Friday, March 05, 2004

お湯がない

二週間ほど前に雪が降った。にもかかわらず、ここ数日は30度の真夏日が続いている。いくらなんでも3月はじめとしてはちょっと暑すぎるが、久しぶりにバスタブに熱いお湯を張った。そう、「久しぶり」というのにはやっぱりある訳がある。

イスラエルではいまだに都市ガスではなくプロパンを使用し、玄関脇に小さなガスのタンクが置いてある。はじめはいまどきプロパンガスとは!と驚いたが、在イスラエル5年、それにもすっかり慣れました。また、電気使用料はけっこう高く給水タンクのお湯を温めるのには、各家庭の屋根に設置されているソーラーシステムが大活躍。しかし冬場の天気の悪いときなどにはほとんど役に立たないので、そうなると電気式のボイラーで30分から1時間かけて給水タンクのお湯を沸かすことになる。これもまた非常に不便、かつとんでもなく時代遅れな感じで、数年ごとにモダンな日本やニューヨークに行くと、温かいお湯が無限にどんどん出てくるのには驚きと喜びであり、ああ文明ってすばらしい、なんて感動してしまうのである。そして特にお風呂。これはやはり「日本の湯」に勝るものなし!エルサレムでシャワーを浴びようとすれば、自動的に頭の中ではあとどれくらいタンクにお湯が残っているのかを気にしながらになるので、とてもじゃないけど「ほ~っ」とリラックスなどは夢のまた夢。そしてお湯を張ろうものなら、たいていの場合は普通サイズのバスタブにはタンクの水量は少なすぎるので、浅い湯船に子供の水遊びのような感じで座るか、または水を足して満杯にしたけどぬるいので風邪を引くかのどちらかである。

一週間前の火曜日、まだエルサレムが冬だった頃、シャワーをかけていてもなぜかお湯がぜんぜん温たまっていないので、ボイラーが壊れたのかと夕方大家に電話をしたところ、さっそく明日誰かをよこすとの返事。このプロレスラー様な大家さん、返事だけはいつも調子よくすばやい。そして次の日は待てど暮らせども結局は誰も来ず、冷え込む石造りのアパートでキッチンとバスルームのお湯なしの寒い日を過ごした。

そしてその翌日の水曜日、大家にもう一度電話すると「今日はきっと来るはずだから」という返事なのでまたしょうがなく待つ。今思えばこの時点で自分で修理人を呼べばよかったのだが、下手に呼んではこちらが代金を払わされることにもなりうるので、大家に任せることにしていた。そして日が暮れはじめても、誰かが屋上に上がって行った気配はなくまたもやはずれの日、ああ、ため息が漏れる。その夜、またまた今度はちょっと起こり気味で大家に電話すると、実は誰かやって来たらしいが、彼は修理に間に合う道具を持ってなかったとのことで、そのまま未修理で帰ったという。だったら一言言ってほしかったよな。あー、やっぱりこっちで呼べばよかった、と後悔先に立たずでこれでお湯無し生活も「事無く」2日目が過ぎる。このあたりで、だんだんとゾクッとするほど冷えきったキッチンとバスルームに行くのがとってもおっくうになって来る。そして、明日は木曜日・・・。ということは明日直してもらわなければ金・土曜の安息日をはさみ日曜日までの間、まったくの、お、湯、な、し??いや、それはさすがにきついので、なんとしても願わくは明日にはぜひとも直してもらいたいと、抱かなきゃいいのにはかない希望を抱いていた。

そしてお湯なし生活3日目の木曜日。灰色の空の下、お昼過ぎまでストーブのそばでじっと待ってみるけれど、もう、胸の内のいやーな予感はここまでくればまちがいはない。今日もお湯なしなのね、きっと。朝から誰も来ないので午後2時ごろに大家にまた電話をするとこんな返事が。
「あ、昨日の修理人とね、ケンカしたから。代わりの、日曜に送るから。じゃ。」
ああ、だからいやなんです...この国で人に任せるのが。

うううううーん。お湯がない。
うううううーん、と悩んでも嘆いても、やっぱりお湯はない。
シャワーをかけたくてムズムズする。おっ、ここで名案が浮かんだ。そうだ、お湯を沸かそう! さむーいキッチンでふだんパスタをゆでるイチバン大きなお鍋に水を入れ、市場で買った何度擦ろうとしてもボキッと折れるマッチに「うりゃッ!」と脅しをかけると、イッパツで火をつけることに成功。ああ、マッチ売りの少女にならないで。ふふふ、これは先行きよいぞ。そして10分ほどでお湯がちゅんちゅんに沸いてきたっと、あら、しまった!お料理してるんじゃないんだから、こんなに沸騰させてどうする?あわてて火を止め、コンロからおろすも、なぜかあつーい鍋を持ってキッチンをウロウロ。さて、小さな鍋に水を入れてその沸騰したお湯を足し、顔と首を洗う。おー、久しぶりのお湯、きっもっちい~い。でも、ふと、寒いキッチンで鍋にお湯を沸かして顔を洗う自分になぜか、とても貧乏な気分になったのだ。これが旅先のインドなどなら、それはそれで話はまた違うのだが、まさか自宅で、とは思いもよらなかった。

なんだか、エルサレムで気分はとっても四畳半物語。

そして日曜日。春らしい日の午後、やっと修理が終わり、今は夏のような日々。ソーラーシステム大活躍である。ああ、長かったお湯無しの日々よ、さようなら。