水煙草カフェでなすび pucapuca tabacco cafe
エルサレム旧市街のムスリム地区の水煙草カフェ、さすがに男社会のイスラームらしく、店の中に女の姿はない。そう、そのニホンジーン・ガール以外には・・・。
ぐるりと四方八方からコーランの鳴り響くこのイスラームの町。ぎゅうぎゅう詰めに所狭しと並ぶ商店の売り子も食堂の給仕も肉屋も、みな、男、おとこ、オトコ。この迷路のようなイスラームの町で働くわずかなスカーフの女たちは、町の玄関であるダマスカス門あたりで、石畳の路面にどっしりとそのグラマラスな腰で座り込んでいる。いかにも家の裏の畠からその日の朝に摘み取ったような、色艶がよく元気でふぞろいのなすびやズッキーニやトマト、セージやカモミール、イスラエル産のミントなどを売りさばく、達磨さんのようにスカーフで頭を隠したよく肥えたおばちゃんたち。当然、そこには若くはちきれそうに魅力的なイスラーム娘の姿などはない。ニホンジーン・ガールは、以前おばちゃんのひとりをパチリとカメラに収めると同時に、イタタタタ!「エイッ!」とおばちゃんに投げつけられたなずび。どうやら写真に撮られることはイスラーム女の奥ゆかしさに反し、それに加えて、どうもそのそのグラマラスおばちゃんの虫の居所が悪かったらしい。それ以来、ニホンジーン・ガールはこのイスラームの町でグラマラスおばちゃんにカメラを向ける時には、まずはなすびや胡瓜の一本でも買うことにしている。アラブのおばちゃんは、グラマラスな身体だけではなく中身もなかなかタフなのだ。
そんなちょっとおっちょこちょいなニホンジーン・ガールが彷徨うこのコーランの響く町に、一軒の古い水煙草カフェ。異邦人とはいえ、とりあえずはカテゴリー「女」なるニホンジーン・ガール。通りすがりにその店の中をちらりと覗くふりをするのでさえも、少しばかり緊張するほどに、とにかくこのカフェの中には年がら年中、男、おとこ、オトコ。しかも、その男たちは、いかにもアラブ男らしく、濃い一本眉毛のチョビ髭中年オトコたちで、目にも鼻にもとにかく限りなく、五感にじーんっと男臭いのである。そしてそんな男たちは、「それ、テーブルクロスにいいね」とニホンジーン・ガールの思う、チェック柄の男性用スカーフのケフィヤをかぶり、どこを見るわけでもなく宙に浮いた目でプカプカ・プワワワーン、と水煙草を吸っては吐き、まどろみ、壁にもたれ掛かっている。そこにカテゴリー「女」がひとりおじゃまして、「お茶を一杯!」いわんやカメラを向けるなんて、とんでもなく男たちの雷が落ちてきそうなのである。
そしてその日も例に漏れず、いつものようにニホンジーン・ガールはさりげない横目でチラリ、その水煙草カフェの前を通り過ぎようとしていた。と、思いきや、なにを思ってかニホンジーン・ガール、ちょっと店の前でじっと立ち止まってみたりした。
「Tea?Coffee? Come! Come! 」
すると意外にもその瞬間、カフェの中からやたらガリガリにこけた頬の若い男が、アラブのアクセントの強い英語でニホンジーン・ガールを手招きをしたもんだから、それにはびっくり驚いてしまったニホンジーン・ガール・・・、ドキドキ、心の中で思った。
「えっ?いいの?いいの?本当に?でも・・・うーん、女人禁制ではないのかな?でも店の人が呼んだのだもんね。よぉし、だったら入ろうか!」
店内のチョビ髭男、おとこ、オトコ、たちが、水煙草屋に飛び込んできたニホンジーン・ガールをプカーっとギョロリ、無言で見つめ、またまたプカプカプカカ~。店の中の男臭い熱気と男たちのギョロ目に一瞬怯んでしまいながらも、ニホンジーン・ガールは思った。
「あれ?ひょっとしたらワタシ、カテゴリー「女」に思われてないのかも?いくらなんでも、まさか小学生に見られてるってことはあるまいに?!」
まあいいや、と思い切ってニホンジーン・ガールは、12畳ほどの水煙草カフェに積み上げられている、足踏み台のような小さな椅子のひとつを降ろすと、その上にちょこんと、おっちゃんたちの間に収まってみた。すると、すぐに世話しなくその痩せた給仕。
「Coffee?Coffee?」
「なぜかエルサレムの人は関西人同様、おなじ単語を二度くり返すなあ・・・」
ちょび髭のおっちゃんたちのように「水煙草をぷかーっとひとつね!」と頼むほど大胆にはなりきれなず、ニホンジーン・ガール、いったい度胸があるのかないのか、頬コケ給仕の言うとおりに「Yes, yes, coffee, coffee」とニカッと頷く。そう、このトルコやヨーロッパでは一般にはトルコ・コーヒーと呼ばれているコーヒー、しかしここはエルサレムのコーランの響く町。エルサレムのアラブの男たちは、決してこれを「トルコ・コーヒー」とは呼ばない。このコーヒーは誰がなんと言おうと、アラブのアラブによるアラブのための「アラブ・コーヒー」なのだ。エルサレムは過去にオスマン・トルコ帝国の統治下に置かれていた苦い経験があり、それはエルサレムのコーランの民、プライド高きアラブの男どもにはとっとと闇に葬り去りたい記憶。
