Thursday, November 18, 2004

ディアスポラの街角 diaspora around the corner

エルサレムの新市街から城壁で囲まれた旧市街へと続く一本の道、ヤッフォ通り。テル・アヴィヴの南、いにしえの地中海の小さな港町ヤッフォ。ギリシャ神話の悲恋物語の言われが残る岩が青く静かな地中海から顔を出し、魚のにおいと古い港と大きな蚤の市。どんどんと近代化されていくイスラエルの中でも、古風でエキゾチックにアラブの香りの漂う町。そのヤッフォの港町から砂漠の聖なる都エルサレムへと伸びた一本の旅の道。今日はその旅の道、エルサレムの中心街のヤッフォ通りで出逢った人々の話。

ホテル・シュテルン。エルサレムの中心街を旧市街へと伸びるヤッフォ通りとツィオン広場の一角にある、10室ほどのいたって小さなこのホテル。オーナーのヴァッサーマンさんは、昔のイタリア映画にでも出てきそうなひょうきんな小太りのちょび髭オヤジ。その日、異邦人の女は、ニューヨークの片隅のオーソドックス・ユダヤの街ボーロ・パークからエルサレムへ、親類の結婚式にやって来る友人の部屋を探して、このホテルを訪ねた。たまたま休憩時間だったオーナーのヴァッサーマンさん、異邦人の女に部屋を見せたあと、「まあまあ、座んなさいよ。カフェ?」 と、気さくにちょび髭で透明のガラスのカップにネスカフェをすすめる。

それから数日後の朝のこと。異邦人の女は、ニューヨークから海を越えて旅をして来た友人のイツホックを、自宅から歩いて20分ほどのこのホテル・シュテルンまで迎えに行った。時差ぼけもあってか、イツホックはまだベッドから起きたばかり。陽がすでに高く昇っている中東の街へと出てゆくには、まだ目が覚め切っていないよう。オーソドックス・ユダヤの朝の仕度。眠りの世界からこちらの世界に戻ると同時に祈りの言葉を口にし、ベッド際の水がめで丁寧に手を清め、着替えをすませると、決められた方の足から靴を履く。身支度が整うと、額に乗せたマッチ箱のような小さな黒い聖句箱を革ひもで落ちないように固定し、揃いの革紐を左腕に巻き、嘆きの壁の方向に向かって立つと、静かに朝の祈りがはじまる。

「ちょび髭おじさん、ボケル・トーヴ、おはようさん。いま忙しい?」

「おー、異邦人かい、ボケル・トーヴ!入って入って!なんだい、イツホックはまだ朝の仕度中?それじゃあ、しばらくは時間がかかるねえ。ってことは、カフェ?!」

イツホックがゆっくりとユダヤの朝の仕度を終えるまで、ちょび髭のヴァッサーマンさんのフロント・オフィス兼寝室で朝のお茶のひと時。コーヒー・テーブルの上のクムクムのスイッチを入れると、あっという間にこの小さなポットのお湯は湯気を吐いて怒り出す。ヴァッサーマンさんは、この国のどこの家庭にもある透明なガラスのコップを戸棚から取り出すと、ネスカフェ、クムクムのお湯とミルクを注ぎ、スプーン3杯、たっぷりの砂糖を入れたミルク・コーヒーを。そして異邦人の女には、ヒョイっとベランダへから鉢植えのミントをプチッと捥いだ。それにお湯を注げば、ガラスのカップに彼女の好きなミントの緑葉が泳ぐ、おいしいミントティー。

「砂糖はいくつ?」

「あ、いらない、いらない」

「砂糖なしのティー?!」

まるで宇宙人の異邦人の女。カッと暑い中東の太陽の下では甘いか辛いか、白か黒か、舌は味も言葉もおなじよう。そんな土地では、コーヒーも紅茶も砂糖なしだなんて、とっても曖昧でインパクトにかける。

