さよなら「あっぷする~と」
2ヶ月ほど前のこと。エルサレムの旧市街へ行く途中に、マーク氏の「あっぷする~と」の前を通ったので、店の中を覗いてみた。
いつも礼拝ばかりしている、とマーク氏が嘆いていた人のよさそうなアラブ青年の姿が、相も変わらずキッチンの奥に見えた。しかしハッサンの姿もなく、それよりも肝心のマーク氏はどこに?また近所のパン屋で油を売っているのかな?おやっ?「あっぷする~と」の店内に、見知らぬイスラエル人の中年の夫婦が通りを伺うようにして座っている。
「いらっしゃいませ~」
はい?あれ?
「あの~、マークはどこでしょう?」
「あ~、もう、いませんよ」
「もう、い・な・い・・・???」
あっぷする~とを飛び出して、急いでマーク氏の携帯電話に連絡を入れる。
「アハラ~ン!チカ!元気?久しぶりだねえ~!」
・・・マーク氏よ、それはこちらの台詞だよ。
「今ね、メア・シェアリムの入り口の角のカフェにいるから、来る?そう、ここで働いてんのよ、しばらくね」
旧市街からの帰りに、マーク氏のその新しいカフェに寄った。通りを急ぎ足で行きかう男も女も黒い服に黒い帽子やスカーフ。そんなメア・シェアリムには少し場違いな、おしゃれなヨーロッパ風の小さなカフェ。なかなか居心地がよさそうではないですか。カフェの入り口には、一目でマーク氏の手作りらしいカウンター。その中で、相変わらずクルクル目のマーク氏は片手タバコでのほほ~ん。
「マーク!」
「アハラ~ン!チカ!なに食べる?!」
ガクッ。「チカ=腹減り娘」なのね、マーク氏のアタマの中では。
「そうね~、でもお腹すいてないんだけど・・・おっ?いい匂い!おおっ?マッシュルームのスープ?食べる食べる!」
ガクッ。なんだかんだ言いながら、食べ物を拒めない自分が情けない。
「それで、マーク氏、どうしたの?あっぷする~とは売っちゃったの?」
「そうなのよね~ん。パートナーがさ、あの店は売るってんで、あ、そう、って。でも、オレも毎日ブラブラしてるわけにも行かないしさ、今さら地元のハイファでのフード・ビジネスは難しいしだろ?それで、ここのオーナーはオレと同じロシア人だから、ちょっくら手伝ってやろうかしらん、なんてね。でもな、チカ~、秘密だけどね、まあ、ここはあと数ヶ月も持たないね。オレも他にも何か考えなくっちゃさ、家を売る羽目になっちゃうからさ~。で、寿司バーなんてどうよ?チカ、寿司巻けるだろ?」
「・・・巻けますけどね、お寿司くらいは。でも、ほんまに店を開くとなれば、毎日誰が寿司を巻くのよ?握るよの?それにしても「あっぷする~と」は売っちゃったんだ・・・。残念だなあ。それで今どこに寝泊りしているの?バスで40分ほどの街の義理のお母さんの家?ああ、だから夜はヴォッカもお預けなんだね。なるほど、大変だねえ・・・」
そんな会話があって、温かい湯気のマッシュルーム・スープを食べ終えると、じゃあ、またね。
それから昨日の夜、どうしているかとマーク氏の携帯電話に連絡してみた。しかし誰も出ない。留守電にメッセージを残しておいた。そして今日、もう一度連絡を入れるも、またもや留守電。メア・シェアリムの入り口の角のカフェも閉まっていた。
マーク氏、どこにいるのでしょうか。なんと言っても生き残り合戦ではタフなマーク氏だから、それほど心配もしないけどね。きっと今頃は、また穏やかな地中海にボートを浮かべて魚を釣りながら、のほほ~んと片手タバコで次の案を練っているのかな。
私もあなたのように、何があっても「のほほ~ん」としてみようか。諸行無常、移り変わらないものは何もない。すべてにははじまりと終わりがある。今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹く。たくさんの波が寄せてはまた引いてゆく。あの街角で出会い、またどこかの街角で別れがある。そしてまた新しい出会い。またきっとどこかで会おうね、マーク氏よ。その時をのほほ~んとエルサレムのどこかの街角で待っているよ。