さて、そんなアラブ・コーヒーなおっちゃんたちに囲まれたニホンジーン・ガール。はじめはじっと大人しく、でも足をぶらぶらさせながらそのアラブ・コーヒーたるを待っていた。しかし、壁の時計の針が四分の一動いても給仕は忙しそうに狭い店内を駆け回り、なかなかアラブ・コーヒーが出てくる気配はない。そこで暇をもてあましてきょろきょろと店内を見まわせば、いつものようにニホンジン・ガールの好奇心がムクムクと湧いて来たらしい。「いいやんね?」と、すくっと立ち上がり、スタスタとカフェの入り口の傍のキッチンへと。カフェの入り口の横にあるコンロには、年季の入った大きな真鍮のタンクが火にかけられ、デコボコへ込みのある薬缶の口もシュンシュンと忙しそうに湯を鳴らしている。その横には、形もそれぞれにふぞろいな、それ故になんともいえぬ味のある、小さな煎茶茶碗サイズの古いガラスのコップたち。こげ茶色の細かなコーヒー粉がパラパラとカウンターにこぼれ落ちている真鍮の小箱。水煙草に欠かせない炭もパチパチと真っ赤に怒って、今か今かと出番を待っている。奥の壁には、口髭を蓄えた年配の男の色あせて傾いた古写真が数枚、ヨルダンかどこかのアラブの王様の写真だろうか。
頬のこけた給仕は、そんなウロウロ・ニホンジーン・ガールには目もくれず、水煙草をふかし噂話に花を咲かせているおっちゃんたちの間をキビキビと抜けて、燃える炭を運んでゆく。ニホンジーン・ガールは、シンクの上の壁にだらりと掛かっている水煙草パイプを手に取って遊んでいると、ふと思い出したように床に忘れられた鞄から黒い小さなニコンのカメラをこっそり取り出した。そして、水煙草を吹かす男くさい写真をパチリ、パチリ。その途端に、給仕が一言叫んだ。条件反射、なすびの痛い記憶がニホンジーン・ガール、ちょっと身構える。
「Coffee!!Coffee!!」
「あら・・・。はーい、はいはいはい!」
なんだ、つまらない。ここはなすびもスプーンも飛ばないカフェだったのか。とニホンジーン・ガールは、子供のようにぴょこんと、でもうれしそうに小さな椅子に戻ると、給仕の男は、同じ椅子をもうひとつ彼女の前に置いてテーブルに早変わり。ゆがんでデコボコとした金色の真鍮の盆と、その上に小さなガラスのコップを置いた。
「あ、これ、子供のころ、おままごとで作ったよね!」
「・・・・???Coffee!!Yes?!」
「はいはい、泥水、いや、Yes, That’s coffee!!」
そのまさに泥水のような、小さなガラスのコップの下3分の1に細かなコーヒー粉が沈んでいるアラブ・コーヒーを見てうれしそうなニホンジーン・ガール。限りなくエキゾチックな甘い魅力的な香り。ふわ~んと息を吸い込むたびに幸せになるような、そんな香りの温かい泥水。
「Cardamon! Cardamon! 」
隣に座っていたチョビ髭の濃い眉のおっちゃんが、ここぞとばかりにニホンジーン・ガールのコーヒーを指差して、野太い声でくりかえす。
「なるほどー。カルダモンなんや、カルダモン!」
ニホンジーン・ガールはそのエキゾチックな幸せカルダモン泥水の上澄みだけを一口すすってみた。
「うわあ、甘くてスパイシーで、でもちゃんとコーヒーなんやね」
エスプレッソにたっぷりの砂糖とカルダモンで風味をつけたような、なんともいえない不思議な味がニホンジーン・ガールの口の中に広がった。カフェでは相変わらず男たちが宙を見つめるように、プカープカープカプカプ~。流れのゆるやかな時間が過ぎて、さてと、そろそろおいとましようか。
「いくら?」
「5シェケル、5シェケル!」
「え?たったの5シェケル?120円くらいかな。新市街じゃ15シェケルくらいもして、しかもこんなにおいしくないよ。そうだねぇ、このコーヒーなら50シェケル払ってもいいね!」
なんて、少しおっちょこちょいにニホンジーン・ガール。カテゴリー「女」らしいスカートのポケットから、5シェケルのコインを一枚取り出すと、給仕のガリガリ男に渡した。
「また来るね。次は水煙草、水煙草にプカプカーっと挑戦やね!」
「Yes!! Arab coffee!!Good!!No?!」
頬コケ給仕とニホンジーン・ガール、なんだか通じているようで通じていないようで、仕方がないからちょっととぼけて笑おうか?
「Yes! Cardamon! Cardamon! Arab Coffee, Good! 」
ニカッ!