Friday, November 19, 2004

kafkaな一日 kafka fkafkaf ka

チクタクチクタク・・・

「アンタの書類を失くしたから、今はどこにあるかわからんからね。見つかったら連絡するから。私は知らない。はい、サイナラ。次の人!」

質問も答えも理由も、そこには一切存在しない。ただただ混乱した一方的な時間と空間。ギョウセイ、ぎょうせい、行政、bureaucracy、・・・ああ、アタマが痛い。異邦人の女はエルサレムでこれまでに、幾度こんなカフカ的体験をして来たのだろうか。先日、ヴィザの関係で、異邦人の女は朝からまたまたいつもの新市街の役所へと足を運ぶこととなった。


チクタクチクタク・・・


中東の太陽がすでに厳しく照りつけている朝8時、入国管理局ミスラダ・ハプニムのドアが神々しく開く。すでに2時間ほどもその前で、この瞬間を待ちわびていた老若男女にベビーカー。ロシア、ウクライナ、セルビアにボスニア、フランス、イタリア、ブルガリア、チリ、メキシコ、ブラジル、フィリピン、タイ、イランにイラク、エチオピアに南アフリカに、世界中の隅々からこの国へと生活を移してきた人々。ユダヤ教、ギリシャ正教、ロシア正教、エチオピア正教、カトリックにプロテスタント、仏教、イスラーム教。多国籍、多宗教、ナンビトでもござれと、トライアスロンのスタートよろしく、押しあいへしあいワンサカワンサカ揃って、開け放たれたミスラダ・ハプニムのドアの中へと吸い込まれてゆく。ニッポン代表、異邦人の女もそれに混ざって、飾り気もなにもないビルの中の細い廊下を形振りかまわずまずは短距離走。そしてレースは一挙に心臓破りの階段へと続く。階段をハー、ハー、と息を切らせながら3階まで一段抜かしで駆け上がり、ようやくたどり着いたオフィスへの狭い入り口のドア。またまた、ムギュッ、ムギュッ、と汗だくでオシクラまんじゅう。無理やりそこに身体をねじり込むと、やっとのことで受付カウンターのお姉さんに番号札と申請書を受け渡されて、レースはおしまい。しかし、新たなる勝負はここが正念場。油断は禁物。ここでの横入り、順番抜かしは当たり前。しっかりと自分の足場を固め、弱肉強食、誰にも先を越させてはならない。

ここでなんとか足元を固めた異邦人の女は、それから冷房のガンガン効いた待合室での長ーい我慢大会へと突入。日本の暦の上では秋といっても、こちらはまだまだ夏日の続くスカーンッとイスラエル・ブルーの青空のエルサレム。暑い外気とは対照的に、毛布の一枚でも担いで来るべき冷え切ったオフィスの寒さの中、早くて10時ごろ、いや、うっかりすると11時にならなければ異邦人の女の番号が呼び出されることはなく、時間を潰すための本を忘れるとこりゃ大変。これまでも冷房の寒気に振るえながら、カウンターの壁に自分の手元の番号が点滅し、やっと呼び出されてみれば、

「アンタの書類を失くしたから、今はどこにあるかわからんからね。見つかったら連絡するから。私は知らない。はい、サイナラ。次の人!」

と、有無を言わさずに押しつけられるか、

「足りない書類を次回一緒に持って、また出直し!」

と素っ気無く、こちらの口を開くまもなくいい渡されて、まるで耳の垂れ下がった見捨てられた路地裏の子犬のように、きゅーんと情けない気持ちになる。この間、たったの2分ぐらいだろうか。まるで日本の大病院の待合室のようにして、そしてすぐに「はい、さようなら」となすべくもなくお払い箱。しぶしぶまた改めて他の朝に「前回までは要らなかった」はずの書類を持参して、このトライアスロンを走りきらなければならなかった。

この毎日のあまりの混雑さに、やっとミスラダ・ハプニムがそれらしい解決策を出してくれたのは去年のことだった。今まで誰もが考えつかなかったこの「予約制」という前代未聞、ハイテクな21世紀を代表するかのような画期的ですばらしいアイデアのおかげで、もう二度と早朝から全速力で階段を駆け上がらなくても済むようになった。しかしこの予約制、果たしてよいのか悪いのか、予約が取れるまでほぼ一ヶ月待ちは当たり前、緊急の場合でさえも融通は利かずまったくなんの役に立たない。


その日の朝、時間に几帳面なニッポンジンらしく、予約の時間通りにミスラダ・ハプニムに向かう異邦人の女。そして前回紛失されたはずのファイルは、オフィスのファイルの密林のどこかからか運よくも発掘され、しかし案の定、お決まりの言葉が異邦人の女を待っていた。

「この書類が一枚足りない。これからすぐにKG通り22番地の役所でその書類を発行してもらって、もう一度お昼までに帰って来い!」

これまでにも何度もあれが足りないこれが足りない、といわれ続けて早や二年が過ぎた。ならばどうして申請時に「あなたの場合は書類AとBとCが必要だから、それらを揃えて提出しろ」といわないのだ!と、まるで普通の国で通用するような、真っ当な意見をいってみたところで、この中東の国では埒が明かず、時間とエネルギーの無駄となって余計な疲労感を肩にどかーんっと落とすことになる。そこでわかりきった無意味なことは避けて、新たなるトライアスロンのはじまりはじまり、ヨーイ、ドン!

