Saturday, April 10, 2004

exodus - エジプトからの出発

ユダヤのニサンの月の15日。春と共に過ぎ越しの祭りがやって来る。

過ぎ越しの祭りがやってくると、ユダヤの家は大忙しさ。まずは、掃除をしなくっちゃいかんだろ。家中、全部、大掃除だよ。まるで日本の師走のようにね。掃除のターゲットはヤツだ、そう、小麦さ!台所の戸棚の中に使いさしの小麦はないかい?パンだって小麦だろ?パンを食べながら読んだ本のページの間に、パンくずは挟まっていないかい?ひょっとするとベットの下にだって飛んで行ってるかも知れんだろう。寝ながらクッキーなんかかじってなかったか?

さあさあ、家の中の小麦はすべて残らず処分しなくっちゃ。いいかい、お前たち、よく聞けよ。祭りの間には小麦は一切口にしちゃいけないよ。ピタパンだってパスタだって、ケーキだってクッキーだってさ。ああ、そうそう、オレはかあちゃんにはこっそり隠してあるウイスキーも飲んじまわなくちゃな。あれだって麦からだろう?まあ、それにしても大掃除ってのはいいもんだ。心の中もついでに掃除しようって気になるだろう?

おや、君の家はもう大掃除は終わったのかい?ああ、そうか、君のところは過ぎ越しの祭りの時だけ使う専用のキッチンがあるんだっけ。いいよなあ。君んとこも、食器もなべもみんな祭り用のだろう?うちだって、台所とまでは行かなくてもそれくらいは買い揃えてあるさ。

もう市場でマツァを買ったのかい?祭りがはじまったらマツァの食べすぎには気をつけなよ、便秘になるぞ。そうだな、祭りのあいだにはマツァでサンドイッチだろ?ゆで卵とレタスとを挟んで、フルーツのペーストと西洋わさびをぬってね。でも、やっぱりオレはかあちゃんの作るマツァ・ボールのスープが一番うまいやって思うがね。透き通った黄金色のチキン・スープの甘い、いい匂い、そこにポンポンと浮かんだマツァの団子。やっぱりこれだねえ。なあ、君んちもかい?


「今夜はどうちがうの?マ・ニシュタナ・ハライラ・ハゼ?」

どこの家庭でも子供たちが、毎年、祭りの晩のテーブルではこう聞くだろう?今夜はいつもの夜とどうちがうの?ってさ。ユダヤの人たちが長いエジプトの奴隷生活から自由になって出発する晩だよって、毎年チビどもに話すけどさ。その後に十戒を授かるまでの話もそろそろ憶えてくれたことだしな、なあ、今年はなんて話そうか。

「アバ、今夜はどうちがうの?マ・ニシュタナ・ハライラ・ハゼ?」

「ねえねえ、アバ、マニシュタナ・ハライラ・ハゼ?おしえて、おしえて!」

おいおい、今夜も相変わらず元気なぼうずたちだな。それはだな、よく聞いて憶えるんだよ。昔、ユダヤの人たちはエジプトで奴隷としてピラミッドを作り、ファラオのもとで暮らしていたってのはもう知ってるよな?そこで、ユダヤの男、モーセは「エジプトを出よう、自由になろう、自分たちの土地へ行こう!」と皆にいったんだけどな、・・・

・・え?なんだって?ハシディックの学校の本では、モーセはあのミンクみたいな毛皮のシュトライマレ帽をかぶってるけど、それは本当かって?

ははーん、お前、隣のヨセレーに聞いたんだな?・・・そうだなあ、あの時代に、暑い暑いエジプトでさ、ヨーロッパってとこの雪国の毛皮のシュトライマレ帽はかぶってなかっただろうよ。モーセはそんなとこから来た人じゃないからなあ。おっと、でもな、これは隣のヨセレーにはいっちゃいかんぞ。彼の家では冗談でもそう信じてるんだったらそのままにしておいておやり。じゃあどうして隣と我が家はちがうのかって?

