礼儀はもはや死語か?
某放送局のラジオの生出演も無事に終わった。後で自分の話した箇所を聞いてみると、あら?
放送中のインタヴューの時間が短かったので、自分では出来るだけ早口で話したつもりだった・・・・。そう、「つもり」は結局「つもり」でしかない。聞きなおして見ると、なんとゆっくりと話しているのだろう・・・。そりゃあ、アナウンサーの方も時間を気にして焦ったかも知れない。自分と現実のギャップはなかなか埋まらないような。
ここ最近、メールでの問い合わせが増えた。やはりイスラエルというマイナーな国が珍しいのだろう。でも気になります、メールでのコミュニケーションの仕方。相手が見えないヴァーチャルなメールであっても、向こう側には人がいる。だったら「礼儀」というものは欠かせない。そう思うのは私の頭が古くて固いからなのだろうか。
この放送局に引き続いて、全国にネットワークを持つ某Tテレビ局の番組の出演依頼のメールがきた。担当者の「番組に出させよう」という押しの強いメールと何度かやり取りした後に、どうも番組の趣旨とあわず「いろいろと検討した結果、番組にはあわないと思うのですがどうでしょうか。」と尋ねたところ、それ以来ぷっつりとその担当者からの連絡はなくなった。
なんだそれ?まともに相手にしたこっちが阿呆だったのだろうか。多くの人があわよくばと「人生の5分間の栄華」を求める時代、こちらの「出演のお断り」の態度を高飛車に取ったのかなんだかわからないが、せめて「わかりました。ではまたの機会に」ぐらいの返事の一つくらい出来ないものだろうか。
そして同じように写真の依頼が何件かあった。「死海の水を扱ったコスメの商品化にあたり写真を使わせてもらいたい」というような問いが最近多いのだが、なぜか事後承諾なもの、なんだかよくわからない商業的な使いみちなもの。メールであれば自分にとってよい都合だけで「一方的」でよいのだろうか。と、書いていて思い出したことがある。この春、実家でごろごろと過ごしていた時に、ちょうど不在中の父宛に若い男性から電話があった。受話器を持つ母が電話口で声を荒げる。
「主人はいるんですか?」
「(主人?ご主人でしょう?いる?いらっしゃるでしょう!)・・・どちらさまですか?」
「あー、えっと、XX社のものですが・・・・で、主人はいるんですか?」
「(ムカッ)今、不在ですが」
「じゃ、いつ帰ってくるんですか?」
「あなた、ちょっと態度が悪いですよ!何の御用でしょうか!?」
「えー、いないんならいいですよ。ガチャッ」
なんだろう・・・。XX社と言えばそこそこ名の知れた会社である。こんなまともに敬語も使えなければ礼儀も知らない社員がいていいのだろうか。大方何かのセールスだったのだろうが、それにしてもあんまりである。そしてもちろん、こんな事は日本だけではない。イスラエルでも電話の礼儀の悪さには辟易した事が何度もある。
プルルルー。
「ハロー?」
「あれっ?あんた誰?」
「・・・はっ?(え?なんで?)」
「誰?」
「・・・えっ?あなたそ誰です???」
「ボアズやー。で、あんた誰や?」
「・・・チカ」
「はああ?誰やそれ?」
「(こっちの台詞や!)だから、どこかけてるんですか!?」
「リフカいるぅ?」
「だから、どこかけてるのよっ!?」
「あー・・・(やっとかけ間違えたと気づいたらしい)、そんじゃまあ、いいやっ。ガチャッ」
ななななっ、何がええねん!
日本もイスラエルもこんな人が最近めっきりと多いのである。