Wednesday, October 13, 2004

「Jap! 」 jewish american princess

太陽の燦々と輝くワイキキ・ビーチにダイヤモンド・ヘッド。世界中のサーファーの憧れ、ノース・ショアー。黒い溶岩と白いくちなしの鮮やかな芳香。どこまでも青く澄んだ海でイルカと波と戯れる。そんな太平洋の常夏の楽園から、中東の水のない砂の街へと住み移った、娘のティナを訪ねてきた母ジャッキー。

 ティナとジャッキーを旧市街へと案内をするために、乾いた朝の日差しの中、ヒレル通りのオープン・カフェへと、いつものように早足で向かう。ガラス張りのカフェの外に並んだ小さなテーブルに腰かけたその娘と母の姿は、この街には少し珍しく映った。

「お待たせしてごめんなさい!」
「あら、いいのよ。私たちも来たばかりだから」

 その外見からは想像しがたいほど訛りのないきれいな英語で、ジャッキーがほほ笑む。六十代のはじめだろうか。ふっくらとやさしい笑い顔にどこかキリリとした表情に、私はしばらく会っていない日本の母を思い出した。日系三世のジャッキーは、アメリカ人としてしっかりとハワイに根を下ろし、日本語はまったく話さず、祖父母の祖国、日本を訪れたことも一度もない。同じホノルル日系三世の夫との間に生まれた娘のティナも、一見、とても日本の若い女性らしい。とはいっても、しぐさひとつひとつはとてもイマドキのアメリカンな娘ふうで、古風な日本的な外見とのそのギャップがおもしろい。

 同じような日系アメリカンの多いホノルルの街で、両親や姉と同じように生きてゆくはずだったティナは、高校を卒業すると、ハワイの人たちがメイン・ランドと呼ぶアメリカ本土のロスへ、そしてさらなるチャンスを求めてニューヨークへと、ダンスの世界へとステップを踏みはじめた。しかし、太平洋の南の島ハワイからメイン・ランドのダンスの世界へ迷い込んだティナが耳にするようになったのは、こんな言葉。

「Jap! Go home!」

「ジャップめ、日本へ帰ってしまえ!」。ハワイを離れ、メイン・ランドに住みはじめてから、数え切れないほど耳にした悲しいその言葉。遠い祖先が日本という国の人だったといえども、それまでは肌や髪の色など関係なく、自分もひとりのアメリカ人だと疑いもしなかったティナ。思いもよらぬ「ジャップ」という蔑みを含んだ言葉を投げつけられても、彼女は遠い祖先の故郷「Japan」という島の土を踏んだこともなければ、その言葉を話したことすらない。「ジャップ」、その言葉のおかげで、自分は「アメリカン」になりきれない「ジャパニーズ」なのだと、「アメリカン」というアイデンティティは崩されていった。そしてもはや「アメリカン」ではないティナは、自分の「ジャパニーズ」としてのルーツはこのアメリカにではなくアジアのあの片隅にあるのだと、未知の国「Japan」へと旅立つことに。きっとそこに彼女の心の故郷があるはずだと信じて。

 まだ見知らぬ故郷の国「Japan」は、期待にあふれ飛行機を降り立ったティナの思いとは裏腹。どこもかしこも奇妙で馴染みのない「日本」。言葉も風習も食すらも、なにもかもがなんとも不思議な「日本人」の国だった。そんな「日本」という国で、「日本人」ではないアメリカの「ジャパニーズ」は大きな戸惑いを感じ、帰るべき故郷「Japan」は幻でしかなく、目の前の「日本」は、アメリカよりも遥かに遠い和の国。「日本人」にもなれず、ましてや「アメリカン」にもなりきれない「ジャップ」のティナは、いったい自分が何者なのか、その答えが出ないままに、アメリカのメイン・ランドへと、アジアの片隅の空港をあとにした。