チクタクチクタク、タッタッタッタッ。

それーっ、と異邦人の女は急いでミスラダ・ハプニムを飛び出して、KG通り22番地をめがけて緩やかな坂道をひたすら走ってゆく。日中のエルサレムの日差しはアジア人特有の濃い黒髪を照らし、お陰で頭上の温度はかなり高くなる。「目玉焼きができそうだなあ」と、走りながらもまだ異邦人の女は余裕があるらしかったが、中東のカラカラに乾いた陽の下でも、やはり走れば当たり前に汗も出るし、鼻の頭だって光ってくる。しかしファンデーションを下地から丁寧に塗ったこざっぱりとした女性などは、砂漠のエルサレム村ではほぼ見かけられない存在。日焼け止めさえも塗らずに、素肌にアイラインと口紅でさささっ、行って来まーす。そんなエルサレム村にローカライズしはじめている異邦人の女も、ポケットのハンカチでポンポンと鼻の汗を拭きながら、KG通りへと22番地を探し走った。

「おっ、ここにちがいない!」

入り口に立っているのは、ブルーの制服の半袖シャツ、無表情なサングラスのガードマン。

「シャローム!ここはKG通りの22番地ですか?」

無愛想にポツリと答えるガードマン。

「ここは22番地じゃなくて24番地だけど。22番地はあっち~」

「あれ?おかしいなあ。役所はこのビルの中にあるように記憶していたんだけどなあ。勘違いかしらん?」

首をかしげる異邦人の女。しかしここで悠長に考えている時間はない。チクタクチクタク、時間は待ってはくれない。「トダ!」お礼を述べると、異邦人の女はくるりと向きを変え、彼の指す方向へと。横断歩道の信号が青になるのを待たずに駆け足で通りを渡り、公園を横切って、今度こそ正真正銘22番地へと。息を切らせながら、ビルを見上げてみる・・・。しかし、どう見てもこんなスーパーのような外観のビルの中には役所はありえない。しかもこの22番地にはなぜか入り口が何ヵ所もあるらしい。

「ここっ、あのっ、ここは、・・・22番地っ?」

肩で息をしながら、異邦人の女はコーヒー豆のようなガードマンを見つめた。

「そうですよ。このビルのドチラへ?」

警備会社のマークの入ったグレーの制服、30歳に少し手前らしい、風でさえも倒れそうなほどに細身のエチオピアンのガードマンは、面倒くさそうにちらりとその視線を異邦人の女に投げかかる。

「書類を受け取りにヤクショへ」

「ここにはヤクショなんてのはないですよ」

「はいっ?でもココ、KG通り22番地デスよね?」

「はい、ソノトーリ、KG通り22番地です」

1990年あたりにエチオピアからの移住が盛んだったころに、このガードマンの彼もイスラエルへと移り住んだのだろうか。少しだけエチオピア訛りの残るような、おとなしいヘブライ語と、異邦人の女の日本語訛りの控えめなヘブライ語が言葉少なげに不安に交差する。


それにしても、おかしいなあ、変だなあ。ミスラダ・ハプニムではKG通り22番地だといわれたのになあ・・・。


「トダ・・・」

それならば、と異邦人の女は裏にあるもうひとつの入り口へとまわってみた。チクタクチクタク・・・時間はなにもお構いなしにすぎてゆく。すでに時計の細い針は正午まであと40分ほど。異邦人の女の頬に、冷めたい汗がすーっと流れ、切れる息の合間に言葉が飛び出す。

「ヤ、ヤ・・・ヤクショは、ここでしょう?」

「ここはKG通り22番チーニャ」

金色の髪にピンク色の頬でにこやかに、強靭な白クマのような若い大きなロシア人のガードマン。

「そう、KG通り22番地でしょう?だ、か、ら、ハァー、ヤクショはここ、ここでしょう?あ、いや、私はロシア人じゃないからロシア語はわかりませんよ。え?じゃあカザフスタン人じゃないのかって?・・・ちがいますって・・・!」

「ソウナノニャ、あなた、ロシア人かカザフスタン系の人みたいニャ。ダ。エーっと、KG通り22番チ、ヤクーショ、ニャんてーの、ニャーよ。・・・ン?ダ。ダ。そのヤクーショニャーら、トニャリーの24番チーニャ。通りを渡ったあニャ公園のミュこうでーニャ。そうそう、ナホン、That’s rightニャ」

ロシア語に所々ヘブライ語が混入したかのような言葉で、彼はおよそこの中東には似つかない爽やかなグレーでブルー色の瞳で、ロシア人から見るとカザフスタン人らしい風貌の異邦人の女に、先ほどのビルを指差すのだった。

ああ、いわれたとおりにKG通り22番地に行けば、そこには役所はない。役所のあるはずのKG通り24番地へ行けばKG通り22番地はあっちだという。なんだかとてもワケがわからない。


「スパシーバ」

「ア、やっぱりロシアジーン、ダニャっ?!」

チクタクチクタク、時間を気にしながらまたまたKG通り24番地まで書類を抱えて、異邦人の女はパタパタと革のサンダルで走る。ちなみにこれまでの人生、エルサレムほど坂の多い街には住んだことがない、と異邦人の女。

「ハァー、ハァー、こ、こ、ここ、ハァー、は、KG通り、24番地ですか?」


これではまるで怪しすぎるが、走れば息が荒くなるのは仕方がないではないか。


「ケン、ナホン」

はい、そうですよ、と、先ほどとはちがう、鷲鼻の浅黒い肌のいかにも何代にも渡ってこの街に住んでいるような、中東男らしい小柄なガードマンの訛りの感じられないヘブライ語。


「ハァー、この、この書類のヤクショは、ハァー、ここですか?(お願い、そうだといって!)」 


鷲鼻はまるで「当たり前だ、おかしなやつだ」といわんばかりに、濃い黒色のサングラス越しにフンっと冷たく一言。

「ケン、ナホン。で、あんた、タイランディーか?フィリピーニか?」

「だから、ちがいますって!ニホンジーンですよ、ヤパニット!」

「あは~、ヤパニット!」

さまざまな国の訛りのヘブライ語と文化が雑多に混ざりあうイスラエルという国で、街なかにあふれるアジアの人々の姿は、料理店で働くタイの若い人たちや、路地を車椅子を押しながら老人介護にやって来たフィリピンの若い人たち。建設現場では、中国からの男たちが、日に焼けた細い体に重い角材を運ぶ。500人ほどもいるという日本の人の姿は、路上ではあまり見かけない。

やっとのことで異邦人の女は、ハァーハァーとよたつきながら目指す役所に到着すると、そこはなんとも素っ気無く、まるで社会主義国の名残りのような古臭さが漂っていた。エルサレム村の役所にしては珍しく5つもある窓口には、いかにもこの役所でしか働けないような個性的な人たち顔ぶれ。奥の部屋には書類の山、山、山。異邦人の女は案内係にいわれたように3番の窓口で待ちながら、ふと、なに気なく異邦人の女の視界に入ってきたのは、隣の2番窓口に座っている係りの男。その男の動作に、異邦人の女は異次元に落ちこんでゆく。その小さな男の、70年代にでも流行ったような大きなトンボ眼鏡の奥に細い目、薄くなりかけた脂ぎったアタマのパラパラと額に落ちてくるその薄い前髪を、くり返し、くり返し、直している神経質そうな指使い。そして薄茶色の、これまた何十年と着込んだかと思われるような、色の剥げてくたびれ切ったシャツ。そのすべてが、21世紀のハイテクな現実から遠くタイムスリップしていた。


