Monday, August 18, 2003

ああ、むじょう ( 若きハシディックの悩み)



僕の名はレイブレ。
今日は君に会えてうれしいよ。

19年前にエルサレムのオーソドックス・ユダヤの街メア・シェアリムに生まれて、今はニューヨークのボーロ・パークに住んでいるんだ。そう、もう結婚してこの街にずっと住んでいる僕の3番目のダヴィド兄さんを頼ってやって来たんだ。だって、生まれた時からもその前からもなにも変らないヨーロッパのユダヤのゲットーの化石のような、がんじがらめのメア・シェアリムなんか、あんな陰気くさいところはもううんざりで、あの古めかしいゴミゴミした街のなにもかもが鬱陶しいんだ。どっちを向いても乳母車と黒い服、なにひとつ新しいものはない。それにさ、君は僕がどんな言葉を話してるか知ってるかい?こんな言葉、聞いたことがあるかい?今の時代に「イディッシュ語」なんて時代遅れもいいとこなんだ。

僕のタティ*はオーソドックス・ユダヤのハシディック派のレベ*で偉い人なんだそうで、まわりにいつも取り巻きっていったら悪いけど、たくさんの人がくっついていてさ。僕はイェシヴァを終えてからボーロ・パークに来るまではタティの運転手をさせられてたんだ。だって他になにをすればいいのさ?エルサレムのメア・シェアリムの、ガタガタの細い裏路地にある僕の実家の一部はイェシヴァになっていてね、あ、イェシヴァってユダヤの厳しい宗教学校のことで、黒い服を着た髭づらの生徒たちが通うんだ。

だから家にはいつもいつもそんなむさ苦しい風貌でイディッシュ語を話す男たちが出入りをしていて、タティはイェシヴァの授業特有の大きな張り上げるような声で毎日授業をして、そうでなければわざわざ海を越えてニューヨークのユダヤの街まで寄付を集めに行ったりで、僕たち子供のことはほったらかしさ。上の兄貴や姉貴たちはもう結婚してそれぞれ子供がいるし、マミィ*はまだ小さな弟や妹たちの世話で忙しくって、僕と話をする時間なんて取れやしない。僕は子供の頃からいつも兄弟やらなんやらの影に消えて、今も昔も家の中での存在感は薄いんだ。真ん中の、しかも全然冴えない息子なんて誰も気にかけやしないさ。

つまり、僕の現実はこうだってこと。君の世界から見れば、時代遅れにも宗教的な価値観が生きているメア・シェアリムの、レベの家庭の15人兄弟のひとりさ。そう、いてもいなくてもどっちでもいい7番目の子供で、兄貴たちのようにイェシヴァでユダヤの勉強を一生続けていく自信もないし、かといって他に将来の目標もない。男だらけのイェシヴァで知ったのはユダヤの世界だけで、専門職につけるような知識も技術もない。ましてや世界の歴史や英語の授業もなかったし、仮になにかを学ぼうと大学なんてとこに行けたとしても一体なにを勉強したらいいのかも知らないんだ。

国際政治学って?科学や生物学ってなに?チラッと誰かから、恐竜っていう生き物がいた時代があるって聞いたことがあるけど、それがどういう意味か僕にはわからない。イェシヴァのラビたちはそんな時代のことは一言も教えてくれなかったし、恐竜って言葉すらも聞いたことがなかった。ちなみに僕たちの世界じゃ今は西暦の2006年じゃなくて、神が天地を創造してからの5766年だよ。だって2006年というのは異教での話で、キリストっていったっけ?彼が生まれてからなんだろ?でも彼はもともとユダヤなんだし、僕たちには彼の誕生にはなんの意味もない。

そんなつまらない街を抜け出して、なにもかもが自由なニューヨークに来てからは、アートって言葉なんかをよく目にするけど、僕はなんだか前よりもこんがらがってきたんだよ。この世の中に神の形を彫ったり絵を描く人がいるなんて、メア・シェアリムに育った僕にはとてもじゃないけど信じられないよ。だって、僕たちの世界では人が神の姿を描くことは禁止されているんだから!だから写真だって撮ったことはないんだ。だって人の形、つまり神のイメージで創られた人の形が写るだろ?神の姿を形づけるなんて僕の世界ではいけないんだよ、ああ、だめだよ、そんなことは。

そうだ、「人が写る」で思い出したけど、この前はじめて行ってみたマンハッタンには、シアターなんてものがあったよ。映画ってのも実は一度も観たことがないんだよ。だって、短いスカートの女の人も出てくるし、異性同士が手を握りあったりさ。見てはいけない場面がいっぱいあるんだって。え?君は見たことがあるのかい?!僕はさ、実をいえばテレビだって見たことがないんだけど・・・。だってテレビの置いてある家庭なんてメア・シェアリムにもボーロ・パークにもないんだよ。それにさ、ユダヤ以外のことを書いた世俗の小説の一冊すらも読んだことがないんだ。そんな本はメア・シェアリムのたくさんあるどの本屋にも売ってはいないよ。もちろん偉いラビの書いた哲学的な本なんかは、もう目が潰れるのじゃないかってくらいに読んだけれどね。