「ところでちょび髭おじさん、いつからこのホテルを経営しているの?」

「そうだねえ、軍を退職してから両親がやっていたこのホテルを受け継いだんだから、15年ほど前かな?」

ヴァッサーマンさんは、20年間勤めたイスラエル国防軍を定年退職して、ポーランド系移民のご両親の残したこのエルサレムでも一等地のホテルを受け継いだのだそうだ。

「ポーランドかあ。あれ?じゃあもしかして、ちょび髭おじさんもイディッシュ語を話すの?」

「イディッシュ?もちろんさ!」

ちょび髭がちょびっとうれしそうに跳ねると、ヴァッサーマンさんはにっこりと自慢げで。そこで異邦人の女は、大黒和恵さんの主催するウェブ・プレス「葉っぱの抗夫」に載せていただいている、イツホックとの共同和訳した「失われたポーランドの歌 スーラレ」を早速インターネットで見てもらった。


א מאל געווען א שרהלע
א שרהלע א שיינס
געהאט האט זי א ברודערל
א ברודערל א קליינס

א מאל איז די מאמע אוועק אין וואלד
און נישט געקומען באלד
נעמט שרהלע איר ברודערל
און גייט מיט אים אין וואלדע

זיי קומען אריין אין וואלדעלע
און בלאנדזע אהין אהער
קומט אן צו זיי פון וואלדעלע
א גרויסער ברוינער בער

אך בערעלע דו גוטינקע
זיי און ריר אונז נישט אן
די מאמע וועט באצאל
דיר וויפל זי נאר קען

אוועק איז בער אין וואלדעלע
די קינדער בלייבן שטיין
קומט אן צו זיי א וועלוועלע
און סקריפשעט מיט די ציין

אך וועלוועלע דו גוטינקע
זיי און ריר אונז נישט אן
די מאמע וועט באצאלן
דיר וויפל זי נאר קען

אוועק איז וואלף אין וואלדעלע
די קינדער בלייבן שטיין
פינסטער וועט אין וואלדעלע
עס הערט זיך א געוויין


ああ むかしむかし ひとりのスーラレという
ああ それはそれは かわいいおんなのこがいました
スーラレにはおとうとがひとり
ああ ちいさなおとうとがいました

あるとき スーラレのママは 森へでかけてゆきました
でもママは ながいあいだ かえってきませんでした
スーラレは ちいさなおとうとをつれて ママのいる森にいきました

スーラレとおとうとは 森のなかをママをさがして
あちらこちら さまよいあるいていると
いっぴきの おおきな ちゃいろのくまにであいました

「ああ まあ! くまさん
なんてやさしそうなのでしょう
わたしたちに なにもしないでちょうだいね
もし いじわるをすると ママがあなたにしかえしにくるんだから」

くまは 森のなかにきえてゆきました
スーラレとおとうとは まだ森のなかにいます
こんどは いっぴきのおおかみが
キバをギリギリならして こちらにやってきます

「ああ まあ! おおかみさん
なんてやさしそうなんでしょう
わたしたちに なにもしないでちょうだいね
もし いじわるをすると ママがあなたにしかえしにくるんだから」

おおかみは 森のなかにきえてゆきました
スーラレとおとうとは まだ森のなかにいます
くらやみが 森におとずれはじめました
そして 森は スーラレとおとうとが
くすんくすんと泣いているのをききました...


「ああ、イディッシュ語らしい歌だね。こんなふうにイディッシュの歌も色々な人たちに知られるとは、本当にすばらしいよ。イディッシュ文化も、いずれは消えてしまうのかもしれないからね。チカ、これからもどんどん日本語に訳しておくれよ。

僕のポーランド人の両親はね、ホロコーストを生きてぬいて、その後、二度とポーランドには戻らずに、イスラエルへと移り住んできたのだよ。それからもヘブライ語は祈りのための言葉、生活はユダヤの言葉イディッシュ語、そんなふうだった。おかげで僕もイディッシュ語もヘブライ語とおなじほどに話せるけれどね。でも、日常の生活の中で使わなければ、それは生きたイディッシュ語ではないし、僕の子供たちはそんな言葉には興味もない。僕も、両親のようにイディッシュ語だけを話し、古めかしいしきたりに縛られたオーソドックス・ユダヤの世界に住むのもゴメンだしね。僕はこの国で世俗の世界に生きてヘブライ語を話し、軍隊に行った。だって、ここはどこでもない、イスラエル、だからね」