その70年代男は、異邦人の女が瞬きもせずにじっと見ていることにも気がつきもせず、無造作に山と積まれた少し黄ばんだような書類の間から紙を一枚その短い指で抜き取ると、さっ、と着古した薄茶色のシャツの胸ポケットからペンを取り出して、クルクルと丸いヘブライ文字を右からひとつ書き込んだ。じっと視線を動かさずに神経質そうに、いま書き込んだばかりのその一文字を見つめる。それから大きく頷いて文字の確認がすむと、握っていたペンに蓋をして、また着古したシャツの胸ポケットにしまい込む。そうかと思ったら、またすぐに薄茶色のシャツの胸ポケットからもう一度ペンを取り出して、一文字書いては頷き、ひたすらそれを何度でも、同じ手順で同じ姿勢で同じように、書いては眺めて頷いて、ペンをポケットにしまっては取り出して。それをぽかあんっと、まるで動物園の檻の中の珍しい動物をはじめて見た時のように、異邦人の女はひそかな驚きと興味で見入りながら、クラクラと気が遠くなるような感覚に襲われた。

そうしてしばらく異邦人の女は、列に並んだままその男を見つめていると、男はようやくのことで一枚目の書類を書き終えたらしく、この男のお茶の時間とあいなったのか、机の上の書類の合間で、注意深く透明のガラスのカップに一定のラインまでピッタリと、小棚の上にあるポットのお湯を注いで、引き出しからティーパックを取り出した。カチャカチャとスプーンで派手な音を立てながら、ティーパックをそのガラスのカップの中でかき混ぜて、それからティーパックの細い糸を小指を立ててペタペタと引き上げた。そしてそれまでペンを開けたり閉じたりしていた、さも不潔で神経質な、でも決して器用ではない短い指で、それをギューっとネチッコク絞ったのだ。そう、それを見ているこちらがじっとりと心地悪く汗ばむほどに・・・。茶色い汁がいかにも不味そうに、男のガラスのカップの中にポタッ、ポタッ、と数滴落ちる。男はそれを鼻の先までずり落ちた大きなトンボ眼鏡越しに、じっと、ピリピリと小さな卑屈な目で見つめる。そして一気に「ズズズズーッ!」、その茶色い液体を、まるで宇宙生物、エイリアンの如く口を尖らしてすすった。ああ・・・!真夏の怪談話のように背筋にぞっと寒気が走り、異邦人の女はその男から目を背けた。異邦人の女は、これほど悪寒のする紅茶を、生まれてから一度たりとも見たことがなかった。

すると、70年代男はおもむろにその茶色い汁の入ったカップを机の上に置いて、思いのほか素早くサッと立ち上がった。立ち上がった男のズボンは、ベルトもなくダラーンと腰の辺りまでずり下がり、だらしなく薄汚れた茶色のシャツがはみ出している。男はそのまま奥への続き部屋に入ってゆくと、書類を顎で押さえながら両手いっぱいに抱え込んで戻って来た。そして椅子に腰掛けると、また先ほどと同じように書類を一枚引き抜いては一文字書いて眺めて頷いて、ポケットからペンを入れては出してを繰り返す。そのうちにその男の周りはすっかり色を失って、その空間だけが茶色がかったモノトーンに、時間の流れさえも異質に、まるで気が遠くなるほど永遠に続いているかのように、異邦人の女はクラクラとそのぽっかりと開いた異次元の、薄茶色の穴に落ちて行きそうだった。

チクタクチクタク・・・


そこで突然番号を呼ばれて、異邦人の女は「はっ」と我に返り現実の世界に戻ると、急いで1番の窓口へと向かった。

「この書類がいるのですが」

役所には珍しく笑顔で太った男は「僕ではその証明書は発行できないから隣の部屋の窓口へ行っておくれ」と、自己防衛の中東では珍しくやさしい物腰だった。笑顔の太った男にいわれるように急いでドアのない隣の部屋へ行くと、そこには今度は髭の生えた痩せたねずみのような、オーソドックス・ユダヤの中年男が座っていた。イライラしながら早口のヘブライ語で、まるでなにか異邦人の女が悪い事をしたかのように、ねずみ男はまくし立てはじめた。

「わからないな、わからないな、どうしてここへやって来たんだ?どうしてだ?」

苛ただしく、やせっぽっちのねずみ男はおなじ言葉をくり返す。

「この書類が必要なだけなのです。発行して頂けませんか」

「わからないよ、わからないよ、なんだってんだ、なんだってんだ、まったく、」

「いえ、だから書類を一枚お願いしているだけなのですけど・・・」

「書類だって?書類だって?なんだよ、なんだよ、だからどうしてここなんだ!えっ?!」

「いえ、ここへ来るように1番窓口でいわれましたから・・・。とにかく私はこの書類がいるのですよ。そして発行するのはあなたなのでしょう?だったら発行していただけますか?」

「まったく、なんだって、書類だって、書類だって?どうしてここでその書類なんだ?わからないな、わからないな、俺じゃないんだよ、書類はダメだ、ダメだってんだ、手紙だよ、手紙、手紙を書け、書類だろ?ダメだよ、手紙なんだ、手紙を書くんだ、わかったか、わかったか、」

ポリポリと痩せた指で髭の顎を掻くねずみ男が妙に惨めったらしく、異邦人の女はなんだか知らないが無性にアタマの中をイライラさせられた。このねずみ男は一体なにを喚いているのだろうか。


チクタクチクタク・・・


「なんですか、手紙って?なぜ私が、一体誰に手紙を書くのです?だからね、この書類がほしいだけなんですってば。あなたが発行する書類なのでしょう?それを坂の下のミスラダ・ハプニムに持って行かなくっちゃ。お昼までに行かなくっちゃならないのですよ。ほら、もう時間がないんですよ」

