Friday, April 02, 2004

tata the cat 男一匹、エルサレムの空の下



ここしばらくのあいだ、我が家の同居猫Tata宛へのメールが何件かあったので、Tataが帰宅した時にでも読んであげようと思っていたのに、近頃のTata君、もうまさに青春時代炸裂。こちらはなんだか高校生の息子を持つ母親のような気分。ほとんど毎朝のように明け方ごろに出かけるようになってからは、日に一、二回ほど、食事に帰って来るだけ。

ゆっくりとご自分のベッドで寝たのは一体いつのことやら。しかも大好きな手羽さきをハグハグと、両手でしっかりと押さえながら口にしていても、とんと心ここにあらず。どうしても外の様子が気になるようで、物の数分であっというまに骨まで噛み砕いてはごちそうさまの顔洗いも毛づくろいもせずに、またまたぴゅーんっと慌てて外へと出かけて行ってしまう。もう毛並みもなにもあったもんじゃない。しかも首の周りはなんだこれ、禿げてますよ、親分さん。それに鼻の頭や額は傷だらけ。Tata君、はっきり言おう、君にはナチュラル・ボーン・ストリート・ファイターの野良猫軍との戦いに勝ち目はない。だって君はあまりにも繊細な哲学者だからね。

と、ここまで書いたところで、誰かが玄関のドアをノックしているではありませんか。おやおや、うわさの哲学猫Tata君ではないか。どうしたの?今しがた出て行ったばっかりじゃないの。えっ?眠くて倒れそうだから帰って来たの?・・・そりゃ、そうでしょうよ。ほら、ちゃんとベッドがあるのだから、そちらでしばらくゆっくりと休んだらどう?あら、もう寝入ってますよ、彼ったら。それではTataが眠っているあいだにこっそりと、今日は彼が我が家にやって来たイキサツ、その秘密を公開することにいたしましょう。

Tataとの出会いはほんの一年半前のこと。彼は成猫にはめずらしく、彼の奥さんと生まれて半年ぐらいの娘ちゃんとの三猫家族で、私が以前住んでいた階段通りのアパートの屋上に置きっぱなしになっていた、古ぼけたベッドのマットレスやクッションのあいだに住んでいました。それまでは、猫って、普通は子猫のころからひとりひとり独立して生きていくものだと思っていたのですが、なぜかこの一家の絆はとても深いようで、いつも一緒にいることが多かったのです。そしてお腹がすけば「にゃ~っ」と、隣近所の親切な家々でごはんを出してもらい、食にも住にもさほど不自由もなさそうで、まるで絵に書いたようなパパとママとかわいい娘の「しあわせ一家」のように見えました。

しかし、この砂漠の街の長く乾いた暑い夏が終わった十二月、夏から冬へといきなり寒い日々が訪れます。雨が降りはじめ、さらには雪でも降りそうな二月のこと。いつものようにTataがひとり旅へと出かける季節が訪れました。Tataは「男には行かねばならぬ時がある。オンナタチヨ、とめてくれるなヨ」と、彼のキャラクターとは程遠い、彼の憧れの仁侠映画のヒーローごとくそう一言残して、バレンタイン・ディを過ぎたあたりを境に、プッツリと姿を消してしまったのです。このエルサレムの寒空の下、Tataは一体ひとりでどこへと旅立ってしまったのでしょうか。

奥猫のジョセフィーナさんと娘猫のムスメちゃんは、男猫のいないひと冬の留守をふたりで守っていましたが、Tataが旅立ってからかれこれ2ヶ月ほどが過ぎ、こちらも他猫の家庭のことながらも彼らのことが心配になりはじめました。そこでTataが帰ってくるまでのあいだ、残されたジョセフィーナとムスメちゃんの栄養管理と心身ケアを我が家ですることにしました。それからしばらく彼女たちと我が家で食事を共にするうちに、お互いに気心も知れはじめ、ジョセフィーナとムスメちゃんの性格も少しずつわかるようになって来ました。

Tataとよく似た毛並みで小柄なジョセフィーナは、いかにも典型的な、ナポレオンの妻と同じ名の通りで猫ナデ声がうまく甘え上手、いわゆる「猫っぽい女」というやつでしょうか。いつもおちょぼ口でツンと澄ましたかなりのべっぴんさんでしたが、ムスメちゃんは決して美猫とはいえず、「ご両親は美男美女猫なのにねえ・・・」と、近所のおばさん猫たちがヒソヒソと陰口もなんのその。かけっこが大好きな元気な女の子で、私としてはその素朴さにかなり好感が持てました。

そうこうしているうちに寒い冬の雨の季節もすぎて、自宅に近いガン・サカーというエルサレムで一番大きな公園では、岩のあいだに溜まった水を吸った淡い桃色のシクラメンが咲きはじめ、砂漠のエルサレムの街にまたみじかい春が訪れました。桜とよく似た白いアーモンドの花の咲く暖かな日々が続いたころ、なんと、Tataの奥猫さんのジョセフィーナは、アパートの屋上に続く外の階段下で、父親のわからない四つ子の赤ちゃんを産んでしまったのでした。まだ瞳も開かない小さな赤ちゃんたち。幸いなことにこの四つ子ちゃんたちは、どこからどう見てもTataの毛並みに瓜ふたつ。

