Wednesday, March 16, 2005

おばあちゃんの春

おばあちゃんは100年よりもちょっとだけ短い、それでも91年もの昔の、日本という国に生まれた。そして今年の5月になると、92回目の春がやってくる。

ゆきえという美しい名前のおばあちゃん。
何十年も一人で住んだ家を去る、その日がやって来ました。

その前の夜は雨が降りはじめて、ちょっと寂しげで。とうとうお引越しをするおばあちゃんのことを思うと、心の中も雨模様。ゆきえおばあちゃんという人の、孫である私が知っている、ほんの少しの一生を記憶の断片をパズルのように思い描きながら、ベッドの中でなんだか眠れない夜。でもその日の朝にはちゃんとお日様が顔を出して、春のように暖かく。

お昼過ぎに、車で15分のところのおばあちゃんを迎えに行くと、おばあちゃん。

「今日はいまからどこへ行くがけ?」

やっぱり忘れてたネ。昨日もその前の日も、一週間前にもちゃんとなんどもなんども説明したのにね。でもいいよ、また説明するからね。そしておばあちゃんの、すこしだけの身の回りの物をかばんに詰めて、母と二人で、腰のちょっぴり曲がったおばあちゃんと杖を車に乗せた。

「どこ行くがやちゃ?家のカギしめたね?!」

おばあちゃんの家から、車でほんの10分ほどでそこへ着く間に、なんどもなんどもおばあちゃんは、そうくりかえしくりかえし、助手席の私に尋ねた。

「うん、おばあちゃん。鍵はちゃんと閉めたよ。窓もしまっとるよ。大丈夫や。今からいつも行ってる朱鷺の園に行くんやん。今日からそこにしばらくお泊りしてみるねん。朱鷺の園、知ってるやろ?」

「朱鷺の園?それどこけ?私そんなとこいったことないちゃ。あれ、なんしにそんなとこ行くがけ?カギ閉めたね?大丈夫やね?・・・ねえ、どこ行くがやちゃ?」

「おばあちゃん。鍵しまっとるよ。朱鷺の園って、おばあちゃん毎週二回デイケアーサービスで行ってるところやん。そこにしばらくお泊りに行くんやで。」

「朱鷺の園???そんで今日はそこへ行くがか?家のかぎ閉めたの?」

こんな会話が朱鷺の園につくまで、息をつく間もなく延々と繰り返された。

「はい、おばあちゃん、着いたよ。ほら、ここ来た事あるやろ?」

「しらんちゃ、こんなとこ。来たことないちゃ。はじめてやー。」

朱鷺の園に着くと、係りの方が私たちを薄い桃色の一階の、おばあちゃんの部屋へ案内してくれた。障子の覆いのようなものとカーテンで仕切られた、かなりゆったりとしたきれいな造りの新しい二人部屋で、おばあちゃんの部屋のある一画には、20人ほどのお年寄りが住んでいて、みなが集うホールには雛人形が飾られているなど、広々ととても快適な暖かさの空間スペースで。ちょっとしたホテルのように小奇麗で、中庭には小さな噴水と燈籠があって、しかもいろいろなところにやさしさが感じられる。お年寄りの住まうホームにしてはとてもモダンで明るくて、「ふつう」の生活があるように。

老人ホームへおばあちゃんを住まわせることは、母にとってはとても心が痛む決心だったが、90歳をすぎてひとり家にいるおばあちゃんは、もう身の回りのことをするには疲れすぎたらしい。一人娘の母は、家におばあちゃんを呼んで来ることも考えたが、階段を使わなければならない家であること、そしてとても寒い家であることなど、おばあちゃんにとってもあまり理想的な選択ではなさそうで。そこで、このホームならば明るくて暖かくて、おしゃれなおばあちゃんにもいいのではと思っていた矢先に、そこにひとつ部屋が空いたという知らせが入ったのだった。