「だから手紙なんだよ、手紙なんだよ、わからないのかい、わからないのかい!手紙を書いて持って来いといっているんだ、こんな書類は出せないね、出せないね!さあ手紙だよ!」

「ん、もう!だから誰に宛てた手紙になんと書くんですか?!ヘブライ語ですか?!」


「なんだと、なんだと!なんがわからないんだっていうんだい、さっきから何度もいってるじゃないか、手紙だよ、手紙、手紙がいるんだよ、いいな、いいな、ロシアだってアフリカだって、ここではみんなヘブライ語に決まってるだろう、いいな、いいな、そうさ、ヘブライ語さ!」

ねずみ男はさらにヒステリックに、甲高い声でくり返すだけ。チクタクチクタク・・・


「よくありませんよ。ワケがわからないじゃないですか。ちゃんとわかるように説明してくださいよ。そうじゃないと手紙を書くにも書けないでしょう!」

「なんだと!なにがわからないんだ!だから手紙だと何度もいってるじゃないか、まったく、なんてこった、手紙だよ、ほら、書類は出せないよ、出せないんだってさっきからいってるだろう、まったくまったく、なんだってんだ、なんだってんだ、書類だと、書類だと・・・」

「・・・・はぁ、とにかくなんでもいいから誰かに手紙を一枚、ヘブライ語で書くんですね?そしたらすぐに書類は出してくれるのですね?さっきからいっているように、お昼までにミスラダ・ハプニムに持って行かなくちゃいけないのですよ」

「なんだって?なんだって?今からすぐに出せるかだって?すぐにか・・・だって?知らないよ、知らないよ、なんで俺にそれがわかるんだい、いつになるかなんて誰も知らないよ、ミスラダ・ハムニム?ミスラダ・ハプニム?はっ!関係ないね、関係ないね俺には!ほら、とっとと手紙を書きな、手紙だってば、俺は時間がないんだ、ないんだってば、俺は知らないんだよ、いつかなんて、いつかだなんて・・・・、」

異邦人の女の顔も見ずに、まるで独り言のようにねずみ男はブツブツとまくし立てると、イライラしながら髭のもだかった顎をポリポリと掻き、またおなじことを口ごもりながら埃っぽい書類の山の奥へと消えて行ったしまった。書類を一枚取りに来ただけの異邦人の女は窓口に一人、なぜだかポツンと取り残されて・・・。またまた異邦人の女のまわりの色が失せてゆく。

チクタクチクタク・・・


壁の大きな時計はすでに12時を過ぎていた。ドアのない部屋からは、2番の窓口のあの指の短い薄茶色の70年代男が見える。男は相変わらず一文字書いては眺めて頷き、シャツのポケットにペンをしまっては取り出し、それでも壁の丸い大きな時計はただ知らん顔をしてチクタクチクタク・・・。時計はすべてがいつもとおなじかのようになにも関係なく、勝手にいつまでもチクタクチクタク、グルグルとまわり続ける。ああ、ギョウセイ、ぎょうせい、行政、bureaucracy。そこには意味もなく理由もなく、ただただアタマが痛い。チクタクチクタク・・・チクタクチクタク・・・チクタクチクタク。

Thursday, November 18, 2004

ディアスポラの街角 diaspora around the corner

エルサレムの新市街から城壁で囲まれた旧市街へと続く一本の道、ヤッフォ通り。テル・アヴィヴの南、いにしえの地中海の小さな港町ヤッフォ。ギリシャ神話の悲恋物語の言われが残る岩が青く静かな地中海から顔を出し、魚のにおいと古い港と大きな蚤の市。どんどんと近代化されていくイスラエルの中でも、古風でエキゾチックにアラブの香りの漂う町。そのヤッフォの港町から砂漠の聖なる都エルサレムへと伸びた一本の旅の道。今日はその旅の道、エルサレムの中心街のヤッフォ通りで出逢った人々の話。

ホテル・シュテルン。エルサレムの中心街を旧市街へと伸びるヤッフォ通りとツィオン広場の一角にある、10室ほどのいたって小さなこのホテル。オーナーのヴァッサーマンさんは、昔のイタリア映画にでも出てきそうなひょうきんな小太りのちょび髭オヤジ。その日、異邦人の女は、ニューヨークの片隅のオーソドックス・ユダヤの街ボーロ・パークからエルサレムへ、親類の結婚式にやって来る友人の部屋を探して、このホテルを訪ねた。たまたま休憩時間だったオーナーのヴァッサーマンさん、異邦人の女に部屋を見せたあと、「まあまあ、座んなさいよ。カフェ?」 と、気さくにちょび髭で透明のガラスのカップにネスカフェをすすめる。

それから数日後の朝のこと。異邦人の女は、ニューヨークから海を越えて旅をして来た友人のイツホックを、自宅から歩いて20分ほどのこのホテル・シュテルンまで迎えに行った。時差ぼけもあってか、イツホックはまだベッドから起きたばかり。陽がすでに高く昇っている中東の街へと出てゆくには、まだ目が覚め切っていないよう。オーソドックス・ユダヤの朝の仕度。眠りの世界からこちらの世界に戻ると同時に祈りの言葉を口にし、ベッド際の水がめで丁寧に手を清め、着替えをすませると、決められた方の足から靴を履く。身支度が整うと、額に乗せたマッチ箱のような小さな黒い聖句箱を革ひもで落ちないように固定し、揃いの革紐を左腕に巻き、嘆きの壁の方向に向かって立つと、静かに朝の祈りがはじまる。

「ちょび髭おじさん、ボケル・トーヴ、おはようさん。いま忙しい?」

「おー、異邦人かい、ボケル・トーヴ!入って入って!なんだい、イツホックはまだ朝の仕度中?それじゃあ、しばらくは時間がかかるねえ。ってことは、カフェ?!」

イツホックがゆっくりとユダヤの朝の仕度を終えるまで、ちょび髭のヴァッサーマンさんのフロント・オフィス兼寝室で朝のお茶のひと時。コーヒー・テーブルの上のクムクムのスイッチを入れると、あっという間にこの小さなポットのお湯は湯気を吐いて怒り出す。ヴァッサーマンさんは、この国のどこの家庭にもある透明なガラスのコップを戸棚から取り出すと、ネスカフェ、クムクムのお湯とミルクを注ぎ、スプーン3杯、たっぷりの砂糖を入れたミルク・コーヒーを。そして異邦人の女には、ヒョイっとベランダへから鉢植えのミントをプチッと捥いだ。それにお湯を注げば、ガラスのカップに彼女の好きなミントの緑葉が泳ぐ、おいしいミントティー。