お陰で近所の噂好きなおばさん猫たちは、この四つ子ちゃんのパパはTataだと疑いもせず、幸いにも近所の噂の的になるのは免れられました。それを知っているジョセフィーナもさすがにしたたかで、階段下でなに食わぬ顔で忙しい子育ての日々に追われていました。しかし砂漠の街の夜と朝は霜が降りて冷え込みが激しく、それもまだ春浅い四月のことだったので、かわいそうにもこの四つ子ちゃんは生まれてから一ヵ月とたたないうちに、次々とわずか数週間の短いいのちを終えて、また空に帰って行ってしまいました。

それからしばらたったある日のこと。どこからか、ひょっこりとTataが旅を終えて帰って来たのです。帰宅したTataは汚れてとてもやせ細り、しかも片方の後の足を引きづっていました。心配して「旅路で車にでもぶつけられたの?」と聞いても、なぜだかただじっと考え込むように黙りこんでいるTata。そうなればいくら尋ねても仕方がないので、Tataの大好物の手羽先の炊いたんをお皿に乗せると、少しほっと一息ついた様子でした。しかしそこに、Tataと私の話し声を聞きつけたジョセフィーナが階段下から上がって来たのです。久しぶりのジョセフィーナとの再会で、Tataは嬉しさのあまり彼女に近づいてキスをしようとしたのですが、ジョセフィーナはプイッとあっちを向いて拗ねたシグサ。このあたりがどうも彼女が猫っぽい女といわれる所以なのでしょう。意外なジョセフィーナのその反応に、シュンっと落ち込んだTataの悲しそうな横顔ったら・・・。

「まあ、こんなに長い間家を空けたんだもの、自業自得だね」

なんて、ちょっと冷たく声をかけてもTataったら動きもせずに、じーっとジョセフィーナから目を離さない。そのあんまりにも健気な姿が、少しかわいそうに思えてきたところに「あっ!パパだっ!」と元気いっぱい、遊びから戻ったムスメちゃんも現れて、一応はめでたくTata家一同揃ったかのように思えたのです。でも、実はTataの悲劇はここからはじまったのでした。

事実はこうでした。Tataの留守中、やはり奥猫さんのジョセフィーナは一人がどうもおもしろくなかったらしく、不義の四つ子ちゃんが亡くなってから、そのころからこの近所を徘徊していたどこの誰だかもわからない新参者の若い白猫と知り合って、その彼と頻繁に出かけるようになっていたのでした。ええ、いかにもジョセフィーナな彼女らしい話しだなと思いますけどね。そしてTataの帰宅後しばらくして、Tataの帰宅を知る由もなかった新しいボーイフレンドが塀越しにジョセフィーナを誘いにやって来たのです。「よう!」と、現れたのは、ちょっと軽薄で、なんだか首の辺りにゴールドのネックレスなどがチャラッと似合いそうな、イケイケな若い彼。

「あら、あーさん、待ってたのよ。さっ、行きましょ!」

わざとTataには目もくれず、いつものようにつんと澄まし顔のジョセフィーナ。Tataは不意に現れた見知らぬイケイケ君と連れ立って去りゆくジョセフィーナを、きれいなブルー・グリーンの瞳の視界から消えるまで、じっと見つめて、ひとこと・・・

「・・・にゃーん!!!」

まるで「・・・ジェーン!」と聞こえるかのように、開け放った玄関から家の中にまで、その悲しげな叫びが聞こえてきました。

それから毎日のように、Tataはジョセフィーナが新しいボーイフレンドとウキウキと出かけてゆく姿をその横で眺めては、深いため息をついて玄関先で鬱々としていました。それでもジョセフィーナは、ボーイフレンドがどこかへ行っているあいだには、我が家の玄関のドアのそばに寝そべっているTataの元へと、階段下からイソイソと、でもどこかツンと澄まして訪ねて来るのです。まるで「ボーイフレンドなど単なる遊びよ、本命はあ、な、た、」と、Tataに擦り寄って。

「もう一度やり直そうよ。帰っておいで」

ああ、猫の恋も人と同じく盲目なのね。
Tataはジョセフィーナに言いました。
しかし、そこはさすがにジョセフィーナです。

「いやよ!いやよ!」

と、小さな駄々っ子のようにバタバタドカドカとTataに足蹴りを食らわせて、さらには悪妻の如く夫猫の顔をキーッと引っ掻いてみるのです。その度にTataは「えっ?どうしてなの???」と、私は男って猫も人も変らずに本当にバカなんだなあと思いつつも、さすがにTataのその落ち込みようがかわいそうで、他猫家のことながらも、もうそのころにはジョセフィーナにはそれほど好感を持っていなかったのです。

