Friday, February 20, 2004

だいじょうぶ、猫だから( プリム!プリム!プリム!)

ずっとずっと昔のペルシャの都スサでのお話。アハシュヴェロス王の寵愛を一身に受ける美しい王妃、ユダヤの血を引くエステルとその養父モルデハイと、王宮大臣ハマンのユダヤへの陰謀。ユダヤ暦アダルの月の13日に、大臣ハマンはペルシャの国に住むユダヤの人々をひとり残らず滅ぼそうとしていました。

「この時のためにこそ、あなたは王妃にまで達したのではないか」

モルデハイはエステルの顔を覗き込みます。
 
「それではこれから私は3日間、なにも口にはいたしません。それから王の庭へ参り、私の民であるユダヤの人々を救うようにとお願いいたします。呼ばれてもいないのに王に庭へ参った者に金の笏が差し伸べられなければ、その者はいのちを落としてしまいます。しかしこのために死ななければならないのならば、私は死ぬ覚悟はできています」

スサの都のユダヤの人々にも同じように3日の間はなにも口にせぬように、と王妃エステルは言い伝えました。

庭に出ていた王は、美しい王妃エステルがそちらへと近づいて来るのを見て、こばれそうなほどのほほ笑みで金の笏を差し出したのです。そして王は、エステルが望むままに宴を開かせ、その宴の場でエステルは見事にハマンの企みを暴きました。

こうして王妃エステルによって、ペルシャのユダヤの人々のいのちは救われ、彼らが滅ぼされるはずだったアダルの月の13日に、その計画をした当事者の悪者ハマンを柱に吊るし、翌日から祝いの宴が何日も繰り広げられたのだそう。それからもユダヤの人々はアダールのつきの14日にはプリムの宴を開き、大いに呑んで呑まれて天地が逆さまになる。

2004年のエルサレム。

ピンクに黒ブチでキュートな牛に、上半身裸でハワイア~ンなフラダンサー。裸に手のひらのようなイチジクの葉っぱ一枚のアダム。悪魔に天使、ゲイシャにニンジャ。まだ春一歩手前の夕暮れ、アダルの月の15日のはじまり。エルサレムはアダールの月の14日ではなく、15日にシュシャン・プリムを祝い、この砂漠の街は思い思いの姿の人々で溢れるプリムの祭りで華やぐ。そこで思い切って、異邦人の女も生まれて初めての仮装と行きましょう。

自宅のクローゼットと小物入れをごそごそとひっくり返し、ほっぺたにマジックで髭をぴょんぴょんと描いて頭にスカーフを巻き、動物スリッパーを履いて猫。でも耳がないからやっぱりこれはドラえもんか。仕方がないので異邦人の女は出かける途中、ベン・イェフダ通りの店で耳とシッポを買った。

ベタル・イリットというエルサレム外れの入植地に住む知人であるラビの家まで、プリムの宴へといざゆかん。いつもの真面目な黒服とは打って変わって、すっかり思いのままの仮装に身を包んだイェシヴァの男子生徒諸君。異邦人の女は一体誰が誰なのか面食らってしまう。旧市街のユダヤの町の外れの駐車場で、谷底にへばりついたようなアラブのシルワン村あたりを見下ろしながら、ベタル・イリットへの迎えのミニバスが現れるのを今か今かと首を長くして待っていた。

「ここよー!」

ミニバスの窓から手を振るのは誰だろう?ボサボサ髪を金髪に染めた中年女の運転手が、大阪あたりの肝っ玉かあちゃんよろしく、豪快にミニバスを転がして来たかと思ったら、もうすでに駐車場の係員ともめているではないか。

「じぇーってぇいに、だみぇ!!」

「なんでダメなのよ?5分くらいただで停めさせろってえのよ!セコイわね!」

駐車場の門番、酔っ払いロシア人のおやっさんに、タダで車を停めさせろと肝っ玉かあちゃん。肝っ玉かあちゃんはミニバンの開いている窓から大声で叫んでみるけど、ロシアの赤鼻のおやっさんは、プリムの日に因んでか単なるアルコール中毒か、すでに酔いが回っているらしい。