「砂糖はいくつ?」

「あ、いらない、いらない」

「砂糖なしのティー?!」

まるで宇宙人の異邦人の女。カッと暑い中東の太陽の下では甘いか辛いか、白か黒か、舌は味も言葉もおなじよう。そんな土地では、コーヒーも紅茶も砂糖なしだなんて、とっても曖昧でインパクトにかける。

「ところでちょび髭おじさん、いつからこのホテルを経営しているの?」

「そうだねえ、軍を退職してから両親がやっていたこのホテルを受け継いだんだから、15年ほど前かな?」

ヴァッサーマンさんは、20年間勤めたイスラエル国防軍を定年退職して、ポーランド系移民のご両親の残したこのエルサレムでも一等地のホテルを受け継いだのだそうだ。

「ポーランドかあ。あれ?じゃあもしかして、ちょび髭おじさんもイディッシュ語を話すの?」

「イディッシュ?もちろんさ!」

ちょび髭がちょびっとうれしそうに跳ねると、ヴァッサーマンさんはにっこりと自慢げで。そこで異邦人の女は、大黒和恵さんの主催するウェブ・プレス「葉っぱの抗夫」に載せていただいている、イツホックとの共同和訳した「失われたポーランドの歌 スーラレ」を早速インターネットで見てもらった。


א מאל געווען א שרהלע
א שרהלע א שיינס
געהאט האט זי א ברודערל
א ברודערל א קליינס

א מאל איז די מאמע אוועק אין וואלד
און נישט געקומען באלד
נעמט שרהלע איר ברודערל
און גייט מיט אים אין וואלדע

זיי קומען אריין אין וואלדעלע
און בלאנדזע אהין אהער
קומט אן צו זיי פון וואלדעלע
א גרויסער ברוינער בער

אך בערעלע דו גוטינקע
זיי און ריר אונז נישט אן
די מאמע וועט באצאל
דיר וויפל זי נאר קען

אוועק איז בער אין וואלדעלע
די קינדער בלייבן שטיין
קומט אן צו זיי א וועלוועלע
און סקריפשעט מיט די ציין

אך וועלוועלע דו גוטינקע
זיי און ריר אונז נישט אן
די מאמע וועט באצאלן
דיר וויפל זי נאר קען

אוועק איז וואלף אין וואלדעלע
די קינדער בלייבן שטיין
פינסטער וועט אין וואלדעלע
עס הערט זיך א געוויין


ああ むかしむかし ひとりのスーラレという
ああ それはそれは かわいいおんなのこがいました
スーラレにはおとうとがひとり
ああ ちいさなおとうとがいました

あるとき スーラレのママは 森へでかけてゆきました
でもママは ながいあいだ かえってきませんでした
スーラレは ちいさなおとうとをつれて ママのいる森にいきました

スーラレとおとうとは 森のなかをママをさがして
あちらこちら さまよいあるいていると
いっぴきの おおきな ちゃいろのくまにであいました

「ああ まあ! くまさん
なんてやさしそうなのでしょう
わたしたちに なにもしないでちょうだいね
もし いじわるをすると ママがあなたにしかえしにくるんだから」

くまは 森のなかにきえてゆきました
スーラレとおとうとは まだ森のなかにいます
こんどは いっぴきのおおかみが
キバをギリギリならして こちらにやってきます

「ああ まあ! おおかみさん
なんてやさしそうなんでしょう
わたしたちに なにもしないでちょうだいね
もし いじわるをすると ママがあなたにしかえしにくるんだから」

おおかみは 森のなかにきえてゆきました
スーラレとおとうとは まだ森のなかにいます
くらやみが 森におとずれはじめました
そして 森は スーラレとおとうとが
くすんくすんと泣いているのをききました...


「ああ、イディッシュ語らしい歌だね。こんなふうにイディッシュの歌も色々な人たちに知られるとは、本当にすばらしいよ。イディッシュ文化も、いずれは消えてしまうのかもしれないからね。チカ、これからもどんどん日本語に訳しておくれよ。

僕のポーランド人の両親はね、ホロコーストを生きてぬいて、その後、二度とポーランドには戻らずに、イスラエルへと移り住んできたのだよ。それからもヘブライ語は祈りのための言葉、生活はユダヤの言葉イディッシュ語、そんなふうだった。おかげで僕もイディッシュ語もヘブライ語とおなじほどに話せるけれどね。でも、日常の生活の中で使わなければ、それは生きたイディッシュ語ではないし、僕の子供たちはそんな言葉には興味もない。僕も、両親のようにイディッシュ語だけを話し、古めかしいしきたりに縛られたオーソドックス・ユダヤの世界に住むのもゴメンだしね。僕はこの国で世俗の世界に生きてヘブライ語を話し、軍隊に行った。だって、ここはどこでもない、イスラエル、だからね」

ヴァッサーマンさんの亡くなられたご両親は、オーソドックス・ユダヤのハシディック派の中でも、ユダヤの戒律を最も厳しく守るサトマー派だったのだそう。多くのオーソドックス・ユダヤの人々がそうであるように、サトマー派の人々にとっても、今でも日常はイディッシュ語を話し、ヘブライ語は聖なる祈りの言葉。ヴァッサーマンさんは、ホテル・シュテルンと目と鼻の先にあるオーソドックス・ユダヤの街メア・シェアリムの街角でイディッシュ語を耳にすると、今でもそれはどこか懐かしく、心がほっとするのだそう。しかし「オーソドックス・ユダヤの世界の住人になるつもりはない」と、ヴァッサーマンさんはその世界観を否定する。ヴァッサーマンさんのご両親は本当に幸運にもホロコーストを生きのびたけど、息子である彼自身も、生き残ったが故の彼らの苦しみを目の当たりにした。そして600万人というユダヤの人々がヨーロッパのホロコーストでいのちを失ったことに、どう神を信じろというのだと、宗教世界へ住むことへの否定へ、甘いミルク・コーヒーの入ったガラスのカップを持つちょび髭が、ちょびっと悲しそうに垂れ下がった。