ヴァッサーマンさんの亡くなられたご両親は、オーソドックス・ユダヤのハシディック派の中でも、ユダヤの戒律を最も厳しく守るサトマー派だったのだそう。多くのオーソドックス・ユダヤの人々がそうであるように、サトマー派の人々にとっても、今でも日常はイディッシュ語を話し、ヘブライ語は聖なる祈りの言葉。ヴァッサーマンさんは、ホテル・シュテルンと目と鼻の先にあるオーソドックス・ユダヤの街メア・シェアリムの街角でイディッシュ語を耳にすると、今でもそれはどこか懐かしく、心がほっとするのだそう。しかし「オーソドックス・ユダヤの世界の住人になるつもりはない」と、ヴァッサーマンさんはその世界観を否定する。ヴァッサーマンさんのご両親は本当に幸運にもホロコーストを生きのびたけど、息子である彼自身も、生き残ったが故の彼らの苦しみを目の当たりにした。そして600万人というユダヤの人々がヨーロッパのホロコーストでいのちを失ったことに、どう神を信じろというのだと、宗教世界へ住むことへの否定へ、甘いミルク・コーヒーの入ったガラスのカップを持つちょび髭が、ちょびっと悲しそうに垂れ下がった。

そうしてしばらくふたりでお茶をすすりながら話しをしていると、長身で白髪の紳士が「ひょいっ」と、ヴァッサーマンさんのオフィスに顔を出した。コーヒーを沸かしに、ホテルの廊下を共同キッチンへとゆく途中らしい。白髪の紳士の手には、なにやら書き物が握られている。

「シャローム!」

「シャローム、シャローム!」

ゆっくりとほほ笑みを返してくれたこの老人アブラモは、この2ヶ月間、ひとりでホテル・シュテルンで生活しているのだそう。アブラモはずっと昔、若いころにハンガリーに住み、イディッシュ語の生活があった。やがて戦争がはじまり、そこでおなじように暮らしていた多くのユダヤの人々と共に、ナチによって生まれ育ったハンガリーを追われた。アブラモは、あのアウシュヴッツに向かう列車から、ナチの警備員の一瞬の隙を見て線路へと飛び降りると、決して後ろを振り向くことなく、ただただ夢中で走り続け、生き長らえた。そして愛する人すべてをホロコーストで失った戦後、イスラエルへとさらにひとりで走り続け、それからの40年間、アブラモはずっとずっと、「あること」を書き続けているのだそうだ。毎日、丁寧にヘブライ語でしたためられている、その文書。この日もそれからタイプで清書をしてから投函しに行く、とアブラモは少年のような笑顔だった。異邦人の女は彼が手にしているその日の文を拝見させてもらう。しかし、それまでの40年ものストーリーに目を通していない異邦人の女には、原稿に3枚、丁寧に書かれていたその日の文書が一体なにを指しているのかはよく理解できなかった。

「それをどこに送るのですか?」

「政府にだよ」

投函先は、なんとイスラエル政府だと少年の目をした白髪の老人は続けた。

「近い将来に、世界中のユダヤの人々に何か大変なことが起きるのだよ。だからこの40年間、私は一日も欠かすことなく、やがて訪れるであろうそのユダヤの危機についてしたためて来たし、これまでの原稿はすべてイスラエル政府に郵送しているのだよ」

しかし、政府からの返答は一度も届いたことがないという。

老人アブラモの長い人生の時間の、ほんの小さな欠片のこのホテル・シュテルンで、ここでひとり、ホロコーストを再び起こさせまいとユダヤの危機を書きとめている。2ヶ月前のある日、ふとこの砂色の街のホテル・シュテルンに現れたこの老人がなぜこのホテルに住み続けているのか、そしてこの老人がこれからどこにゆくのかは、ヴァッサーマンさんも誰もわからなかった。アウシュヴィッツにゆく列車から飛び降りた若きアブラモの魂は、ひょっとするとあの時、二度と帰ることのなかった人々と鞄とともにあの列車に置き忘れられて、アウシュヴィッツへと向ったのかもしれない。あの時、魂を失しなったアブラモ。その後この世でひとり生き続けるためには、こうして書かなくてはならなかったのかもしれない。アブラモの人生の半分も生きていない異邦人の女にその答えを知ることはできないが、アブラモ自身、果たしてその答えを知っているのだろうか。

