよ。私はできることならば、水はまだ半分も入っていると思いたいんだ」


新郎のまわりを花嫁はゆっくりと左回りに7回まわって、静かにふたりは隣に並んで立った。フパの下のバシェレット。その時、花嫁の心情はその言葉どおりに厚いヴェールに包まれて、その神秘は神と顔のない花嫁のものとなる。ユダヤの婚礼の儀は厳かに運ばれてゆく。結婚の契約書が読まれ、2000年も変らぬ祈りの声が響く。


אם אשכחך ירושלים
תשכח ימיני
תדבק לשוני לחכי
אם לא אזכרכי
אם לא אעלה את ירושלים
על ראש שמחתי


エルサレムよ
もしあなたを忘れなければならないのならば
私の右手を動かぬようにし
私の舌を口蓋につけましょう
至福の時において
エルサレムは私の心にあるのだから


「バン!」

メナシェはエルサレムのユダヤの神殿の破壊とディアスポラの悲しみの記憶をその胸に、力を込めてガラスのワイン・グラスを強く踏みつけた。その音がホールに低く響き、一瞬の沈黙の後、フパのまわりの黒い服にシュトライマレ帽の男たちが両手を大きく広げ肩を抱き合う。

「マザル・トーヴ!マザル・トーヴ!」

互いの背中を摩るように、喜びをこめて「マザル・トーヴ(おめでとう)!」と大きな声で繰り返す。ユダヤの人々は、幸せの中にでも、決してエルサレムとユダヤの悲しみを忘れはしない。メナシェは黒い男たちに囲まれながら、まだ顔を覚えきれぬ花嫁を探す。ヴェールを脱ぎ、既婚の印にかつらで頭部を覆った花嫁はすでにフパの外。ホールの向こうから、静かにフパを見つめていた黒い服の囁き女たち連れ出され、女たちは互いにそっとほほにキスをしあい、少し憂いを含んだ小さな声でまるでその意味を噛みしめるように、確かめあう。

「マザル・トーヴ・・・、マザル・トーヴ・・・」

悲しみも喜びもすべては神の計画、なるようになる。黒い女たちは、コップに半分の水を否定も喜びもせずに、そのまま事実だけを受け入れるかのように囁きあう。

パン屋のメナシェの結婚。フパの下ではまるでポーランドの貴族ように気高く美しく。どこか悲しみの色のブルー・グレーの瞳には、至福の時でも悲しみを忘れないユダヤの知と美と歴史が、そしてメナシェの過去と未来、喜びと悲しみのすべてが映る。イツホックはフパのそばで「マザル・トーヴ!きっとこの次は君の婚礼だ!」と黒い服の男たちに背中を叩かれ、「マザル・トーヴ!」と不安な思いを悟られないように大げさにすら言い返す。髭を下に引っぱるようにして撫でながら、新たな人生の一歩を踏み出したメナシェの姿を追った。