そうしてしばらくふたりでお茶をすすりながら話しをしていると、長身で白髪の紳士が「ひょいっ」と、ヴァッサーマンさんのオフィスに顔を出した。コーヒーを沸かしに、ホテルの廊下を共同キッチンへとゆく途中らしい。白髪の紳士の手には、なにやら書き物が握られている。

「シャローム!」

「シャローム、シャローム!」

ゆっくりとほほ笑みを返してくれたこの老人アブラモは、この2ヶ月間、ひとりでホテル・シュテルンで生活しているのだそう。アブラモはずっと昔、若いころにハンガリーに住み、イディッシュ語の生活があった。やがて戦争がはじまり、そこでおなじように暮らしていた多くのユダヤの人々と共に、ナチによって生まれ育ったハンガリーを追われた。アブラモは、あのアウシュヴッツに向かう列車から、ナチの警備員の一瞬の隙を見て線路へと飛び降りると、決して後ろを振り向くことなく、ただただ夢中で走り続け、生き長らえた。そして愛する人すべてをホロコーストで失った戦後、イスラエルへとさらにひとりで走り続け、それからの40年間、アブラモはずっとずっと、「あること」を書き続けているのだそうだ。毎日、丁寧にヘブライ語でしたためられている、その文書。この日もそれからタイプで清書をしてから投函しに行く、とアブラモは少年のような笑顔だった。異邦人の女は彼が手にしているその日の文を拝見させてもらう。しかし、それまでの40年ものストーリーに目を通していない異邦人の女には、原稿に3枚、丁寧に書かれていたその日の文書が一体なにを指しているのかはよく理解できなかった。

「それをどこに送るのですか?」

「政府にだよ」

投函先は、なんとイスラエル政府だと少年の目をした白髪の老人は続けた。

「近い将来に、世界中のユダヤの人々に何か大変なことが起きるのだよ。だからこの40年間、私は一日も欠かすことなく、やがて訪れるであろうそのユダヤの危機についてしたためて来たし、これまでの原稿はすべてイスラエル政府に郵送しているのだよ」

しかし、政府からの返答は一度も届いたことがないという。

老人アブラモの長い人生の時間の、ほんの小さな欠片のこのホテル・シュテルンで、ここでひとり、ホロコーストを再び起こさせまいとユダヤの危機を書きとめている。2ヶ月前のある日、ふとこの砂色の街のホテル・シュテルンに現れたこの老人がなぜこのホテルに住み続けているのか、そしてこの老人がこれからどこにゆくのかは、ヴァッサーマンさんも誰もわからなかった。アウシュヴィッツにゆく列車から飛び降りた若きアブラモの魂は、ひょっとするとあの時、二度と帰ることのなかった人々と鞄とともにあの列車に置き忘れられて、アウシュヴィッツへと向ったのかもしれない。あの時、魂を失しなったアブラモ。その後この世でひとり生き続けるためには、こうして書かなくてはならなかったのかもしれない。アブラモの人生の半分も生きていない異邦人の女にその答えを知ることはできないが、アブラモ自身、果たしてその答えを知っているのだろうか。

白髪の老人紳士アブラモが文書を手にキッチンへと向かうと、ようやく身仕度を終えて部屋から出てきたイツホックと異邦人の女は、エルサレムの外れにあるタエレットの丘の展望台からエルサレムの街を眺めようと、ホテル・シュテルンとヴァッサーマンさんを後にした。太陽が熱くコンクリートを焼くホテル・シュテルンの外、異邦人の女とイツホックがタクシーを探すヤッフォ通りを、異邦人の女の近所に住む定年した数学教師のジュリアが向こうの角から歩い来るのが見えた。

「あら、ハーイ、チカじゃない。あんた、こんなことでなにやってんのよ、え?タエレットに行く?そんなの、エルサレムを外から器だけ見ても意味ないわよ!眺めは確かにいいけどね。その後でホロコースト博物館にも行くの?まあ、それはいいけどさ。そんなことよりも、あんた、ヘブライ語の勉強しなくていいの?あたしですら、ここに移住してから2年で話せるようになったんだから、あんたもやんなさいよね。あたしの場合は読みはここに来る前からできたんだけど、あんたの場合は読みも今ひとつでしょ?会話も大切だけど読めるようにならなきゃだめよ!神への言葉、ヘ、ブ、ラ、イ、語、なんだから」

そこまで息もつかずにいい切ると、ジュリアは異邦人の女の隣、黒い髭の男に気がついたらしい。

「あら、あなた誰?えらく髭もじゃじゃない?あたし、ジュリア」

「はじめまして、イツホックと申します」

妻と夫または家族でない限り、異性と握手などしないオーソドックス・ユダヤの男と女。

「あたし?どこの出身かってそんなこと、この英語のアクセントを聞けば一目瞭然!そういうあんたもブルックリンね、そうでしょう?あら、イディッシュの訛りね?えへん、あたしだってイディッシュ語くらい話せるわよ」

ジュリアは元ブルックリン人で、なんせひとたび話し出したら壊れたラジオ、スイッチの切りようがない。数年前にラビだった夫を亡くしたのち、暮らし慣れたブルックリンの家を売り払うと、全財産と九十歳をすぎた高齢の母君とふたりで2年前にユダヤの人々の心の故郷であるエルサレムへと移り住んだ。足腰が弱くなり車椅子に乗ってエルサレムへとやって来た母君と、ずっと昔に亡くなったジュリアの父君は、もともと生まれ育ったポーランドのガリチアから戦争の前にニューヨークへと移り、ホロコーストを免れたのだった。

「あら、あんた、ああ、誤解しないでよね、もちろんあたしもイディッシュ語は大好きだわ。家の中ではそれで育ったんだからね。でもエルサレムに来てからはすっかり英語とめちゃくちゃのヘブライ語よ。イディッシュ語はあまり話してないわね。でもやっぱりユダヤなんだから、イディッシュ語で話すべきかしらねえ。イスラエルにいるからさ、ヘブライ語をがんばって話すようにはしてるけどね、でもやっぱりヘブライ語はどうしたって祈りの言葉、聖書の言葉なのよね。あたしの親もその前の世代もそうやしていたんだから、やたらにヘブライ語を日常の会話に用いるのはまだ少々の抵抗があるわね。しかもイスラエル人ったらさあ、本当によくヘブライ語で相手を罵倒なんてするんだもんねぇ、信じられないわ。あらヤダ、あたし、もう行かなくっちゃ!忙しいのよね、いろいろと。授業について行けない高校生の女の子にボランティアで数学を教えてるのよ。