「この部屋はなにけ?あれ?私はどこも悪くないちゃ。ここは病院ながけ?」

「おばあちゃん、ちがうよ、ここは病院じゃないよ。うん、おばあちゃん、どこも悪くないから心配いらんよ。」

「じゃあ、私は何しにここへ来たがけ?ここ何け?」

「ここにはね、おばあちゃんみたいに一人で住んでた人たちが、いっぱい一緒に住んでるんやぁ。そしたらみんなでお友達になって、ご飯も一緒に食べて、もう一人で寂しいと思わんでもいいやろ?お友達もできるから楽しいね。ほら、ね?朝もお昼も晩御飯もここであったかいのを食べれて、お風呂も入れてもらえるよ。どうや、おばあちゃん?しばらくここに泊まってみる?」

「ああ、そんながけ。そしたら楽しいねぇ。・・・でもなんで私ここにおるがけ?・・・あんた、誰け?え?」

「ちかちゃんやん。おばあちゃんのま・ご!さっきからずっと一緒にいるやん。」

「あれ、そうや、あんた、ちかちゃんけ。ああ、おおきなってねぇ。きれいになってねぇ。あれぇーえ、ちかちゃんけ。ちょっとおばあちゃんに顔見せてぇ。」

おばあちゃんは私を見つけるといつもそう言う。それが1分前でも10年前でもいつもおなじ。そしておばあちゃんの待っている答、「そや、きれいやろ?おばあちゃんに似たんかな?でもおばあちゃんの若い時のほうがきれいやで」と言ってあげると、おばあちゃんは鼻に皺を寄せてニヤッと笑う。

「ああ、ちかちゃんや。あんた、おおきなってねぇ。ああ、私はこんなに年取ってしもてねぇ。90歳や、今年。」

「あら、おばあちゃん、92歳やで。」

「え???92ちゃ、どう?そんな年ながけぇ、私。あれぇー、え。なんてことやろねぇ。こんなに年とってしもてねぇ。」

「あら、おばあちゃん、まだまだ若いよ。元気やん!皺もないしねぇ。」

「あれ、そうか。あっはっは!そうや、どこも悪ないっちゃ!ほんで、いつ家に帰れるがけ?あっちが私の部屋ちゃ、どういうことけ?」

ほっぺたのつるつるのおばあちゃんは、なぜ自分がそこにいるのか、わからないらしい。なんど説明しても、その一瞬は理解するけれど、説明が終わるか終わらないかのうちに、またすぐに同じ事を聞く。そうして二時間ほど、母が事務室で入居の手続きをしている間、私は同じことを繰り返し繰り返しおばあちゃんに告げながら、その日は過ぎた。そしてさんざん話した後に、やっぱり最後には「あんた誰け?」と尋ねられ、その瞬間はいささか、がっくりきてしまったのだけれど。

「ほんならおばあちゃん、たんすに全部入ってるからね。パジャマも下着も。さっき一緒に入れたやろ。今日はここにお泊りやからね。それで、しばらくここでやってみようね。でも家に帰りたくなったらいつでも帰れるからね。こっちとあっちと家が二つあると思ったらいいよ。」

そしてこっそりと私は付け加えた。

「でもね、おばあちゃん、ここにいるほうが家でヘルパーさんに来てもろて住むよりも、安つくわ。知ってた?」

ゆきえおばあちゃんは若くして未亡人となり、私の母が父と結婚した時から40年ほどを、一人で暮らして来た。そして頭の中で戦後のいまだ終わっていないおばあちゃんは、10円でも安ければ、杖をつきながら歩いて30分もかけても、そちらのスーパーへ買い物に行く。その帰りにはスーパーの駐車場で「あんた、うちの近く通りまさらんがけ?乗せていってくださいませんかね。」といつまでも抜けない富山弁でヒッチハイクして帰ってくる、その界隈では名物の人である。

