Sunday, August 15, 2004

カピシュ!( マフィアな かんけい)

「グラァンデ!グラァンデ!」

受話器の向こうは、真夏のオレンジ色の陽の降り注ぐ南イタリアのリパリ島。元気いっぱいのフランチェスコの懐かしい声が響いた。

青い地中海に浮かんだシシリア島のメシーナの港から船に乗って。火山のエオリアン諸島の島々のひとつ、リパリの島。シシリア島で塀の向こうの住人になるはずだったマフィアのドンが、塀の向こうの代わりにこの島でこっそりと軟禁生活を送ったり、昔から罪人の島流しに使われてきたリパリの島。そんなちょっとワケありのリパリの島も、今では夏になればヨーロッパの国々からたくさんの旅人たちが訪れ、太陽がいっぱい、ロマンチックな夏のバカンスがきらきらと水しぶきを上げて輝く。

彼、フランチェスコとの出会は10年と少し昔。そんなヨーロッパの片隅の小さな島暮らしとはなにもかもが異なる、コンクリート・ジャングルの巨大なエネルギーの渦巻くマンハッタン。そのアッパー・ウェスト地区にある大学での授業で、だった。毎日その大学の教室で彼のバタ臭い顔を見るたびに「真綿色した~シクラメンほど~」と思わず喉まで出かかるほどに、イタリア青年なのに若き日の布施明さんの面影のフランチェスコ。ひょっとすると私が布施さんの大ファンだったからだろうか、お互いヨーロッパとアジアの端くれの小さな島からやって来たという以外には、文化も言葉も交差するものはなにもなかったのにもかかわらず、どこか意外とお互いに気のあうところがあったらしい。放課後や休みの日などにはあちこちへ連れ立って遊びに行ったものだった。

そんな生粋のイタリアンな布施君とは、なぜかいつも気がつけば「God」について語ることが多かった。フランチェスコはその名の通りカトリックで、イタリア的なカトリックのモラルな観念は彼の細胞の隅々に埋め込まれ、ついついどうしても会話が神や教会、はたまたはジーザスだのに向かってしまうということだったのだろうか。当時、マンハッタン生活を充実させたかった私は、アッパー・ウェスト地区の大学には地下鉄で通うようにして、ワシントン・スクエアに近いローワー・イースト地区のウェヴァリー・プレイス通りに、「New Yorkers」などの雑誌の挿絵で有名なとあるユダヤの風刺画家のアトリエの留守番として住んでいた。

その小さなアトリエで、いく夜もフランチェスコやその他のヨーロッパからの学友たちと「Godとはなんぞや」と話しあったものだった。当時、彼はマンハッタンのどこかのカトリックが主宰する勉強会などへ熱心に通っていた。そのお陰で私も何度か誘われたことがあったのだが、それがイタリア語でだったこと、そして少々面倒くささを感じて行かずじまいだった。あの時、若干二十ン歳、単なる「長い黒髪のきれいなニッポンの若い女の子」以上でも以下でもなかった私には、日本のヤオヨロズ的な神ではない、とりわけ西洋の偉大な「God」なるものはなかなか理解できなかったし、それにもれなくついて来るジーザスやマリアというものにも、偶像芸術品的にはおもしろいとは思っても、そこに取り立てて宗教的な興味合いは見出せなかった。

「これがGodだよ、チカ、カピーシュッ?!」

「ノーカピーシュッ!わからない!」

そのころ私がぼんやりと脳裏に描いていた「God」なるもの、そして宗教とは、人として生きる正しい道を理解するための道具であり、しかし若いヨーロッパのカトリックの彼らとの宗教観と「God」についての話には、いまだに受け継がれているヨーロッパの反ユダヤ的な影をどことなく感じられることが幾度もあった。そして時にはどこかエゴイスティックだとさえ感じられ、なかなか彼らの語る宗教の理想と現実をしっくりと納得できなかったのを憶えている。