ああ、そうそう忘れるところだった。チカ、母のシヴァに来てくれてどうもありがとうね。あんたったらさあ、シヴァの最終日に来るんだもんねー。もう来ないのかと思ってたわよ、まったくさ」

つい先日のこと、ジュリアの母君は、言葉通り、すーっと眠りにつくようにこの世を旅立ってゆかれた。母君はいつもの日課だった午後の日光浴を終えて、住み込み介護士の若いフィリピン女性が母君のお風呂の仕度をしている間、少しそっと横になって瞼を閉じると、静かにそのままなんの苦もない世界へと、旅立たれた。ユダヤの葬式のあとには、シヴァという7日間の忌中がはじまる。シヴァの間には親類や友人、訪れる人たちは共に遺族を慰め故人を偲び、悲しみを分かちあい、忌中の悲しみを表すユダヤの習慣としてジュリアは靴を履かずに、床に座り衣服の端を少し破いて、訪問客を待っていた。

「あ、あんたイツホックっていったけ?そうなのよ、母がついこの前に亡くなってねえ。この子、シヴァに来てくれたのよ。ええ、そうなのよ、夫も数年前に亡くなったし、息子や孫たちがベイト・シェメシュにいるけどね、あら?ベイト・シェメシュ知らないの?テル・アヴィヴとエルサレムの間にある大きなアングロサクソン移民の街よ。

でね、あたしもエルサレムでひとりっきりで寂しいけどね、でもそんなことはいってらんないじゃない!まだまだ人生は続くんだから!あら、やあだ、すっかり話し込んじゃったじゃない。じゃね、ヘブライ語の勉強しなさいよ、あんたたち!レヒットラオット!」

ジュリアはほとんどをひとりで話し終えると、どこか漫才師の宮川大介花子の花ちゃんを思わせる、大きなトンボ眼鏡をきゅっと鼻の上に押し上げ、ヤッフォ通りを旧市街に向かって歩きはじめた。

」המקום ינחם אתכם בתוך שאר אבלי ציון וירושלים「

主がシオンとエルサレムの喪する人たちとあなたを慰められますように、とイツホックは喪の言葉をジュリアの肩越しに伝えた。ジュリアはその言葉を耳にすると、ピタリと立ち止まりクルリと振り向くと、少し悲しげにイツホックにほほ笑んだ。

「・・・とうとう母も亡くなったけどさ、夢にまで見たあたしたちユダヤの故郷エルサレムに眠っているなんて、これほどの幸せはないよね。バルフ・ハシェム。彼女もきっと喜んでいるはずなのよね・・・。あたしもさ、辛いけどね、エルサレムにいるんだもん。がんばるわよお。あんた、いい人だね。ありがとう。ブルックリンに置いておくにゃもったいないよ。エルサレムに引っ越していらっしゃい。じゃね。シャローム、シャローム!ザイ・ゲズント!」

60代半ばにして住みなれたブルックリンを後にし、念願のイスラエルへとやって来たジュリアは、母君亡きのちも息子たちとたくさんの友に支えられ、母君の眠っている心の故郷であるエルサレムでこれからも生きてゆくのだろう。

ジュリアの少し寂しそうなうしろ姿が人ごみに紛れて消えて、異邦人の女とイツホックが捕まえたタクシーの運転手はジュリアに負けず劣らず、なかなかの話し好きだった。短髪に眼鏡をかけた中年男の運転手のたどたどしい英語と、異邦人の女らしくたどたどしいまちがいだらけのヘブライ語。でも助かることにイツホックは言葉に巧み、英語やイディッシュ語はもちろんのこと、ヘブライ語もスペイン語もあやつる。

「シャロム、シャロム~。あんたたち~、どこから来たの?エルサレムははじめてかい~?」

「いいえ、はじめてではありません。僕はニューヨークから。こちらの友はエルサレムに住んでるんですよ。もともとは日本だけれどね」

「ほ~!ヌーヨークにヤパンかね。お嬢ちゃん、この街どう~?いいだろう?ここは世界の臍だよ、へそ~。そうさ、世界の中心だよ~!だってさ、ここから世界の歴史ははじまったんだからなあ。それにいつの時代だって世界中の人間が集まってくる街さ。これが臍じゃなきゃなんだい~?」

お嬢ちゃん、エルサレムに来てからどうもそう思われることが多いなあと異邦人の女。中東の人が実年齢よりも、外見がどうも老け過ぎなのだけど。やはり中東のカラカラの陽と水のない街は人を早く老けさすのだろうか。

「うん、オヘソってのはなんだか納得!この小さな街にほんとうに世界中の人がいるもんね。ところで運転手さんはもともとはどこの人?エルサレムの人なの?」

「あ~、オレ?オレはね、チャキッチャキのエルサレム人よ~!驚くなよ、うちはね、この激動の街エルサレムに400年も追い出されずに生き続けているユダヤの家系なんだよ。そう、よ・ん・ひゃ・く・ね・ん~!」

「へえ、400年かあ。すごいね。生粋のエルサレム人っていってもいいくらいかもね。・・・じゃあ、運転手さん、もしかするとその前、400年以前にあなたの祖先がどこに住んでいたのか知ってるの?」

「ケン、ケーン、もちろんさ~!オレの祖先はね、ずっと昔はスペインに住んでたんだよ~。ずっとずっと昔のことだけどな。だから~、こう見えてもオレもラディーノ語は話せるんだよ~。オレの子供たちはもちろん無理だけどね~。あははっ」