「あれ、そんながけ?家におるよりも安いちゃほんとながけ?そしたらいいわねぇ。しばらくここに泊まってみても。いつでも家には帰れるがやし。一週間ほどおったらいいちゃね。そやちゃね。」

ニカッ。やっぱり、おばあちゃんのわかる言葉で話してあげなければ。おばあちゃんは入居費が安いと聞いてほっとしたので、その日はそれで切り上げて、また次の日におばあちゃんを尋ねて行ったら、やっぱり「あんたちかちゃんけ?おおきなってねぇ」からはじまり、「昨日の晩はなんでか家に帰られんかった」と不思議がった。そしてその次ぎの日には、おばあちゃんの部屋のたんすから全てを出して、どこから貰ったのか、大きな袋に衣類の一切が詰められていた。

「おばあちゃん、これどうするがけ?」

「なーん、ほれ、盗られるかと思てねぇえ。袋に詰めたがや。これ、あんたのお母ちゃんにこうてもろたさけね。」

袋の中の一番上には、母が買ってあげたおばあちゃんのフリースのジャンパーが入っていた。

「おばあちゃん、大丈夫や。誰もなんも盗らんよ。心配せんでもいいよ。ほんなら、これ、たんすに一緒に入れよか?それでいい?」

おばあちゃんは昔からとてもおしゃれな人で、その一生を見ても、店先に並んでいる既製の服を買ったことがない人だ。なので、おばあちゃんにとっては洋服は財産のように大切で、完全なプライベートのないホームでは、誰かが盗っていってしまうのじゃないかと、気が気ではない。そんなおばあちゃんが朱鷺の園に入る前の日に、ハイカラだったおばあちゃんに、おばあちゃんが若い時に作った仏蘭西からの舶来物のワンピースを貰った。おばあちゃんはここ数年、すっかりおしゃれが面倒になったらしく、私におばあちゃんの服をくれようとする。

「ちかちゃん、なんでも好きなもの、持って行ってぇ、え。これは二年前に作ったがやちゃ。まだ新しいがやぞ。あんたにこれ、似つくよぉ。」

と、本当は30年以上は前に作った、その濃いブルーにきれいな模様の入ったサッカー生地の、いかにもおしゃれな夏のワンピースを大事そうに、でもちょっと名残惜しそうに私に譲ってくれた。おばあちゃんの頭の中では時間はゆっくりゆっくり流れているようだ。しかし、やはり90を越えても、老いても女は女なのだなぁ。もう絶対に着られないとわかっているワンピースでも、いやそれならば、なおさら「着られなくなった私」が、悔しく惜しいものなのだ。おばあちゃん、ありがとう。大切に着るからね。

そんなこんなで一週間が過ぎて、おばあちゃんは「いつ家に帰れるがけ?なんでここにおるがけ?」とは聞かなくなり、なんとなくホームの暖かさが心地よくもあり、でも大勢の人と暮らしたことのないおばあちゃんには、ちょっと不安なこともあって。おばあちゃんの、90歳をすぎてはじまった新しい生活。そして少しずつ、記憶が曖昧になって、老いるという事の大変さ。母は、自分の母親のそんな姿を目の当たりにして、言葉少なげで。私はおばあちゃんという主人のいない家が、なんだか物足りなくて寂しくて。

外は春の香り。それぞれの思い。おばあちゃんの庭に咲いた、沈丁花とゆずの実。私の幼いころを思い出させる、ほわんとノスタルジックな香り。もうすぐまた私はその香りの届かない、遠いエルサレムへと帰って、おばあちゃんとこんな会話もできなくなってしまう。次に会うまでに、きっとおばあちゃんは私のことは、まったく忘れてしまうかもしれないし、ひょっとすると、もう会えないのかもしれない。でもきっと、おばあちゃんは100歳の春までも、いや、きっとそれよりもずっと長く春を迎えるよね。そしていつも「あんただれけ?」って、「ちかちゃん、おおきなってねぇ、きれいになってぇ。」って、言ってくれるのだよね。