そんな私の青春時代ともいえるようなマンハッタンの日々から、あっという間に一昔という年月が過ぎても、やはりシシリアの熱い血は一度「カピーシュッ?」と肩をたたき、杯を交わせばその友情は一生ものなのだろうか。互いがマンハッタンを離れても手紙やメールなどを通してこうして「カピーシュな関係」が続いてきた。そして数年前のこと、マンハッタンから本国イタリアに戻り、ボローニャの大学で法を学んでいたフランチェスコの毎年の誘いについに陥落し、クリスマス休暇のリパリの島での再会となった。まだ起き出す前の朝早いシシリアの街から島の北の方へと海沿いにのんびりと列車の旅をして、メシーナの町の港から船に乗りかえ、ようやくその日の夕方近くになって小さなリパリの港に着いた。

懐かしいのフランチェスコは相変わらず元気で、相変わらず限りなく「シクラメンのかほり」だった。ブーゲンビリアの花咲く島と海と空と風の織り成す自然の芸術。クリスマス近くの島は空気は冷たいものの、ところどころの庭先にレモンとオレンジがたわわに実る。次の日の朝早く、まだあたりが薄暗く明け切っていない時刻、フランチェスコの経営する地中海の見えるコッテージの部屋で目覚めると、海へ降りる裏庭をガザゴソと誰かが通り抜けるような音がした。コッテージのバルコニーの開き扉を開けて少しおっかなびっくりにはだしで外へ出ると、音のする裏庭の方から薄明かりの中を痩せた素朴な風貌の少年たちが「フィッシュ!フィッシュ!」と、自分たちのぶら下げている籠に入った捕れたての魚を指差した。

「あら、たった今海から捕ってきた魚なのね。おいしそうだね~」

なんとものんびりとした、リパリの島の生活を垣間見たような気がした。

そしてそれからのクリスマスと年が明けるまで、イタリア人の、いや、デ・ニーロかパチーノか、マフィア映画さながらのシシリア地方の固い友情と家族の絆と、そしてまさに頬の落ちそうなホームメイドのイタリア料理に囲まれて。フランチェスコの知り合いの、山添の農家の大きな焼き釜から出てきたばかりのアツアツのシシリア風ピッツァ、バラエティーに富んだおいしいトマトソースのパスタにマカロニ、チーズのとろけるラザニア、小魚のマリネ、オーブンから出てきたばかりでとろけるように煮込まれた肉料理。そしてシンプルなガラスの瓶に入った自家製の赤ワイン。デザートにはドライ・フルーツの入ったパネトーネや、クリームたっぷりのケーキにティラミス、とろりとチョコレートのかかったシュークリーム。まるで誰もが夢見るようなすばらしいイタリアの食卓。

そして大晦日には、港を見下ろす崖の上に建つ、島で一番のホテルでのディナーに陽気な歌とダンス。ああ、小さなリパリ島の夜は眠らない。音楽と笑い声とダンスの躍動は爽やかな心地よいエオリアの風に乗り、夜が白々と明けはじめるまで続いた。しかし当然のことながら、舌鼓とダンスだけではすまされないフランチェスコ。日本の大晦日には神社へ初詣に行くように、クリスマス・イヴにはしっかりと町一番のカトリック教会のミサにも駆け足で顔を出し、ついでに私も覗いて見た。そんな一週間の気持ちも胃袋も幸せでパンパンなリパリの日々。通りを歩けば、町の人たちとはもうすっかりカピーシュな関係で、あちこちから「チィーカ!チィーカ!」と、クスクスといたずらっ子のように私の名前が響く。彼らの言語で「チカ」は「ちいさな女の子」という意味で、実際にそんな名前の女の子がいることがもうどうにもこうにもおかしい。

大晦日のパーティーが終わったある昼下がり。フランチェスコの幼馴染で、崖に建つホテルのオーナーの息子ルカと、そして私でのんびりと港近くの広場のカフェでまどろんでいた時のこと。いかにも細い路地裏を走り抜けられそうなイタリアらしい小さな車が、傍をトコトコと走りすぎた。