中世のドイツに住むユダヤの人々の間では、イディッシュ語がユダヤの言葉として話されていたように、スファラディーと呼ばれるスペイン系のユダヤの人々の間では、今はラディーノ語と呼ばれているジュデオ・エスパニョール語がユダヤの言葉だった。14世紀のスペインでは、ユダヤの人々への強制的なキリスト教への改宗が迫られるようになり、そこで多くのユダヤの人々はキリスト教に改宗し、しかしその中には公ではキリストに誓いを立てても、かのコロンブスがそうであったらしいという話もあるように、密かに誰にも知られないように安息日を守り続けた「隠れユダヤ」、スペイン語で豚を意味するマラノと呼ばれるの人たちもいた。そして今から500年ほど昔の1492年のこと。コロンブスによるアメリカ発見のその年。反ユダヤの感情の吹き荒れるスペインで、この年すべてのユダヤの人々はスペインを追われることになり、住み慣れたスペインに留まるにはキリスト教への改宗を迫られた。しかしほとんどのユダヤの人々は、キリスト教への改宗を拒み、ユダヤのまま裸同然でスペインを去り、ポルトガルへ、フランスへ、モロッコへ、エジプトへ、そしてトルコへ、サラエヴォへ、と流れて行った。その後、それぞれが流れ着いた土地で、追われたスペインを懐かしみ、スペイン語とヘブライ語の混合した言葉ラディーノ語を話すようになったという。中年男の運転手エリの祖先もそのようにしてスペインを追われトルコへ流れ、ラディーノ語を話し、そしてその旅の果てにエルサレムへとたどり着いたのだそう。

「それにね~、オレの家にはもうひとつ鍵があるんだよ~」

「鍵?」

「ああ、スペインの家の鍵ですか?」

運転手エリの家では、おそらくはもうそこには跡形もなく、ふたたび帰ることのない遠い昔の故郷であるスペインの家の鍵が、今でも大切に保管してあるのだそう。感情豊かなスファラディーと呼ばれるユダヤの人々は、その昔に住んでいたスペインの家の鍵を何百年という時と世代をへて、今でもとても大切にノスタルジックに持ち続けている。そんな彼らのスペインを思う言葉であるラディーノ語は、いまではその話し手の多くが年老いて、もうその継承者は絶えつつあり、このラディーノという言葉は、もうすぐ失われてしまう。そこに生きて、そして追われたスペインのユダヤの歴史、その記憶の証人であるラディーノ語。しかしこの言葉が失われても、決してスファラディー・ユダヤの人々はかつてのスペインの家を忘れることはない。ユダヤの人々の故郷であるエルサレムに生きながらも。

このエルサレムの街で異邦人の女の出逢うディアスポラは、そのほんの断片。テル・アヴィヴに建つディアスポラ博物館には、ポグロムやホロコーストによってこの世から失われてしまった世界中のユダヤの街や人々の記憶が、静かに言葉なく保管されている。しかし今でも世界中のあちこちに、まだそのユダヤの離散と流浪の記憶とともに生きている多くの人々がいる。ホテル・シュテルンやエルサレムの街角のディアスポラは、博物館に保管され横たわる過去の記憶ではなく、今もまだ色あせずに生き続けている記憶の印。そしてこの国に住むひとりひとりが、このようにユダヤの歴史の旅のストーリーをきっとその胸の引き出しにしまっているのだろう。

Monday, November 15, 2004

2004年のメア・シェアリム

時間が止まったメア・シェアリムの一角で
おじいさんが一人、おじいさんと同じ年頃のミシンの番をしていた
見たこともない小さな映写機を構えた
どこからか現れた東洋の人影に
そしてそのおじいさんと時間の止まった店とに
「あっ!宇宙人!」・・・と二人、ビックリしたよ

Thursday, November 04, 2004

テレビがうちにやって来た!

またまた「逃げ」なるものが近所でありました。イマドキの日本ではほとんど聞かないこの言葉。でもエルサレムでは 「ふーん。じゃ、なんか置いていったかも。見てこよう。」 というごく普通の反応。以前住んでいたアパートの隣りの住人も5ヶ月家賃を滞納したのち、大家に「即日立ち退き宣言」を受け渡されて、その日の夕暮れ過ぎには大家は彼の荷物はすべて路上に放り出して、はい、おしまい。 

そう。今回の夜逃げのおかげで、そこの住人の置いていった家財道具の中からテレビが貰えることになり、さっそくちゃっかり家に持って帰ってきた。エルサレムに来てから早や5年。今まではテレビのない生活でまったくよかったのだけど、こうも続くストやあちこちで起こる一般市民を狙った自爆事件が相次ぐのでは、やはりニュースはいつも見れるほうがよい。

5年ぶり、のテレビとあって、なんだかやたらドキドキワクワク。テレビをリビングの真ん中にドンっと置いてコンセントを差し込んでみると・・・うーん、テレビ君。なにか一生懸命に映し出そうとしてはいるみたい。・・・あれ?まさか・・・・・。白黒?と、ぼーっとした映像が2、3分続いて、お、よかった。なんだか色が付いてるよ。カラーだ。うん、とりあえずはきれいな映像。まあ一応、現代のテレビだからそれで普通なのだけど。

画像がクリアになったところで、急いで12個並んでいるチャンネルのボタンを押してみる、が・・・・。ん?なんだ、これ?最初の1と2のチャンネル以外は全部砂の嵐。3にはかすかな反応。どこかのアラブのチャンネルのよう。ああ、そうか。国営放送がチャンネル1で、2が民営ということか。あらら、たったの2局?とガッカリ。でも四国ほどの大きさの国ゆえに、これにはすぐに納得。そしてチャンネル1のゴールデンタイムのほとんどはニュース、ニュース、またニュース。民営のチャンネル2でも、映画のど真ん中、なんの前触れもなくいきなりニュースが5分ほど入って来る。そうか、なるほど。やはりそんなに国民はよくニュースを見るのかとちょっと政治への関心の高さに感心。が、しかし、それもつかの間のこと。英字新聞『 The Jerusalem Post 』のテレビ番組表をよくよく見てみると気がついた。そうです。番組が日本のように時間の枠にキッチリとはまっていないことに。だからおかしなことに映画のど真ん中でニュースなんてことになって、シンデレラの魔法が切れる12時になると番組が何であろうとニュースのお時間がやってくる。そしてなんと、番組表と実際の放送番組や放送時間がちがっていることは日常茶飯事で先週放送のはずだった映画が今週放送されたり、またその反対だったり。じゃあ一体これって何のための番組表?そりゃあ単なる目安でしかない。なんじゃそりゃ、と思わず自分で突っ込んでしまってテレビは家にやって来た。

Monday, November 01, 2004

オトウトヨ