「だみぇったら、だみぇ~!!」

ロシア語訛りのヘブライ語で酒臭くそう叫んだかと思うとがっくん、真赤な鼻でそのまま机にアタマをうつ伏せた。「何事よー?」と、駆け寄る悪魔やナタを持ったお化け、はたまた天使に変身したイェシヴァの諸君。肝っ玉かあちゃんのミニバンの背後には前へ通り抜けられずにいる他の車がビーッ!ビーッ!ビーッ!しかし、そんな渋滞などおかまいなしに肝っ玉かあちゃんは、「あっほー!あっほー!」とボサボサのアタマのこめかみにクルクルパーをしながら、真っ赤な顔のおやっさんに叫び続ける。

そうこう吉本劇場さながらのドタバタ劇をくり広げている間に、ミニバスに乗る10人全員が集まり、何のことはない、赤鼻の駐車場に入ることなく旧市街を出発となった。「ほんじゃ、行くよー!」肝っ玉かあちゃんの元気よい掛け声と共にベタル・イリットへ向かうミニバス車内では、イェシヴァの諸君も、プリムとあってもうすでにちょっとほろっと酔い加減。愉快愉快、いつも黒い服の彼らにもこんな側面もあったのだな。

ミニバスはエルサレムから一路ヘブロン方面に向けて走りだし、途中のチェックポイントを抜けて昼過ぎにベタル・イリットに着いた。ベタル・イリットの街の辺りは、見渡すかぎりの粗い砂の荒野に点々とオリーブ色の低い茂みで、中東らしく砂漠の風景が続いている。しかし、ベタル・イリットの街の通りにはそんな風景には不釣合いな、一瞬プリムの仮装のような黒いサテンのロング・コート、カフタンにシュトライマレ帽子が溢れかえっている。中東の砂漠に囲まれた街でこのいでたちはどうみても暑すぎて不似合いでも、オーソドックス・ユダヤの人々は決して世俗的な普段着というものを着用することはない。肝っ玉かあちゃんの運転するミニバスは、そんな街の通りを駆け抜けると、ようやくラビの家の前に停まった。

「ほいじゃあね、4時に迎えにくっからね!バハハァーイィ!」

ブルルン!と、鼻息荒く、肝っ玉かあちゃんは、ベタル・イリットを後にしてどこかへ消えて行ってしまった。

「さあ、みんな!今日はプリムだ!ハマンとモルデハイの見分けがつかなくなるまで、思いっきり呑むぞー!呑め、呑め!」

イェシヴァ諸君ご一行の到着を待ちかねていた黒い帽子のラビ。どことなく清楚なカウボーイといったところか。ラビの子供は長男、次男、三男、四男、五男、六男、そして1年前のプリムに生まれた7番目の赤ちゃん。ここまで男児が続けば、もう「次は女の子かも?」など夢見るだけ無駄だよと、みなが思っていた。しかし、ラビは今度こそ必ず待望の女の子だと信じていた。そして、プリムの祭りがはじまると天地がひっくり返って、見事にかわいい金髪の女の子が誕生したのだった。

安息日に祈りを捧げるワイン意外には、日常的に酒類を口にする習慣のあまりないユダヤの人々。お陰で少量のアルコールでも十分に酔ってしまう。男と女は別々に呑んで呑んで踊って呑んで、楽しいプリムの宴。すると、それまで陽気に酔ってイェシヴァの諸君とフォークダンスのように輪になり、数珠繋ぎに肩に手を掛けて踊っていたラビが、突然大声で、誰にとでもなく叫び出した。

「おい、そこの君、この質問に答えろーッ!」

プリムで酔っ払っても、ラビはラビだった。ラビはそう叫ぶと同時にバタンっ!黒い帽子がひらりと宙を舞って、タイルの床の上に倒れたきりピクリとも動かない。イェシヴァの諸君も一体何が起こったのかわからずに、踊りの輪はまるで「ダルマさんが転んだ!」の如くピタリ!と静止した。すると、ラビはひょいっと床から起き上がると、床の帽子を拾い、ぽんと頭に乗せると、また何もなかったかのようにイェシヴァの諸君を手招いて輪を作ると、ひたすら陽気に大きな声で歌いはじめて踊り出す。もう完全無敵、このラビを止められるのはもう天の神以外にはいないのかも。

バタンっ!

