Thursday, January 25, 2007

やっぱり『あっぷする~と』

さて、マーク氏である。

ヤッフォ通りの彼のレストラン『あっぷする~と』が閉店となったのが、もう一年以上も前の話。2000年のインティファーダ以降、エルサレムへ訪れる観光客が激減し、新市街から旧市街への通り道だったヤッフォ通りの『あっぷする~と』もどんどんと経営が難しくなっていった。

エルサレムとは不思議な街で、数年ごとに夜の街が移動する。例えばパレスチナ人による自爆攻撃が続いていた時期には、そのターゲットとなった飲み屋街ロシアン・コンパウンドはほぼ閉鎖状態になり、夜の街はそこから車で10分ほど離れたエメック・レファイム地区へと人の波が移っていった。それからしばらくすると、今度はマーク氏の店の一本裏手通りに2、3軒のクラブがオープンし、そちらの通りがにぎやかになった。そのおかげでか、マーク氏の店の周辺は忘れられ、暗く陰気な雰囲気。日が暮れると同時に人があまり通らなくなってしまった。

そんなこんなで、マーク氏は赤字続きの店を売り、妻と子供のいる北部の港町ハイファへ戻った。それから8ヶ月ほどマーク氏はハイファでぶらぶら職探しをしていたのだが、これといったいい仕事も見つからず、結局エルサレムへ戻って新市街の中心にある知人のファラフェル屋を手伝っていた。このファラフェル屋の店主はモロッコ系ユダヤ人で、まったくの世俗なのだが、何かにつけてわざわざ遠い砂漠の町ベル・シェヴァまで偉いラビにお伺いを立てに行く。一体そのラビがエルサレムのファラフェルビジネスの何を知っているのかと不思議に思うのだが、ファラフェル屋の店主にはそのラビの答えが何であれ、絶対的。こうなると、むかし流行ったサイババとかとあまり変わらないような…。でも、これもミズラヒ系の伝統的なスタイルなのかもしれない。

そして、『あっぷする~と』を買い取った若いS君は、以前のマーク同様、レストランを閉めるべきかと悩んでいた。マーク氏がそのファラフェル屋を手伝っているあいだ、毎晩のように憂鬱そうな表情でマーク氏に相談にやって来ていた。そうして人のよいマーク氏はS君の店を盛り上げるべく、彼の店で働くこととなった。学や地位はなくとも、限りなくストリートスマートなマーク氏。生きるすべをよく知っている。S君の店に必要なシャワルマ用のグリルなどの機材をどこかからか中古で購入して、ピカピカに磨き上げる。それにあわせてS君の店もついでに改装。かれこれ2週間にもなるだろうか。壁のタイルを張替え、新しい(これも当然中古の)大きな換気扇を設置する。来週あたりには、本格的にマーク氏も仕事に取り掛かれるよう。



「おれって本当についてないよなあ」が口癖でも、決して悲観的ではない。淡々とエルサレムとハイファをその日の風に任せて流れるマーク氏。

ちなみに先ほど気がついた。S君の店も『あっぷする~と』同じく、名前がないような気がしないでもない。しょうがないからここも『あっぷする~と』と呼ぶことにしようか。