白髪の老人紳士アブラモが文書を手にキッチンへと向かうと、ようやく身仕度を終えて部屋から出てきたイツホックと異邦人の女は、エルサレムの外れにあるタエレットの丘の展望台からエルサレムの街を眺めようと、ホテル・シュテルンとヴァッサーマンさんを後にした。太陽が熱くコンクリートを焼くホテル・シュテルンの外、異邦人の女とイツホックがタクシーを探すヤッフォ通りを、異邦人の女の近所に住む定年した数学教師のジュリアが向こうの角から歩い来るのが見えた。

「あら、ハーイ、チカじゃない。あんた、こんなことでなにやってんのよ、え?タエレットに行く?そんなの、エルサレムを外から器だけ見ても意味ないわよ!眺めは確かにいいけどね。その後でホロコースト博物館にも行くの?まあ、それはいいけどさ。そんなことよりも、あんた、ヘブライ語の勉強しなくていいの?あたしですら、ここに移住してから2年で話せるようになったんだから、あんたもやんなさいよね。あたしの場合は読みはここに来る前からできたんだけど、あんたの場合は読みも今ひとつでしょ?会話も大切だけど読めるようにならなきゃだめよ!神への言葉、ヘ、ブ、ラ、イ、語、なんだから」

そこまで息もつかずにいい切ると、ジュリアは異邦人の女の隣、黒い髭の男に気がついたらしい。

「あら、あなた誰?えらく髭もじゃじゃない?あたし、ジュリア」

「はじめまして、イツホックと申します」

妻と夫または家族でない限り、異性と握手などしないオーソドックス・ユダヤの男と女。

「あたし?どこの出身かってそんなこと、この英語のアクセントを聞けば一目瞭然!そういうあんたもブルックリンね、そうでしょう?あら、イディッシュの訛りね?えへん、あたしだってイディッシュ語くらい話せるわよ」

ジュリアは元ブルックリン人で、なんせひとたび話し出したら壊れたラジオ、スイッチの切りようがない。数年前にラビだった夫を亡くしたのち、暮らし慣れたブルックリンの家を売り払うと、全財産と九十歳をすぎた高齢の母君とふたりで2年前にユダヤの人々の心の故郷であるエルサレムへと移り住んだ。足腰が弱くなり車椅子に乗ってエルサレムへとやって来た母君と、ずっと昔に亡くなったジュリアの父君は、もともと生まれ育ったポーランドのガリチアから戦争の前にニューヨークへと移り、ホロコーストを免れたのだった。

「あら、あんた、ああ、誤解しないでよね、もちろんあたしもイディッシュ語は大好きだわ。家の中ではそれで育ったんだからね。でもエルサレムに来てからはすっかり英語とめちゃくちゃのヘブライ語よ。イディッシュ語はあまり話してないわね。でもやっぱりユダヤなんだから、イディッシュ語で話すべきかしらねえ。イスラエルにいるからさ、ヘブライ語をがんばって話すようにはしてるけどね、でもやっぱりヘブライ語はどうしたって祈りの言葉、聖書の言葉なのよね。あたしの親もその前の世代もそうやしていたんだから、やたらにヘブライ語を日常の会話に用いるのはまだ少々の抵抗があるわね。しかもイスラエル人ったらさあ、本当によくヘブライ語で相手を罵倒なんてするんだもんねぇ、信じられないわ。あらヤダ、あたし、もう行かなくっちゃ!忙しいのよね、いろいろと。授業について行けない高校生の女の子にボランティアで数学を教えてるのよ。

ああ、そうそう忘れるところだった。チカ、母のシヴァに来てくれてどうもありがとうね。あんたったらさあ、シヴァの最終日に来るんだもんねー。もう来ないのかと思ってたわよ、まったくさ」