「ちょっとTataさん、お入いんなさいよ」

ある時、私はTataを家の中に招きました。Tataは気だるくノソノソとリビングのソファーへ向かうと、よいしょっと力なく飛び乗りました。そんないじけているTataの後を追って家の中へ駆け込んできたジョセフィーナは、またまたTataにそっと近寄り、おちょぼ口でTataの隣にしなりと寝転んでみる。なんてことを、いかにもお茶の子さいさい、慣れたふうにやってみせる。それなのに、Tataはなみだ目になりながらも、ジョセフィーナがそばにいることに天にも昇るような笑顔です。

ああ、またしても、猫の恋も人の恋も盲目。

しかし、そこはやっぱりジョセフィーナ。今度こそは心を改めて大人しく夫猫のそばにいるのかと思いきや、なんのなんの。外でジョセフィーナを探しているイケイケのボーイフレンドの呼ぶ声を聞くやいなや、Tataなどはもう無用の夫。踵を返して小走りで出て行ってしまいました。そんなジョセフィーナの後を今度は慌ててTataが追いかけて、玄関先からジョセフィーナとボーイフレンドが肩を寄せあってどこぞへ消えてゆくのを眺めては、再起不能なほどにも落ち込む。そしてまた気だるそうにソファーに寝そべると、いつも物思いにふけっていました。

そんなことのくり返し。まったくジョセフィーナももうその気がないのならはっきりすればいいものを、やはり猫も人もオンナという科は計算高いものなのですねぇ。正直いって私、猫が泣くのってそれまで見たことがありませんでしたが、ほんと、Tataってば、玄関先で涙をつつーっと流して泣いていました。へぇー、猫も悲しけりゃ泣くんだね。かわいそうに。

それで、これはTataは相当重症な失恋の病だなということで、下の階の家でもお食事などを世話になっているジョセフィーナには、しばらく私の家への出入りを控えてほしいと伝え、その代わりにTataに元気になるまで家にいてもらうことにしました。さすがにひとりでいるのは辛かったのでしょう、Tataもその方がいいと、私の家のソファーで寝て過ごす日が多くなりました。しかし、どうもそのころから私はムスメちゃんの様子が気にかかりはじめました。ムスメちゃんはあの不義の四つ子ちゃんの死と、母猫ジョセフィーナの若いちゃらちゃらとしたあの白猫のボーイフレンドがどうも気に入らないらしかったのです。

それまでは幸せだった家庭の崩壊を目の当たりにした多感な時期の少女は「もう、こんなのやってらんないよっ!」と、ちょうど反抗期に差し掛かったことも重なって、ある日のこと、書置きも残さずにプイッと家出してしまったのです。それっきり、今でもムスメちゃんの行方はわかっていません。でも、しっかりものの彼女のことですから、きっとこの街のどこかで、誰かいい猫男さんと新しい幸せな家庭を築いていることでしょう。

そんな経緯で、繊細なTataは心身ともにもう憔悴しきり、すっかり鬱々とした状態が続くうちに、またエルサレムにも暑い暑いカラカラに乾いた長い夏がやって来ました。Tataは全身を夏毛に着替えても、どうも暑いのが苦手なようで、家の中で、しかも私の仕事机の椅子の上で長い昼寝をしては現実逃避をする日々が続きました。眠っている時は楽しい夢を見ているのか、Tataってばなんだか笑っているような寝顔。わざわざ厳しい傷心の現実へと引き戻すのもかわいそうなので、仕方なく私はソファーに移って仕事をしていました。そして30℃を軽く越す日が続いていた8月。それまで住んでいた階段通りのアパートの契約も切れようとしていたので、私は思い切って引っ越すことにしたのです。

引っ越すといってもそこから歩いて3分ほどのところですから、まあ、近所に、ですね。そこで家猫ではないTataを一体どうしたものかと考え迷ったのですが、やはり失恋して落ち込んでいる彼をこのままここにはひとり置いてはゆけないと思ったのです。そして荷物をすっかり運び出した日の夜のこと。「お食事よん!」と、うまく騙くらかして、疑うことなくご飯を食べに私のそばに寄ってきたTataの首根っこをイキナリ掴むキドナップ作戦に出たのです。そして作戦通りにTataの首をすばやく押さえ込むと、さすがに紙袋にちょいと入れてぽーんぽーん、というわけには行きませんので、用意してあったリュックにぽんっと詰めりゃ、にゃんと泣くで、私は新居まで夜道をTata入りのずっしりと重たいリュックを担いでトットコと走ったのです。

こうして、それから今日までTataはうちの息猫子として過ごしています。結局は引越ししたのがよかったのか、今ではすっかりジョセフィーナとの傷も癒えたらしく、毎日近所を元気に飛び回っています。まあ日が薬っていいますからね。でも、うちにいる時の甘えん坊さんの彼が玄関から出て行く時のうすろ姿、おかしくて可愛くて笑っちゃいます。だって、猫なで肩をなぜか無理にいかり肩にして、コワモテの哀愁を装って、まるで「仁義なき戦い」かなにかのテーマ曲でも流して欲しいかのようなうしろ姿。まあ、彼もそんな年頃なのでしょうかね。こんな繊細でお茶目なTataですが、どこかに彼を愛してくれるステキなお猫さんはいませんでしょうか。Tata宛のメールにてご連絡ください。お待ちしています。