 ふたたびメイン・ランドのダンス世界でステップを踏み続けてから、どれくらいの時が流れたのだろう。ある時、ティナはとあるアジア系女性ダンサーに偶然に出会った。そのダンサーの、アジア人の外見であることすらも自信とした、美しさに満ちあふれた姿に心を打たれ、一歩一歩、「アメリカのジャパニーズ」としての自分の姿を受け入れようとする。そして、同じようなアジア系アメリカ男性と生きてゆくのが自分の属する世界だろう、と思っていた矢先のこと。本当に人生一寸先はわからない。ある日、友人ダンサーと訪れたニューヨークの広告会社のユダヤ青年と、一目で恋に落ちて、そして結婚。そして結婚後、ユダヤの伝統もなにも知らない世俗ユダヤの夫とともに、少しずつユダヤの世界に迷い込み、いつの間にか夫よりもはるかにその精神世界へと惹かれてゆく。夫に出会うまでは名ばかりのクリスチャンだったティナは、やがて生まれた幼い息子とともに、段階を経てオーソドックス・ユダヤに改宗し、名もティナからラヘルへと改名。ユダヤの宗教世界に生きることに。そして、ティナの改宗によって、自分のルーツであるユダヤのアイデンティティを探しはじめた夫。そんな心の旅を続けるラヘルを、エルサレムのアメリカ・ユダヤの人々は暖かく、まるで懐かしい我が家に帰ったかのように迎え入れた。

「私は誰なの?
帰るべき家はどこかしら?
私が属するのはどこなの?」

 ラヘルの小麦色の笑い顔と歌声。ラヘルとジャッキーをまだ暑い日の続くエルサレムを旧市街へと案内したその夜、ラヘルのステージ「One Woman Show ~JAP*(ジャップ)」をふたりに誘われ、エルサレムのとあるアメリカから移住してきたユダヤのお宅へと、ちょっぴり夜風の涼しい路地をゆく。

「あら、あなたがラヘルね?とってもすてきなショーだと聞いて、楽しみにしていたのよ!オーソドックス・ユダヤの世界じゃ、あまりダンス・ショーを見られる機会なんてないものね。そしてお母様、ようこそエルサレムへ!」
「いえいえ、ちがうんですよ。ティナ、あ、いいえ、ラヘルはあちらでショーの準備を。このお嬢さんはお友達なんですよ」
「あ・・・あら、いやだわ、私ったら」

 アジアを知らない人には、ティナも私も、誰でもが同じような黒い髪に黒い瞳のアジア人。しかしその夜のラヘルのショーは、煌びやかなブロードウェイ時代とはうって変わり、男が女の歌声を直接耳にしたり、踊る姿を目にしてはいけないというユダヤの戒律に則り、観客はひざ下が隠れるほどのロング・スカートに、肌が露出しない長いシャツ。かつらやスカーフで髪を隠した30人ほどの、既婚のオーソドックス・ユダヤの女たちと、ポニーテールに結わえた髪が若い未婚の娘たち。ブロードウェーなどの派手なショーや映画を見ることはないその家の、リビングに用意されたステージ空間には、椅子がひとつ。そして、ティナではなく、かつらに踝までの黒いロングスカートのラヘルという、オーソドックス・ユダヤの女。ティナがラヘルを見つけるまでの自分探しの半生を、「アメリカのジャパニーズ・ユダヤの私は本物のJap*よ!」とおもしろおかしく、ラヘルの作曲作詞の歌とダンスとで語られた。

 人は常に誰かに受け入れてもらいたい、と願うものなのだろう。どこかに帰属したいという切望。だから人は故郷を忘れられず、また探しもとめるのだろうか。

 アメリカ人なのに、そうなれなかったアメリカ人ティナ。メイン・ランドでは、ヨーロッパ系の彼らと同じアメリカンとして受け入れられることはなく、日本ではそこには属せないアメリカのジャパニーズ。それならば、どこならば自分は受け入れられ、誰になら属することができるのか。彼女がそんな壁にぶつかった時に、ユダヤという世界がそこにあった。ユダヤの人々の、そしてアメリカ・ユダヤ社会でラヘルとして生きることで、それまでの人生の中で、はじめて誰かに受け入れられたと感じたのかもしれない。そしてその世界の服を身にまとい、既婚女性らしく髪を被いながらラヘルとして踊ることで、ようやく彼女を認めてくれるアメリカを見つけ、ひとりのアメリカ人になることができたのだろう。

 はたしてティナは、彼女の本当のアイデンティティを見つけたのだろうか。ショーのあと、なぜか少し、寂しい気持ちが残った。

    *「JAP」―Jewish American Princes(アメリカ・ユダヤ     の気位の高いわがまま娘)と、日本人を見下した意味のJapという俗語の掛け合わせ。