そう、それでさ、しかもさ、さっきチラリと話した大学ってとこじゃあ、確か女の子と一緒に机を並べるんだよね?それって、とっても不品行で、でもそんなのって、もう羨ましすぎて頭がクラクラしそうだよ。一体そんな環境でどうやって勉強なんてできるのか不思議だけどね。僕たちの世界じゃ男の子は男子校へ、女の子は女子校へ、幼稚園からそうだもん。だからこの年になるまで僕は家族以外では君以外に女の子と向き合って話をしたことがないんだ。だからさ、女の子と話したことがないから、結婚だって好きな子との恋愛結婚なんてあり得ないよ。だって、どうやって知り合うのさ?学校だって別々だし、街角で女の子と知り合うなんてことはありえない。おしゃれなカフェなんて存在しない。この世界では自由な恋なんてありえないしさ。でもきっといい気持ちなんだろうなあ、恋ってさ。

だから、兄さんたちのように、普通に見合いだってもうしたってかまわないと思ってるよ。みんな18歳には結婚しちゃってたんだ。君の知っている3番目のダヴィデ兄さんはあの時19歳で、妻になった人は16歳だったんだよ。こんなことはそっちでも普通だろ?えっ、ち、ちがうの?!知らなかった・・・。え?僕たちはなんでそんなに早く結婚しちゃうのかって?そりゃあね、結婚ってのはさ、あ、これもラビたちから聞いたことだけどね、毎日毎日のこつこつとしたことの積み重ねなんだって。そしてさ、若く結婚すれば夫と妻は一緒に同じ目標を持った大人になっていくわけだし、中年になって、そう40歳になったころにはもう20年ほども一緒に生きてることになるんだからね、お互いのことはよくわかるよね。

結婚してる大人はみんないうんだよね。自分の片割れと出会って結婚すれば、今までの自分の人生、そしてそこからの人生の行き先、人生の目標がはっきり見えてきて、生まれてきたことの意味がわかるって。ああ、このために僕は生まれてきたのかって。そしてなぜユダヤとして生きていくのかも。ユダヤの教えがお互いに精神的に高められる人生のパートナーとの生活で、さらに深い意味を持たせるんだ。だからさ、本当にそうだといいけど、どこかに僕の片割れのバシェレット*がいるはずなのに、でも、僕には彼女がどこにいるのかわからない。僕はいつになったら心の深いところでつながった人との結婚という最も神聖なことを経験するんだろう。

ねえ、でもね君。僕はね、もっとちがう人生だったならってよく思うんだ。メア・シェアリムや、ニューヨークでもボーロ・パークなんかじゃなくて、あのすばらしいマンハッタンのアッパーウェスト区に住んでさ、なにか流行の仕事をして、たくさんのお金を手にしてね、高級車に乗って好きなことができて、食べたい物をみんな口にしてさ堪能して、ほしいものがすべて手に入るなんてすばらしいじゃないかって。今まで着たことのないおしゃれな服、そう、色のついた、例えばブルーのシャツにジーンズなんてのも着てみたいし、それにかっこいい茶色の革の靴なんかいいよね。そしてトライベッカあたりのクラブなんかで朝まで踊ってマリファナだって吸ってさ。え?日本じゃ吸っちゃだめなの?ふーん、そうなんだ。ニューヨークでも本当はダメなんだけどさ、みんな吸ってるよ。

それでさ、今日がいろいろな決まりの多い安息日かどうかなんて気にしなくてもいい、そんな自由な生活が出来たらどんなにかいいだろうか、なんてね。そうか、トウキョウってのもエキゾチックだなあ。あの街にも僕のようなオーソドックス・ユダヤの人が何人か住んでいるって聞いたことがあるけど、僕はこんな格好じゃいやだな。トウキョウでもみんな自由な服を着て、好きなことをするんじゃないの?それなのに、なぜ僕はこんな黒い服を着なくちゃいけないのかな。そんなこと、本当は神とは関係ないのにねって思うこともあるんだ。これ、いわゆるオーソドックス・ユダヤのユニフォームなんだよね。でも僕がメア・シェアリムやボーロ・パークでオーソドックスのユダヤとして生きていくには、この服を着続けるしかない。耳の横のぺオスってなんで切っちゃいけないんだ?こめかみに剃刀を当てちゃいけないから?決められたカシェルの食品しか食べちゃいけないし、安息日は守らなければいけないのはそう神が決めたから?「神が私たちに授けた聖書にそう書かれているから」そうとしかイェシヴァのラビは教えてくれない。だけど僕はもうその説明だけじゃあ、納得できないんだ。

ねえ、君。宗教も神も関係なく生きている君たちや彼らを見ているとうらやましい反面、僕はついつい人生の意味がこんがらがってきちゃうんだ。君だけには思い切っていうけどさ、僕の中では神さまって本当にいるのかさえもこの頃は疑わしいんだよ。神がいるのといないのではどこがどうちがうのだろう。そしてそれが僕の人生にとって本当に大切なんだろうか。そんなこと、メア・シェアリムでもボーロ・パークでも絶対に口にできはしないし、いってしまえば気が狂った異端者と思われるのが落ちさ。でも誰もその意味を教えてはくれないんだ。

ねえ、君、僕は本当にこのまま黒い服を着続けるんだろうか。だけど、なにもかも捨てて、物質だらけの世界に生きてみたい気持ちはあるけどさ、でもね、そんな生活に意味が見出せるとは今の僕には思えないんだ。僕は本当に悩んでいるんだよ・・・。




*タティ...イディッシュ語でお父さんの意味
*レベ...イディッシュ語でラビの意味
*マミィ...イディッシュ語でお母さんの意味
*禁じられてるチーズバーガー...ユダヤのカシェル規定の一つで、乳製品と肉類を一緒に料理すること、または食べることは禁じられている。
*バシェレット...Soul mateまたは運命。つまり、運命的に決められている伴侶。ユダヤ教では独身者は半分と見なされ、神の神聖なる祝福を受けた結婚し、二人揃うことによって一人とされる。