そりゃ、我が家はアシュケナジーって呼ばれるヨーロッパ系でもハシディック系でもないからな。うちは昔々、スペインから旅をして来たセファラディーと呼ばれるユダヤの人の末裔なんだよ。ヨセレーはアシュケナジー系ユダヤらしく、ヘブライ語のほかにも今でもイディッシュ語を話すだろう?イディッシュ語は今でもアシュケナジー系のユダヤの人たちには受け継がれている言葉なんだよ。そしてセファラディー系の家系では、昔はラディーノ語を話したんだよ。お前たちの爺ちゃんも婆ちゃんも、ラディーノ語をエルサレムで話してたんだよ。でも父さんの世代はもうラディーノ語は話せないけどさ。だから、残念なことにラディーノ語はもうこの世界からは消えてしまうんだよ。

おっと、それでだな、話がちょっとずれたがな。なぜ今夜はちがうのか、だろう?そうだな、モーセが皆にエジプトを出ようといったと話しただろう?でもな、人々は住み慣れたエジプトを去って、いつ終わるともわからない旅に出るなんて嫌だったんだ。また新たな土地で一からはじめるよりも、奴隷でもそれまでの慣れた暮らしのほうがよいのじゃないかと思ったんだ。実はな、あのモーセだって、人々をエジプトから連れ出すなんて自信がなかったんだよ。でもな、神がモーセにいったんだ。心配するな、信じろと。

そりゃあ、そうだろうな。ぼうずよ、人ってのはそんなものさ。楽なほうへとどんどん流れて行っちゃうんだよ。誰がわざわざ苦労するのをわかってて、それでもなにかをやり遂げようなんて思うもんか。多少の嘘はあっても、そこにいるほうがいいんだよ。お前だって、本当にうまくなれるかわからないのにサッカーのつらい練習をするよりも、ただ家でゴロゴロとゲームでもしてるほうが楽だろう?

でもな、よく聞け子供たちよ。父さんは思うんだ。毎年過ぎこしの祭りがやってくるだろ、するとな、オレの今いるところはひょっとするとエジプトなんじゃないかってね。もちろん、ここはエルサレムだよ。イヤイヤ、そうじゃなくてな、たぶん人はな、皆それぞれのエジプトにいるんだよ。もう少しわかりやすく説明してくれって?おお、ごめんよ。そうだなあ、簡単にいえばだなぁ、つまり、それが自分の悪い癖だったり、自分に嘘をついてごまかしていたり、幸せなふりをしていたり、ってな。それに本来しなければならないことをしないで、ズルズルとな。人はそれがまやかしでも、なんとかしてその楽な場所に留まりたいんだよ。ついつい努力せずにそこに甘えてしまうんだなあ。

だから過ぎ越しの祭りが来るとな、父さんは考えるんだよ。今年もここにいてはいけないんだってね。ぼうずよ、自分をごまかすなよ。前に進んでいけよ。例えそれが困難でもずっとそれを信じて生きろ。自分の心に正直であれよ。自分を信じて生きていけば、いつかきっとそれでよかったんだって思えるんだよ。そこには苦労も努力もついてまわるさ。でもな、人はいつまでも怠惰で未来のないエジプトにいてはいけないんだよ。

おっと、なんだか難しくなってしまったなあ。それじゃあ、また来年はエルサレムでな。祭りの晩の終わりにはそう歌うんだっただろう?もう、そろそろお前たちも憶えなくてはね。さ、かあさんや、温かいマツァ・ボールのスープはできてるかい?お前たちもお待ちかねだろう?イマの手伝いをしておくれ。マツァのサンドイッチもいいが、これがなきゃあ過ぎ越しの祭りは越せないぞ!ああ、チキン・スープのいい匂いだ。オレたちユダヤの魂にはやっぱりチキン・スープがぐっとくるねえ。



*アバはヘブライ語で父の意味。
*イマはヘブライ語で母の意味。