「あ、そうそう、あの車に何人のユダヤ人が乗れるか知ってる?」

ルカはいたずらっぽくウインクをして、私に尋ねた。

「何人って・・・?ふつうは2、3人でしょう?」

どうしてここでユダヤと限定されているのだろう?そう思いながら「ふつうは」と答えた。

「違うよお。まあ、500人ぐらいは入るだろう?な、フランチェスコ?!」

そういって、アハハハハと軽く笑い飛ばしたルカ。

「まあ、怒るなよ。ジョークだよ、ジョーク!カピーシュッ?!」

私よりも年が若く、あの時ハタチそこそこだった彼らの若気の至りの冗談。「灰になったユダヤ」といいたかったらしい。それにしても趣味の悪い笑えない冗談で、こんなジョークが気軽なヨーロッパの彼らの感覚には、マンハッタン時代にもなかなか馴染めなかったのを、その時また思い出してしまった。

そしてリパリの島を去る日が近づいたある日の夕暮れ。祭りの後の静けさの中で、フランチェスコの愛車の赤い「Suzuki Samurai」ことスズキ・ジムニーに乗って、彼の幼年時代からの「とっておきの夕日」を見に行くことにした。そしてその前に、夕日が沈む前に一ヶ所、どうしても私を連れて行きたい場所があるとフランチェスコ。「カピーシュ?」早速、ふたりでその真赤なサムライに乗り込んだ。フランチェスコの家から、リパリの島の山の上へと真赤なサムライは軽快に走り出す。5分も登っただろうか。カーブを曲がると、小さなリパリの町が下のほうにさらに小さく、まるで小さな城下町のように海辺にまぶしく輝いていた。エオリアの風が静かに地中海を騒がせる。波が細かく音を立てる。真赤なサムライは島の高台で停まった。

そこには、ぽつんと一軒、青い海に映えるギリシャの建物に似た白い壁の飾りも何もない小さな教会。青い海と白い壁、たったそれだけなのになんという美しさだろう。都会の教会の豪華絢爛な装飾もすばらしいけれど、この小さな素朴な美しさにはかなわない。

「いつの日にか僕が結婚する時には、この教会で結婚式を挙げようと決めているんだよ。どう、すばらしいだろう?」

「うん」

コクン、と私はうなずいて、それからまたふたりは真赤なサムライに乗り込むと、ガタガタと島の道なき道を登り、そこからは先は歩いて乾いた砂埃を巻き上げながら岩や石のゴロゴロとした坂を崖っぷちめがけて、どんどん降りてゆく。すると突然、力つよい風が顔面に向かって前方からぶわぁーっと吹きつけ、髪もシャツもまるでスカイ・ダイビング。まるでエオリアの風に乗って大空をパタパタと浮遊しているかのように、全身が後方へと飛ばされるように泳いだ。そしてその次の瞬間には、一面の視界がぱーっと広いオレンジ色に染まる地中海に向かって開け、断崖絶壁、目の前に現れたのは、まさに今、燃え尽きる寸前の線香花火のように「ぽとんっ」と地中海に落ちそうな太陽。

そしてそんな太陽を背にした、いくつもの島々の、ぽつん、ぽつん、と黒い影。足元の遥か下から響き伝わる岩に砕けた強く激しい波の音。紺色から紫へとグラデーションが変化する空模様に、サーッと音もなく流れる黄金色の雲。それはそれは、まるで神か天使が息を吹きかけたかのように。フランチェスコとふたり、この壮大なる自然を前にして、崖のふちに座り込む。海の彼方に落ちてゆく朱色の夕日に吸い寄せられるかのように、ただただ、パノラマにそのシーンを見つめるふたりになにも言葉はいらない。そして、ついにここでふたりは手を取り、ロマンチックにクリスマス休暇のリパリの島で、長年の思いを込めて愛の告白か。彼、フランチェスコは、今まさに水平線に落ちんとする燃える線香花火をまっすぐに見つめながら、こう切り出した。

「チカ、どうしても君にこの美しい夕日を見せたかったんだよ・・・」

ほら、クリスチャンの彼にとってとても大切な行事のクリスマスに家族へ紹介をして、しかも結婚式の教会も、そしてとっておきの夕日を見せたい女性に恋心を抱いていないなどとはロマンチシズムに反する。でもね、フランチェスコ、「God」とジーザスをすっかり信じきっているあなたと、そうでない私が教会で永遠の愛を誓い夫婦となることなどはありえない・・・。ああ、これぞイタリア男とニッポン女の禁断の愛!なんて、私は密かにロマンチックな恋愛映画のヒロインよろしく、ちょっとふらりと酔ってみる。