つい先日のこと、ジュリアの母君は、言葉通り、すーっと眠りにつくようにこの世を旅立ってゆかれた。母君はいつもの日課だった午後の日光浴を終えて、住み込み介護士の若いフィリピン女性が母君のお風呂の仕度をしている間、少しそっと横になって瞼を閉じると、静かにそのままなんの苦もない世界へと、旅立たれた。ユダヤの葬式のあとには、シヴァという7日間の忌中がはじまる。シヴァの間には親類や友人、訪れる人たちは共に遺族を慰め故人を偲び、悲しみを分かちあい、忌中の悲しみを表すユダヤの習慣としてジュリアは靴を履かずに、床に座り衣服の端を少し破いて、訪問客を待っていた。

「あ、あんたイツホックっていったけ?そうなのよ、母がついこの前に亡くなってねえ。この子、シヴァに来てくれたのよ。ええ、そうなのよ、夫も数年前に亡くなったし、息子や孫たちがベイト・シェメシュにいるけどね、あら?ベイト・シェメシュ知らないの?テル・アヴィヴとエルサレムの間にある大きなアングロサクソン移民の街よ。

でね、あたしもエルサレムでひとりっきりで寂しいけどね、でもそんなことはいってらんないじゃない!まだまだ人生は続くんだから!あら、やあだ、すっかり話し込んじゃったじゃない。じゃね、ヘブライ語の勉強しなさいよ、あんたたち!レヒットラオット!」

ジュリアはほとんどをひとりで話し終えると、どこか漫才師の宮川大介花子の花ちゃんを思わせる、大きなトンボ眼鏡をきゅっと鼻の上に押し上げ、ヤッフォ通りを旧市街に向かって歩きはじめた。

」המקום ינחם אתכם בתוך שאר אבלי ציון וירושלים「

主がシオンとエルサレムの喪する人たちとあなたを慰められますように、とイツホックは喪の言葉をジュリアの肩越しに伝えた。ジュリアはその言葉を耳にすると、ピタリと立ち止まりクルリと振り向くと、少し悲しげにイツホックにほほ笑んだ。

「・・・とうとう母も亡くなったけどさ、夢にまで見たあたしたちユダヤの故郷エルサレムに眠っているなんて、これほどの幸せはないよね。バルフ・ハシェム。彼女もきっと喜んでいるはずなのよね・・・。あたしもさ、辛いけどね、エルサレムにいるんだもん。がんばるわよお。あんた、いい人だね。ありがとう。ブルックリンに置いておくにゃもったいないよ。エルサレムに引っ越していらっしゃい。じゃね。シャローム、シャローム!ザイ・ゲズント!」

60代半ばにして住みなれたブルックリンを後にし、念願のイスラエルへとやって来たジュリアは、母君亡きのちも息子たちとたくさんの友に支えられ、母君の眠っている心の故郷であるエルサレムでこれからも生きてゆくのだろう。

ジュリアの少し寂しそうなうしろ姿が人ごみに紛れて消えて、異邦人の女とイツホックが捕まえたタクシーの運転手はジュリアに負けず劣らず、なかなかの話し好きだった。短髪に眼鏡をかけた中年男の運転手のたどたどしい英語と、異邦人の女らしくたどたどしいまちがいだらけのヘブライ語。でも助かることにイツホックは言葉に巧み、英語やイディッシュ語はもちろんのこと、ヘブライ語もスペイン語もあやつる。

「シャロム、シャロム~。あんたたち~、どこから来たの?エルサレムははじめてかい~?」

「いいえ、はじめてではありません。僕はニューヨークから。こちらの友はエルサレムに住んでるんですよ。もともとは日本だけれどね」

「ほ~!ヌーヨークにヤパンかね。お嬢ちゃん、この街どう~?いいだろう?ここは世界の臍だよ、へそ~。そうさ、世界の中心だよ~!だってさ、ここから世界の歴史ははじまったんだからなあ。それにいつの時代だって世界中の人間が集まってくる街さ。これが臍じゃなきゃなんだい~?」

お嬢ちゃん、エルサレムに来てからどうもそう思われることが多いなあと異邦人の女。中東の人が実年齢よりも、外見がどうも老け過ぎなのだけど。やはり中東のカラカラの陽と水のない街は人を早く老けさすのだろうか。