またまた黒い帽子はひらりと宙を舞い、ラビが倒れこむ。

しかし、先ほどのようにラビはひょいっとは起き上がらない。皆の笑い声がしーんと静まり返り、少し慌てて床のラビの背中を揺る真っ白な羽根をつけた天使。

「ラビ!ラビ!」

しかし、ラビは何の反応も示さない。すっかり酔いも醒めるほどに、心配な面持ちでモロッコ人の服を着た学生が天使の横からラビの肩をそっと揺すってみる。

「ラビ!ラビ・・・!」

ラビを囲むようにして、皆が見守る。

「ラビ!・・・・あれっ?!ラビ、あっ・・・ね、て、る、・・・!!」

がっはっはっは!静けさを破って大笑いの渦。いつもは厳しいラビの泥酔い姿に、もう皆の笑いは止まらない。カウボーイやらゴム製のハンマーを担いだ「13日に金曜日」のジェイソン君は、動けないほどに酔いつぶれて床の上で寝入ってしまったラビを、まるで神輿のようにワッショイとベッドまで担いで行き、プリムの宴はお開きに。砂漠のベタル・イリットの街からエルサレムの街までは、時間ぴったり4時に肝っ玉かあちゃんがミニバンでのお出迎えと来た。

「よー!イェシヴァの学生諸君、気分はサイコーかーい?イェイ!皆いるね?それじゃ、行くよー!」

「あれ?おばちゃん、髪形がさっきと違うのじゃない?」

異邦人の女。

「ぐふふふっ。あんた、よく見てるわね!空き時間にヘアーサロンに行って来たのよ!どう?美しいだろ?!」

ああ、これもプリムのなせる業か。朝まではボサボサ頭の肝っ玉かあちゃんが、夕暮れにはウフッと色っぽくほほ笑む女優さんか、まさに天地がひっくり返ったか。エルサレムを出た時と同じく、肝っ玉女優かあちゃんのミニバンはエンジン快調、威勢よく走り出した。それから砂漠を半時間ほども走るとエルサレムの街に入り、旧市街の駐車場へとミニバスは向かう。旧市街の入り口のヤッフォ門の前では、テロ防止に不法侵入者の検問をしているようだ。肝っ玉女優かあちゃんはミニバス車内をぐるりと車内を見回すと、「アレー!!!」

「何でよー!何でなのよ、11人いるじゃんか!うちは10人までしか乗せられないのにどうすんのよー!」

若きユダヤ青年がオリーブ色の軍服をまとい、自動小銃を肩から斜めがけにしてミニバスの運転席の窓へと近づいて来た。

「・・・あらっ。若きハンサムな兵士さんよ、シャッロ~ム!シャッロ~ム!どう、今日のアタシ、キマッテナイ?

えっ?何人乗ってるのかって?そりゃあ10人よ、10人!あたり前よん。いつもアタシの車には10人じゃん!いやあねぇ、おっほっほっ」

肝っ玉かあちゃんと顔見知りのその兵士は、少し笑顔を浮かべて窓から頭を突っ込むと車内を見回す。肝っ玉かあちゃんは女優らしく演じてみる。

「えっ?何ですって?11人いる?うっそー。あらやぁだ。これ、ネコよ、ネッコ。ねっ、猫は数に入れないでよぉ。(ほら、鳴きなっ!!と横目で異邦人の女を見る)それとも兵士さん、あんた、プリムだから酔ってんでしょう?えっ!」

ちょうどミニバンの一番前に座っていたどら猫の異邦人の女。もうこうなったら彼女もプリムだから仕方がない。にゃぉー、ゴロゴロ、顔を洗ってもうひとつ、にゃーん。

「・・・しょうがないなあ、プリムだからね。今回は大目に見とくよ」

苦笑いの美しき兵士、プリムでも酔わずにお勤めご苦労さん。

そうして肝っ玉女優かあちゃんのミニバンは10人&どら猫一匹で検問突破。プリムの夕暮れ時のエルサレムの旧市街に、無事帰還いたしました。ボサボサ頭の肝っ玉かあちゃんでも女優のように美しくなれたのならば、来年はどら猫じゃなくて王妃エステルになってみようかと異邦人の女は思ったらしい。来年のプリムには、世界中で本当に天地がひっくり返えるような何かが起こるだろうか?