「僕はずっと子供のころから、この美しい自然を見て育ったんだ。いいかい、チカ。僕にはこれほどにもすばらしい夕日が、ちっぽけな人間の産物とは到底思えないんだよ。それをはるかに超えたものだ。この島や海、太陽、空、人、そして地球上のすべてはね、たった一人、そう、僕が誰よりも愛する・・・」

ああ・・・!ついにその瞬間はやって来たのか。

「・・・そう、僕が誰よりも愛する、あの偉大なる「God」にしか創れないんだ!」

ああ・・・!そう、現実とは、そんなものです。彼の愛の告白は、目の前に座っている私にではなく、きっとどこかでこの一部始終を見ているのであろうそのお方、「God」にだった。

「僕は本当にそう思うんだ。この宇宙と自然とは人の力で創られたものじゃないってね。そして何て言ったって、「God」だけは絶対に僕を裏切らない。愛する人たちはみな、いつかはこの世を、そして僕たちのもとを去ってゆくだろう?でもね、「God」だけは一生、どんな時でもいつも僕の心と共にいるんだよ!彼の愛は限りないんだよ!そして僕の「God」に対する愛もまた無限なんだ。カピーッシュ?!」

やはり異邦人の私をロマンチックなイタリア恋愛映画のヒロインにしてくれるほど、人生も「God」も甘くはなかったらしい。フランチェスコのいたって真剣な、しかし私にではなく「God」に対する真剣な愛の告白を聞いて、私は迂闊にも納得してしまったのだった。フランチェスコがこうも頑なに「God」という存在とその無限の力を信じているそのわけを。でもそれが、どこそこの教会のお偉い神父様がこう仰ったからなどという盲目的なものではなく、目も前の息を呑むほどに美しいこの自然が自ずと彼に教えたこと、という意味においてなのだけど。そこには言葉では表現不可能な壮大なる美しさの調合と、それを成しとげた目には見えない誰かのパワーが確かにあった。

「・・・カピーシュッ」

そして一月のはじめのある朝、まだ眠りから醒めずひっそりと静まり返る美しい神の産物であるリパリの島から、もぎたてのレモンをポケットに入れると、私はまたひとり小さな港からシシリアのメシーナの港に向けて船に乗った。エオリアの風が星の散りばめられた夜の幕をふーっと一吹きすると、空は柔らかな橙色に染まりはじめた。

それからまた何年かが過ぎ、フランチェスコはボローニャ大学を卒業して今では若手弁護士となった。そう、シシリア島とリパリ島のマフィアの結びつきは濃く、なんとフランチェスコの母君は前リパリ市長というツワモノだったため、シシリアから送られて来る秘密生活者たちにも一目置かれている。そんなフランチェスコ一家に弁護士は必需品というわけ、カピーシュッ?そしてそのフランチェスコが、ロマンチックにイタリア娘さんと結婚することになった。もちろん「God」もジーザスをも信じる娘さんと。ふたりの結婚式は「未来の僕の結婚式は絶対ここでなんだ」と、うれしそうにあの日私を連れて行ってくれた島のあの小さな白い教会で盛大に挙げられ、残念ながら私はスケジュールがうまく調整できずに、エルサレムからの電話での祝いとなった。

もう一度、あの壮大なるエオリアの空と海と夕日を見にゆくチャンスだったかなと少し後悔。この次にリパリの島を訪れる時には「God」にではなく、私に愛の告白してくれそうな人を連れてゆこう。そうだ、どこかのオーソドックス・ユダヤの男性でも連れて行ってみようか。それでもルカとフランチェスコはあの冗談をいうのだろうか。

エルサレムとリパリ島を繋いだ受話器の向こうで、忙しそうに興奮したフランチェスコの声が聞こえる。これから結婚のパーティーがはじまる。心からのおめでとうを告げながら、この10年の間のフランチェスコと私の会話は、いつものお決まりの台詞で終わる。

「結婚式は来られなかったんだから、“絶対に今年の夏はリパリにおいでよ!カピーシュッ?”」

「“カピーシュッ!”きっと8月のリパリで会いましょう!」