「うん、オヘソってのはなんだか納得!この小さな街にほんとうに世界中の人がいるもんね。ところで運転手さんはもともとはどこの人?エルサレムの人なの?」

「あ~、オレ?オレはね、チャキッチャキのエルサレム人よ~!驚くなよ、うちはね、この激動の街エルサレムに400年も追い出されずに生き続けているユダヤの家系なんだよ。そう、よ・ん・ひゃ・く・ね・ん~!」

「へえ、400年かあ。すごいね。生粋のエルサレム人っていってもいいくらいかもね。・・・じゃあ、運転手さん、もしかするとその前、400年以前にあなたの祖先がどこに住んでいたのか知ってるの?」

「ケン、ケーン、もちろんさ~!オレの祖先はね、ずっと昔はスペインに住んでたんだよ~。ずっとずっと昔のことだけどな。だから~、こう見えてもオレもラディーノ語は話せるんだよ~。オレの子供たちはもちろん無理だけどね~。あははっ」

中世のドイツに住むユダヤの人々の間では、イディッシュ語がユダヤの言葉として話されていたように、スファラディーと呼ばれるスペイン系のユダヤの人々の間では、今はラディーノ語と呼ばれているジュデオ・エスパニョール語がユダヤの言葉だった。14世紀のスペインでは、ユダヤの人々への強制的なキリスト教への改宗が迫られるようになり、そこで多くのユダヤの人々はキリスト教に改宗し、しかしその中には公ではキリストに誓いを立てても、かのコロンブスがそうであったらしいという話もあるように、密かに誰にも知られないように安息日を守り続けた「隠れユダヤ」、スペイン語で豚を意味するマラノと呼ばれるの人たちもいた。そして今から500年ほど昔の1492年のこと。コロンブスによるアメリカ発見のその年。反ユダヤの感情の吹き荒れるスペインで、この年すべてのユダヤの人々はスペインを追われることになり、住み慣れたスペインに留まるにはキリスト教への改宗を迫られた。しかしほとんどのユダヤの人々は、キリスト教への改宗を拒み、ユダヤのまま裸同然でスペインを去り、ポルトガルへ、フランスへ、モロッコへ、エジプトへ、そしてトルコへ、サラエヴォへ、と流れて行った。その後、それぞれが流れ着いた土地で、追われたスペインを懐かしみ、スペイン語とヘブライ語の混合した言葉ラディーノ語を話すようになったという。中年男の運転手エリの祖先もそのようにしてスペインを追われトルコへ流れ、ラディーノ語を話し、そしてその旅の果てにエルサレムへとたどり着いたのだそう。

「それにね~、オレの家にはもうひとつ鍵があるんだよ~」

「鍵?」

「ああ、スペインの家の鍵ですか?」

運転手エリの家では、おそらくはもうそこには跡形もなく、ふたたび帰ることのない遠い昔の故郷であるスペインの家の鍵が、今でも大切に保管してあるのだそう。感情豊かなスファラディーと呼ばれるユダヤの人々は、その昔に住んでいたスペインの家の鍵を何百年という時と世代をへて、今でもとても大切にノスタルジックに持ち続けている。そんな彼らのスペインを思う言葉であるラディーノ語は、いまではその話し手の多くが年老いて、もうその継承者は絶えつつあり、このラディーノという言葉は、もうすぐ失われてしまう。そこに生きて、そして追われたスペインのユダヤの歴史、その記憶の証人であるラディーノ語。しかしこの言葉が失われても、決してスファラディー・ユダヤの人々はかつてのスペインの家を忘れることはない。ユダヤの人々の故郷であるエルサレムに生きながらも。

このエルサレムの街で異邦人の女の出逢うディアスポラは、そのほんの断片。テル・アヴィヴに建つディアスポラ博物館には、ポグロムやホロコーストによってこの世から失われてしまった世界中のユダヤの街や人々の記憶が、静かに言葉なく保管されている。しかし今でも世界中のあちこちに、まだそのユダヤの離散と流浪の記憶とともに生きている多くの人々がいる。ホテル・シュテルンやエルサレムの街角のディアスポラは、博物館に保管され横たわる過去の記憶ではなく、今もまだ色あせずに生き続けている記憶の印。そしてこの国に住むひとりひとりが、このようにユダヤの歴史の旅のストーリーをきっとその胸の引き出しにしまっているのだろう。